第2話 生徒最強
上京が頬を膨らませながら、傷枷に近づいてきた。
「あの女がさ、変なことを言うんだよ! 僕に喧嘩を売ってくるんだ。僕はなにもしていないのに。そこに存在しているだけなのに。酸素を吸って二酸化炭素を吐いている、ただそれだけのことをしていただけなのに。――あの女、ここから出てけって言うんだよ!? おかしくない!? おかしいと思わない!? ねえ――傷君てば!」
傷枷は今回も、いつもと同じように上京がどうしようもなく悪いのかと思っていたが――
しかしそんなことはなかった。
完全に、喧嘩を売っているのは向こう側――、
ただ、上京の言っていることが、本当なら、だが。
上京を疑わない傷枷はもちろんのように信じるが、もしも、もしも、上京が嘘を言っているのであれば、立場はくるりと変わる。傷枷が罪獅子をちらりと見た。
すると、罪獅子の方も、傷枷を見ていた。
じっくりと、まるで得物を狙うような、ぞくり、とするような視線でだ。
「……どうして、いきなり喧嘩を売ってきたんだ? 上京がなにかしたのか? こいつは無意識に人に迷惑をかけることがあるから、それがあんたに降りかかったのかもしれない。もしそうなら、こっちが悪いと認めるよ。認めるもなにも、こっちが悪いんだからな」
罪獅子の動きに注意を払いながら、傷枷が言う。
相手は最強と言われている生徒。できれば揉め事は起こしたくない。
揉め事を起こしたことによって、その情報があらゆる場所へ伝わるからだ。
生徒にも、先生にも。斜影峰学園――全ての場所に。
厄介事を抱え込みたくはないと望む傷枷は、早期決着を求める。
罪獅子も、事を大きくはしたくないだろう。
テキトーに、そう考えていた傷枷だったが、しかし、罪獅子は引かずに押してきた。
――上京に、攻めてきた。
「わたしは喧嘩を売っているわけじゃない。その子のためを思って、周りの子のためを思って、忠告をしただけだ」
罪獅子は、前髪を片手でかきあげながら、
「杖を使っている、怪我をしやすく、病気にかかりやすい。そんな体の弱い小さな少女が、軍人になれるとでも思っているのか?」
それは。その言葉は。
上京の夢を破壊するような言葉だった。
ぐさりと刺さるような言葉を、連続して突いてくる罪獅子。
その表情には、罪悪感というものがない。本気で言っている。本気で――潰しにきている。
なにが目的なのか。なぜ上京を脱落させる必要があるのか。
相手の意図が読めない傷枷は、黙って罪獅子を見ていることしかできなかった。
そして、言葉はまだ続く。
「その子のためだよ。叶うはずのない夢を見るのは、中学で終わり。高校は、現実を見るところだ。もう分かっただろ。二か月間もいて、分かっただろ。向いていない、才能がない。そもそも、前提の条件が悪過ぎる。諦めろ。この学園を去るのが、お前にとって一番良いんだ」
「そんなことをお前が決めるな! 僕の夢を僕がどうしようが、どう転ばせようが! 僕の勝手だ! ちょっとばっかし強いだけのあなたなんかに、勝手なことを言われる筋合いはないよ!」
傷枷よりも前に上京が飛び出した。罪獅子と上京が向かい合う。
大きさは、まったく違う。迫力だって、覚悟だって――違う。
だけど、叶えたいと思う気持ちは、上京の方が大きく見えた。
一番近くで見てきたのだ。上京を見てきたのだ。
『軍人になりたい』その夢を。隣で見てきた。だからこそ、傷枷にも湧いてくる。
怒りが、湧いてくる。
なにも知らない他人が、人の夢を潰すんじゃねえよ、と。
傷枷は心の内でそう吐き捨て、自分の前に飛び出した上京よりもさらに前へ、飛び出した。
「……確かに、弱い体で軍人になるのは難しいと思う。戦場に出たら、すぐに死んでしまうかもしれない。だけど、だったら戦場に出ない、支援専門だっていいはずだ。それなら上京はできるぞ。つーか、上京はそっち専門なんだからな。だから、あんたが考えている肉体へのダメージは、ゼロとは言えないけど、だいぶゼロに近づけるはずだ」
「それでもだ。それでも、前言を撤回する気はない。お前の言っていることはつまり、この子のことしか考えていない、ってことだ。わたしは言ったはずだ。忠告したのはこの子のためであり、そして、周りの子のためだって」
傷枷が周りを見る。
円を作るように立っている生徒たちの視線の多くが、上京に向けられていた。
不思議そうな視線、苛立っているような視線、気に入らないとでも言いたそうな視線。
そこで、あらためて認識する。
入学した時もそうだったが、まさか、二か月が経った今でも続いているとは思わなかった。
つまり、周りの生徒たちは思っているのだ。上京を見て、杖を見て。
ここを、斜影峰学園を、『なめている』のか、と思っている。
上京に、なめているなんて気持ちはないだろう。ここにいる生徒たちと同じように、本気で軍人になりたいと思っている。だが、杖という存在が、体が弱いという事実が、上京の立場を悪くしているのだ。
真剣に捉えられない。馬鹿にされている、と生徒たちは思ってしまう。
悪気がなくとも、悪意がなくとも。生徒たちは、上京を憎んでしまう。
そこで、分かった。罪獅子は、上京のためよりも、他の生徒たちのことを救いたかったのだ。
それもそうか、と傷枷は納得する。
一人と大勢。どちらを助けるのか決める時、迷うことなどなく、大勢を取るだろう。
それが正解だ。
それが当たり前だ。
罪獅子は、当たり前のことをした。邪魔ものを排除するために、上京の精神を揺さぶってきたのだ。……なんて、なんて自分勝手なのだろうか。
傷枷は、ぎりり、と歯を食いしばる。
犠牲を払って、平和を作り出す。いい考えだ。いい手だ。だが、虫唾が走る手だ。
自然と、勝手に、傷枷は罪獅子に手を伸ばしていた。罪獅子の胸倉を掴んで、引き寄せる。
「ふざけんな。お前は、これで上京をこの学校から追い出そうとでもしてるのかよ」
「見て分からないのか。まあ、追い出すのかもな。わたし的には、勝手にいなくなってくれるとありがたいんだが」
罪獅子は、自分の胸倉にある傷枷の伸びた手を、掴んだ。
「それと、あまりわたしに危害を加えるなよ。つい癖でやってしまう。手加減など、できないくらいに。ああ、殺してしまう――」
ぐんっ、と体を引っ張られた。
そう認識した時、傷枷の体は、既に地面についていた。
背中から、地面へ叩きつけられた後――なのだと気づく。
遅れて痛みが走る、駆け抜ける。
背骨が折れたような感覚に顔をしかめ、傷枷は仰向けの状態からうつ伏せの状態に体勢を変える。この状態が、痛みを和らげるのに一番良い方法だった。
「――傷君! 大丈夫!?」
上京が駆け寄り、傷枷の体をさする。
上京の小さくて、きれいで、真っ白な手が、傷枷の体に触れた時、傷枷は安心した。
ああ、これだ。懐かしい、手だ。この手を、この感覚を、失いたくはない。
だから、傷枷は立った。
ダメージが残っているために膝立ちまでしかできなかった。
しかし、充分。充分過ぎるほどだった。
「罪獅子、先輩」
「なんだ、今更。気持ち悪いからやめてくれよ。やる気のない、軍人になる気もない、テキトーに生きているだけの傷枷道々君」
「…………」
自分のことを言われ、本質を見抜かれ、傷枷はなにも言えなくなった。
否定できない。本当なのだから。
だから、罪獅子の言葉を、受け止めることしかできなかった。
「……俺のことも、調べたのか」
「まあね」
罪獅子は頷いた。
「お前とそこの子――上京との関係も知っている。傷枷、お前は、上京が行くから斜影峰学園に来たという――軽い人間なのだろう?」
これもまた、否定できない。
沈黙を肯定として、傷枷は罪獅子を見つめた。
「周りの人間にとっては、お前は邪魔な存在だ。上京とあまり変わらないくらいにな。だから、まずは上京を消すことにした。上京についていくだけのお前は、当然、一緒に消えるだろう? 上京と共に、ここを去るのだろう?」
多分、というよりは、確実に――そうなるだろう。
上京がいないのならば、傷枷がここにいる意味がない。
ついでに言えば、上京がもしも死んだら、傷枷は生きている意味がない。
昔から、そう思っていたのだ。ずっとずっと。上京を守るためだけに生きていた。
上京の行くところに、傷枷は行く。
そこが地獄でも、無でも、なんでも。上京がいるところに、傷枷はいる。
小さい頃は、よくそう言われていたと思い出した。
「だから、わたしはお前たちに勝負を申し込もうと思う。さっきまでは上京、一人だけを相手にしていたから提案できなかったが、男のお前がいるならば、この提案も出せるだろう」
「勝負……?」
「五対五の
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