第23話 1月の雷鳴④
視界が明滅し臓腑が裏返る。
気持ちが悪いなんてものじゃない。体を巨大な手に掴まれ壁にでも叩きつけられるように激しく揺さぶられ、耳の奥が嫌な音をたてる。
「……ぐ……」
気づけば地面に転がっていた。
強烈な吐き気に体をくの字に曲げ胃の中身をぶちまけた。
長い間そうしていた気もするし一瞬だったような、奇妙な感覚だ。
目を開けると景色は一変していた。市街地のようだが人の姿や木々もない。
俺は箒を杖の形に組み替えて支えにし、口を拭い立ち上がる。
空はぼんやりと明るいのに光源が見えない。
時間はわかりにくいが昼相当な明るさに思えた。
何より異彩を放っているのは上空に輝く光球だ。
「なんだあれ……」
雷鳴が耳をつんざいた。
「!」
遮蔽物、ブロック塀に身を隠しながらメルキオルに指示を与える。
『うへえ、なんか今すごくグロッキーな気分』
「気分なら無理にでも上げろ。たまとの回路は切れたのか」
『当然。リーリーも追えてない。ここからはまた探し直すしかないよ。覚悟の上デショ』
「ああ」
なるべく物陰に隠れて移動する。
道路には無人の車がまばらに停まっていた。
やはり人のいないガレージで俺は息をついた。
『使える複写はどれくらい残っている』
『10ないくらい』
『少ないな……』
ここに来るまでに負荷をかけ過ぎたか。メルキオルの複写は体を構成する素子(正確には素子を変換した吸収体)を分割して分身を増やしている。やりすぎれば本体まで損耗してしまう。
「座標点へ干渉する」
俺は手を掲げ倉庫から押収したものではない自前のナイフを取り出した。
腕を浅く切る。
『食え』
『野蛮だなぁ』
呆れながらも小鳥が血を啄む。魔術生物は肉体を素子で維持しているため術士の血から手っ取り早く供給できる。少し肉も抉られるが大したことはない。メルキオルが自分から嘴を引くのを確認して止血する。
ぶるりと震えメルキオルが一回り膨らんだ。
『複写の準備が整い次第飛ばせ』
『らじゃ』
メルキオルはポコポコとポップコーンのように小さな複写を吐き出す。
倉庫から携帯も出してみるが、予想通りと言うべきか勿論圏外だ。ナイフと一緒にしまい直して杖を箒に組み戻す。
『雷対策する?』
『いいよ、どうせ使い物にならん。それよりこの街の広さはどれくらいだ』
『駅なし東西に細長く6kmくらい。国道が一本かすめてて幾つかの区画に分かれてるはず』
『探査範囲は広域に周囲70m。なるべく見つかるなよ』
『お互いにね』
青い小鳥達を見送り立ち上がる。
起きてすぐりり子が見当たらなかったということは別な位置に飛ばされたのだろう。まずは合流を目指さなければ。
雷鳴もあり聴覚には然程頼れないが
それにしても、街中なのに道路にも家屋にも全く人の姿がない。結界による分離は正常に行われていなかった。
ならば住人はどこへ……
遠くで巨大な土煙が上がる。
『あれは……』
『リーリーじゃないよね。近くまで行って様子見てくる?複写が幾つか消えそうだけど……』
『いや……高度をとれ。遠景から観測できる範囲でいい。今は無駄遣いはするな』
建物を出てすぐ人の気配を感じ俺は杖を握り込んだ。
「望月!」
大声に少しひるんだが聞き覚えのある声にホッとする。
先日協会登録の受付でも会った東條だ。
「東じ……」
こちらに向かってくる東條には左腕がない。
「望月、今回は討伐参加しないんじゃ?」
「色々あって……それより東條……腕が……」
「ああ、昨日下手こいて。一週間でこれじゃ先が思いやられるけど、望月が来てくてくれたのは心強いっス」
一週間?りり子の話では遅くとも2週間前には全員出発していた筈だ。
「待て東條、お前の記憶では今は何日だ?」
「……?1月……23日だよな?……多分」
俺は一瞬気が遠くなった。最悪だ。
「…………他の術士は、何人くらい無事だ」
「俺を含めて二陣の40人中34人は動ける。二人は仮死状態で固定化、残りは持っていか……れ……」
「外に、出たやつはいるか」
「……結界の……?」
「俺は外でりり子と話したが5日はズレていた。俺はりり子を追ってきたんだ。この結界の管理者は誰だ」
「万世橋さんだが……ああ……嘘だろ……」
この結界は構築に失敗している。
この作戦の結界構築が万世橋乙夜なら、彼になにかがあったのは間違いないだろう。
これは結界事故で、それも考えうる中でも最悪な部類のものだ。
術の緩衝になるべき複写環境の構築に失敗している。
居住者の結界外への分離も失敗している。
結界内外が隔離され流動時間の齟齬が発生している。
唯一救いらしきものがあるとすれば俺達が侵入したゆがみと神楽坂と使い魔との回路が切れていない事だ。以前完全に結界内を異界化してしまった結界事故の話を聞いたが、今日に至るまで結界を解除出来たと聞かない。まだ現実に何らかの繋がりが有ることで内部から解除する可能性は潰えていない。
「それと……りり子を見なかったか……」
「…………りり……?ああ、妹だったっけ……いや、そもそも先発組については一昨日でかい爆発があって向かってみたけどクレーターしか……」
おそらくりり子が臨死した爆発だろう。東條が嘘を付く理由もない。
「そうか……。東條、とにかく討伐も大事だが脱出の準備もしないとまずい。残ったメンツに医者は?治療は出来そうか?」
「サポートメンバーは大半無事っス。医者も何人か残ってはいるけど……」
「とにかく生き残りを動けるようにしておいてくれ、俺はりり子と合流できたら協力する」
「助かるっス」
「後は討伐メンバーに鈴ヶ織がいたか分かるか?」
東條は少し考えてから首を横に振った。
「いや、少なくとも俺は見てない。確か……参加名簿にも居なかったはずっス」
すると不在は完全に別用か。居たら心強い人ではあるが、こんな事に巻き込まれて欲しくもなく、ほっとしたような複雑な気持ちだ。
・ ・ ・
とりあえず東條とは回路を繋いだまま分かれ、俺はりり子を探す事に集中する。
道路はもちろん建物の中にも生体反応が無い。
術師は隠匿術が使えるだろうにしてもペットの反応すらないということは結界構築の分離の段階で事故が起きたということだろうか。そうだとすれば犠牲者もかなりの数になるだろう。気が重くなる。
ただでさえ今回の討伐遠征は敵味方百人を超えていた筈だ。
「拡散する。拡散する。東に塔を構築。索敵開始……」
集合団地に差し掛かり、細かい探知に切り替え術を使う。
団地は見晴らしがよく敵に捕捉されやすい。
『朔、なんかいる』
メルキオルが人間を見つけた。
俺は気配消しなどをかけてそろそろと隣の建物の階段を登る。
なるほど、外階段に3人。
残念ながらりり子ではない。
女一人に男が二人、男の一人には見覚えがあった。
色を抜いた明るい髪をくくって、俺より少し小さい男。
二十代、下手すると十代か、似合わない派手なファッションシャツによれたネクタイを雑に締めている。
手配書にのっていた、標的。
複写の視覚を借り唇の動きを読む。
「鶴……来……?」
「ー……?」
まさかこちらの声が聞こえたわけでは無いだろうが鶴来が振り向く。俺は相手の振り向きざまに嫌な予感を感じ飛び退いた。
肌がひりつくように痛んだ。
足元に出来た穴の断面はジクジクと溶けている。
「また協会の犬っコロ……ん?」
「鶴、殺せ。あいつだよ」
隣の女の一言に俺を視界に入れた鶴来の顔が確かに喜悦に歪む。
「はは、死ねやカス」
鶴来の片手にはドラムスティックのようなものが握られていた。その先は俺に向けられている。
『メル、杖と脚力の強化。バッジで負荷は無視』
杖の周囲が一瞬歪み俺は上空に跳んでいた。
足元の金属階段が溶け崩れていく。
とはいえ俺が簡単にできることは相手にも出来るだろう。
強化した知覚に動体が映る。
体を捻り杖でいなしたが骨が軋むほどの衝撃。
「っぐ」
弾いたのは金属片だった。レールガン等は構造を知らないのか、ただの闇雲な物理式だったようでなんとか助かった。
鶴来が外階段の手すりを引きちぎり構えるのが見えた。滅茶苦茶をする奴だ。
「轟け穿て!!」
それにしてもひどく雑な術だ。方向性を大まかに決めた物理式を触媒で無理矢理動かしているのだろう。
しかし物理式はシンプルなほど大きく強く広範囲へ効果を与えられる。
まだ若い、有り余る素子量を恐らく人道に
「テメエ等も、どいつもこいつも高尚ぶりやがって、俺達を結局物としてしか見てねえくせによお」
「なんの、話だよっ」
「落ちろ!死ねぇ!!!!」
急速に頭上に黒雲が発生した。
高度を上げすぎた。周囲に俺たちより高い建物はない。
黒雲が光る。
上の組み換えは間に合わない。ベクトル操作も足場がなければ勢いがつかない。空気の壁は感電する!
「干渉する!」
俺が開けた押収品用の倉庫からバラバラとナイフが落ちる。その流れに沿って白い閃光が地面に向かって落ちて行く。
鼓膜が片側破れたし軽く電気が走ったが直撃よりはるかにマシだ。
急速に高度が落ちていく。
俺は足元に空気のクッションを作り着地し、別棟に向けて走った。
鶴来はかなり激昂していたように見えた。距離を取るべきだろう。
背後で鶴来も階段を飛び降りるのが見えた。俺は気配消しを増やし、メルの複写を一匹つけ聴覚を肩代わりさせる。治療している時間はない。
こっちは妹を探しに来ただけだってのに。
「待てやァゴミ!!」
マンションが一棟爆破解体されたように沈むのが見えた。
『メルっ』
『あいよ』
走りながら組み換えた箒に跨り距離を取る。
雷の末枝が淡い色の空を焼いていた。
・ ・ ・
ふらふらとした軌道で飛び、住宅地に落ちるように降りた。手が痺れている。
建物の影に座り込み応急処置をしていると視界の端に動くものが見えた。
思わず箒を組み替え身構える。念のため三元固定や強力な術を組んでおきたいところだが時間的余裕もない。
「やぁやぁ朔君、派手にやってくれてありがとう。鶴はあちらですね」
気配はしなかったが聞き覚えはある声。
神楽坂と声に出そうとして絶句する。
着物の裾が元の色がわからないくらい血とリンパ液で斑に染まっている。気配消しや臭い消しをかけているようだが見ただけで吐き気がこみ上げた。
「ああ、これは返り血だから。ワタシは怪我していませんよ」
別に聞いていないし聞きたくもなかった。
「……」
「助けてほしいですか?」
「遠慮する」
「朔……どうしてきたのよ」
不機嫌そうなりり子が神楽坂の後ろから現れた。りり子は箒に乗ったままだ。以前りり子がこうなった時も足の治りは遅かった。無理をしているのだろう。
「来ないわけがないだろ馬鹿」
「ばか……帰ってよ……」
神楽坂は肩をすくめ、さっさと俺の来た方へ歩を進める。それに続こうとするりり子の箒を俺は慌てて掴む。
りり子は俺を引きずることなく止まってくれた。
「りり子、一緒に帰ろう」
「あのねぇ……」
「おまえまで帰らなかったら父さんになんて説明させる気だ」
「…………」
りり子も父さんと暮らしていた時期がある。あの人の記憶をいじることには抵抗があるだろう。
「お二方、痴話喧嘩するなら協会のキャンプでやってはどうです。ちなみにここでキャンキャン続けるようならワタシは先に目障りな貴方達から黙らせようかと思うのですが」
「俺はどっちでも構わない」
「……分かったわよ」
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