第一章 イマリとの出会いと初めての依頼 ⑧
「ネットオークション?」
思わず口にする。なんとなく、古い店の雰囲気と、ネットオークションというものが、結びつかなかったから。
「これじゃな」
イマリがズボンのポケットに入っているスマホを示したので、僕は取り出して画面を見てみる。
そこにはネットオークションの画面が開かれており、商品画像には、マリアの宿り先と同じ、銀の懐中時計が表示されている。
出品店は『古道具みやび堂』。出品者は『江本桜』。
――桜さんの名前を見て、僕は納得した。ネット関係は、洋蔵さんではなくて、若い、桜さんが主導でやっているのだと。
「どうやら、オークション以外でも、色々と出品しておるみたいじゃな」
目を閉じたイマリが、なにやら神秘的な力で、スマホを遠隔操作してゆく。アマゾンとか、楽天とか、メルカリとか……ブラウザのタブが、結構なスピードで、開いたり消えたりを繰り返している。
……というかイマリ、この短時間で、随分とスマホを使いこなすようになってきたな。空恐ろしいというか、末恐ろしいというか……。
「これを見る限りでは、すでに落札者が何人かいるみたいじゃのう」
オークションの画面に戻したイマリが、入札履歴の部分を確認する。
「今の時刻が十四時じゃから、夜の九時に締め切りとなると、大体七時間か」
「でも、すぐに発送するわけじゃないよね? 次の日の営業時間内に発送するとしても、もう少し余裕があるっていうか……」
「甘いぞ、春人よ。おぬしは桜や洋蔵の性格をまだ分かっておらぬな。あやつらは真面目じゃ。呆れるほどに生真面目じゃ。ゆえに、ネットだろうがなんだろうが、先に『買う』と言った者に、商品を売るじゃろうて。発送云々関係なしに、本日夜の九時の時点で、落札した者優先で、商品を受け渡すのは目に見えておるわい」
そう……なんだ。でも、普通に考えたら、そうかもしれない。出品形態は、個人ではなくて、あくまでも法人なのだ。落札させておいて、こちらの都合で身勝手に断るなんて、店の信用にもかかわる。たとえ秘密裏に行い、決して相手方にばれないとしても、そういう道理に背いた行為は、雰囲気や対応、言葉の端々に、かすかな綻びとして出てくる……多分そういうものなんだ。
「して、ここからは一つ、交渉といこうではないか」
肩の上に立ち、前脚を僕の頭の上にのせたイマリが、傲慢にもマリアを見下ろしながらも、口を開く。
「交渉……ですか? それは一体……」
「現在おぬしは、元の持ち主を捜している。他の人に買われるぐらいならば、できれば元の持ち主に買われたいと、そう切に願っている。そうじゃな?」
首を縦に振り、マリアが答える。
「その願い、わしらが叶えてしんぜよう」
ただし、と言い、なにか言おうとしたマリアの口をすぐさまふさぐ。
「その依頼を達成した暁には、おぬしの持つ『神心』を一つ、いただくことになる。どうじゃ?」
「神心を……ですか?」
端から答えは決まっていたのだろう。言葉尻は質問口調ではあったが、マリアは迷うことなく、ただちに、イマリの提案にのっかる。
「もちろんです。それでご主人様に、もう一度会えるのなら」
「うむ。交渉は成立じゃ。では頑張るのじゃぞ。我が従者、春人よ」
弱々しく顔を上げて、「よろしくお願いします」と囁くように言うと、マリアは手で目元を拭ってから、ぺこりと頭を下げる。水色の瞳は赤く充血してしまっているが、イマリの提案に励まされたのか、わずかだが光が宿ったようにも見える。
「じゃあ、さっそくなんだけど」
僕は壁にかけられた時計へと目をやってから、マリアを見る。時刻は十四時十分……時は、刻一刻と流れていっている。
「そのご主人様っていうのは、一体誰なの?」
「
「うん、他には?」
「他……といいますと?」
「住所とか電話番号とか、そういうのは覚えていない?」
「住所は、確か東京都の……。ええと、電話番号は……。ごめんなさい。住所も電話番号もはっきりとは覚えてなくて。ご主人様、そんなことほとんど口にしなかったから」
言われてみればそうだよね。時計に向かってわざわざ自分の住所とか電話番号を口にする人なんていないし。
腕を組み、黙り込んだ僕へと、イマリが口を開く。
「自宅の周りの風景とかは覚えておらんのか? とマリアに聞くのじゃ」
「自分で聞きなよ。……目の前にいるんだから」
「ふんっ、どうしてわしのような偉大な者が、こんな低位の雑魚付喪神から『おうかがい』をせねばならんのじゃ。ばかも休み休みに言えい」
やれやれ。僕は小さく首を横に振ると、マリアへと聞く。
「自宅の周りの風景って覚えている? 例えば、特徴的な建物があったとか、すぐそばに店があったとか」
「確か……海。そう、自宅から歩いてすぐのところに海がありました。ご主人様、よく堤防沿いを奥様と散歩していたんですが、お腹にお子さんが宿ってからは、二人のことを心配して頻繁にはいかなくなったので、そういう意味でも強く印象に残っています」
「その海、どこにあるの?」
「ごめんなさい、それもちょっと……。ただなんといいますか、砂浜とかそういった感じではなく、閑散としていました」
どこまでも続く堤防に、郊外特有の低い建物の町並み。海は広くて、きっと空は高いのだろう。マリアの言葉を聞き、僕はそんなイメージを頭の中に膨らませる。
「他に、なにか思い出せることはない?」
うーんとうなり立ち上がると、マリアはその場に円を描くようにして歩き始める。視線を足元に固定している。どこか理性のある人間っぽい動きだ。
「そういえば、自宅のすぐそばに川が流れていました。なんていうんでしょう? 川が海に流れ込むところです」
「河口……かな? ちなみに、その川の名前は?」
「それは分かります。
「ほうっ」
マリアの予想外の返答に、イマリが身体をぴくりとさせる。だがすぐに別に興味はないとでもいわんがごとくぷいっと顔をそらすと、なぜか僕の後頭部へと狼パンチを繰り出す。
後頭部をさすりながらも、僕は思う。原和彦という名前、妻帯者でありそれ相応の年齢、場所は左近川河口の徒歩圏内。ピンポイントとはいかないが、いいところまではいけるかもしれない、と。
「マリア、他には……」
「春人くん?」
呼びかけられて振り向くと、そこには買い付けから戻ってきただろう洋蔵さんの姿があった。一人でぶつぶつと言っていた僕に対して、もしかしたら不審感を抱いたかもしれない。訝しげな顔で困ったように首を傾げている。
「あ、いえ……この懐中時計なんですが、ちょっと気になって」
「懐中時計?」
ガラスケースをのぞき込んでから、僕に向き直る。そして小さく口を開けて右手で左頬を軽くさすってから、どこか納得したように、その場で何度か相槌を打つ。
「ああ、やっぱりきみは……」
「え? やっぱり?」
「いや、なんでもないよ」
洋蔵さんはガラスケースから懐中時計を取り出すと、一度レジの中に入り、引き出しを開けた。手に取ったのは黒のアクセサリートレイだった。品物に傷がつかないように特殊な布が張られている。スエード調というのだろうか。さらさらした優しい素材だ。懐中時計は銀色で、おまけに文字盤も白なので、トレイの黒の背景にとてもよく映えた。
顔を近づけてじっくり見てみると、その懐中時計は思った以上にシンプルなデザインであると分かった。
黒くて細い時針と分針。周囲には大きめのローマ数字が車座に並んでいる。六時の部分に秒針の小さな針がついているのだが、それだけだ。それ以外には特に凝った仕掛けは見られない。シンプルさを極めて実用性に特化したと……まさしくそんな感じだ。
チェーンをつける突起部分なのだが、この懐中時計は三時の方向についていた。よく見かけるのは上部、つまりは十二時の方向についている物なので、これは僕の目には珍しく映った。
「一八七〇年前後に作られた、ウオルサムの懐中時計だよ。十一石仕様の、チラネジ付き切りテンプもの。概要はペンダントのところにある値札に書いてあるから」
「ペンダント?」
「ああ、そうだね。ペンダントっていうのは、『竜頭』と『かん』の総称だよ。竜頭はここ」
洋蔵さんが、懐中時計の突起部分を指さす。
「そしてかんは」
次に、チェーンをつける輪っかの部分を示す。
「チェーンや紐ひもをかけるための、この部分だね」
竜頭にかん……そういう名前がついているんだ。
僕は、かんにつけられた値札に目を落としてみる。
【Waltham P.S. Bartlett Model:1857 鍵巻き 銀無垢 オーバーホール済み 傷有り フタ裏に刻印あり 90,000円】
初めの英語は、多分メーカーとかシリーズの名称なのだろう。鍵巻き? 銀無垢? 分かるような分からないような……。オーバーホールに関しては全く見当がつかない。
「すみません。このオーバーホールというのは……?」
「分解清掃のことだよ。機械式時計は時折ばらしてメンテナンスをしてあげないと、調子が悪くなってしまうからね」
洋蔵さんは懐中時計を手に取ると、竜頭部分のボタンを押しながらもフタを閉じて、ゆっくりと指を離す。
「フタを閉める時は、ボタンを押しながらゆっくりとがいいね。ぱちんと閉めてしまうと、爪の部分が磨耗してしまうから。ちなみにフタのついているこういう懐中時計を『ハンターケース』っていうんだよ。フタがなくて、文字板部分を守るガラスがむき出しになっているのを『オープンフェイス』、フタがあるけど小窓がついていて、開けなくても時間が確認できるのを『ハーフハンターケース』っていうんだ」
「ハンターというのは、そのまま狩猟からきているみたいじゃぞ」
耳元でイマリが囁く。もちろんこれは僕のみで、洋蔵さんには聞こえない。
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