第28話 招かれざる従業員

 たまは少しむくれていたが、おかげでものの数時間で店はピカピカになった。

「たま。今日はありがとうな」

 来る途中買ってきた卵と牛乳、生クリームを使ってパンケーキを焼いて紅茶と振る舞う。生の果物は駄目になっていたのでクルミとアーモンド、チョコソースやフリーズドライの苺なんかをトッピングした。

 勿論別途バイト代は出すが本当に銀の蛇の件でも色々と世話になった。講義も十全にできているとは言えないし、感じた恩義は少しでも小まめに返していきたいところだ。

「甘いもので誤魔化されませんよ……。いただきますけど」

「あ!マスターずるい!オレも食べる!ます!」

 バックヤードからひょいと頭を出した紀取が目を輝かせた。

「まぁ、お前も手伝ってくれたもんな」

 持って行ってやろうと思っていたのは秘密だ。

「センパイ、オレも一緒に食べていい、ですか」

「ど、どうぞ……」

「紀取は飲み物は?」

「冷たいカフェオレが良い!甘いの2個!」

ピースを作ってアピールしてくる。

「太るぞ」

「タイシャが高いからまだそんなに気にしなくていいってマスターのセンセが言ってた!です」

「言ってました。な」

 喋りながらコーヒーを冷やし牛乳を出す。ガムシロップも入れてしまっていいだろう。

 紀取は嬉しそうに皿をもってたまが座っている席の向かいに腰かけ、飲み物も待たずパンケーキにフォークを突き立てる。

「ナイフも使った方が食べやすいですよ。こういう感じで……」

「おおー」

 出来たアイスカフェオレをもって客席に出るとエプロンのポケットに入れていた携帯が震えた。相手は非通知だ。

「?」

 とりあえず仲良くやっている様子なので、紀取の前にカフェオレを置いてからたまに一声かけ店の前に出て電話を取る。

「……もしもし?」

 非通知だったので切ってしまっても良かったが、少しだけ心当たりもある。

『なんで男が増えてるの』

 相手はやはり、長谷川だ。

「預かることになった。中坊だからバイトさせる気はないし、変な事にはなっていな……」

 窓から店内を見るとたまが紙ナプキンで紀取の口を拭ってやっているのが見えた。食べるの下手すぎだろあいつ。

『わたしも来週からそこで働くわ』

 一方的に電話は切られた。

えぇ……


・ ・ ・


 翌日、早朝に長谷川は来た。今日は生鮮食品が届くため仕分けと仕込みだけの予定だったので一人で閉店営業の予定だったが、中からシャッターを開けたら高校制服姿の奴がいた。

「お、おはよう……長谷川……さん」

「給料を払うのと払われるのどっちがいいの」

「頼むから日本語で会話してくれ……」

「わたしはたまがおまえの弟子になる事を受け入れたわ。バイトも容認してる。でもなんで男を増やしたの」

 長谷川はたまが大好き(まろやかな表現)なのを失念していた。そりゃ変な虫がつくかもしれない状況は嫌だろうが……。

 俺の呼び方があなたからおまえに再び格下げになっていることからも相当な怒りが感じ取れる。

「こっちにだって都合がなぁ」

「だから、妥協案を持ってきたわ。わたしを雇うか、わたしに雇われるか、死ぬか」

「雇われるってなんだよ」

 なんか物騒な選択肢もあるんだが。

「わたしを雇うならたまのいる日は給料はいらないわ。わたしに雇われるなら、あの男を破門してくれたら代わりに月謝分くらい納めてあげる」

「基本的に紀取は店に来ないし月謝も貰っていない」

「慈善事業?物好きね」

「マスターおはよう!昨日のやつ作ってくれ!ください」

 最悪なタイミングだった。

ごきげんな紀取の後ろをいつもの白衣ではなく秋物らしきツーピースにカーキのジャケットを羽織った鈴ヶ織が呑気に歩いてきた。

「慎仁がパンケーキを食べに行きたいとうるさくてな。モーニングセット……誰だその子は?例の私に紹介してくれないお弟子ちゃんか?」

 長谷川の表情は『無』だった。

「分かった雇う。シフトは後で話そう」

「どうしたんだ?朔」

「作ってやるからはよ店に入れ。本当はまだ休みなんだから開いてると勘違いされちまう」

 俺がドアを開けると長谷川まで店に入ってきた。本当に何なんだ、こいつ。

 長谷川は勝手にバックヤードに入っていった。流石にロッカーなんかを荒らすタイプではなさそうだが、まさか手伝うつもりか。

 俺はとりあえず鈴ヶ織達を席に通し飲み物を聞いてメモを貼り、昨日の残りの材料でパンケーキの準備をする。今日は温かいミルクティの気分らしい。

 粉を手早く量り、卵に溶かしバターを混ぜる。

焦がしたバターの香りが店内に漂う。

 氷煎に当ててホイッパーでクリームを泡立てていると客席に長谷川が向かうのが見えた。髪をまとめギャルソンの格好をして手には自前のメモを持っている。

 しばらくすると長谷川はカウンタースペースに入ってきて手を洗い始めた。

「先に飲み物をだすわ。店長」

「……仕事が出来るか見てみろって事か?」

 長谷川は手早くミルクパンを温め量った茶葉を煮出していく。カップに湯を注ぎソーサーやカラトリーをトレーに並べる。

 店を見張られていることは察していたが手際が良すぎて気持ち悪い。

「いくらたまの友達でも毒を盛ったら協会に突き出すからな」

「そんな事するわけないでしょ、馬鹿じゃないの」

 先程俺にセミ殺害予告したばかりとは思えない発言にこちらがびっくりだよ。

 長谷川はタイマーを見ながら茶葉を取り出し、砂糖を加え少し鍋を揺する。

 俺は長谷川の前でロイヤルミルクティを淹れた記憶が無い。後で真剣に監視カメラの有無を確認せねばなるまい。

 俺が見ているのも気にせず長谷川は一杯分を温めていたティーカップに注ぎ、残りに少しだけ砂糖を追加しまた鍋を揺する。紀取の分か。

 長谷川はそのまま湯気を立てる2杯を持って客席に向かう。会釈して配膳する姿にも狂気は滲んでいない。

 戻って来た長谷川はトレーを消毒して立て道具を手早く洗浄していく。

「言っとくが、検便を出してない奴に茶を淹れさせる予定はないからな」

「結果と書類が来週には来るはずよ。だから来週からって言ったでしょう。今日は営業しないみたいだしこのまま帰るわ。これ、わたしの電話番号。用もないのにかけてきたら殺すから」

 長谷川は道具を洗い終えると、俺がパンケーキを盛り付け終える前にさっさと着替え、器用にベルの音も立てず帰って行った。

「なんだったんだ……あいつ」

「マスター、このお茶めちゃくちゃうま。美味しい?」

「彼女はバイトの子だったのか、美人だし腕も良い。羨ましい限りだな」

 客席にパンケーキを持って降りると二人の好感は予想外に高く、少し居心地の悪ささえ感じる。

普段客には絶対しないが、鈴ヶ織のミルクティを頼んで一口飲ませてもらう。

「なん……だと……」


俺が淹れるより美味かった…………。

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