第一章 イマリとの出会いと初めての依頼 ⑨

「激しく動き回るから、衝撃でガラス面が割れないように、みたいな感じじゃ。ハーフハンターケースには逸話があり、癇癪持ちのナポレオンが、フタを開けるのが面倒くさくて、ナイフで切り抜いたというのが発祥らしい。面白いのう。ネットに書いてあったわい」


 イマリの口調には、どこか知識をひけらかす、子供っぽさのようなものが漂っている。僕のためにわざわざ調べてくれたというよりはむしろ、遊びの延長で補足を加えたといった感じなのだろう。一方的かつ関係のないところできゃっきゃと笑い声が入るのが、その証拠だ。

 再び洋蔵さんが説明を始めたので、イマリは口を閉ざしてネットへ、自分の世界へと潜り込んでゆく。


「機械式の場合、歯車とかゼンマイとかテンプとか、中のムーブメントが見えるように、表と裏がスケルトンになっているのをよく見かけるよね。それは機械式時計だからこその面白み、それを前面に押し出そうというある種の仕掛けなんだよ」


「でもこれは」マリアの懐中時計を指さす。「中が見えないですよね」


「そういうタイプだから、といえばそれで終わってしまうんだけど、あえて理由をつけるなら、昔は純粋に時間を見る物だった、ってことかな。今の人は携帯電話とかで十分に事足りちゃうよね。ただただ時間を知りたいだけなら、クォーツ式の電波時計の方がよっぽど実用的だし。そういう意味でも懐中時計は、時間を見る道具というよりはむしろ、芸術品を楽しむ、という目的に、変わりつつあるのかもしれないね」


 洋蔵さんは慈しむような眼差しで懐中時計を見ると、表、裏と、手の上で返してから、フタの部分を指でなでた。そして親指と人差し指で挟むようにして持ち上げると、そのままそっと僕へと差し出した。


「あっ、重たいですね」

「ケースに『silver925』という刻印があるよね。それは銀が92・5パーセント使われていますよっていう証なんだ」


 そっか、だからこんなにずっしりとした重みがあるんだ。


「銀無垢っていうんだよ。白く輝いているよね? それが特徴なんだ」


 でも、と言い、洋蔵さんは引き出しから一枚のクロスを取り出す。僕から懐中時計を返してもらうと、そのクロスの上にのせて、包むようにして優しく磨き始める。


「時折磨いて手入れをしてあげないといけない。酸化して輝きが失われてしまうから」

「銀って、酸化するんですか?」

「いや、銀は硫化だね。ただSV925は銅が混ざっているから、その部分が酸化するんだよ。ほら、古い十円玉って色がくすんでいるだろ? あんな感じに」

「なるほど……面白いです。勉強になります」


 ……今までは、黒い靄が怖いと、端から骨董品とか古い物とかを避けていたけど、こんな小さな懐中時計の中にも、作り手の工夫、思い、歴史、逸話、メリット、そして反対にデメリットも、たくさんつまっているんだ。だとすると……。


 僕はそっと、骨董品や古美術、そして古道具などに溢れる店内へと、視線を巡らせる。

 ここにある一つひとつの物にも、マリアの懐中時計と同じように、たくさんの物事が、なによりも人の思いが、つまっているに違いない。


 確かに、古い物に対して、もう忌避感はないと言えば、嘘になる。でも同時に、もっと知りたいという思いが少なからずあるというのも、また事実だ。

 この二つの感情と、どのように向き合えばいいのかは、まだ分からないけど、イマリとの神心集めや、みやび堂でのアルバイトを通して、もしかしたら、なにか答えが見つかるかもしれない。


 だから……だから僕は……。


 磨き終えると、洋蔵さんはガラス扉を開けて、懐中時計を元の場所に戻した。

 そんな様子をすぐ脇で見ていたマリアが、洋蔵さんへと優しくほほえみかけると、まるでお礼を言うように、小さくその場でお辞儀をした。


 ――一瞬、マリアの体が光った。その光はほんのわずかで、店内の淡い明かりにさえもかき消されるぐらいのものであったが、確かに光った。


 やがて光は、空に粒子が舞うように、さらさらと洋蔵さんの方へと流れ始めて、彼の体を覆ったが、マリアと洋蔵さんとでは体格差がありすぎるので、拡散域が広いのか、そのまま見えなくなってしまう。


 ……今のは、一体なんだったのだろう。目の錯覚? 幻覚? ……もしかしたら、神心となにか関係がある? 


「三時だね」


 ぼーんという、掛け時計の時報の音とほぼ同時に、洋蔵さんが言う。

 僕は、洋蔵さんの声により、意識が現実へと引き戻されると、自ずと、時計へと目をやる。


「今日は、早めに店を閉めようかな。私はこれからもう一件お得意様のところにいかなければならないし、桜も夕飯の支度とかで出かけると思うから。春人くんはまだ一人だと不安だよね? 今日のところはあがってもらって構わないよ」

「え、でも、いいんですか?」

「うん、少しずつ慣れていってくれればいいから」

「すみません。……ありがとうございます」



 カーテンを閉めて電気を消すと、店内のそこかしこに影が降りる。光といえば、カーテンの隙間から差し込む日の光ぐらいだ。閉店の準備で動き回ったためか、光の中にはきらきらと輝く埃が舞っている。

 表へと回り店先の看板を裏返したところで、僕は額の汗を手の甲で拭いながらも、イマリへと言う。


「懐中時計の元の持ち主捜しだけど、もう直接マリアをつれて、左近川河口までいこうと思うんだ。そこからは徒歩圏内みたいだし、そこまでいけばあとはマリアが案内してくれると思うから」

「そうじゃな。それが一番確実じゃろうて」

「で、スマホを使えるイマリにやってほしいことがあるんだけど、いいかな? まずは左近川がどこにあるのかを検索してほしいんだ。場所が特定できたら、次に近辺に原和彦という人が住んでいないかを探してほしい。SNSは、知っているよね? そこら辺を当たれば、多分出ると思うから」

「どうしてわしがそんなことを……と言いたいところじゃが、仕方ないのう。これも全て神心のためじゃわい。元の体を取り戻すまでは、しばらくは下賤なる者共に付き合ってやるかのう」


 こきこきと首をひねると、イマリは大きく口を開けてあくびをする。そして僕の肩に首をのせると、目を閉じて手で器用に涙を拭う。


「ちなみにじゃが、マリアをつれ出すと言ったが、どうするんじゃ?」

「どうするって?」

「付喪神は宿り先から決して離れることができんぞ。マリアをつれ出すとなれば、店からあの懐中時計を持ち出さねばならん」

「え? そうなの?」

「当たり前であろう。器なくして、精神は存在できぬ。まあただし、例外はあるがの」

「例外って?」

「高位付喪神のその先、神心が極致に達した場合、各々の選択にもよるが、依代を捨てて神になることができるのじゃ。さすれば、もはや依代なしに、自由に動き回ることが可能じゃわい」

「それは……すごいね」


 ちなみに、と言い、僕は店の方へ、マリアがいるだろう方へと、壁越しに顔を向ける。


「マリアの階級は?」

「何度も言っておろう。あやつは低位中の低位、雑魚付喪神じゃわい。依代を捨てるなど、未来永劫不可能に違いないじゃろうな」


……だめか。となると、マリア抜きでいくしかないか。店の商品である懐中時計を、勝手に持ち出すわけにもいかないし。


 勝手口から中に入ると、僕は自分の荷物を取りにいくためにも、台所を抜けてそのまま居間へと向かう。そして忘れ物がないかの確認をして、鞄のファスナーを閉めると、出発するためにも、今一度勝手口へと足を向ける。


「待て待て待てい!」


『待て』と言うたびに一度ずつ、イマリが僕の後頭部へと狼パンチをくらわせる。つまりは三回、僕は理不尽にもイマリに叩かれたことになる。


「懐中時計はどうした? マリアをつれていかねば、どうしようもないではないか」

「いや、店の商品を勝手に持ち出すわけにはいかないし……最悪、いなくてもなんとかなるかなって」

「なにを言うとる。いなくてもなんとかなるやもしれぬが、いたならば、その可能性はぐんと高まるであろうが。であるならばつれてゆく、違うか?」

「でも……だって……」

「ええい! だってもへちまもないわい!」


 ぼふんと、例のごとく、部屋一面に煙が広がる。

 煙がはけると、そこには巨大化した、威厳すら漂う、イマリの姿がある。

 イマリは、その大きな顔を僕へと近づけると、白くて鋭い牙をむき出しにして、きっと睨みつける。


 ……も、もしかして……イマリ……本気で怒っている??


「このわしが! 高位なるこのわしが! たかが低位のマリアなんぞのために、動いてやると言っておるのだぞ! 下賤なる人間たるおぬしがそんな調子では、わしがばかみたいではないか! 違うか!?」


 息を呑んでから、僕は大きく二度、首を縦に振る。


「じゃったら! 今おぬしがやるべきことは分かるな!?」

「わ……分かる」

「それでよい」


 再びの煙。今度は先ほどよりも規模が小さくて、同じく煙がはけると、元の姿? に戻った、愛らしくもかわいらしい、小さくなったイマリの姿がある。

 イマリはぴょんと跳ねて僕の肩につかまると、レッツゴーみたいに手をのばして、僕を店舗に向かうように促す。


 まさしく、蛇に睨まれた蛙だ。イマリのあんな姿を見せられては、従わないわけにはいかない。

 僕は渋々ながらも、店舗の方へと歩を進める。


 ガラスケースの前に着くと、僕は指先で二度扉を打ち、音がしないように慎重に開ける。気づいたマリアは顔を上げると、猫特有の軽快な身のこなしで、僕の頭の上に飛びのる。洋蔵さんと桜さんがいないのをもう一度確認してから、僕は心の中で何度も何度も謝りつつも、懐中時計を手に取り、ハンカチで包むようにして鞄へとしまう。


 ……本当にごめんなさい。事が済んだら、いの一番に返しにきますから。


「今からおぬしを、左近川河口までつれてゆく」


 目をすがめたイマリが、ちらりとマリアへと視線を送る。


「そこからの道案内が、おぬしの仕事じゃ」

「左近川へですか? ……分かりました。お願いします。ありがとうございます」


 洋蔵さんに挨拶をしてから店を出ると、僕たちはその足で左近川河口へと向かう。

 十五時過ぎとはいえ今は夏だ。まだまだ日は高い。青い空には白い入道雲が浮かんでいる。向かいの歩道には、元気よく花開いたたくさんのミニひまわりが、プランターに植えられている。耳を澄ますと、どこからともなく風鈴の音が、風にのり響いてきた。りーんりんと、風流にも。

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