第一章 イマリとの出会いと初めての依頼 ④
「ふむ。まあ構わんが……クッキーとやらは、ちと飽きたかのう」
どうしようか迷ったが、冷蔵庫の中にチョコパイがあるのを思い出して、僕は取りにいく。
食べやすいようにと小皿に出して差し出すと、イマリは「し、仕方ないのう」と言い、耳を立てて僕へと顔を向けた。
「付喪神が見えるのは、僕だけなの?」
「厳密には、春人だけではない。じゃが、極めて少ない。そういう家系に生まれるか、偶然にも見ることのできる目を持って生まれるか。付喪神を見ることができる人間は、そのどちらかじゃろうな」
「そういう家系に生まれるか、偶然にも見ることのできる目を持って生まれるか……」
おうむ返しに呟くと、僕は数瞬黙考する。
「でも、多分僕は、そのどちらでもないよ。どうして突然、付喪神が見えるように……」
「おそらくじゃが、素質は……あったのじゃろうな。そして先ほど、わしは春人のスマホに乗り換えるために、多大なる力を放出した。その力を近くで、しかもじかに浴びた春人は、その付喪神を見る能力を、今度こそ完全に覚醒させた……まあこんなところじゃろう」
イマリの言いたいことは、なんとなく分かる。じゃあ僕は、偶然にも付喪神を見ることのできる目を持って生まれたってことなのだろうか? それとも、親族に、実は付喪神を見ることのできる人がいたとか、そんな感じなのだろうか?
「そうそう、これだけは忠告しといてやるかのう」
「忠告? ……な、なに?」
「洋蔵の店に、犬とか猫とかの動物がわんさかおったであろう。低位ではあるが、あやつらも付喪神じゃ」
やっぱり。狼の姿をしたイマリが付喪神だって聞いて、そうなんだろうなあと、予想はしていたけど。
「洋蔵や桜には見えとらんから、二人がいる前では極力付喪神には接しない方がよいぞ。頭がおかしいと思われてもよいのなら別じゃがな」
「うっ……」
思い出して、状況を理解して、今さらながらに恥ずかしさが込み上げてくる。
なにもない空間をなで回して、なにもない空間を示して、「犬かわいいですね」なんて言ってしまったのだ。逆の立場だったなら、申し訳ないけど、ちょっとやばい人なのかなと、そう思ってしまうことだろう。
……って、ちょっと待てよ。
あることに気づいた僕は、手で口を覆うと、気づきをさらに明確にするためにも、考思により具体性とイメージを与えてゆく。
見え方は違うけど、同じような体験を、僕はずっとしてきたじゃないか。
――そう、古い物を見るといつも見えていた、『黒い靄』だ。あの黒い靄は、僕にだけ見えて、他の人には見えていなかった。だから僕は、黒い靄が見えても、そのことを他の人には言わないようにした。変なことを言い出したと、心配されるから。頭がおかしいと、つまはじきにされるから……。
「……黒い靄」
「なんじゃ?」
僕の独り言に、イマリが身を乗り出してくる。
「あ、いや、その……」
「話してみよ。このわしが、下賤たる人の子の話を聞いてやると言っておるのじゃ」
「う……うん」
心臓がどくどくと鳴った。腹の底がずんと重くなり、全身がかっと熱くなるのに反して、なぜか背筋に寒気のような震えが生じた。
……怖いんだ。話すのが。『黒い靄』について、自分以外の誰かに話すのが。
でも多分、付喪神であるイマリなら、ずっと悩んできた黒い靄の正体を、明らかにしてくれる。
僕は手を握り締めると、意を決して話し始める。
「実は、今までは、骨董品とか古い物を見ると、黒い靄のようなものが見えたんだ。でも今日、突然見えなくなった。もしかしてこれって、付喪神が見えるようになったのと、なにか関係があったりする?」
「黒い靄、じゃと?」
ベッドからローテーブルへと軽快な身のこなしで飛び移ると、イマリは顔を近づけて、僕の目をのぞき込む。
「それは、あるいはわしにも、なにか関係があるやもしれぬな……。もっと詳しく聞かせてみよ」
「長くなるけど……いい?」
「よい、話せ」
イマリの了承を得たので、僕はぽつぽつと語り始める。過去にしでかしてしまった、とあるできごとについて。
「昔、実家におじいちゃんがいたんだ。おじいちゃんは骨董品が大好きで、たくさんの骨董品を蔵いっぱいにコレクションしていた。中でもお気に入りだったのが、中央に鳳凰の描かれた、色鮮やかな絵皿だった。知り合いの家に何度も足を運んでようやく手に入れた、逸品だったみたい。座敷の一番目立つところに飾ってあったよ」
でも、と言い、僕は目を落とす。
冷蔵庫のラジエーターの音がやみ、部屋に静寂が降りた。遠くからはかすかに救急車のサイレンの音が聞こえた。
「でもある日、友だちとかくれんぼをしていた時に、誤ってその絵皿を割ってしまったんだ。そしたらおじいちゃん、ものすごく怒っちゃって……。ずっと謝りたかった。でも気まずくて、どうすればいいのか分からなくて……。結局、謝れないままおじいちゃんは死んでしまった。もう二度と……謝ることはできない。大好きだったのに……」
ため息をつくと、僕は手で口を覆い、小さくさする。視界の端にイマリの姿が映ったが、自分の過去をさらけ出したためか、気まずさを感じて、思わず顔をそらしてしまう。
「して、黒い靄というのは?」
「ごめん……話がそれたね。絵皿を割ってからなんだ。骨董品とか古い物とかを見ると、黒い靄が見えるようになったのは。今はまあ我慢できるようになったけど、子供の頃はそれが本当に怖くて、近づくことさえできなかった。親に言っても信じてもらえないし、友だちからは嘘つき呼ばわりされるし……。それでも訴え続けたら、ある日、突然親が病院につれていくと言い出したんだ。子供ながらに悟ったよ。これは決して他言してはいけないことなんだって。正直、おじいちゃんとの距離があいてしまった原因の一つに、この黒い靄があるのは間違いないと思う。なんといってもおじいちゃんの部屋には、たくさんの骨董品が飾られていたから」
「ふむ……」
話を聞き終えると、イマリは僕から目をそらして、自分の足元に顔を落とす。
なにやらイマリが難しい顔をしているように、僕の目には映る。
「中央に、鳳凰の描かれた絵皿……」
「……うん」
「割ってから、黒い靄が見えるようになった……」
確認するように、僕の話の要点をかいつまんで言うと、イマリは顔を落としたままの姿勢で、黒い靄について、説明を始める。
「黒い靄は、付喪神がはっきり見える、前の段階じゃ」
「前の段階?」
「付喪神を見ることのできる目を持った者にも、当然のことながら能力には差がある。まあ人間でいうところの、視力の違いみたいなものじゃな」
「ええと……つまり、僕の付喪神を見る能力が完全に目覚めていなかったから、付喪神が動物という本来の姿ではなくて、中途半端な黒い靄に見えていたってこと?」
「いかにも。そして絵皿を割ってから黒い靄が見えるようになったということは、その絵皿を割った際に、今回のわしのできごとと、同じようなことが起こった可能性が高いということ」
「え? ええと……それって……」
「ちょっとよいか。本当は、なるべく力を温存したいところではあるが……」
イマリは音もなく立ち上がると、まるで遠吠えでもあげるかのように、鼻を天井へと向けて、空を仰ぐ。そしてかっと目を見開くと、ぼふんと部屋中に煙が満ちて、なにも見えなくなる。
当然、驚いた僕は、うしろに手をついて床に倒れ込んだわけだが、目の前に現れた巨大な狼の姿を目にして、それ以上の驚愕を喫してしまう。
「うっうわああああああああああああっ!」
逃げようにも、上手く立ち上がることができない。立ち上がろうと脚とか腕とかに力を入れるも、スカッスカッと、どこかから力が抜けるような、変な感覚が体に残るだけだ。
「慌てるでない。わしじゃ。イマリじゃ」
へ? え? えええ!? イマリ!?
「というかおぬし、この姿を一度見ておるであろう」
「その姿……?」
はたと思い出す。先ほど、洋蔵さんとぶつかり、古伊万里の大壷を割ってしまった際に見た、僕の方に迫ってきた、大きな大きな狼の姿のことを。
……あれって、幻覚じゃなかったんだ。
「じゃあ……それが本来のイマリの姿?」
「そうじゃ」
「でも、なんで今……」
「それはじゃな」
イマリが、僕の体ほどあるのではないかと思われるその頭を、ぐっと僕に近づける。
「こうするためじゃ」
唐突に、イマリの体が強い光を発する。
その光は、太陽のように眩しくて、命のように温かい、そんな神々しくも切ない、全てを受け入れるような光だった。
「……やはりか」
やはり? なにが……。
イマリの視線をたどり、僕は自分の足元へと視線を送る。
ぎょっとした。そこには炎が風に煽られたような、黒い影があった。
影は漆黒で、一切の光も、一切の希望も見受けられない、死のような闇だった。
よく見ると、その影の向こう側に、苦痛に歪んだ、禍々しい人の顔が見えるような気がした。絶望した顔とか、憎しみに歪んだ顔とか、皮や肉が削げ落ちた、髑髏とか……。
引きずり込まれそうになった僕の意識を、現実につなぎとめたのが、再びの白い煙だった。
呆然自失とした僕の前に現れたのは、子供の姿に戻ったイマリだった。
「はあ……はあ……はあ……」
喉がからからに乾いて、上手く言葉が出てこない。ただ、尋常ではないことが起こった、尋常ではないことが僕の身に起こっている……それだけが、言葉ではなくてイメージとして、得心した。
「春人よ、おぬし、呪いを受けておるぞ」
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