第3話 ブリーフィング

 罪獅子の声が食堂中に響き渡る。

 反響して、音が何度も何度も聞こえてきた。

 女子の肺活量とはとても思えない。

 これが、罪獅子という少女だ。

 常識など、いとも簡単に破壊してくるのだ。

「軍人なら、断わらないだろう。男として、断らないだろう。正々堂々、ここのルールで決めようじゃないか。――残るか、出て行くか。生きるか、死ぬか。違いなんて、あまりないんだからさ」

 断る、という選択肢はなさそうだった。

 相手は最強。勝てるかなど分からない。

 しかし、傷枷は笑った。そして、上京を見る。上京も同じように、笑っていた。

 確かに勝てないだろう。一年の違い、経験値の違い。

 罪獅子に勝てる可能性はゼロに近い。

 しかし、それは正攻法で挑んだらの話だ。 

 なら簡単だ。

 正攻法ではない方法で挑めば、勝ち目は段々と見えてくるはずだ。


 五対五。

 本物の戦場と変わらないようなステージを用意。

 武器は現地調達しなければいけない。

 この時、武器というのは相手を傷つける、殺害するために使用するものを指す。

 つまり、銃器の持ち込みはダメだということだ。

 ということはだ、相手を傷つける、殺害する以外の道具なら、勝負が始まる前に持ち込んでも良いということ。

 そして勝利条件は、相手全員を戦闘不能にさせること――

 ただそれだけ。

 罪獅子との勝負のルールを聞いて、傷枷はまず上京に声をかけた。

 人と人とを繋ぐ通信機が欲しい、そう言うと、上京はすぐに、

「了解、すぐに作ってくるよ」と言った。

 存在しているものを流用するのではなく、ゼロから作り上げる気なのだろう。

 傷枷はいつも思う。上京は頭が良い。良いのだが、なぜか馬鹿なところがある。

 不思議で仕方ない。

 だが、今回はゼロから作る、というのが傷枷の目的だ。

 携帯での連絡など、戦場でできるはずがない。

 だが、トランシーバーを使うというのも、傷枷が思い描く作戦には使えない。

 使えないのではなく、使いにくいということだが、あまり変わらないだろう。

 だからこそ、上京の力が頼りだった。

 ゼロから作った、新しい通信機。それが勝負の運命を決める、かもしれないのだ。

「道具に関しては……、上京に任せればいいか。あいつには作戦を話してあるし」

 傷枷は食堂から寮までの廊下を歩きながら、呟く。

「……さて、それじゃあ上京以外の奴にも報告しておきますかね」


 傷枷は、寮の一室の扉を、勢い良く開け放った。

 扉が壊れるかと思うほどの勢い。

 蝶番ちょうつがいが軋んだ音が聞こえたが、気にしない。

 傷枷自身がいいと思っているのだから、いいのだ。ここは、傷枷の部屋なのだから。

 扉が開け放たれた音に、傷枷の部屋にいた男子二人、女子一人が顔を上げた。

 一気に注目されて少し戸惑ったが、傷枷は一度、咳払いをしてから口を開く。

 否――、開こうと、したところで。


「なにを厄介なことに巻き込んでるのよあんたはよぉおおおおおおおおおおおおお!」

「うぉおおおおおおッッ、サバイバルナイフが飛んできたぁああっっ!?」


 咄嗟に、反射的に、傷枷が首を横に振った。

 よく避けれたと、自分を賞賛する。

 傷枷が後ろを振り向くと、廊下の壁には、一本のサバイバルナイフが突き刺さっていた。

 壁にもダメージがある。傷跡が、はっきりとある。どうやら、幻覚ではないらしい。

 耳を通り過ぎる時の、ひうん、という風を切る音も、幻聴ではなかったらしい。

 今の一連の現象。それを頭の中で思い出して、嫌な汗がダラダラと出てきた。

 相手は本気だ。

 今、避けられなかったら、自分は恐らく死んでいた。危機一髪、というやつだった。

 そして、今、絶体絶命というやつだった。

「ちょちょちょっ、ちょっと落ち着けよ、命火いのちび! 勝負の前に俺を殺してどうすんだ! その殺気は勝負の時に残しておいてくれないかなあ!?」

「なにを勝手に勝負を受けてるのよ! あたしはなにも聞いてない! 聞いてない聞いてない聞いてない! しかもあと数時間しかないって! なんの準備も覚悟もできていないのに、あの最強と戦うなんて無理に決まってるでしょ!」

 声を張り上げ、怒りを表情に出しながら、命火と呼ばれている少女はもう一本のサバイバルナイフを傷枷の首元に突きつけていた。

 皮膚と切っ先の間は一ミリしかない。しかし、そこからはまったく動かない。

 一ミリを保っている。誤差もなく、行き過ぎず、遠過ぎず、一ミリを維持していた。

 感情は高ぶっているが、だからと言って我を忘れているわけではないのだろう。

 それが、彼女――、命火いのちび火美々ひみみだった。

 冷静に、冷たく燃え上がる炎――と言ったところか。

 傷枷は、命火のことを勝手にそう思っている。

 その認識は、間違っているわけではないだろう。

 見ていれば分かる。彼女と同じチームを組んでいれば、誰でも分かるほどだ。

 他のメンバー、二人の男子が抱いている感想も、恐らくは傷枷と同じだろう。

 目の前では、命火が顔を真っ赤にしていた。

 髪の毛と同じように、頬は赤い。

 彼女は赤髪。赤毛を持っている。

 確かに珍しいだろう、目立つだろう。

 しかし、戦場で目立つかと言われれば、実はそうでない場合が多い。

 なぜなら、返り血を浴びたような状態に似ているからだ。

 戦場での赤は、隠れやすい。紛れやすい。相手を、騙しやすい。

 戦う女に好都合なのが――赤なのだ。

 怒りで真っ赤な顔をしている命火の怒りを、まず最初に収めようと傷枷が心を落ち着かせる。

 相手を落ち着かせるのなら、まずは自分から。ふぅー、と深呼吸をしてから、傷枷が言う。

「安心しろって。あの最強とは――俺がやる」

 その言葉に、部屋にいた全員が驚いたが、しかし傷枷は続ける。

「作戦はあとで教えるけど、お前らの出番がない、と言うわけじゃないから。やっぱり覚悟はしてもらってた方がいいんだろうなあ――」

「いやいやいや、待てよ傷枷!」

 そう言ったのは命火ではなく、今まで本を読んでいて会話に参加してこなかった、小太りの少年――、木瀬きせ桂馬けいまだった。

「お前、あの最強とやり合う気かよ。知ってるだろ、あいつの噂――」

 木瀬が、震える声で言う。

「手加減も容赦もしない。勝負事には、生死も入っているって本人が言ってるんだぞ? お前――、もしかしてもしかすると、殺されるぞ?」

「別に一対一で、真正面からぶつかり合うわけじゃない。あっちは最強なんだろ? 二キロ先から突っ込んでくる大型車両と、目視しておきながら真正面から押し合うとでも思ってるのか。そんなことしねえよ。こっちだって、ちゃんと作戦を考えてるんだから」

「むう」と、木瀬が声をこぼす。

 納得しているような声だったが……、しかし納得していないような表情だった。

 声で誤魔化そうとしているのだろうが、表情でばればれだ。

 傷枷の考えに、穴でもあるのだろうか。

 その穴を傷枷が探そうとしたところで、考えるよりも一瞬早く、傷枷に声がかかる。

「傷枷、お前は二キロ先からの大型車両なら、あらゆる手を使えば突っ込んできても勝てると、そう思っているってことだよな」

「まあ、そうなるな。俺は、そう思ってる」

「ふうん」

 と、今、眠りから覚めたとでも言いたげな少年が、傷枷の足から頭までを見る。

 天幕てんまく弓狩ゆかりは、傷枷を見る。

 木瀬の大きな体とは反対で、天幕は小さな体をしていた。

 小柄で、戦場では小さな隙間を通ることができる――。

 潜入ミッションに向いているような体格だった。

 体が小さい。だからと言って、戦闘に不向きと言うわけではない。

 大きい者が勝つ。そんな事実は、簡単に捻じ曲げられる。

 既に、捻じ曲げられているのだ。

 過去の人が言った――、

 女は男よりも力が弱いという言葉も、罪獅子の存在で捻じ曲げられている。

 いや、破壊されている。

 それと同じで、天幕の存在は小さい者は弱い、という言葉を破壊していた。

 時代が違う。

 昔の人の考えが、今も通じるとは限らない。

 逆に、通じない、とも限らないが。

 結局、どうなるかは分からない、というのが現実だった。

 天幕の目が、細く、鋭く。

 傷枷を、射抜くような眼力を持っていた。

「まあ、普通なら、勝てるとは思うな。避けることができるとは思うな。二キロ先から突っ込んでくる大型車両なんて、簡単にどうすることもできるだろう。でもよ、だけどさ。その大型車両が、もしも音速だったらどうする?」

 天幕の言葉に、傷枷が少しだけ、体を震わせた。

 もしもの話だ。もしもの――。

 だが、罪獅子という少女は、音速で突っ込んでくる大型車両と変わらないのではないか。

 不安がきた、安心が消し飛んだ。

 なんてことをしてくれるんだ、と天幕を睨む傷枷だが、もう遅い。

 知ってしまったのだから、どうしようもない。

 今、傷枷が相手をしているのは、そういうレベルでの相手ということだ。

 音速で突っ込んでくる大型車両。

 どんな手を使っても勝てると思っていた心が、崩された気分だった。

「分かってるのかよ、傷枷。そのレベルの化け物を、ただ単純な作戦なんかで、倒せるとでも思ってんのか? オレはお前と同じチームだ。同じ、第三班だ。だからお前に勝機があるならついていくよ。それは全員、同じだと思うぜ。木瀬も、命火も――、上京もな。この五人で一つだからな。でもよ、お前に迷いがあるなら、負ける可能性が頭の片隅に残っているというのなら、オレたちはお前にはついていかない。ついていけない。悪いけどな。負け戦にのこのこと出て行くほど、馬鹿じゃねえんだよ」

 傷枷は、

「……ああ」とだけ呟いた。

 今、少しだけ考えていた。

 負ける可能性を、死ぬ可能性を。

 でも、でも――、マイナスを吹き飛ばす。負を考えない。

 それは、自暴自棄になっているわけじゃない。きちんと勝機はある。

 作戦は、一つじゃないのだ。頭をフル回転させれば、全員が生き残れて、試合に勝てる作戦など、簡単に考えることができる。

 そして、仲間に向かって傷枷が言う。

「大丈夫。勝てる。絶対、勝てる。この作戦に俺は、命を懸けるからな」

「なッ――」

 天幕が驚いて声を出す。

「命を懸けるほどの作戦じゃないと勝てないってのかよ! だったらやらねえぞ! 無駄死にはごめんだからな!?」

「違うよ」

 傷枷は、驚き、激昂し、立ち上がった天幕の肩を押さえた。押さえ付けた。

 そして、にやりと笑う。勝利を確信したような笑いだった。

「命を懸ける――それがテーマの、作戦だ」

「どういうことなのよ」

 命火が聞く。

 目の前に見える赤に、気圧されそうだった傷枷だが、なんとか平常心のまま答えることができた。

「俺も、お前らも、命を懸けるんだよ。命を操るんだよ。それが、俺が考えた作戦というわけ」

 そこで、傷枷はなにかに気づいたのか、言葉を区切った。

「――あ、色々と話してる間に、もう時間か」

「なによ、誤魔化さないで話してよ! それに、勝負まではまだまだ時間はあるじゃ――」

 そこで、命火の声が止まった。

 命火は、視線を扉の方へ向ける。

 向けた――と言うよりは、引き寄せられたと言うべきか。

 視線の先にある、開けっ放しの扉の前に立っていたのは、一人の少女。

 髪を床にまで垂らしている少女だ。その少女の声が、部屋に響く。

「作れたよ。これが、今回の作戦に必要ってことなんでしょう?」

「助かった――上京」

 傷枷は、上京の頭を優しく撫でた。

 上京は、嫌がりながらも嬉しそうにしている。

 それから。

 傷枷は全員が揃った第三班を見た。

 木瀬、命火、天幕……そして――上京。

 ……最後に、傷枷。


「さて、全員が揃ったところで話すとしますか。今回の、相手を倒すための作戦をさ――」

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