小姐、公子の正体を知る
よろめいた私を細く逞しい腕が抱き留める。何事かと首をよじると、あの肖明星が私を片腕に抱えていた!
「もう大丈夫」
肖明星は優しい声で言うと、丁寧に私を立たせて黒装束に向き直った。
今いる黒装束は全部で三人、老大は先頭に立って肖明星を睨みつけ、あとの二人は刀を抜いて小姐の胸で交差させている。先ほどよりも絶体絶命だというのに、小姐は助かったと言わんばかりに「肖公子!」と声を上げた。
「呆れた奴らだ。我らの聖域に立ち入って狼藉を働いたばかりか、無辜の者まで巻き込むとは」
肖明星は腰に差した扇子を抜くと、ぽんと手のひらに打ち付ける。黒装束の老大はフンと鼻を鳴らして言い返した。
「何が無辜なもんか。そこの嬢ちゃんが何を持っているか見てから喋りな、坊主」
「……ああ、うちの宝刀! 潘姑娘、ありがとうございます。取り戻してくれたのですね」
肖明星は整った目をわざとらしく見開き、場違いなほど明るく言った。さすがの小姐もぽかんとしていると、肖明星は打って変わって氷のような視線を黒装束にくれる。
「では、あとは貴様らを一掃するだけだ」
次の瞬間、老大が弧を描いて地面に叩きつけられた。いつの間に組み合ったのか、その横で肖明星が静かに長袍の袖をたなびかせている。
残る二人は揃って刀を肖明星に向けたが、彼は気にせず突っ込んで連中を立て続けに打った。そればかりか、肖明星は解放された小姐を守りつつ、彼女の手足を自分のもののように操って二人を一網打尽にしたのだ。
それはまるで舞のようだった。肖明星が腕を動かせばそれに合わせて小姐の手が動き、狙いたがわず黒装束の胸を打つ。脚を固め、腕を払い、身を屈めて攻撃を避け、腕を取って投げ飛ばす、その全てを肖明星は小姐の体を借りてやってのけた。
ほどなくして黒装束は二人とも打ち倒され、肖明星は真っ赤になっている小姐にぺこりと頭を下げた。
「申し訳ございません、潘姑娘。とんだ失礼を」
「いえ……そんな、良いんです……助けていただいたのだし……」
小姐はもごもごと口ごもりながら顔を伏せ、それから思い出したように例の短刀を肖明星の手に押し込んだ。
「あっこれ、あなたのものなんですよね、お返しします」
ふと、地面で黒い影がうごめいた。談笑する小姐と肖明星をぼうっと眺めていた私は一気に現実に引き戻された。
「危ない!」
私の声に肖明星が振り返る。同時に真っ先に倒されたはずの老大が起き上がり、短刀を拾って肖明星に襲いかかる。肖明星が掌底を繰り出した刹那、パンッと何かを打つ音と同時に老大が動きを止めた。
黒い背中が地面にどっと倒れ伏す。それと同時に肖明星も青ざめた顔でふらついた――その肩口には短刀が突き刺さり、瀟洒な衣がじわりと紅く染まっている。私が慌てて駆け寄るのと、小姐にもたれかかるように肖明星が倒れるのとが同時だった。
***
でも、今回のことで一番大変だったのは、肖明星の傷を診たお医者様だろうと思う。
血まみれで気を失っている美青年を突然連れてきて命の恩人が死にかけていると小姐が騒ぎ立てたものだから、旦那様は二つ返事で肖明星を泊めることを了承し、お医者様まで呼んでくださった。そのことは感謝してもしきれないけれど、先に止血をしていた私たちはそれに構っている場合ではなかった――私たちは今日のことは絶対に漏らすなと先生を言いくるめ、小姐の四番目に大切なかんざしを口止め料として押し付けた。
こうして先生を丁重に送り出した私たちは、寝台の肖明星を振り返った。
「どうもありがとう。何から何まで面倒を見てくれて」
彼が今着ているのは小姐の夜着だ。襟から覗くのは巻かれたばかりの包帯だが、その胸部は男ではあり得ない曲線を描いている。
そう、止血をしたときに私たちは気付いてしまったのだ――肖明星が男装の麗人だということに。
「良いのよ。私たちもたくさん助けてもらったし、お互い様ということにしましょう」
ひらりと手を振った小姐は心なしか焦点が合っていないように見える。それもそうだ、夢にまで見た英雄が実は同じ女だったばかりか、この女は小姐に「悪党を打ち倒す」という体験までさせてあげたのだ。
「それで、あの……大姐は、なんていうお名前なんですか……?」
おずおずと尋ねるさまは、まるで一目惚れの相手に名前を聞いているようだ。あながち間違いではないのだが、見ていてどうにも癪に障る。
「私は
私と小姐は揃って「ええっ⁉」と声を上げた。あの立ち居振る舞いで初めてなんてことがあり得るだろうか!
「噓でしょう⁉ 私たち、ずっと本物の公子様だと思っていたのに!」
小姐が大声で言うと、金欣華は「それは良かった」と切れ長の目を細めて笑う。
ふと、私はあることに思い至った――あの禍々しい短刀はおそらく峨眉山から盗まれたもので、黒装束たちは「峨眉山には女しかいない」と言っていた。そして短刀を取り返しに来た肖明星の正体は女ときている。
「初めて山を下りたということは、金姑娘はずっとどこかで修業をされていたのですか?」
まさかと思って尋ねると、金欣華はにこりと笑って頷いた。
「そうだよ。私は男子禁制の峨眉派の在家の弟子」
狙いが当たったとはいえ、これほどまでの衝撃が未だかつてあっただろうか。そんな私たちに気付いているのかいないのか、金欣華はそのまま話し続ける。
「あの短刀は阿修羅仁刀といって、我が峨眉派に伝わる宝刀なのだ。それがあろうことか盗まれてしまって、私は賊を追う役目を掌門より仰せつかって下山した。でも二人のおかげで早く取り戻すことができたよ。本当にありがとう、雪梅小妹、阿蓮小妹」
――阿蓮小妹!
私は顔から火を吹くかと思った。小姐はすっかり参ってしまい、「欣華姐姐!」と声にならない声でしっかり叫んでいる。
私は慌てて首を振って目を覚まそうとした。それが気になったのか、金欣華が「大丈夫?」と首を傾げて聞いてくる。
私はその美貌を睨みつけて大丈夫だと答えてやった。今はまだ、どんな男にも女にも、小姐の隣を譲るわけにはいかないのだ。
お転婆小姐と聖山の公子 故水小辰 @kotako
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