第1章 日輪の御子と蒼き太陽ー②

 二百年ほど前、『蒼き太陽』を名乗る蒼い髪の青年が興した最新のアルヤ王国は、三年前にサータム人に奪われてしまった。その際、先祖返りをして蒼い髪に生まれたために新たな『蒼き太陽』と呼ばれた王子は、ゆくえ知れずになった。二百年の歴史は途絶え、今は何度目かのサータム人の天下である。

 ナーヒドはためいきをついた。

「お前、変わったな」

「変わるよ。僕はすっかり何をしたらいいのかわからなくなってしまったから」

 テイムルが責めるような口ぶりで話を続ける。

「それこそナーヒドの言うとおりだよ」

「何がだ」

「僕は本当は今でもまだ『蒼き太陽』に殉じることを望んでいるんだ。でも頭のどこかにはもしかしたらそれはもう三年前に生き別れた時点でかなわなくなったのかもしれないという考えも浮かんできているらしい。目の前で殺される夢を見て夜中に目が覚める晩もある。僕の『蒼き太陽』はどこにいらっしゃるんだろう、もうどこにもいらっしゃらないんだろうか、不安で不安でたまらない」

「それは──」

 あおじろい顔をしたテイムルから顔を背ける。

「もう言うな」

 だがテイムルは吐き出すように続けた。

「僕は、じゆつしんけんの長として、『蒼き太陽』がお戻りになった時にもろもろのことが円滑に進むよう戦後処理をする務めがある、と思っていた。だから、とりあえず生きてウマル総督に頭を下げる仕事をしている。けれど今回、ウマル総督とこういう話になった。『蒼き太陽』をお探しするのは、そろそろやめたほうがいいのかもしれない。僕が次にすべきは家財を処分して辞世の詩を詠むことなのかもなあ」

「生きろ、馬鹿が」

 アルヤ王国には十人の将軍がいる。ひとはその十人をひとまとめにして十神剣と呼ぶ。将軍が、神剣と呼ばれる聖なるつるぎを抜いた者のことを指すためだ。十本の神剣がそれぞれに自らの持ち主を選び神とす。

 十神剣はすなわち軍神とも呼ばれる。

 いわれは、さかのぼること二百年前、初代『蒼き太陽』がどこからともなくアルヤ高原に現れ、北の山の女神からこの十本の剣を授かったことから始まる。初代『蒼き太陽』は十人の仲間を連れていて、女神はその全員に自ら生み出した剣を手渡した。その伝説が今なお生きていて、十神剣は現代にも実際に存在する。

 十神剣は基本的に世襲のものではない。アルヤ人であることすら必要な条件ではない。神剣が抜ける者、条件はたったそれだけだ。

 しかしうち二本、蒼の剣と白の剣だけは代々特定の家の跡取りだけが抜ける。前者がナーヒドの家であり、後者がテイムルの家だ。二つの家は互いに支え合い補い合って血脈を保ってきた。今代も、ナーヒドの母親とテイムルの母親が姉妹であり、二人は同士に当たる。

 十神剣は軍神であり軍人ではない。正確には、あらひとがみであった王と司祭たちの間に位置する存在であり、神官だ。だが、建国の物語が十神剣の始祖たちをそれぞれの部隊の隊長であったと伝えているため、神剣を抜いた者は形式的に旧王国軍の十の部隊の隊長として就任することになっていた。

 軍に籍を置く身となるとわかっている以上は、軍神として軍人たちの規範となるべきである。

 ナーヒドは中央軍管区守護隊、通称そう軍の隊長になるべく、テイムルは近衛隊兼憲兵隊、通称しろ軍の隊長になるべく、幼少の頃から文武両道に抜きん出るよう人一倍厳しい訓練に耐えてきた。それぞれの父親である先の将軍たちも、自らの長男がやがて自分たち亡き後に将軍になるものと見て、物心がつく前から自らを律するようきつく言い聞かせ、時として血を見てでも指導してきた。

 だが、実際に二人が将軍に就任したのは、三年前、アルヤ王国敗戦の後のことである。二人の父親が王族に殉じてしまったためだ。

「そういう話ならやめろ。お前が嫌な思いをするだけだろう」

「うん。そうだね。むなしくなる一方だ」

 蒼い鍾乳石飾りムカルナスきゆう窿りゆうが続く長い回廊を進む。

 右手には宮殿の中庭、今なお美しい国内最大級のアルヤ式庭園がある。

 九つの噴水から東西南北に水路が流れている。水路に区切られた空間には木が植えられており、葉を青々と茂らせていた。

 しかし今のテイムルとナーヒドには庭園を眺める心のゆとりはない。早足で通りすぎる。

 かつては王とその家族である王族が暮らしていた、今は総督が一人で占有している北の区画を出て、南の区画、正堂の中央へ向かった。正堂の正面、宮殿全体から見てももっとも南端に歩いていく。目指すは宮殿の正面玄関だ。

 広大な玄関広間もまた大きな円天井で覆われている。円天井には装飾として聖典の文句を意味するアルヤ語の文字列がタイルの組み合わせで表現されていた。り下げられているしよくだいの照明もごうしや硝子ガラス製だ。

 その照明の下に、蒼い武官の制服を着た青年たちが数人輪を描くようにして立っていた。

「──あきらめるにはまだ早い」

 ナーヒドが力強い声音で言う。

「この国の太陽はいずれまた昇る。たとえ『蒼き太陽』がいらっしゃらずとも、アルヤには別の色の太陽がまだ存在する」

 軍神と仰ぐ隊長が戻ってきたことに気づくと、青年たちは一斉に二人のほうを向き、静かにひざまずいた。

 彼らがひざまずいたことによって、中心にいたその存在が姿を現した。

 そのたいは兵士たちに埋もれてしまうほど小柄──というより幼かったが、陰から出た途端その存在感の大きさを玄関広間にいる全員に見せつけた。

 柔らかで滑らかなまっすぐの髪は、アルヤ人では珍しい黄金をしている。太陽から放たれる光をその身に宿したかのようだ。

 幼い顔いっぱいで表現した笑みも自信に満ちあふれ堂々として見える。まるで彼こそこの国の太陽なのだと思い込ませる輝き方だ。

 彼の大きなひとみがナーヒドをとらえた。

 その瞳の色は神聖な蒼だ。

 アルヤ民族の太陽の色だ。見る者にこの瞳の放つ光が日輪となって彼の金の髪を紡いだのかと思わせるほど、深くも淡い、しかし、揺らぎのない蒼だった。

「ナーヒド!」

 兵士たちを乗り越え、彼が小走りで寄ってくる。ナーヒドもまた歩み寄る。

 互いに、手を、伸ばし合う。

 ナーヒドはその場にひざをついた。

 小さな手がナーヒドの肩をつかみ、大きな手が日輪のの背へ回った。

 二人が触れ合うと、日輪の御子がうれしそうに笑った。

「お待たせ致した、フェイフュー殿下」

 日輪の御子──フェイフューは、ナーヒドの首に腕を回した。

「おかえりなさい」

 蒼い瞳は、王族のあかしだ。

『蒼き太陽』ソウェイル第一王子は失ったが、太陽の血を引く者として、第二王子フェイフューがまだ生きてここにいる。

「ナーヒドがウマルのきげんを損ねていたらどうしましょうと、たくさんたくさん心配していました」

「なんと。そのようなこと、殿下がご心配召されることではない」

 フェイフューはまた、明るい声で笑った。

「ナーヒドが守ってくれるからぼくはここにいるのですよ。あまり軽はずみなことはしないでください」

 まだ九つの王子に言われて、ナーヒドが言葉を詰まらせる。テイムルが苦笑する。

「フェイフュー殿下は何もかもお見通しだ」

 第二王子フェイフュー──三年前のエスファーナ陥落で太陽の首級が挙がり誰もが絶望したその時、蒼軍と白軍が総力をかけて探し出した、最後の太陽の御子だった。先王の五人いた子供たちの中でたった一人だけ救出に成功した、そして、ナーヒドの父親が自身の首と引き換えにいのちいをした、今や唯一となったアルヤ王国の後継者だ。

「フェイフュー殿下」

 テイムルがフェイフューに呼びかける。フェイフューが明るく「はい」と応じる。

「ここにいて帝国の誰かに声を掛けられたりはしませんでしたか」

「大丈夫です、蒼軍のみなさんがずっと見ていてくださいましたから」

「ここにいらっしゃるまでは? ナーヒドはうるさくありませんでしたか。今日宮殿に上がるに際していろいろ申し上げたでしょう」

 フェイフューはなおも明るい声で「はい」と答えた。ナーヒドがけんにしわを寄せた。

「でも仕方がないですね、今のぼくの仕事はナーヒドの話を聞いてあげることですから。ナーヒドはあなたのほかに友達がありませんからね」

 その様子を見ていたテイムルが笑った。ナーヒドが「笑うところではない」と威嚇するような声を絞り出した。

 ナーヒドが体を離すとすぐ、フェイフューはまっすぐ立った。

 テイムルもまたナーヒドに続いてひざまずいた。

「ウマルと話をしてまいった」

 フェイフューが「どうでしたか?」と問うてきた。ナーヒドは声の調子を一切落とすことなく、広間にいる誰もが聞こえるような声音で言った。

「王家の再興を約束した」

 フェイフューがそのあおい瞳に強い輝きをともした。

「フェイフュー殿下がご成人のあかつきには、殿下がアルヤ王として即位なさることをウマルが了承した。アルヤの民をふたたびまとめるためには、太陽は──アルヤの民の神は必要なものである、とウマル自身が言った」

 それを聞いた途端、フェイフューの顔から笑みが失われた。

「そうですか」

 声の調子も落ちた。

「ぼくが、ですか」

 ナーヒドとテイムルは顔を見合わせた。

「兄さまではなく」

 フェイフューが冷たい目で続ける。

「『蒼き太陽』がいらっしゃいますのに。ソウェイル兄さまがいらっしゃいますのに、ぼくが王になるなど、おかしいと思うのですが」

 ナーヒドがふたたび腕を伸ばしてフェイフューの肩をつかんだ。

「何度申し上げたらご理解いただけるのだ。ソウェイル殿下はもうお隠れになった。この世で唯一太陽と呼ばれるべきは貴方あなた様なのだ」

 しかしこの少年はナーヒドが少し強く言ったくらいでは聞かない。彼はテイムルのほうを見て「ねえ」と声を掛けた。

「お立ちなさい」

 テイムルが苦笑して「はい」と立ち上がる。それにフェイフューが抱きつく。

「テイムル、あなたはどう思われますか? 白将軍であるあなたならぼくの言いたいことをわかってくれますよね」

「そう申し上げたいところですが、現時点でここにおいででないのは事実ですからね」

 誰よりも強い語調で、しかし顔だけは年相応の聞き分けのない子供で、首を横に振る。

「あきらめることはありませんよ」

「ですが──」

「兄さまは生きておいでです。絶対。兄さまに何かあったら、ぼくにはわかるはずですから」

 その声には、迷いも疑いも一切ない。

「だってぼくらは双子の兄弟なのですからね」

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