第１章　日輪の御子と蒼き太陽

　旧アルヤ王国、現サータム帝国アルヤ属州の首都エスファーナが最後に戦場となった通称エスファーナ陥落から数えて、はや三年の歳月が流れた。

「くそっ」

　蒼（そう）宮（きゆう）殿（でん）──現在は正式名称をアルヤ総督府と改めた建物の長い回廊を、二人の青年が歩いている。二人とも旧アルヤ王国の武官の正装をし、鞘（さや）や柄（つか）に数々の宝玉が埋め込まれた大剣を腰に携えていた。

「ウマルの奴、上からものを言いよって！」

　一人は、アルヤ王族の象徴であった蒼（あお）い色のベストをまとっている。後頭部でひとつにくくられた黒髪は毛先が肩につく程度、端整な顔立ちは女性的と言っても過言ではなかったが、背はもう一人より高く、筋骨たくましい肩や胸にも厚みがあった。

「帝国の狗（いぬ）に狗として飼われるなど、こんな屈辱があるか。我々が逆らえないのをいいことに言いたい放題しよる」

「ナーヒド、落ち着いて」

　もう一人は、真っ白な生地に銀糸の刺（し）繡（しゆう）のなされた衣装をまとっている。大きな瞳（ひとみ）は年齢のわりに幼く、つるんでいる相方よりも少し背が低い分実際より小柄に見えてしまうせいでたまに少年と間違われるが、今年二十三歳になった。散切り頭ははしばみ色をしている。

「声が大きいよ、周りに聞こえている」

「聞こえるように言っているのだ」

　黒髪の青年──ナーヒドが、振り返った。

「お前は悔しくないのかテイムル」

　そして、隣を歩くはしばみ色の髪の青年──テイムルに訴えた。

「我々は太陽に仕える軍神だぞ!?　それが総督だか何だか知らんがサータムくんだりからのこのこやってきた男に膝（ひざ）をついて許しを請わねばならんこの有り様！」

　自分の髪を搔（か）きむしる。髪を結っている紐（ひも）が緩んでずり下がった。

「もういまさらじゃないか。何度も言っているけれどね、僕はアルヤという名前が残っただけよかったと思っているんだよ。税金さえ納めることができれば、民衆は帝国と同じ法の下で暮らせる。アルヤ語も王国だった頃と同じように使えるし、無理な改宗もしなくて済んだ。これ以上何を望むというの」

「弱気すぎる！」

「僕たちは負けたんだよ。民衆も太陽も守りきれなかったんだ。この事実はどれだけ嘆いても動かしようがない」

　テイムルがぼそぼそと呟くように言う。

「アルヤ属州の民衆を守るためには、僕たち将軍が積極的に膝を折らなければ」

　しかしそれはナーヒドに語り聞かせるためのものではない。テイムルが自分自身に言い聞かせているのだ。

「ねえ、エスファーナの守護神、蒼（そう）将軍ナーヒド。中央軍管区の隊長として、胸を張ってやれることがまだあるんでしょう。僕もね、これでも一応まだ諦（あきら）めたつもりじゃないんだ。近（この）衛（え）隊の隊長として、太陽がお戻りになるまでの間にできることを探しているつもりなんだよ。総督に頭を下げることもそれの一環なんだとしたら、僕はすすんでやるよ」

　ナーヒドは眉（み）間（けん）のしわを深くした。

「俺はお前のそういうところが嫌なのだ」

「そういうところ？　どういうところ？」

「太陽を失って一番つらいのはお前だろう、白（しろ）将軍」

　テイムルはうつむいた。

「怒りたかったら怒れ。泣きたかったら泣け。守るべき王のない近衛隊など何のためにあるのだと、少なくともお前ら帝国の要人警護のためにあるわけではないのだと、ウマルに言ってやったらよかったのだ」

「だから、それをナーヒドが言ったらだめだよ」

「お前が言わないから代わりに言ってやっている」

　テイムルの声は震えているが、ナーヒドは開き直っていた。

「戦うことより、うまくやることを考えなければ」

「そうだな。サータムの蛮族どものせいで二目と見られない姿になったエスファーナの再建に尽力しなければならん」

　実際にはナーヒドが言うほどエスファーナは破壊され尽くしたわけではない。家屋の倒壊は帝国軍が砲撃を行った部分のみにとどまり、古くからの市場などは終戦後すぐそのままの状態で営業を再開した。

　アルヤ属州に派遣されている総督ウマルいわく、サータム帝国はもともとアルヤ王国の滅亡ではなく占領を目的としていた。したがってサータム兵はアルヤの民衆をさほど殺さなかった。エスファーナも、亡命した貴族の邸宅の半分は帝国から派遣される官僚たちに再利用されており、かつての面影を失ってはいない。むしろ、帝国に一度納めた税金が倒壊した家屋の修繕費として返ってきている感覚すらある。戦費や賠償金は痛かったが、帝国からの借入金でからくも経済破（は）綻（たん）をまぬがれていた。

　かの大帝国サータムがアルヤ王国を欲していたのだ。アルヤ王国が豊かであったという証（あかし）だ──アルヤの民衆は口々にそう言っては互いを慰め合っている。

「そのためには、サータム人だって何だって、首（こうべ）を垂れないとさ。売れるものは何でも売って、生活費を確保しないと」

　アルヤ高原は大陸の中央部に位置している。基本的には乾燥した砂漠だが、北部には雪が積もる山と湖があり、オアシスも各地に点在していて、水源は豊富だ。西側で国境を接している熱砂の国のサータム帝国に比べると、段違いに水がある。特に首都エスファーナには川が流れていて、周辺各国からは砂漠に咲く一輪の薔（ば）薇（ら）と称されていた。

　今から約二千年前、北方から南下してきたアルヤ民族が、この豊かな水源に目をつけていくつかのオアシスに定住した。オアシス都市はゆっくり大きくなり、やがてアルヤ帝国というひとつの大きな国を興すに至った。

　しかしある時西方から砂漠でらくだを飼って暮らしていたはずのサータム人がやってきた。彼らは唯一絶対の神を信仰する敬（けい）虔（けん）な民族で、同じ神を奉ずる同胞を養うための豊かな土地を探して、東方のアルヤ高原に進撃してきた。そして、神の使徒によって統率され強大になった軍事力で、アルヤ帝国を滅ぼした。以来、西のサータム人と東のアルヤ人は数百年にわたる攻防を繰り広げ、倒したり倒されたりを繰り返している。