今(後編)

 人間関係から逃れる事は悪い事では無いと思う。ただでさえ、物心がついて、喋れるようになって、友達ができて、初めて喧嘩をして、初めて手を出してしまったり、傷をつけてしまって、後で悪い事なんだとわかるのが保育園児だと思う。一方で、何故、自分のした事が悪い事だったのか。何故、相手を不快にさせてしまったのか。反省を含めて考えるのが大人だと思う。じゃあ、どうしたら今後は相手と上手く付き合っていかれるのか。子供のうちはまだそんな事は考えられない。だからこそ、大人というのは考えるものが多過ぎて疲れる。偶に「大人になりたくない」と呟いている人達を見かける。その言葉に全否定はしないが、大人は面倒だが大人になって欲しい。視野が狭ければ狭い程、他者から思われるものも違ってくる。皆は優しいので、誰一人そんな言葉は言ってこない。ただ、遠回しに「こうした方がいい」と言うだけである。それに気が付かないでいると、相手にされなくなり、違う意味で孤独になるし嫌われる。だったら最初から、無理して友達や知り合いを作らない方が身の為であって、一緒にいて楽しいのならそれはそれでいいと思う。しかし、それは本当に心の底から思っているのだろうか。人間は反面教師の生き物だ。女子がよく言う「〜って可愛いよね」とか決まった言葉があり、それに全員頷いていて、皆が同意していると思っているのだろうが、それは勘違いである。自分の意見を中々言わないで相手に合わせているのもまた、疲弊する原因だと個人的には思う。

 不登校の子達は、何故通うのが困難であるのか。きっと、全員が何かしらの精神疾患を抱えている訳では無い。本人が言わないだけで、学校という場所に何かしらの恐怖を感じ、親と外出するのはいいが、一人ではきっと人目を気にしたりするのだろう。また、これは個人の想像でしか過ぎないが、親が無意識に何かしていたりする場合もある。ただ「行かなくていい」と甘やかしているのでは無く、厳しい事を言ってしまっている場合もあるかも知れない。人間の心理上、言葉に気持ちが左右されやすい。例えば、ちょっと怖いオバケが描かれた絵本を幼少期に読ませていたとしよう。子供が当然「このオバケこわい」と言うだろう。もしくは「オバケはわるい」とイコールにしたりするだろう。それに対して、親はどう答えるだろう。「そうだね。オバケさん怖いね」と同意するか。「大丈夫。オバケは悪くないよ」と安心させるか。「オバケって本当はもっと怖いんだよ」と事実を言うか。この例えの中で、唯一、子を安心させる答え方は、一番最初の同意タイプである。子と同じ視点になる事で、「あ、じぶんとおなじなんだ」と安心させているからだ。逆に、二番目の答え方だと「ほんとうにわるくないのかな」と子は無意識に疑っている場合がある。最後のは省略させていただくが、誤魔化したような言葉は出来るだけ避けるべきだと個人的には思う。(※これは、あくまで個人の感想や想像に過ぎないので、信じないで下さい。)


 そして、人生も左右される。今の私の様に、家庭環境のみならず、関わりを持ってきた全ての人達の言動や行動によって、性格や物の見方は大きく変わってしまう。

 今の私は【幸せ】か。

 今の私は【普通】か。


 全ては、過去の出来事でわかる。

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