第25話 1月の雷鳴⑥

 薄暗い夜を焼いて遠く火柱が上がる。

俺はりり子を背負い巨大な光球を目指すことにした。

「神楽坂……派手にやってるな……」

 鶴来を倒したから潜伏を気にしなくなったのか、それともあちらに注意を引いてくれているのだろうか。

「……ごめんなさい」

 りり子が呻くようにつぶやいた。

「何がだ?」

「……あたしのせいで、巻き込んで」

「元々来るつもりだったんだから、気にするな」

「気にするよ……。もし、このままあたしのせいで……朔が死んじゃったら……」

「妹を見殺しにした兄になるよりはマシだ」

 以前からりり子は俺に恩義を感じ過ぎているきらいがある。

「最初は成り行きとはいえ、俺達は家族なんだ」

「……うん」


・ ・ ・


 俺とりり子の出会いはもう6年前になる。

海岸に座礁した密航船、その船室に隠された箱の中でりり子は眠っていた。

 付き合いで調査に参加した俺が箱を開け、りり子が俺に懐いたことでうちで引き取り家族になった。同じ家で一緒に暮らした期間は3年程度だが、もう望月家の家族の一員になっている。


 鶴来の泣き顔を見た時、俺は一瞬当時のりり子を思い出していた。


・ ・ ・


「頼りないかもしれんが……もうちょっとさ、俺を頼れよ」

「……」

 少しだけしがみつく手が震えている。

俺は足を止めて隠匿術をかける。

「……なぁ、りり子」

「…………」

「ここには誰もいない。

りり子の指の力が強くなる。

俺の首筋に震える息がかかり、犬歯が当たり……

「ダメ……」

俺の首が食い破られることはなかった。

「俺は気にしないって……」

「あたしが……嫌なの……」

「……そうか」

「……うん」

 りり子は、リー・リーは、人より少しだけ魔術生物に近い。

人為的な、非人道的な試みに巻き込まれ、りり子はなってしまったらしい。不死身に近い身体はその副産物に過ぎない。

だからりり子は素子を術士の血肉から得ることもできる。

できるが、しない。

彼女は人だからだ。

「大好きよ。朔」


 俺はりり子を背負い直してまた歩き出す。

りり子が心から願うなら、叶えてやりたい。


 俺は、りり子の兄ちゃんなんだから。



・ ・ ・



 光球は遠景から見た印象より巨大だった。直径30mはありそうだ。

 筋力を強化して小石を放ってみたが破裂した。念のため、瓦礫手前にりり子を降ろし急ごしらえで雷よけの術を張る。

 ついでにメルの複写を放ち東條との回路を繋ごうとするが戦闘の際切れてしまったまま返事はない。結界内では結界に回路接続が引かれやすいものだが、事故が起きているここもそうだった。

『ここの周囲には術師もいない。賢明だね』

メルキオルがげんなりと呟く。概ね同感だ。

「さて、どうするかな……東條も呼びたいところだが……」

「中は……どうなってるのかしら」

 光球の外部は高エネルギー体のようだが術士不在でずっとここにあるのも違和感がある。複写が近づいただけで消滅してしまった以上他の観測手段は限られる。

「朔…………あ……あたしが……」

 りり子が俺の服を掴む。

「おまえが入るとかそういうのは却下だからな」

「う…………うん…………ごめん、なさい」

 そもそも光球発生時にりり子は一度死んだのだ。そこに突撃するなど正気の沙汰ではない。

『あはは、おまゆー』

『黙れやきとり。暇なら東條を探してこい』

『それがもうみつけたんだよねぇ』

 俺とりり子の会話にちゃちゃを入れながらもメルキオルは複写と同期し東條を見つけた。頼んだ通り負傷者の手当てをしてくれていたようだ。

『僕めちゃくちゃ優秀では?帰ったら褒章を所望するよ』

『帰ったらな』

 一回裏切った罰も一緒に清算させよう。

 メルの複写が回路を繋ぎ、東條と動ける数人もこちらに来てくれる事になった。



「お兄ちゃんは……確かメルの感覚を選択共有できたわよね。複写でも、できるの?」

「ああ」

『げ』

 メルが踏まれたカエルのような声を上げた。

「じゃあ、感覚共有しながらメルの複写をあたしの影で運べば……もしかしたら、中の観測も、いけるんじゃないかしら……」

「……」

『メルキオル、やれるか?』

『やりたくはないけど、朔が死んじゃうと僕もおわりだし』

「りり子は、本当に大丈夫なのか?」

 影の獣は本来強い光に近いほど力が弱まる。それにメルを運ぶため視界を共有しなからの遠隔操作はかなりの負担になるだろう。

「片道だけなら、できると思う。あたしは丈夫だし」


「……他にできそうなことも浮かばない。やろう」


 東條達と合流し、俺達は瓦礫に式を書きつける。

「割と意味わからん事になってるんすね」

「こっちに集中したい。東條達には俺達の肉体を守っていてほしい」

「了解」

 網膜を焼かないために光の受容を極限まで絞り、メルの複写をりり子が血で描きつけた式で包んでいく。

 俺はメルの複写に同期しながら目を閉じた。

「俺が舵を取るから、りり子も絶対に視覚情報は絞れよ」

「処理をニ階調にすれば大丈夫よ」

「二人とも俺らが絶対守るんで!頼むッスよ!!」

「任せる」


・ ・ ・


 メルの視界は人のそれより広く、酔いそうになりながら飛ぶ。

『うわーしぬー』

実際死ぬしなと思いながら姿勢制御に集中する。

影が光球に接触する瞬間何かが爆ぜた。

ブスブスと嫌な音を立てて俺達は光の中を進む。

 一人、光の中心に男はいた。影のように姿は朧だがおそらく彼がそうだ。

『万世橋さん』

『小鳥……ああ、……葵さんのところの子か』

葵。久しぶりに他者から聞いた、母さんの名前。

『君を見た覚えは無かったけど』

『こうなった後から入ってきました』

微かに人影が揺らぐが、それだけだった。

どこまでかは不明だが、ある程度状況を理解しているのかもしれない。

『そうか……、鶴来は』

『鶴来は、…………始末しました。これから結界を解除したいと思います』

『それはよかった……流石彼女の息子さんだ』

万世橋は落ち着いていた。

『あの……』

『ならば結界は僕が解除しよう』

『解除方法があるんですか!?』

『完璧に安全ではないが、一帯が吹き飛ぶような惨事にはないならないはずだ』

『万世橋さん、は……』

万世橋はぼんやりと首を横に振る。

『今も自分を情報化しただけだからね。幽霊のようなものだが、自分史上でもなかなか高度な事をしているよ。本当に、鶴来にはしてやられてしまった』

『…………』

 もう死んでいる。そう言われても、こうして会話をしているのに。

なってしまってから処理方法について考え続けていたが、もうここから動けないし、タイミングを測りかねていたんだ。本当に良かった』

『これが……この光が何だか理解されているんですか』

『素子本質』

『本質?』

『外部はプラズマだが、言うなればここは素子の塊に近い。そして素子そのものは方向を与えられない限り力場概念でしかない。力場がこんなに質量的働きをするとは面白いものだね』

『消費される前の素子そのもの……』

 ぱきり、と何かが砕けた音がした。

『ああ……もっとゆっくり語らいたいところだが時間がないようだ』

『俺は何をすればいいですか』

『生き残った人に手当てを』

『分かりました』

『それと、生物は可能な限り凍らせてある。手間をかけてすまないが脱出に成功したら可能な限りすぐ志命に連絡を頼みたい』

『はい』

万世橋乙夜はとんでもない術士だった。

『……君たちには感謝している。本当に、ありがとう』

そこまでが複写の限界だった。


・ ・ ・


 大丈夫っスかと遠くで声が聞こえた。東條だ。

「らいろうぶら」

 無理矢理上体を起こそうとし、平衡感覚が戻らず倒れた。大丈夫ではなかったようだ。プラズマに焼き切られる感覚は俺には伝わらないが五感ははすぐには戻らない。

「あんまり無理するもんじゃないっすよ」

 呼吸に集中していると徐々に視力が回復してきた。

 光球を中心に、空にオーロラのような被膜が広がっていく。

 俺は転がったままその式の構築に魅入られていた。

 音が骨を伝い響いてくる。

『鶴来は死にました。狩りの終了に伴い銀の蛇諸君の投降を認めます。協会員に遭遇時5m離れ杖を置き……』

「万世橋さん……!?これ……結界……ッスかね……?」

アナウンスと同時に空に新たな結界が築かれていく。

「これが……万世橋さんの……」


 次の瞬間体からすべての感覚が消えた。

「…………っ!」

 どれほどそうしていただろう。全身から汗が吹き出す感覚で我に返る。結界に入ってきた時と同じだ。

見上げた空の色が明らかにおかしい。

 エネルギーの収支を相殺するために終局は必ず訪れる。内部と外部の時間の流れの差は下手をすれば2週間近く。地区長はおそらくそれを分散して複数枚の結界の間で相殺しようとしている。俺は小さな結界を複数箇所で破裂させダメージを分散できればと考えていたが、この広範囲を丸々すっぽり覆っている。

 結界が重なりすぎて色がついて見えるなんて生きてきて初めての経験だ。

「恐ろしいことを……」

光球はひと回り小さくなっている。

素子の塊を万世橋が全て結界に組み替えているのだ。

波打つように光が拡がり爆発を繰り返す。

「うぐっ」

2回目は1回目より弱くはあったが東條が口を抑え座り込んだ。

「早めに吐いといたほうが多分楽らぞ」

来る時に味わったアレが多分また来る。

時化のフェリーに乗せられ臓腑を撹拌されているような不快感。

 時間の感覚はすぐにめちゃくちゃになった。


 最後に一際甲高く悲鳴のような音を立てて、最後の結界が消えた。


 空には星が淡く瞬いていて、朝焼けが空を自然のグラデーションに照らしている。

光球の跡には、なにも残っていなかった。


・ ・ ・


 長い、とても長い夜が明けた。

電波を拾うようになった携帯で時間を確認する。


2/12 06:30


 東條と手分けして近隣の協会支部や志命に電話をかけながら万世橋が思い浮かぶ。

最後についた嘘は小さな針になって残った。

俺も、りり子も、生きている。

これ以上を望むのは我儘だろう。

 電話を終え息をつくと着信履歴に鈴ヶ織の名があった。

かけ返すとやや上ずった知った声がすぐに出た。今から迎えに来てくれるらしい。

疲れた。

色々と考え、処理しなければいけない。

だが今は、ただただ眠りたい。


 俺と一緒に意識を失っていたらしいが、りり子はそのまま眠っていた。復活からほとんど動き詰めだったのだ。限界を超えて疲れていたのだろう。

りり子をおぶると東條が心配したのか声をかけてきた。

「協会の方からマイクロバスが来るから乗ってかないッスか?疲れたでしょ??」

「いや、師匠が来てくれるらしいから俺達はそっちで帰るよ」

俺は背中で寝息を立てるりり子に語りかける。

「りり子、帰ろう」

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