すべてはここから始まった

 今日は城に商人がやってくる日だ。

 朝食時に母上がとてもウキウキしていた。

 ナンシーも心なしか浮かれているように見え、何かわからんが悪寒を感じる。



「さあ、ディーノ様。早く、商人の待つ応接室に行きましょう!」


「どうしてナンシーが張り切っているのさ……」

「そ、それは内緒です……」



 危険な気がする。

 応接室に向かったら、俺の尊厳が傷つけられる気がする。

 これは獣の本能のようなレベルでの直感である。

 キュピピーンである。



「俺は遠慮しておくよ。別に欲しいものもないし……」


「奥様がお呼びでしたから、逃げられませんよ?」

「ど、どうして、そこで母上が出てくるのかな……?」



 ナンシーがものすごいニッコリと笑っていらっしゃる。

 不安だ。すごい不安だ。

 母上、何を考えているの……?




 そうして、渋々、本当に渋々応接室に向かって歩く俺たち。

 扉の前で「あ、用事を思い出したよ!」と言い、明後日の方向に向かって走ろうとした瞬間、素早く襟首を捕まえられた。


 さらに応接室に向かってノックをするナンシーがそこにはいた。

 しかも、「ディーノ様をお連れしました」という一言つきで。

 もう逃げられない。


 ここで逃げたら、母上がとても悲しむ。

 しばらく口を利いてくれなくなるくらいに拗ねてしまうのだ。

 部屋の中から弾んだ声で「さあ、いらっしゃい!」という母上の声が聞こえる。

 俺は目の前が真っ暗になった。





「やっぱりこっちも似合うわねえ、どうしましょう」


「奥様、つけ髪はこちらの色なんてどうでしょうか?」

「あら、いい色ね。なら、化粧品はこの色かしら?」



 俺の目は死んだ魚のようになっているだろう。

 商人さんが目を合わせてくれない。

 ここは助けろよ、同じ男だろ?

 アイコンタクトを送るも、視線が合わない。ちくしょう……



「うーん、一度確認のために着てもらって、化粧も施しましょう」


「わかりました、化粧はお任せください。では、ディーノ様、こちらへ」

「……」



 ドナドナされていく俺、商人に最後の希望とばかりに視線を向けた。

 ものすごい勢いで顔を逸らされた。

 この裏切り者めっ!!




 着替えが終わり、化粧も施され、ウィッグも付けた俺。

 鏡を見たら、元の俺とは信じられないような美幼女がそこにいた。

 ナンシーが口元を抑えて震えていらっしゃるよ……



「なあ、ナンシー? さすがに人前にこの格好で出るのは、俺は嫌なんだが……」


「口調」

「え?」


「口調を直してくださいませ、お嬢様」

「いや、俺は男……」


「いいえ、今のディーノ様はお嬢様です。そうですね、ディーネ様というのはいかがでしょう?」



 いや、何が「いかがでしょう?」なのよ……

 もう女装はこりごりなんだけど。

 そこで「どうしたのかしら?」と母上が衣裳部屋へ顔を出す。

 そして、俺を見て母上が固まる。



「は、ははうえ?」


「ねえ、ディーノ? 一度だけでいいから『ママ』って呼んでみてくれる?」

「え? 嫌だけど?」



 涙ぐむ母上。

 ものすごくウルウルと震えている。



「ディーネお嬢様? 母親である奥様のお願いなんですよ? 叶えてさしあげてはいかがでしょう?」


「俺が悪いのっ!?」

「口調も直してくださいませ」


「くっ、なぜこんなことに……」

「さあ、お嬢様!? 今ですよ!!」


「うぅ。ま、ママ……?」

「きゃああああ、ディーネちゃああああん!」



(もうディーネ呼びは確定なのね。母上が喜んでくれるのは嬉しいけど、俺の精神はゴリゴリ削れてるよ……)



 そして、結局商人の前にも連れ出され、俺は力いっぱい商人を睨んだ。

 睨んだつもりだった。

 だが、俺は商人の未知なる扉を開いてしまったようだ。

 商人は母上とナンシーと熱心に話し合い、商品を持ち込むことを約束していた。


 商人の笑顔が怖くて、今度は俺が目を合わせられなかったよ……




 その後、父上とアレクにも女装姿を見られて、父上には「パパ」呼びを強要され、アレクには「お兄ちゃんと呼んでごらん?」と笑いをこらえた震える声で言われた。




 アレク、ホントお前覚えておけよな!!

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