今(前編)

 周りと違う事に疑問を持つ者がいる。「普通じゃない」「何か変」「病気だ」と言う。私は、それらの言葉に問いたい。"皆と同じならそれでいいのか"と。

 もし、全員が同じ容姿で、同じ性格で、優等生で、テストは満点だとしよう。完璧主義の社会であり、一日に決められた時間や規則を徹底して守らなければならない。そして、勉学に励まない者は人間扱いされない。そういう国だったらどうする。政府が決めた事に反論出来ず、市民はそれに従い、何か病気になった時に、きっと牢獄のような場所に閉じ込められ、躾をされ、更に悪化する。自分の時間以外は、決められた事をする。しかし、自由時間はとても限られている。皆は、何時間あれば足りるだろうか。勉強熱心であれば、三時間程度くらいだろうか。ゲームや趣味を常に没頭している者からすれば、この教育は地獄に過ぎない。そこに、【自我】は存在しない。

 自由があるからこそ、【自我】を持てる。【夢】を語れる。【希望】を持てる。

 それぞれ規則があるからこそ、その場に応じて楽しんでいる。

 公共の場、寛ぎの場があるからこそ、家族や友人、知り合い等と仲を深められる。

 一人ずつ、生まれながらにして平等であり、公平で、自分の意志(意思)があり、自分がしたい事を束縛されずに出来る。・・・・・・と、私は信じていた。

 自由であるからこそ、人間であるからこそ、その一個一個に問題は死ぬまであり、解決しないものがある。いじめ、陰口、虐待、パワハラ、セクハラ、差別、体罰等、これらは一生付きまとう。被害者だけが全てでは無く、加害者側にも問題はある。

 まず、それらを平気でする人達の心理は何なのか考えた事あるだろうか。例えば、いじめをしてくる人達は、「過去にされた」「家庭環境に問題がある」「ストレス発散」「自傷行為」等が挙げられる。最後の「自傷行為」というのは、過去の自分と似ている、もしくは、自分自身にも実は傷をつけていると、私は考える。親が子にしてほしくないように、親は必死でそれだけの教育をさせる。それが、いい方向に向かうか、悪い方向に向かうか。叱るだけが全てでは無く、束縛をするのも全てでは無い。親が子に教えるのは、一般な常識と言葉遣い、またはその場に応じたマナーや態度だと思う。これ以上に、過干渉や心配だからと束縛をすると、子は自信を無くしたり、親や他の人に依存しやすくなる。所謂、毒親と呼ばれるものである。AC(アダルトチルドレン)というのも存在するが、虐待等、機能不全家族で育った子を指す。親のちょっとした一言で傷ついたり、それらの場面を大人になってからフラッシュバックする場合がある。これは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になる傾向がある。家庭環境の問題で無くとも、実際に職場や学校等で起きたものがトラウマとなり、長い間苦しむ。この問題は他人事では無い。有名人が適応障害になるのも、またはPTSDになってしまうのも、誰一人心に余裕が無く、その中で更に追い討ちをかけられる環境で、今の世の中は成り立っているからである。


 子を産まないという選択、そして、結婚をしないという選択。

 私の両親は、ほとんど意味の無い結婚をした。何故か、結婚式も挙げた。指輪は一時期していたが、金属アレルギーで外した。私が産まれる前から、仲がいい夫婦では一切無かった。例えるのなら、嫌いな相手と無理矢理一緒にいる感じである。結婚記念日という言葉も、何か祝い事も、何も親から耳にした事が無い。それ以前に、裕福な家庭でも無く、裕福か貧乏かと問われたら貧乏に過ぎない。正社員の生活はわからないが、非正規雇用を何十年もしている親だ。だが、父親は私が幼い頃くらいまで社長をしていた。それなりに大きな株式会社だった。車の運転も好きで、運送にも手をつけていた程だ。けれど、父親の性格には少し難があった。母親も頭を抱えるほど、きっと、育った環境が酷過ぎたのだ。

 父親は末っ子だ。歳の離れた姉と兄がいる。兄弟して皆結婚しているのだが、父親は昔から姉と兄が嫌いだった。特に、兄が嫌いだ。よく、「お前は〜だから」「〜だから悪いんだ」と否定される日々を送っていた。今は縁を切っているので言われる事が無くなったが、ほんの最近までずっと言われ続けていた。私は一人っ子なので、兄弟というものはやはり仲が悪かったりするのだろうかと、常に疑問を抱いている。だが、母親の方は仲が悪い訳では無く、干渉せず、ある程度距離を保った姉妹である。母親は妹で、姉とは少し歳が離れている。この二人は全く違う性格であり、幼い頃の顔は似ていたりもするが、今は姉妹と言わないとわからないかも知れない。母親の方もそれなりに難があって、姉が昔から厄介なのだ。祖母が言うには、身勝手で、雑。姉は、職場の関係上、よくアメリカに行っていた。日本人には無い性格をしているので、私は、伯母の事を心の中でアメリカ人と呼ばせてもらっている。身長は170cmを超えており、容姿も日本からかけ離れている。私の再従姉妹またいとこか従姉妹は、元女子バレーボール選手で、身長は伯母よりも上だ。150cm台の私にとっては、その遺伝を貰いたかった。こちらの関係はあまりよく知らない。祖父が癌で亡くなって、初めて出会ったからだ。親戚の人数も多く、祖父の兄弟が七人であった事。大抵は皆結婚して、子に恵まれていたりする。祖父は一番の末っ子であった。兄の影響だろう、油絵が好きだった。私も幼い頃によく描いた。油絵というのは、水彩画よりも少し難しい。何より、油を使うのでその部屋が油の臭いで充満する。片付けも手入れも、それなりに大変なのだ。通夜等、祖父の事が行われる度に、祖父の一人の兄が私の話でよく盛り上がった。その兄はよくお酒を飲みながら話をしていた。当時、私は長野県軽井沢町に住んでいた。兄は、しなの鉄道を知っていた。もう前の出来事なので思い出せないが、鉄道関係の仕事をしていたと話していたような気がする。皆して凄く物知りで、多彩であった。何せ、ある人は書道の先生だったり、その奥様は編み物が得意だったり、勉強熱心だけで無く、スポーツに恵まれている人達ばかりだった。そして、私は最近初めて知った。血縁で専門学校に通うのは私が初めてだという事を。大抵は皆、有名な大学を卒業していたりするのだが、専門学校に通っていたなんて話は無い。私が大学を選ばなかった理由としては、四年間、または浪人に苦手意識を持ち、大学は何となく、高校生の延長に過ぎない気がする。私は、勉強がとてもじゃないが苦手であり、そこまで頭がいい訳では無い。趣味を仕事に出来るなら、大学じゃなくてもいい。どちらかと言えば、イラストや漫画を学ぶのは専門学校だろう。デザインならば大学に多くある。

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