第2話
果ての世界に一番近い「最果ての街」を過ぎると、周囲は途端に閑散としてきた。
昼夜問わず薄暗い空には、茜雲のような薄赤い雲が漂っている。
夜が近づくとじんわりと墨闇が広がり、朝がくると白靄のような光が赤い空を照らすのだ。
サイレンスが住まうこの世界は、他の世界より少しだけ大きい。
故に、たくさんの他世界との接部が多く点在していて、空の様相も一定しないことが知られている。
観光の名所として拓かれた土地もあるが、この辺りはモンスター討伐が行き届かない野生地区なので感動を求めて旅人はやってこない。
乾いた大地の亀裂は深く、地下に住むモンスターの触手が極彩色を時折覗かせる侘しい土地。
固い岩盤の上に一晩の安息地を決め、手早く焚火を起こして寝床を用意する。
意識しておかなければ、時間がわからなくなる赤い薄闇の中だ。
サイレンスは古めかしい懐中時計を取り出した。
その昔、英雄になる前に訪れた亜機の世界を冒険した時の報酬の中に入っていた代物だ。
とても気に入っていて、今も使い続けている。
サイレンスと唯一、滅ぶ前の風の王国を知っている大切な品物でもあった。
「ジャッジ、お腹は空いているかい?」
「ウォンッ」
「では夕餉にしよう!」
しっかり熟成したモンスターの頭部と、道すがら収集した木芋根を一緒に茹でる。
ジャッジのために燻製肉を刻んで、煮豆と混ぜてあたためた。
栄養価の高い木の実を砕いてさらに混ぜ合わせる。
ぐううぅう~。
「はっはっは、そんなにお腹が空いているのかい、ジャッジ!」
「ウォフ?」
「え?」
豪快な腹の虫の音を聞きジャッジだと思ったが、ジャッジはキョトンとサイレンスを見ている。
互いに「お前だろう」と云いたげな視線で見合っていると、後ろからまた聞こえた。
ぐううぅうぅ~。
「っ! わあっ!」
「……ううぅ、いい匂い、だよぉ……」
「キ、キミは誰だいっ?」
呼ばれ出た亡霊のように突っ立っていたのは子どもだ。
相当お腹が減っているようで、口唇から零れそうになる涎を必死に飲み込んでいる。
「うおおい、ロンヴロンディ! どこ行ったぁ!」
「ボクはここだよ、バルゴルスさぁん!」
岩盤の下から野太い声が聞こえ、子どもが反射的に大きな声を出した。
が、その途端にへなへなと膝をついてがっくり肩を落とす。
「大丈夫かいっ、キミ!」
「お腹……ペコペコ、だよぉ……はううぅ……お肉ぅ……」
「ロンヴロンディ! っ、て、あれ、サイレンスか?」
「やあ、やっぱりキミだったか!」
腹を空かせて目を回してしまった子どもを介抱していると、物凄い勢いで岩盤横を駆け上ってきた巨漢に笑顔を見せた。
「まだ食わせてないか?」
「え?」
「ロンヴロンディだよ。こんなチビなのに、あるだけ食っちまうから、気をつけろよ」
サイレンスの腕の中で「お肉、お肉」と呟いているロンヴロンディに、険しい顔で鼻を鳴らした。
「この子は雷竜のロンヴロンディ君かな?」
「ああ。知っているのか?」
「この子を捜している子に会ったんだ」
「そりゃ助かった。オレのたかられ人生もようやく終わりだな」
幾度か採掘系の冒険を共にした甲鉄系半獣族のバルゴルスは、ずいぶん長くロンヴロンディと一緒に行動をしていたらしい。
ロンヴロンディが目を覚ますまでの間、焚火を囲み夕餉を食べながらしみじみと苦難の旅を語ってくれた。
元々バルゴルスは行動範囲が広いから、善意でロンヴロンディの親友捜しを手伝っていたのだろう。
「お肉の焼ける匂い! お肉が茹で上がる匂い! お肉お肉お肉ー!」
毛皮布を蹴り飛ばして覚醒したロンヴロンディは、我慢しきれないようにバルゴルスの周囲をグルグルと歩き回る。
(これを毎日五回されたら確かに辛いかもしれないな)
竜族の食事はきっちり一日五回と決まっている。
加えてロンヴロンディは豪食らしく、毎回たらふく食べるそうだ。
「これで女ってんだから、竜はわからん」
「ボクは育ちざかりなんだよぉ! 一杯食べないと、大きくならないんだから!」
「女ってのはなぁ小食な方がモテるんじゃねぇのか」
「だ~か~らぁ、ボクはまだ育ちざかりなのぉ!」
「わかったわかった、ほら」
軽い言い合いは日常茶飯事なのか、ロンヴロンディはバルゴルスから焼けた肉塊を受け取るとむしゃぶりついた。
「ジャッジ、キミの分はこっちだよ」
ロンヴロンディを食い入るように見つめるジャッジに、同じ肉を与えて落ち着かせるサイレンスは、呆れ顔のバルゴルスにも食事を勧めた。
「肉類十、木の実類四十、野草類五十、だよね」
「よく覚えてるなぁ」
「一度作った食事のレシピは忘れないんだ」
「はぁ~。他の冒険者に見習ってもらいたいもんだ」
甲鉄系のバルゴルスは強面で体躯がガッシリしているので肉食と思われがちだが、草類がメインの草食系だ。
サイレンスは英雄として旅をしてきた頃から、同じパーティを組む者の主食を把握するようにしている。
人それぞれに食べる好みがあり、食べてはいけないモノや食べられないモノがあることを理解していれば、どんな相手にも合せた料理を作ることができる。
楽しく食事をすることも大切な交流方法で、サイレンスはその時間を大事にしている。
焚火の上に新しい鍋を用意して木の実と日干し果実を刻んで先に炒め、木の実油が出た後から赤身肉を炒める。
水を入れて浮いた油を木綿布で吸わせて取り除いた。
「そこまで丁寧にやってくれるヤツは、お前以外にいないぞ」
「はは、覚えた通りにしか作れないだけさ」
「風の英雄さん、お肉!」
「お前のはこっちだ」
「わうーっ!」
サイレンスの手際の良い調理を見ていたバルゴルスに肉を与えられ、ロンヴロンディは大喜びでまた食べ始める。
負けじと「おかわり」とサイレンスを見つめたジャッジだったが、穏やかな笑顔に「もうない」ことを悟ってショボンと寝床へ向かった。
煮詰めている間に野草類もざっくり切って鍋に投入、灰汁を取りながら調味料をバルゴルスに託す。
「好きな味付けにすると良いよ」
「おう」
「風の英雄さん、もっと!」
「こっちだ、こっち」
「わはーい!」
底なしかと思うほど貪欲な食べっぷりに、さすがのサイレンスも若干口元が引き攣った。
「食事中にすまないが、キミは雷竜のロンヴロンディ君だよね?」
「うん、そうだよ!」
もっもっと肉を頬張りつつ、ロンヴロンディは元気に頷く。
「ロンヒオノシエラ君を知っているかい?」
「ロンヒオノシエラを知っているの? はぐれちゃってからずっと捜してるんだ!」
「彼女もキミを捜しているよ」
「よかったぁ! 呆れて先に戻っちゃったかと思った!」
ホッとしてまた食欲が湧いたのか、肉に噛みつく一口が大きくなった。
「バルゴルス君、悪いがこの街にロンヴロンディ君と向かってくれるかい。知り合いが冒険者寄合組合を運営しているから、会ってほしい。ロンヒオノシエラ君と一緒に移動をしているゴーゴリー氏にも伝えておくから、合流して二人を会わせてやってほしいんだ」
「うっし、任された」
「ありがとう」
手紙をしたため、伝達用の大鷲を風で作り出す。
それをロンヒオノシエラに渡した伝達石毛にリンクさせると、大鷲を空に放った。
「ロンヴロンディ君、食事の後で少し話を聞かせてくれるかな」
「わかった! あと一塊で終わらせるから」
食事が作業のような返事をして、ロンヴロンディは再び肉を食べ始めた。
好みの味付けで食事を楽しむバルゴルスも相当な大食漢だが、ロンヴロンディと比べれば「大食い」程度かもしれない。
サイレンスは余り物で食事を済ませ、手際良く片付けを始める。
「悪いな、せっかくの食糧を」
「気にすることはないさ。足りなくなれば調達するだけだからね」
それでも、凶竜の加工肉を多めに持っていてよかったと内心思った。
満足するまで肉を食べたロンヴロンディは、すっかりサイレンスに心を開いている様子で「なんでも聞いて!」と目を輝かせる。
「果ての世界の近くで、闇に襲われたってロンヒオノシエラ君に聞いたんだ」
「そうだよ。果ての世界から伸びてきてた」
「……」
「魔じゃなかったから、悪意か闇だと思うんだけど……ちょっと自信がないかな」
「どうして?」
「闇よりも痛かったんだ。ボク達、本当の姿の時は闇なんてへっちゃらなんだけど、触った途端にビックリするくらい痛くて」
ロンヴロンディの説明はわかるようでわからない。
サイレンスも詳しく竜族を知っているワケではないから、より慎重に語彙を理解しようとした。
「闇よりも痛いというのは、浸透痛のことかい?」
「あーんー、近いけど違うかなぁ。えーっと、瞬間に感じる重い痛み?」
竜の肢体を走った痛みは、それほどに一瞬だったのだろう。
ロンヴロンディは難しい顔をして、その時の痛みを思い出そうとしていたが上手く行かない様子で頭を傾げている。
(私の夢に出てくるあの闇と同種だろうか)
喜びの後の、動けなくなるほどの恐怖の闇。
記憶しているもっとも忌むべき痛みと苦しみ、哀しみを混ぜ込んだあの闇に触れた感じを思い出してサイレンスは身震いした。
「風の英雄さんは、果ての世界へ行くの?」
「ああ、果ての世界の王様に呼ばれたんだ」
「え?」
「ん?」
小鳥のように首を傾げたロンヴロンディに釣られて、サイレンスも同じ方向に首を傾げる。
「あの世界の王様って、大分前に眠ったんじゃなかったっけ?」
「そうなのかい? この世界では聞いたことはないよ?」
「おっかしいなぁ……王子様が生まれてちょっとしたくらいの話だった気がするんだけど」
この「ちょとしたくらい」が曲者なのだ。
時間感覚の違う世界の住人であることを考えても、恐らく「ちょっとしたくらい」は百年単位だろう。
「ボクも噂しか聞いてないから、デマかもしれないね!」
そうでなければ煌声の説明がつかない。
サイレンスも穏やかに「そうだね」と答えて、満腹で眠くなり始めたロンヴロンディを寝床に案内する。
ジャッジに一緒に寝てあげるように頼み、焚火の前に陣取っているバルゴルスの元に戻った。
「一杯やるかい?」
「おう、ありがてぇ」
どんな場でも祝い事があれば、酒を振る舞うのが風の王国のしきたりだ。
王族であるサイレンスは、未だに多くのしきたりをひっそりと守り続けている。
「キミとの再会に」
「うっし」
二人には小さな木製のコップに、蒸留酒とドライフラワーを入れて一気に飲み干す。
「この旅の初めにデンジャー君に会ったよ」
「テイヒュルアンバーに? 最近会ってないな。元気にしてたか?」
「もちろんさ」
新しい酒はちびちびと口を湿らせる程度に進め、乾燥ナッツやフルーツをつまみに更けない夜を見つめる。
時間的に深夜に差しかかる頃、バルゴルスは不思議そうな視線をサイレンスに送った。
「寝ないのか?」
「ここ最近、嫌な夢に纏わりつかれていてね。客人もいることだし、今日は寝ずにいようかと思っているよ」
「止せよ、オレだってそれなりにレベルはあるんだ。あっちなんか雷竜だぞ。お前が寝ててもなんとかできる」
「ははっ。ありがとう、頼もしいよ」
夢の話に触れられたくないのが伝わったのだろう。
バルゴルスは、冒険してきた世界の話に話題を変えてくれた。
夢中になって話を交換し合っていると、いつの間にやら空がじんわり白んでくる。
蒸留酒三本を消費した二人は、大欠伸をしながら起きてきたジャッジに挨拶をした。
「朝食の準備をしよう」
ロンヴロンディは夜と同じだけ食べると想定して、保存用の肉を袋から引っ張り出した。
驚くことに、ほぼ五日分がなくなっている。
(バルゴルス君が渋い顔をするワケだな)
思いつつ、自分も渋い顔をしてしまった。
猛烈な食欲を朝から見せつけたロンヴロンディと、道中のつまみにと乾燥ナッツと酒瓶を渡したバルゴルスに別れを告げ、サイレンスは再びジャッジとの旅を再開する。
広大な荒地は代わり映えせず、時折モンスターを駆って食料やアイテム原料に加工する日々。
陰鬱な紅が空をずっと覆っている中を歩き続けているからなのか、あの不可解な夢を見る頻度が増してきた。
なぜ重い闇の中を行く夢を見続けるのか、故郷が目の前に広がるのか、星屑のような光の正体すら未だに掴めていない。
いつもジャッジが起こしてくれて助かっているが、ひとりだけの旅であの夢に囚われたらどうなるだろうかと想像すると気持ちが沈む。
この世界の果てに近づいている所為なのか、大地の崩壊が酷く地図にはない迂回を余儀なくされること数日。
それまで人らしい人を見ることのなかったサイレンスの視界に、鉄鋼鬼獣の唸る声と共に二人組の姿が映り込んだ。
過酷な世界を長時間移動する際に重用されている鋼鉄鬼獣は、移動用作業用、戦闘用と様々な用途に対応した「変形」ができる半生物の機械だ。
主に亜機の世界に存在していて、この世界で乗り回せる人物は限られている。
「風の英雄じゃないですか。お久しぶりです」
「やあ、亜機の英雄のラビッケル君! いつ振りだろうか」
「円城の世界の帝都大聖戦以来ですよ。ご健在のようでなによりです」
「キミこそ、新しい冒険を楽しんでいるのかい?」
防塵ゴーグルを外し現れた顔は懐かしく、相変わらずスマートだ。
亜機の英雄ラビッケルは、円城の世界を悪意の争いから救うために各世界から招集された英雄の一人だった。
空気を読むことに長け、いつでも自身を好印象の中に置くことのできる器用なタイプで、実直で真面目なサイレンスはそこはかとなく羨望を抱いている。
もう一体の鉄鋼鬼獣に乗ったままサイレンスを見下しているのは、灼熱の世界を住まいとする獣人のようだった。
「彼は?」
「ニヒレオーンです。一緒に任務遂行中なんですが」
「もうリタイアだろ。早く帰ろうぜ」
「キミがリタイアするなんて、珍しいね?」
「どうにもできません。時間の無駄だと判断しました」
「そろそろティータイムーじゃねーのかよー」
ニヒレオーンはだらしなく言い放って、鉄鋼鬼獣に脚を上げると寛ぐ姿勢になった。
初対面の人間にも臆さない不遜な気配は獣人らしい振る舞いだ。
「私は風の英雄サイレンスだ。よろしく」
律儀に挨拶をするサイレンスに「ウス」と会釈しか返さない。
その態度をいさめようとしたラビッケルに、サイレンスは片手を挙げた。
「ここで再開したのもなにかの縁だ。一緒にティータイムをしようじゃないか!」
「ウォン!」
鉄鋼鬼獣と挨拶を済ませたジャッジが合いの手を入れ、久しぶりの賑やかな休息に心が軽くなる。
ラビッケルに操作された二体の鉄鋼鬼獣が円卓に変形する。
続いてラビッケルは、亜機の世界でしか作られていない茶葉を取り出した。
ニヒレオーンは準備を手伝う素振りもなく、円卓に座って珍しそうにサイレンスを見つめている。
「風の英雄って、どこ出身?」
「風の王国だよ」
「そこって、滅びたんだよな?」
「失礼だぞニヒレオーン!」
「構わないよ、事実だからね。私は大聖戦に出ていて免れたんだ」
「どんな国だったんだ? 翼のある獣に聞いてはいたんだが、なくなったとあっちゃ行くこともできねぇからな」
「美しく清涼な国だったよ。民も父王も穏やかで、悪意など欠片も入り込む隙なんかなかった。十の季節は色鮮やかで、常にいい風が流れていた」
茶に合う菓子を並べ、武骨なコップを円卓に置く。
空を見てから懐中時計を見た。
「どうかしましたか?」
「最近少しずれてきていてね。正確な時刻は計算しないと出せないんだ」
「後で見ますよ。亜機の懐中時計を愛好してくださっているお礼です」
「本当かい? 嬉しいよ、ありがとう!」
ラビッケルと話に花を咲かせていると、ジャッジがニヒレオーンを偵察にいくのが見えた。
ニヒレオーンは臆さず脇に座ったジャッジに向き直り、その頭を掴んで撫で回している。
魔獣を見て驚かないのは、魔獣を従事させている証拠だ。
「お前いい気配持ってるなぁ。風の英雄の加護もしっかり行き届いてる」
「ウォン」
「国に置いてきたマイハニーを思い出すぜ……早く帰りてぇなあ」
小さな鱗を持つ魔獣なんだと、ジャッジに熱く語っている。
ニヒレオーンの首回りに体毛が密集しているのを見て、今度はサイレンスが質問を飛ばした。
「ニヒレオーン君は、獅子なのかい?」
「あー、重鎧系な」
「それはまた、戦闘向きだね」
「まあね」
「灼熱の世界出身とみたけれど、この世界の気候は肌に合うかい?」
その名の通り、常に熱を帯びた世界からするとこの世界は寒すぎるのではないだろうか。
そんな心配をしてしまったサイレンスに、ニヒレオーンは肩をすくめた。
「しっかり防寒してるから心配すんな」
「亜機の防寒着を渡してあります。重鎧系獣人なので、亜機とは相性がいいんですよ」
「なるほど。あ、デンジャー君も健やかだよ。キミに会ったと話しておこう」
「テイヒュルアンバーさん、無茶していませんか」
「どうだろうか。存分に暴れられる鉱石採掘に精を出しているようだけれど」
「あの人らしいですね」
コップに注がれた紅茶にサイレンスが所持していた濃いミルクを注ぎ、塩気の強いバターを少量落とす。
サイレンスはドライフラワーで香りを出し、ラビッケルは果実糖を入れた。
ニヒレオーンはそのままで、神妙に見つめている。
「大丈夫ですよ。熱くないですから」
「本当かよっ!」
どうやら熱い飲み物が苦手のようだ。
「ジャッジ、ステイだ」
ニヒレオーンの紅茶を狙っているジャッジに釘を差して、サイレンスはラビッケルを見た。
「任務の内容を聞いても良いかい?」
「果ての世界の生命の樹を滅する指令だったんですが」
「え?」
「破壊し尽くせと」
英雄が関わってリタイアした任務は、別の英雄への譲渡ができる。
故に、サイレンスは旅のついでにと思って聞いたのだ。
しかし、ラビッケルの話を聞いて驚いた。
「破壊だけ?」
「はい。跡形もなく隠滅し、新しい生命の樹を育てる土壌にせよと」
「……魔法省からの依頼じゃないのかい?」
「魔法省からの依頼です」
「うん?」
「え?」
「こりゃあ、双方相違アリってところだなぁ」
グビリ、と紅茶で喉を潤したニヒレオーンはポケットから小瓶を取り出した。
「これが破壊し尽くせって言ってたんだぜ。間違いないだろ」
「煌声……」
確かにそれは煌声のようだが、サイレンスの持っている煌声とは明らかに違う。
「違う」
「国王の最期の言葉だと聞いていますが」
「私が受け取った煌声とは違うモノだよ」
首から下げている小瓶を取り出すと、二人に見せた。
青白く強い輝きを並べると、ニヒレオーンが出した煌声は陽光に消えそうなほど弱々しい白光を放っている。
「違いますね」
「それ……誰の煌声だ?」
「私は王だとばかり思っていたんだが」
三人で首を捻ったが、時間ばかりが経過してしまうのでリタイアした任務の結果を聞くことにした。
少なくなってきた菓子の代わりに、宿場街で凶竜の骨と交換したドライフルーツを出す。
「任務が遂行できなかった理由は?」
「果ての世界に入れませんでした」
「一応、三ヶ月ほど粘ったんだけどな」
「入口が閉じていたのかい?」
世界の意思が拒絶をすると、他の世界から入れなくなることがたまにある。
特に世界の危機が迫っている場合に多い閉鎖能動だ。
無理に抉じ開けようとすると時空が歪み、閉じた世界も接地しているすべての世界も巻き込んで消滅する。
「入ろうとすると悪夢を見るんです」
「思い出したくない昔の恐~い記憶が甦るんだ」
サイレンスの見る夢と同じようなモノだろうか。
「臨場感半端ない悪夢なんか、見たくないっつーの!」
「リアルに記憶を再現する夢かい?」
肩を竦めたニヒレオーンと、深刻な顔をしているラビッケルがサイレンスの発言に顔を向けた。
「では、アナタも?」
「うん。この旅の間に何度か似たような夢を見ていてね」
「煌声を聞いた人たちに起きている現象とみて間違いないですね」
「というと?」
「他にもいるんだよ、悪夢を見てた冒険者が」
魔法省は各世界の英雄を筆頭に、腕に覚えのある冒険者を果ての世界へ送り出しているようだ。
そこまで長い時間をかけ、解決できない問題が果ての世界にはあるのだろう。
「生命の樹の循環を司る機能が狂ったのではないかと、同じ任務を受けた別世界の冒険者が言っていました」
「狂った機能を治せばいいのだろうか?」
「冒険者の言葉を聞いた上で、果ての世界にある生命の樹は老朽化が進んでいて部分整備では意味がない状態なのだと判断しています」
ラビッケルの説明にサイレンスは腕を組む。
(私が聞いた煌声では「支えよ」とも言っている……煌声の主が違うから、メッセージに誤差があるのだろうか)
魔法省から依頼を受けた者すべてが煌声を手にしていたとすれば、伝言ゲームのようにメッセージに誤差が出るのもわからなくもない。
果ての世界の人々も、生命の樹の異常を外の世界に知らせ、必死に助けを求めていると想像もできる。
「そろそろ懐中時計を見ましょうか」
「ありがとう、よろしく頼むよ」
思考がこう着状態になったのを期に、ラビッケルはサイレンスの懐中時計の整備を始めた。
細かな作業に、覗き込んだニヒレオーンが渋い顔をする。
「どうにかして果ての世界へ入る方法はないだろうか」
「あー、別世界経由なら入れるかもな?」
「空の回廊も危ないようだ。竜の子が云っていたから、間違いないだろう」
「おっほ、竜がいんのかよ! 会わせてくれるかっ?」
「ニヒレオーン、迷惑だぞ」
竜の存在に目を輝かせたニヒレオーンは、即座にたしなめられてむくれっ面で円卓の上の脚を組み替える。
「会うだけなら大丈夫だろう。彼女達なら嫌がらないよ、多分」
腹ぺこ元気っ娘ロンヴロンディと、難しい時期のロンヒオノシエラ。
何事もなく再会できていればいいのだが。
「あ、少女の姿をしている彼女たちに「竜なのか」と聞くのは厳禁だよ。私はとても怒られた」
「へー」
「キミが会いたいと言っていることを知らせておこう」
「話がわかるな、風の英雄!」
ヒュッケニエスへ、竜族の二人に引き合わせたい人物がいるから話をつけてほしいと手紙をしたため、大鷲に持たせて空に放った。
ニヒレオーンに地図を見せて詳細を伝え、ラビッケルに寄り道の駄々を捏ねる様をにこやかに見守る。
灼熱の世界の住人は、過酷な世界故に肉体の成長が著しく早い。
ニヒレオーンも見た目はラビッケルと同じくらいだが、年齢的には幼いに違いない。
一旦ニヒレオーンを黙らせ、懐中時計を最後まで整備してから、ラビッケルは改めてため息を吐いて寄り道を承諾した。
「他にお手伝いできることがあれば」
「十分だよ、ありがとう!」
美しく磨かれて渋い色を光らせる懐中時計をポケットにしまう。
「あ、そーだ。これ餞別にやるよ」
そろそろお開きの空気になってきた場で、ニヒレオーンがポイッとサイレンスに何かを投げてよこした。
「獅子の爪。効果はわかってると思うけど」
「こんな貴重な魔法道具、いいのかい?」
「いーよいーよ。今回使うつもりだったオレの爪だし」
「えっ!」
「諸説色々あるけど、獅子の爪は定期的に生え変わるんだ。滅多に見つからないのは、生え変わる時に痒くてそこら中で爪を砥ぐからさ」
「硬石にめり込んだ爪を引っこ抜く身にもなってください」
「それくらい楽しめよ、楽しかっただろ~?」
「楽しくなかったです」
特殊な魔道具として取り扱われている獅子の爪は、硬い石や樹木、大地から発掘されるケースが多い。
しかも、発掘する際に如何なる衝撃をも敏感に感知して自己粉砕してしまうため、発掘には相当な時間が必要なのだ。
「こう食い込むから、こう引っこ抜くんだ。根元は衝撃に強いから、多少きつく摘まんでも壊れないって教えただろー?」
「簡単にいいますけれど、鉄鋼鬼獣に手伝わせても一苦労ですからね」
常にスマートに物事をこなすラビッケルがうんざりしている。
ニヒレオーンが言うほどは容易ではないらしいことは伝わった。
「ま、アンタなら使いこなせるだろ」
「ありがとうニヒレオーン君。有効に活用させてもらうよ!」
足を円卓から下ろして立ち上がったニヒレオーンは、忘れずジャッジにも挨拶をしている。
ラビッケルは卓上の片付けを始め、サイレンスもそれを手伝う。
「アナタはまだリタイアしていませんから任務の内容は聞きませんが、状況を見て無理なら放棄した方がいい案件だと思いますよ」
「亜機の英雄が言うのだから、従った方がいいかな。肝に銘じておくよ、ありがとう」
「また同じ任務に就ければいいですね」
「そうだね、その時はニヒレオーン君も一緒に!」
円卓から元の姿に戻った鉄鋼鬼獣に荷物を乗せ、ニヒレオーンは粉塵除けのゴーグルをつけて片手を挙げる。
「ウォン!」
「おー、元気でな」
ジャッジにも声をかけて手を振った。
「それでは」
「道中気をつけて」
サイレンスはラビッケルと握手を交わして、解散した。
移動用の姿に変形した鉄鋼鬼獣の上げる土煙を長い間見守っていたが、構ってほしいジャッジにせっつかれて荷物を背負う。
「できる限り果ての世界へ近づこう」
「ウォン」
「キミはそこで待機だよ。どんな状況かわからないから、私に何かあった場合の伝達係になって欲しい」
「キュウン」
「心配しないで大丈夫さ! いつも平気だっただろう?」
だが、これまでの任務とは勝手が違う。
ラビッケル達のように生きたままでリタイアできればいいが、悲惨な結果も考えておかなければならない。
「本当に、何が起きるかはわからない世界だからね」
心配そうなジャッジに笑いかけ、頭を撫でる。
「よし、私たちも行こう!」
立ち止まっていても仕方がない。サイレンスは近づく果ての世界へ足を向けた。
「……荷物がずいぶん軽くなってしまったな」
「クゥン」
「大丈夫、私たちには狩猟能力があるからね!」
「ウォン!」
予定外になくなってしまった食料を補充すべく数日間は朝から晩まで狩りを続け、屠った巨獣を丁寧に捌いて加工する。
狩りを続ける中で最果ての街近くまで戻ってしまっていたが、ちょうど別世界へ移動中の行商人に遭遇したので、保管してある骨や爪、血液や樹液などを乾物と交換した。
さらに数日、加工肉を仕上げて常温で保存できるよう仕込んだ。
「これだけあれば、帰りの家までもつかな」
「ウォンウォン」
倍以上に膨れた荷物をジャッジと分け合い背負うと、サイレンスは再び果ての世界を目指す。
仮眠しかとっていないサイレンスを心配しているのか、ジャッジはサイレンスの傍を離れない。
「ありがとう、優しい子だ。早く帰って、柔らかい寝床でだらしなく眠ろう」
「ウォンッ」
「早く家に帰るためにも、この任務を終わらせないといけない」
力強く歩き続けながら、サイレンスは薄い紅色の世界を見渡した。
ツンと喉の奥に冷たく刺さるような感覚は、闇に埋もれた夢の中に似ている。
それは恐らく、寂しさだ。
懐かしい故郷にはもう戻れない哀しさだ。
闇の中で動けなくなる心細さだ。
誰にも同じ気持ちになってもらいたくないと、英雄として思う。
「夢は、楽しい方がいい」
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