第1章 日輪の御子と蒼き太陽ー③

 蒼宮殿改めアルヤ総督府は広大な敷地をもつ行政府で、二つの大きな建物とたくさんの小さな建物で構成されている。一番大きな建物は敷地の南半分、大講堂と呼ばれる儀式用の大広間とアルヤ王──現在はアルヤ州総督──の執務室を有する建物だ。そしてその次は北半分、もともとはアルヤ王の家族が住んでいた後宮ハレムだったが、今は総督およびその側近の宿舎になっている建物である。そしてその二棟を取り囲むようにいくつか軍隊の司令部の施設がある。

 あか軍の司令部は宮殿の北東部にある。司令部といっても、大講堂の十分の一もない部屋が三つ南北に連なっているだけのとりわけ小さな建物だ。ここにはいかつい大男たちが何人も居座って自宅代わりにしており、どれだけ片づけても生活用品が散乱していてほこりっぽい。ユングヴィはここにいるとナーヒドに説教されても仕方ない気がしてくる。

 今日もユングヴィは司令部の掃除をしていた。卓の上で油をこぼしていたランプを棚に戻し、じゆうたんの上に膝をついて卓の油をちり紙でく。こうしていると、将軍とはいったい何なのだろう、と考えてしまう。ここ三年ユングヴィが担当しているのは主に少年兵の教育──というより子守──と掃除洗濯だ。

 昔は良かった。三年前、エスファーナ陥落までは、ユングヴィも兵士として活動していたのだ。赤軍の部下たちが、赤軍の一員になった以上は、といって体術や砲術の勉強をさせてくれたのである。実戦の場にも連れていってくれた。怪我をすることも多かったが、赤軍兵士として役に立つことが立派な将軍への近道なのだと思い込んでいた。

 それが今やこのざまだ。

 はっきり言われたことはないが、たぶん、一番の危機の時に逃げ出した無責任な人間に任せられる仕事はない、ということなのだと思う。

 どたどたと大きな足音が複数聞こえてきた。副長以下赤軍幹部たちが帰還したようだ。

 ユングヴィが顔を上げると、ほどなくして扉が開いた。案の定、体格のいい男たちが入ってきた。先頭に立っているのは顔に刃物傷のある筋骨隆々とした中年の男だ。彼は名をマフセンという。赤軍の副長である。

「帰ったぞ」

「おかえり」

 先手を打ってユングヴィはこう言った。

「お茶出しはしないよ」

 マフセンが鼻を鳴らして笑う。

「偉くなったじゃねえか」

 そう言いながら、彼は卓のそば、ユングヴィの隣に腰を下ろした。

れろよ、お茶。お前はお料理くらいしか取り柄がねえんだからよ」

 ユングヴィはまず顔をしかめたが、マフセンとけんをしても勝てないので、すぐに愛想笑いをして猫なで声を出した。

「ねえ、今日はどこに行ってたの?」

「ヘライーリー地区」

「何かあったの?」

「喧嘩の仲裁だ。サータム人の金物屋がアルヤ人の銅職人から品物を買いたたこうとして殴り合っちまったんだと。人数が膨れ上がって大乱闘よ」

「言ってくれれば私もついていったのに。そういうところ、ほら、将軍から一言がつんとあれば」

「は? バカじゃねえのお前」

 また始まってしまった。

「お前みてえにへらへらした奴が出ていって収まるわけねえだろ。巻き込まれて怪我でもされたら連れていったこっちも困る。余計なことするんじゃねえ」

 こうして邪険にされるのは何度目だろう。しかしユングヴィがへらへらしているのは間違いない。これも自分なりに考えた処世術のつもりだったが、威厳がないのと表裏一体なのもわかっていた。

 赤軍に限らず、旧アルヤ王国軍の十の部隊には、それぞれ副長という職位の人がいる。頂点に立つ将軍が十神剣という神官なので、その次に来る副長が実務的な長、他の国でいうところの将軍の仕事をしているのだ。極端なことを言えば、形ばかりの将軍などいなくても、副長がいれば軍隊は回る。蒼軍や白軍のように将軍が文字どおり将軍をやっている部隊もあるが、赤軍はユングヴィではなく副長のマフセンが仕切っていた。

 三年前にエスファーナが陥落して以来、赤軍は仕事が増えた。この隊であり首都エスファーナのけいである白軍や首都を含む中央軍管区に常駐の蒼軍の活動が制限されたからだ。赤軍は系統立てられた軍隊組織の外側にある暗殺部隊でもあるので、サータム帝国軍にあえて泳がされて首都の暗部の掃除を担当させられている。今回のように、サータム人とアルヤ人の武力衝突に発展しそうな騒乱をみ消すのにも派遣される。一般民衆はそれが赤軍という軍隊の一部の仕事であることを知らないかもしれない──らしい。

 実のところ、ユングヴィは現在の赤軍がどんな仕事をしているのか正確には把握していない。副長が説明したがらないからだ。副長をはじめとする赤軍幹部たちはユングヴィが首を突っ込んでくることを嫌がっている。生来衝突を避ける気質のユングヴィはいつもしぶしぶ引っ込む。

 今回もこれ以上粘っても何も言ってくれないに違いない。ユングヴィは大きなためいきをついた。

「ほら、出てけ出てけ。お掃除の続きは俺らでやっておいてやるから、お前は黙って下がれ」

 これが将軍の扱いなのだろうか。他の部隊はどんな感じなのだろう。ナーヒドやテイムルが特別で、他の将軍たちもお飾りとしてこんな風にあしらわれているのか。

 寂しくも悔しくもあったが、ユングヴィはわかっていた。

 自分がバカで役立たずなのは事実だ。みんなの足を引っ張らないでいよう。

 溜息をつき、腰を上げた。

「中央市場にお買い物に行ってくる」

「おう、いってらっしゃい」

 誰も引き留めてくれない。これも、いつもどおりだ。

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