第7話 サシ
傷枷道々。
彼は片手で、一人の青年を掴んでいる。
罪獅子はその青年に見覚えがあった。
見覚えが、あり過ぎた。
さっき一緒に話した、喋った。
勝ちを約束した――青年。
罪獅子の、仲間である。
「なんだか焦ってるように見えるけど、大丈夫? 先輩」
「
「怒りが向けられている、か。てことは、見たんだよな。相討ちを。それで、先輩はなにに向けて、怒っているんだ? 先輩の仲間が傷つけられたこと? それとも、俺の仲間が、相討ち覚悟で突っ込んだことか?」
「……いや、怒りはない。あるのは怒りじゃなくて、ただ単に、わたしのわがままの、憎悪だ。お前は気にしなくていい」
「じゃあ、気にしないことにする」
傷枷は、楽観的にそう言う。
その態度に、罪獅子は少しだけ苛立った。
戦いをなめているような態度だ。
こいつは、傷枷は、本気でなめているのかもしれない。
罪獅子は、手に思い切り、力を入れる。
必然的に、握っているショットガンからは、変な音が鳴った。
ぎりり、と。ショットガンが破壊されそうな力だった。
戦いをなめているから、あんな策が思いつくのか。
相討ち。自分の命を投げるかのような――、作戦。
傷枷以外の仲間は相討ちを狙った。
なのに、傷枷は相討ちではなく、普通に倒している。
だからこそ、罪獅子は分かったのだろう。
傷枷の、策略だということに。
それに、目や、表情、動きで、分かる。
なにもかもが分かってしまう――、のだが。
やはり――、やはり。
この青年の本質だけは、分からない。
嗅げなくて、理解できない。これこそ――、未知だ。
「じゃあ、やろうよ。先輩」
傷枷は、手に持っている邪魔者――
罪獅子の仲間である青年を、乱暴ではないが、投げ捨てた。
「ちょうど、これで一対一だしね」
「……上等だよ」
罪獅子は、手に持っていたショットガンを傷枷に向ける。
引き金に、指をかける。引き金を――
「先手必勝だ」
引く。
しかし、罪獅子の視界は、いきなり、黒く染まる。
黒い――煙?
その煙は傷枷と罪獅子の間、そこに落ちていた野球ボールほどの球体から溢れ出ていた。
いつの間に、と思うほど、罪獅子はまったく気づけなかったのだ。
傷枷が、さりげなく投げ捨てた、その煙玉を。
「ちぃっ」
と、舌を鳴らしてすぐにショットガンへ入れた力を引き戻すかと思いきや――
しかし、罪獅子は引き金を引いた。
そこに傷枷はもういないと分かっていても、引き金を引いた。
一応――、だ。
引いたことによって発射された弾は、決して無駄にはならない。
傷枷には当たらないが、煙幕を、視界を邪魔する気体を――
吹き飛ばすことはできるだろう。
と、そう思っていたのだが。
罪獅子が思っているほど、煙を吹き飛ばすことはできなかった。
晴れはした。消えはした。
目の前は、はっきりと景色を映し出していたが――
だがそれは、一時的なものに過ぎなかった。
白く光る視界は、すぐに黒く闇となる。
消えたところを補うように、気体同士が助け合うように。
煙は――、罪獅子を敵と判断したように、邪魔をする。
「卑怯な策を――」
罪獅子の、言葉。聞こえているのか、聞こえていないのか。
今の呟きは、傷枷に届いているのか。
罪獅子は、なぜか本気で気にしてしまっていた。
なぜなら、その言葉は、あまりにも情けないからだ。
策に戦略――、それに、卑怯なんて評価はない。
相手が強いのならば、卑怯な方向に向かってしまうのは仕方のないことだ。
仕方が、ないことだ。
今までだって、卑怯な戦法で挑まれたことなど大量にあった。
だから、簡単なことだ。
つまり、いつも通りに策ごと、戦略ごと、押し潰してしまえばいい。
だから、罪獅子は、心の中で自分の今の言葉を撤回する。
前言を撤回する。
しておこう――、そして、罪獅子は自分の体重を、現時点で増やしている原因である重いショットガンを投げ捨てた。
放り投げて、放り捨てた。
ガガンッ、というショットガンと地面が激突する音を聞いている間に、罪獅子が駆け出す。
視界は曖昧。嗅覚は――不明。傷枷の位置が、まったく分からない。
それでも、罪獅子は突っ込んだ。
怪我を恐れず、死を見ずに――進む。
そして、衝撃がきた。
罪獅子のこめかみ、そこに――その一点に、
「ぎ、ぐうう……ッ」
声を漏らし、しかし罪獅子は、一瞬で痛みを意識から切り離し、全神経を右手に集中させる。
伸ばした右手は――、確実に、確かに捉えた。
人間の足を、捕らえた。
「捕まえたぞ!」
「――――っ」
視界は晴れていないが、しかしある一定の距離まで詰めてしまえば、視界が晴れていようが、いまいが、相手の姿は視覚的に捉えることができる。
近いから。近過ぎるから。だから――見える。
つまりはゼロ距離である。
それから、ずいっ、と。
罪獅子が顔面を思い切り、前面に押し出した。
――そこに。
そこには――傷枷の、顔。
驚いた、表情。
それを見れただけでも、罪獅子の感情には、喜びがあった。
ガンッッ! と、罪獅子は自分の額を傷枷の鼻に叩きつける。
叩きつけられた傷枷は顔面を後ろに振り、そのまま倒れそうになるが、罪獅子は、それを引き留める。引き留めて、引き寄せる。
加えて、そのまま――二度目の頭突きを繰り出そうとするが、傷枷はそこで、罪獅子よりも早く、罪獅子が額に力を入れるよりも早く、傷枷が罪獅子の鼻に頭突きをした。
同じことを、された。
痛みは途轍もない。鼻が折れていないか、痛みという感覚だけで確かめる。
折れていないなと確認したところ、自分の手の中に傷枷の肉体がないことに気づく。
……逃げられた、か。
だが、見つけることは容易い。
罪獅子は頭突きをした時、唾をつけた。
比喩ではなく、実際に、自分の唾液を傷枷につけた。
高速でおこなったために、傷枷は気づいていないだろう。
ならば、好都合。不満はない。
傷枷の匂いは分からない、なぜかは分からないが――分からないのだ。
だけど。傷枷のことが分からなくとも、自分は分かる。
自分の匂いくらいは、分かる。
刻まれているように。
染み込んでいるように。
逆に、身近過ぎて分からないというのは、世間一般の、普通の感覚だ。
だが、罪獅子は普通など、とうに越えている。
そんな域はとっくのとうに飛び出ている。
だから分かる。
自分の匂いが、傷枷の形を作っていた。
それを、視覚的に見ている――、そんな感じがする。
「……見つけたぞ」
罪獅子は舌を出し、自分の唇を舐めた。
罪獅子にしか見えていない、傷枷の形をした匂い。
それを追い、罪獅子は、到達する。
煙幕の中で、なにも見えないはずの空間で、罪獅子は傷枷の肩を、掴んだ。
「逃げるなよ、傷枷」
掴まれた傷枷は――。
傷枷は、予想外の言葉を発した。
それは、いつの間にか、罪獅子の頭の中からすっぽりと抜けていた、可能性。
ないと思い込んでいた可能性。
確かに――、傷枷の言う展開が起こる可能性はあった――、あったのだが。
自分は、罪獅子は、完全に見落としていた。
傷枷は言った。
「――大木の下に来た。予定通りに、罪獅子を倒すぞ、お前ら」
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