果ての世界で生まれたキミと

西島もこ

第1話

「果ての世界はずいぶんと遠いな」


 魔法省からの依頼で果ての世界へ赴くことになったサイレンスは、羊皮紙の世界地図を広げながら唸った。

 風の英雄として名を馳せるサイレンスには様々な依頼がやってくるが、今回は未経験で奇妙な依頼だった。


「……言霊を光に変える一族、か」


 依頼を受け向かった魔法省で、果ての世界から要請がきたと小瓶を渡されたのだ。

 小指の先ほどの極小なビンの中、独特な輝きを煌めかせる光の粒が浮いている。

 掌に転がし出せば、荘厳な声音が脳内に響いた。


『支えよ、もしくは滅せよ』


 英雄と言えども知らない世界は多い。


 果ての世界とは、闇底の世界と陽天の世界以外のすべての世界を支える生命の樹がある世界としか聞いたことがない。

 消えない粒を瓶に戻し、慎重に蓋をして首から下げた。


「漠然としているが、とにかく果ての世界へ行かなければ」


 時間感覚が違っていて、「サイレンスの住む世界」とは違う生態系を有した世界。

 その世界を総べるのがこの「煌声」を持つ一族だ。


 文献によれば、魔国と隣接しているが故、魔を有するすべての物質に関する知識を持ち、魔の操作に長けている。

 また、血の繋がりよりも魂の重ね輪によって個体に現れる特性が違うらしい。

 適正能力を見極める僧侶がいて、一生に一度だけ個体の持つ秀でた能力を教えてくれるそうだ。


「私も、一度見てもらいたいものだ」


 風を扱う魔術師の中で最強と呼ばれているサイレンスだが、埋もれている能力があるのならば知りたいし伸ばしたい。

 英雄となった今でも、強さへの探求は魅力的で止まらないのだ。

 古ぼけたコンパスを使って距離を測り、旅先での宿泊街などを決めて行く。


「軽く見ても二ヶ月はかかるな」


 果ての世界への予定ルートを記した紙に魔法をかけ、風で作り出した大鷲に持たせて魔法省へ飛ばす。

 穏やかに見送り、さっそく旅に出る準備を始めた。

 これから向かう世界は初めての世界だ。

 どんなモンスターがいて、どんな人々が暮らしているのか想像しかできない。

 だが、新しい発見が山ほど待ち受けているに違いない。


「実に楽しみだ!」




 サイレンスはたくさんの人に囲まれていることが好きだ。

 人が多ければ笑顔も多く、楽しいことも喜び合うことも多くなる。

 だが、仕事の時は独りを好む。

 だから相棒の魔獣犬ジャッジと荷物を分け合って持ち、散歩気分で家を出るのだ。


「ジャッジ、今回の旅は長くなるけれど平気かな?」

「ウォッフ」

「キミも魔の者だから知っているよね。果ての世界へ行くんだ」

「ウォン!」


 知っている、という風に尻尾を振って見せたジャッジに柔らかい表情を浮かべる。


「どんなところだろうか? 美しい場所……静かな場所?」

「クゥン?」


 イメージは伝えられないのか、首を傾げるジャッジの頭を撫でた。


「果ての世界に関してはキミの方が先輩だ。よろしく頼むよ、ジャッジ!」

「ウォンウォン!」


 顔見知りと言葉を交わし、皆に見送られ、知っている慣れた土地を離れる。

 乾いた土の上に薄っすら見える道を歩き、しっかりと地図を確かめながら果ての世界を目指した。


 一日目は森の脇に野宿を決め、食料も現地調達で手早く済ませることにする。

 無駄のない慣れた野営で食用にできるモンスターの肉は塩漬けで保存し、骨はジャッジのために取っておく。

 栄養のある頭部は縦半分に切断し、燻製用の葉に包んで焚火に乗せる。

 毛皮も爪や牙すら丁寧に加工をすると、売り物用にと梱包した。

 果実の半分は砂糖と一緒に鍋で炊き込みジャムにして、残りは乾燥させるために網袋へ雑多に放り込む。

 チマチマとつまみ食いをしながら加工を済ませる頃には、お腹も十分に膨れている寸法だ。


「まだ要るかい?」


 大食漢のジャッジだったが、渡した骨に夢中になっている。

 それを食べ尽くすまでは食べ物を強請ってサイレンスを困らせることもないだろう。


 簡易の結界を張った寝床に横になると、焚火の番を頼んだ風の精霊の気配を眺めながら胸元から小瓶を取り出した。

 夜の闇の中だと、小さな恒星のようにも見える。


(これが声だなんて、到底思えないな)


 しかも、王の煌声らしい。

 眩しすぎるほどの輝きにも納得できる。


(一体何を支えるのか、どう判断をして滅せよと云うのか……)


 光を見つめていればわかるかと思ったが、目がチカチカしただけだった。


「……ふぁ」


 欠伸をすれば、満足したジャッジが横に寝そべった。

 防寒具の要らない季節は、ジャッジの体温だけで夜が凌げる。


「おやすみ、ジャッジ」


 ジャッジを抱えると、サイレンスは目を閉じた。




 真っ暗だ。

 だが、胎動している気配を感じる。


(ここはどこだ?)


 周囲を見回しても絶対的な闇に埋もれ、サイレンスは自分の姿すら見ることができない。

 僅かに湿り気のある暗闇に、なにかの腹の中だろうかと考えた。

 脇に備えているはずの剣がなく、魔法も使えないことを確かめ、特殊な場所であるか夢の中だろうと冷静に判断する。


 身ひとつの状態で動き回るのは危険だが、とにかく立っているのかもわからない闇をどうにかしたくて摺り足で半歩前進した。

 慎重に腕を伸ばすが伸ばしている腕が見えない。

 手は空を切っているだけで、遮蔽物は存在していなかった。

 可能な範囲の安全を確かめ、一歩を踏み出す。


「…………っ」


 声が出ない。

 パクパクと口を動かしている認識はあるのに、音声が耳に聞こえてこなかった。

 闇に喰われたような静寂だ。

 耳を澄ましても、何も聞こえない。

 生物の体内であるならば、僅かでも音は聞こえるはずなのだが。


(無生物か? いや、重い闇に音響が潰されているだけかもしれない)


 重力のある闇と云うモノが存在する。

 魔の類であるが、害のない闇だ。

 正確には霧状の生物とされているが微光にも弱く、主に暗闇の中に蠢いているだけなのでハッキリしたことはわからない。


(果ての世界に行けば、全貌がわかるかもしれないな)


 慎重に歩を勧めながら、感覚的には前進を続ける。

 接地点に集中していなければ、前後左右がわからなくなるだろう。

 なぜここにいるのだろうかと考えてみたが、意識はジャッジと就寝したところで終わっている。


(ならば、これは夢なのか?)


 結界を破られ、遭遇したことのないモンスターに丸呑みされたのかもしれない。


「!」


 遠くに、一瞬だけ弱い光が見えた。

 闇に慣れた視界にハッキリとした光だったが、降ってきた雪が解けるよりも早く消えてしまう。

 遮蔽物の確認もせず光の元へ咄嗟に走り出したサイレンスは、記憶から残光の位置すら消えてしまって立ち止まった。


(どっちだ……?)


 辺りを見回しても、何も見えない。

 湧き上がる焦燥の理由がわからず、サイレンスはまったく動けなくなった自分に戸惑った。


「ウォン!」

「っ、ふは、ぁっ!」


 ジャッジの声を耳元で聞いて、反射的に瞼が上がった。

 途端に目を焼くかと思うほどの日光に目を細める。


「やぁ……ジャッジ、おはよう」


 夢だった。

 だが、生々しい気配が残っている。

 腹を空かせたジャッジに朝食を強請られつつ起き上がると、とろ火になった焚火を見守っていた風の精霊に礼を伝えた。

 臨時の契約韻を解いて飛んでいく精霊を見守ってから、存分に手足を伸ばす。


「わかっている、すぐに食事にしよう」

「ウォンッ」


 背中を押されて苦笑を浮かべながら、食料の入っている袋を漁った。

 ジャッジには栄養価の高い野菜を煮潰し、無塩スープで煮戻した乾燥肉を刻んだものと和えてやる。

 自分用には乾燥肉を焼いて、その上に卵を落として蓋をする。

 程好く焼ける間に保存の利く乾燥パンを切り分け、後々はチーズにして食べるための濃いミルクをコップに注いだ。

 立ち上る良い香りに、遠くから二足歩行の鳥獣が走ってくる。


「おー、やっぱりお前かサイレンス!」

「デンジャー君、おはよう!」


 冒険者協会の馴染であるテイヒュルアンバーだった。

 暴れ始めると止まらない冒険者で、何でも破壊してしまうことからついたあだ名は「デンジャーテイヒュル」だ。

 だが、曲がったことが大嫌いで人情に厚く世話焼きなことをサイレンスは知っている。


「おはようさん。今度はどこに行くんだ?」

「果ての世界だよ」


 軽装なのに麻の袋をたくさんぶら下げているところを見ると、採掘の仕事でも請け負ったのだろう。

 力自慢のテイヒュルアンバーらしい。


「果ての世界とはまた遠いな」

「行ったことがあるのかい?」

「一度な。王子が生まれたって、祝賀会に参列しただけだ。上手いモン食って帰ってきた」


 半獣の血を持つテイヒュルアンバーは、この世界の中でも長寿の種族だ。

 サイレンスの知らない世界のことも、意外とよく知っている。


「アレ何年前だったかなぁ……五百年か? とにかく、かなり前だな。しかしなんでまた果ての世界へ?」

「魔法省からの依頼でね」

「あっそう」


 英雄が請け負う依頼の内容は極秘であることが多い。

 テイヒュルアンバーもそこは理解しているから、深くは聞いてこなかった。


「ところで、卵焼き過ぎじゃねぇか?」

「! あああっ!」

「ひっひっひ。作り直すなら、それはオレが喰ってやるぜ?」

「ううぅ、遠慮するよ。まだ少し柔らかいかもしれないからね」


 とろとろの半熟の黄身を啜るのが大好きなサイレンス。

 整った精悍な顔つきなのに、黄身を啜る時だけは無邪気な子どものような顔になる。

 それほどまでに、半熟の黄身が好きなのだ。


 蓋を開ければ良い香りが一気に広がった。


「またお前の料理、喰いたいなぁ」

「共に旅をする時は喜んで」

「だな。じゃ、納品に遅れない内に行くとするよ」

「気をつけて」

「お前もな。あ、そうだ、生命の樹には気をつけろよ。感受性が高いとたまに飲み込まれるらしいから」

「有益な情報を感謝する!」

「ウォン!」


 敬礼をして見せるサイレンスに片手を挙げ、テイヒュルアンバーは去って行った。


「あぁ、私の朝の楽しみが……しかし、こればかりは嘆いても仕方がない」


 それでもフライパンに滲み出た肉の油をパンに浸み込ませながら頬張り、硬くなった卵にションボリしながらも残さず食べた。

 食後の休憩に紅茶を楽しみ、しばらくして野営を片付ける。


「よし、出発しよう!」

「ウォンウォン!」




 この世界で英雄の「英雄らしい仕事」は殆ど残っていない。

 いわゆる「敵」もいなくなり、人々はのんびり平和に暮らすようになっていた。

 英雄達は各々できることをやり遂げようと話し合って各処へ散り、ある者は自伝を書物に書き、ある者は能力を継承する弟子を育て始め、またある者は別の世界へと向かった。

 サイレンスはこの世界に留まって小さな事件を解決しつつ、人々と話し、冒険者達と旅をすることを選んだ。

 英雄であることに奢りはなく、人柄も良く朗らかで明るいサイレンスはどこでも人気者だった。


 充実した時間を過ごせることが幸福で、国や魔法省、剣技省などが自分を頼りに難しい依頼をしてくることもとても光栄だ。

 しかし、冒険の醍醐味である「モンスターとの激闘」や「新しい出会い」には滅多にお目にかかれなくなって残念な気分も持っている。


「だが、こういう出会いもある……!」


 太古に眠った強力なモンスターが、何かの拍子に目覚めてしまうことがたまにあるのだ。


 サイレンスは宿泊を決めていた街へ向かう途中、商人のキャラバンが襲われているのを目撃した。

 一気に体中の血が湧き上がり、ジャッジに声をかけると荷物を放置して風に乗って身一つで上昇する。


(大きなキャラバンだが用心棒は少ないようだな)


 凶竜と呼ばれる二足歩行の竜が二体、獲物を囲うようにキャラバンの周囲を回っていた。

 それを上空から確認し、突然現れたモンスターを相手に戦う意思を見せている人間の数を数える。


(凶竜相手に若い冒険者だけではかなりの不利だ)


 英雄はいない。

 雇われ冒険者達の中で、対峙しているモンスターが凶竜であると知っているのは何人いるだろう。

 みなが大騒ぎでなんとか武器を構えているが戦意はほぼ喪失している。

 一番レベルの高そうなのは炎使いだが、炎の属性を持つ凶竜相手に分は悪いだろう。


(よし!)


 剣を構え急降下で凶竜へ向かうと、脳天から頭蓋骨の継ぎ目に剣の先端を押し込んだ。

 魔伝導用の細い溝を通してある剣は半分くらいまで頭部に吸い込まれ、内部の刃に伝達した風の魔法で一気に破裂する。

 飛沫する肉や血を風で防ぎ、頭を失っても暴れる胴体を竜巻で切断した。


「ウォオォオン!」


 相棒を失った凶竜は鋭く咆え、強靭な尻尾でサイレンスを叩き落とそうと巨大な体躯を反転させる。

 サイレンスに照準を合わせた凶竜の足元で、キャラバンの幌馬車がひとつ踏み潰され大破した。


(緋踏みは防がないと)


 炎の属性を持つ二足歩行竜の特性である緋踏みは、自らの肉体に発生させた炎で相手を焼き尽くす能力だ。

 小さな村が瞬間で全焼するほどの威力を持つそれを、商人たちのいるこの場でさせることは避けなければならない。

 とは言え、相棒を失い頭に血が昇っている凶竜を誘導してキャラバンから放すことも難しい。


「キミ! 足止めを!」

「っええっ?」

「氷で足元を固めてほしい!」

「急にそんなことできないわよ!」


 氷の気配を持っている少女に叫んだが、戦闘慣れをしていないようでパニックになっていた。


(仕方がない)


 サイレンスは一旦着地し、地を蹴った。

 剣を鞘に収めて態勢を低くし、両手に風を溜める。


「はあああぁっ!」


 一瞬サイレンスを見失った凶竜に急接近し、足元を風刃で斬る。

 しかし肉の固い脚は切断できず、血飛沫が上がっただけだ。


「キャラバンを避難させるんだ!」

「ウォンウォン!」


 ようやくキャラバンに追いついたジャッジが、サイレンスの意思を読み取り魔力で巨大化する。

 驚く商人たちを幌馬車共々、風の魔力加護を使って凶竜から押し退けるように遠ざけた。


「いい判断だ!」

「ウォンッ」


 巨大化する際にジャッジが持っていた荷物がバラバラと散らかってしまったが、それは後から回収できる。

 安全な距離までキャラバンを離すと、ジャッジはサイレンスの隣に戻り凶竜に唸りを上げる。


「ジャッジ、緋踏みがくるぞ!」

「ウォッフ」


 脚を斬りつけられ滔々と血を流しながらその場でグルグルと旋回を始めた凶竜に、サイレンスは寒風の精霊を呼び出し結界を張る。


「ゴオオォアッ! ゴオォア!」


 涎を垂らしながらなりふり構わずで、頭を低くし突っ込む体勢を見せた凶竜。

 その頭部から全身にかけ赤黒い炎が揺れ、昼間の光すらも不気味な色に焼いた。


「ちょっと近いな、すまない」


 身を護る精霊に無理をさせてしまうことを謝って、直撃距離の緋踏みに構える。

 瞬間、凶竜がサイレンスに向かって突進を始めたように見えた。

 だが、大地を穿ち止まると足のバネを利用して前方に傾斜した上体を、さらに頭を低くする態勢を取りながら引く。

 さながら炎の脱皮だ。

 勢いの残っている炎は、轟音を響かせながらサイレンスを飲み込んだ。


 サイレンスを包む結界は内側から重ねるように寒風を発生させ、重圧な炎の威力を無効化させる。

 精霊へ剣を通して魔力を送り結界の能力を数段階上げて緋踏みを散らした。


「ゴファア!」

「ウォン! ウウウッ!」


 後退して身体を上げたところを狙ったジャッジの牙が、硬いはずの喉元を引き千切る。

 噛み直して捻るように頭を振ると、巨体が軽々と地面に叩きつけられた。

 激しい地響きに、戦いを見守る人々が伏せるのが見える。


「ありがとうジャッジ、後は任せてくれ」

「ウォン!」


 元より巨大化は長く続かない。

 サイレンスが炎を風で弾き消したタイミングで、ジャッジは通常サイズへと戻ってしまった。

 全速力で凶竜から離れて、サイレンスの後ろに伏せる。


「さて、終わりにしよう」

「グオアアァアアッ!」


 もんどり打ちながらも立ち上がった凶竜に相対し、サイレンスは背筋を伸ばした。

 音もなく剣を構えると、片手に風を巻く。


「今生き長らえても仲間のいない世界だ。大人しく眠ると良い」

「オァアッ、ゴアアアアッ!」

「安息の眠りを」


 消える直前まで命の炎を闘争心に変えているような様相で突っ込んでくる凶竜へ、顔色ひとつ変えずに柄に装填してある魔法石へと風を送り込んで撃ち放った。

 魔力の風は空気中で激しく回転しながら自然風を含んで膨張し、触れた肉をチーズのように斬り、硬い骨を枯れ木のようにことごとく砕破していく。

 吠える声すら巻き込み、風は凶竜だけを飲み込み捕らえた。

 豪風の外は穏やかに凪いだ世界で、商人たとが呆然と見守っている。

 数分も経たずに血肉と骨の風が消えると、何事もなかったかのような静寂が訪れた。


「ウォンッ」

「ああジャッジお疲れ様! たくさん褒めてあげたいけれど、まずは散らばった荷物を回収しよう!」


 半分は自分の所為かと鼻を鳴らしたジャッジを撫で、サイレンスはあちこちに散らばった私物を集め始める。


「ごめんなさいねぇ、助かったわ」

「やあ! ケガはないかい?」


 炎使いは独特な動きで腰をくねらせ、爽やかに挨拶をしたサイレンスに握手を求めた。


「さすがは風の英雄ね。惚れ惚れする戦いだったわぁ」

「私を知っているのかい?」

「モチロンよぉ! イケメンで強くて、爽やかで、非の打ち所のない英雄だもの!」


 差し出したサイレンスの手をガッチリ掴み撫で回す様に少々驚いた。

 筋骨隆々な炎使いだが、心は乙女のようだ。

 性別が見た目と異なる人物と接するのは初めてではなかったが、これまでに出会ってきた人々よりも圧が凄い。

 けして悪いことではないが、これは気圧される小心者が続出するだろう。


 サイレンスはにこやかに握手を解除し、くねくねしている炎使いから外周へと視線を飛ばす。


「それより、大きなキャラバンを護るには手薄じゃないかい?」

「そうなのよねぇ。アタシの炎も火力はあるけど、疲れちゃうから。あ、アタシはゴーゴリーよ。冒険者にも登録してるけど、本職は商売なの」

「私の名はサイレンスだ。よろしく」

「あらん、知ってるけど自己紹介されると嬉しい、んふっ」


 ゴーゴリーは商人たちに声をかけ、サイレンスの荷物拾いの手伝いを命令した。

 今や「英雄」は珍しい部類に入るからなのか、商人はサイレンスに荷物を渡す時に毎度声をかけ握手を求めた。


「……ちょっと」

「うん?」

「さっきは無茶なこと、言ってくれたわね!」

「無茶ではないだろう? キミは氷を使うじゃないか」

「慣れてないのよ! 私はこのキャラバンで歌を歌ってるだけなんだからね!」

「氷を使うのは、本職ではないのかい?」

「そう言うことよ!」

「せっかく使えるんだ、使えるようになった方がいいと思う。あ、私は風の英雄サイレンスだ」

「ロンヒオノシエラよ。使えるようになるには修行が必要でしょ。そういう時間は、歌うことに使いたいの」


 なるほどと納得はしてみたが、せっかく使える魔力を使わないのは勿体ない。


「冒険者を目指したことはないのかい?」

「私のは、そういうのじゃないのよ」

「そういうの?」


 首を傾げたサイレンスに再度説明するのは面倒だったのか、ロンヒオノシエラは「とにかく使わないの!」と言って離れて行った。


「あの子、年頃だから難しくって。悪かったわねぇ」

「彼女とは、パーティを組んでいたのかい?」

「半年前に拾ったのよ。はぐれちゃった親友を捜しているんですって」

「この世界は広いからね。そうか、うん」


 戻ってきた荷物をきちんと詰め直し、ジャッジに背負ってもらう分を先にまとめてしまう。


「ねぇ、宿はどこなの? お礼しなくちゃ」

「礼なんて必要ないさ。英雄として人々を助けるのは当たり前だ」


 自分の荷物をまとめつつ、すっかり腹ぺこになったジャッジに骨を与えた。

 尻尾を振りながら噛み砕いて味わうジャッジを優しく見守り、荷物の点検に余念がない。


「そうだ、ロンヒオノシエラ君。キミの親友はどんな子だい? 私は果ての世界へ向かうから、捜してみるよ」

「ホント? 助かるわ! 雷竜でロンヴロンディって言うの。こっちの世界にいる時は、子どもの格好をしているんだけど」

「雷竜?」

「私とロンヴロンディは竜の世界からきたんだけど、果ての世界の近くで闇に襲われちゃって……」

「キミも竜なのかい?」

「っ、わ、悪かったわねぇっ!」

「え? えぇ?」

「あのね、女の子に「竜なのか」なんて聞くのは失礼なんだからねっ! 人の格好ができるようになるまで、竜の姿にコンプレックス持ってる子多いんだから気をつけてよ!」

「あ、いや、悪気はなかったんだ。すまない」


 竜の住まいは陽天の世界にある。

 この世界とは空の回廊で繋がっていて竜たちは気軽にやってくるのだが、全員が人の姿をしているので見分けがつかないのだ。


「ちょっとロンヒオノシエラ! 捜すの手伝ってくれるって人に、なんてこと言うの!」

「はは、いいんだ。失礼をしたのは私だからね」


 ゴーゴリーがロンヒオノシエラとサイレンスへの謝罪をするしないで軽い口論になっているのを、微笑ましく眺める。

 竜族と言えども可憐な少女だ。


(これからは気をつけよう)


 キャラバンの準備が整ったのか、商人がゴーゴリー達を呼びにきた。


「アタシらはそろそろ行くわ。宿街までまだ距離があるから少し急がなくちゃ」

「そうだね、夜になる前に着いた方がいい。気をつけて!」


 ゴーゴリーの後をついて歩き始めたロンヒオノシエラだったが、小走りにサイレンスの元へ戻ってきた。


「あの……ロンヴロンディのこと、よろしく」

「もちろんさ! そうだ、すぐに連絡ができるよう、これを持っていてもらえるかな」


 魔法石を入れている袋から細長い石を取り出した。

 よく見れば縦に亀裂が無数に入っている緑の石だ。

 サイレンスは風で髪の毛のような細さに切り、途端にコシの出るそれをロンヒオノシエラに渡す。


「私の伝書鳥が迷うことなくキミの元へ飛ぶように」

「これがアンテナなのね。大事にしておくわ」


 ロンヒオノシエラはそれを氷で包み込んだ。少し加工してバラの形にすると、胸元に飾る。


「キミの氷は美しいね。素晴らしいよ」

「褒めたって、戦いには使わないんだから!」


 ベーッと舌を見せ、キャラバンへと走って行くロンヒオノシエラを見送った。

 キャラバンが掌に収まるくらい離れたところで、サイレンスは頭部を吹き飛ばした凶竜を調べて加工に入る。


「大まかに切って正解だったな!」


 固い肉だが煮込めば柔らかくなりそうだ。

 古代竜は無臭で生肉の状態でも保存が容易なので、腹肉辺りを特殊な韻を織り込んだ布に塊のままくるむ。

 大きな爪に通る血管に残る血は薬として使えるし、後ろ足の外腿を護る皮膚は防具の加工に利用できる逸材だ。


 サイレンスは旅の間殆ど路銀を持たないので、関所などで金に換えられる物はしっかりと保存する。


「やはり凄いな。古代の生物は骨にも魔力がある」


 感心しながら骨から肉を剥ぎ、骨だけを集めて麻袋に入れた。

 夢中になって食料と路銀用の加工をしていると、気がつけば夕日の色が濃く広がっていた。


「ああ、いけない。もうそんな時間か!」


 骨に満足して眠っていたジャッジを起こし、サイレンスは魔法で予定している宿街まで行くことにした。

 歩けば半日かかる距離も、空を飛べば数時間で到着する。

 剣を腰から鞘ごと抜いて魔法使いの杖のように跨いだ。

 自分の荷物は前に持ち、後ろにジャッジを荷物ごと背負う。


「さあ、しっかり掴まっていて!」

「ウォンウォンッ、キャウーン!」


 実のところ、ジャッジは空中飛行が苦手だ。

 翼のない獣らしく、空を怖がる。

 悲壮な鳴き声を上げるジャッジに「大丈夫だ!」と声をかけながら、サイレンスは楽しそうにスピードを上げた。




 また、湿った暗闇だ。

 重い闇はサイレンスの存在も塗り潰している。

 前回と同じ場所だと判断して、サイレンスは腕を伸ばすと迷わず歩き始めた。

 前進しているかその場を回っているかはわからないが、とにかく動いていようと思ったのだ。


(そうすれば、またあの光を見つけることができるかもしれない)


 一瞬だけ見えた光。

 それは、「煌声」に似ていたがすぐに消えてしまった。

 正体が知りたい、ただそれだけの欲求がサイレンスを歩かせ続けていた。


「!」


 初めて、伸ばした手の先に何かが触れた。

 途端に闇が明るくなった。


「っ?」


 明るくなっても声は出ない。

 サイレンスは周囲を見渡し、その光景が懐かしの故郷であることを知った。

 多彩な季節を持つ故郷の、長い一周期の二度目の夏が訪れた日の朝光を湛えた青空が広がっている。


(まさか……)


 大好きな季節、一番心が躍り、空高く舞い上がって風と遊んだ故郷だ。


(まさか!)


 緊張に身体が強張る。

 汗が滲む気配を感じたが、伝っている感触はない。


(私の故郷が現存するはずがない……!)


 天空の世界とこの世界の狭間にある彼方の世界に存在していた風の王国は、凶悪な悪意によって崩壊した。

 悪意の呪詛は延々と民を苦しめ、疫を広げて王族を嘆きの沼へ突き落としたのだ。


 見る間にやせ細る大地、空気は汚れ、人が住める環境が壊れて行った。

 逃げ出す民、逃げずに死んで逝く民、成す術のない王族達も倒れて逝った。


 その時期サイレンスは、英雄として別の世界に赴いていて助かってしまったのだ。

 帰り見た時の恐怖が湧き上がり、胸の中から噴出した。


「……っ、……!」


 噴き出す闇は、湿った闇と同じだった。

 見る間にサイレンスを暗闇へと引き摺り戻し、膝を折らせるほどの疲労の重みを背中に負わせる。


(どうなっているんだ!)


 自分が崩れ折れた場所が地面なのか空中なのかわからない闇に埋もれ、サイレンスは乱れた呼吸を堪えようもなく整えようとした。


「…………!」


 顔を上げると、あの光が零れるのを見た。

 それまでの重圧がウソのようになくなり、サイレンスは光に向かって全速力で走り始める。

 サイレンスが見た光景の理由を知っているのではないかと思うのだ。

 だが、光は夜空に流れ堕ちる星のような一瞬で消えてしまう。

 止まることができず、闇雲に光を見た方向だと思しき方向へ走り続ける。

 闇が口に入り込むと身体が鉛のように重くなった。


「っ……!」


 自分の重みに足が縺れているのか、闇に脚が沈み始めているのかわからない。


(この夢は、何かがおかしい……!)


 結局また動けなくなり、サイレンスは奥歯を噛んだ。


「ウォンウォンッ!」

「!」


 身体がゆさりと揺らされ、サイレンスの目は開いた。

 汗だくになっているサイレンスの頬を、ジャッジが何度も舐めている。


「キュン」

「……ああ、大丈夫だよジャッジ。心配、かけたね」


 上体を起こすと、甘えて頭を胸に当ててきた。

 首元を撫でてジャッジの体毛に顔を埋める。


「故郷の夢を、見たんだ」


 この世界で知り合ったジャッジに語ったことのない故郷の美しさ。

 思い出すことを本能が恐怖していて、口に出せないでいたのだ。


 あのすべてが穢され失われた。

 記憶を辿るだけで、信じたくないくらいに胸が痛む。


 あたたかいジャッジを抱きしめて呼吸を整えると、さすがに水浴びがしたくなるほどの汗に苦笑が漏れた。


「水浴びをしてくるよ。留守番を宜しく」

「ウォン」


 身体を拭くタオルを持ち、宿の外に設置されている水浴び場へ向かう。

 夜がまだ明けきっていないと云うのに、外にはもう人が溢れていた。

 活気のある宿街には客引きのための特徴的なイベントがあるものだが、この街では朝市で高級食材である黄金鳥の卵がひとり二つ、なくなるまで無料で配布されている。

 宿で調理してもらうもよし、生で食べるもよし、有精卵なので自分で黄金鳥を羽化させてもよし、人々に楽しみを与える素晴らしいイベントだ。

 サイレンスは楽しげな人々の顔に癒され、夢の中での恐怖を中和させる。

 水浴び場には猟を終えて帰ってきた男達が集まり、買った獲物の物々交換の話に花を咲かせていた。


「おはよう! 私も交換相手に入れてもらえないかな?」


 早速、旅の間に手に入れた品物の交渉に加わった。



 水浴び場で交換する品物の選別に夢中になっていると、宿のおかみが朝食の時間だと顔を出した。

 交渉が成立した男達と後で会うことを約束し、サイレンスは「約束韻」を皆に送る。


「気が変わったとしても私に会いにきてほしい。そうでなければ、韻はずっとついたままだからね」


 とりあえずは注意を促すが、今まで会いにこなかった人間はいない。

 サイレンスの持つ不思議な魅力は、再会を欲するなにかがあるのだろう。

 部屋でふて腐れていたジャッジを連れて食堂へ向かい、サイレンスの煩い注文を聞き入れてくれたおかみ特製黄金鳥の半熟目玉焼きを乗せたパンに目を輝かせた。

 贅沢な魔獣犬用の餌も用意されていて、ジャッジの渋い顔が一気にご機嫌になるのを笑顔で見る。


「おかみ、後で肉の加工をお願いしても良いかな」

「あいよ。任せときな」


 肉の加工を頼む代わりに、その肉をおかみが言うだけ切り分ける。

 互いに限度を知っている仲なので、サイレンスには損が出たことはない。


 賑やかな朝食を終わらせ、部屋に戻ると地図を広げた。

 旅は順調に進んでいる。

 なのに、なぜか胸騒ぎがするのだ。


「……ロンヒオノシエラ君の言葉が、引っ掛かっているのだろうか」


 親友のロンヴロンディとはぐれた時、彼女たちは「果ての世界の近くで闇に襲われた」そうだ。


(まだ少女とは言え竜族が太刀打ちできないほどの闇とは、どれほどの闇なのだろう)


 竜は、陽天の世界に住まう聖に近い存在。

 闇の対となる聖の者が襲われる脅威を想像し、そんなモノがこの世界にやってきたらと思うと血の気が失せる。

 風の王国で起きた不幸が、再来する。


(絶対に防がなければ)


 あんな哀しみを、この世界の人々に味わってほしくない。

 サイレンスは旅路を変更して、急ぐことにした。




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