第22話 1月の雷鳴③

 なるべく低空、水面ギリギリを滑空する。

釣りをしていた老人が風圧で帽子を落とし慌てていた。

 たまの意識がなくてよかった。いや、下手すると起きたあとすぐ吐くかもしれない。慎重に、急ごう。

『イエーイ』

メルは久しぶりに全力で翔べて機嫌がいいのかやたらテンションが高い。

4キロほど遡上し川から離れ、メルの指し示すままに飛ぶ

『近いよ朔』

メルの呻くような鳴き声とその建物が視界に入ったのは同時だった。

施設の立地、規模、止まっている車から一目で理解する。


「火葬場だ」


『たまチャン、置いていく……?』

「……連れて行く。りり子を助けたらすぐ逃げる」

『それ本気?』

「どっちでも何かあれば後悔するだろうからこれでいい。以降の口応えはやきとりになりたいに変換する」

『ぴー』

 嫌な考えを振り払い外縁の林の中に降りる。

簡易触媒のストックには余裕があるが箒を杖に戻す。

『複写を背後につけろ、たまを守れ』

『いつもそれくらい慎重になればいいの……あ、これはヒトリゴドダヨ』

 火葬場には霊柩車も含め車が何台も止まっているが葬儀の看板は出ていない。

よく見ると2階部分に穴が空き車らしき物が刺さっている。

『なんだあれ……』

『わかんないけど複写を協会に飛ばしとくネェ』

目隠しの術を張り建物に近づく。

入り口に人の気配はない。

『加工場に使っているのか……?』

 りり子はそう簡単に死なない筈だが嫌な想像が膨らむばかりだ。

 たまが気絶していてよかったと思いながら建物内に侵入する。

『…………っ』

 無機質な建物内に似つかわしくない強烈な腐臭。

『リーリーは二階だね』

 倉庫から綿のマスクを取り出し、嗅覚を遮断、低濃度酸素を合成できる簡易なガスマスクを形成。たまにもつける。俺の意識さえあれば30分は保つはずだ。


 階段に差し掛かり俺は目を背けた。

天井から吊り下げられたそれらから引き出された腸が悪趣味なオーナメントになっている。

 この施設の従業員だったのだろう、素子があまりないからか加工もされず腐敗するまま放置されている。

人をなんだと思っているのだろうか。

『終わったら、必ず降ろしにくるからな』

 階段を登りきる直前、俺は肉体強化を最大にした。

一番硬そうな梁に足をつき、一気に跳ぶ。

「うあ、な」

俺は勢いに任せて一人の首を掴みそのまま床に叩きつけた。

二階は斎場になっていた。

 壁は割られ、突っ込まれたワゴンから降ろされたのだろう、何人かは既にバラされて床に並んでいた。

彼らにとって商品価値のある人間、術士が。

「りり子っ」

こちらを怯えた目で見る中に知った顔はいない。

2人の視線。

俺は気絶した男を近くにいた女に投げつけ、我に返った男に殴りかかる。

杖であろう短剣を握る手をひねり上げ側頭部を蹴りつける。

「う、うう……」

 投げた男の下から抜け出た女が短剣を構えるが遅い。

俺は二人目から手を放し踏み込むと女の顎下から掌底を叩き込んだ。骨が折れる嫌な手応え。

鼻血を吹きながら女も倒れる。

 不意打ちできる近距離戦は、少なくとも俺は殴ったほうが速い。勿論肉体強化の有る無しは重要だが呑気に攻撃術を作るより強化しておいた肉体で頭を殴ったほうが手っ取り早く無力化できる。

 敵が5人以上で人質になる生存者がいなければ他の手もあるが今回は状況がわからない。生存者がいるかもしれないのにガスや安易な飛び道具は使えない。

 俺は意識の無い術士どもから短剣と触媒を奪い後ろ手に縛り上げ、口に縄を噛ませ転がした。

血を吸ったテーブルの上に目を向ける。

死んでいるのはどれも男だ。大きな大腿骨が並んでいる。

「りり子……」

 パーツの量からバラされたのは6人程か、神楽坂の髪色は見えない。

震える手でワゴンの中を覗く。

折り重なった人間は10体と少し、明らかな過剰積載だがそんなことはどうでもいい。

久しぶりに見た髪色に涙が出そうになる。

「りり子……りり……」

人の山を崩しりり子を引っ張り出す。

いつもツインテールにしている髪は解けていた。

黒焦げの服、四肢はついているがかなりの範囲炭化している。指の長さもめちゃくちゃだ。

そして、息がない

 慌てて床に転がし顔を横に向け、胸部に手を当てる。

拍動も、ない

「なんでだよ、りり」

心臓を圧迫する。

1、2、3、4、5...

 たまの術が脳波を追っていたならまだ脳はほんの少しでも機能しているはずだ。

 りり子にどれほど効果があるかは分からないが必死に救急救命法の手順を思い出す。俺は都合よくAEDの代わりになる術を知らない。

「りり子っ……リーリー……!!返事をしてくれ!!頼むから……」

 ついこの間まで無邪気に笑っていた顔には血の気はない

 胸骨を折る感触に目を瞑り、心臓マッサージを継続する。


「おに、ちゃ」


「りり子……」

 聞き違えるはずもない、妹の声に手を止める。

肌は血の気がないが確かに目が開いている。

「りり子」

 りり子を抱きしめる。冷たいままだが確かに弱い拍動を感じた。

「あは、は、ちょっと、痛いな」

 はっと我に返る。火傷だらけの身体に心臓マッサージで胸骨を折ったばかり。痛いどころではない筈だ。すぐ医者、鈴ヶ織に見せなければならない。

 背中に背負ったたまのことも忘れていた。

慌てて背中から降ろし、壁に凭れさせた。幸い呼吸は落ち着いている。

「たまも、一緒に、来てくれた、のね……。ね、今、何日かしら……」

横の環に軽く微笑み、りり子はその手を握る。

「28だ。もう一月が終わっちまう。そこでちょっとだけ待っててくれ、他に生存者がいないか確かめないと」

「多分、無駄」

 りり子は苦しそうに顔をしかめた。

ワゴンの中は濃い死臭に満ちている。脈を取るまでもなく完品の人体はほとんど無い。

「こいつらは死体拾いの更に下っ端だと思うわ」

 死体拾いは団体の下級構成員が死体から触媒を作らされるのを皮肉った蔑称だ。確かに強くもないし覇気もない。

 りり子は気絶したのを死体と勘違いされたか暫く心停止していたのだろうが、手足の火傷は単に火の熱で焼けたようには見えない。

「鶴来に、やられたのか」

 高圧電流の感電事故を一度だけ見たことがある。

記憶にあるその時の傷に似ていた。

「ドジ、しちゃった……」

りり子に着ていた上着を羽織らせる。

「神楽坂達はどうした」

「多分、まだ……ぐ……」

りり子が顔をしかめる。

「無理に喋るな。一緒に帰るぞ」

 たまには悪いがまた背中に乗ってもらおう。

たまを背負い直し、りり子を抱き上げようとするとりり子は俺の手を撥ねはね退けた。

「ごめんね、あたしはまだ帰れない」

 りり子は本来立てるはずがないのに、ゆっくり壁に手を付き一人で立ち上がる。

「俺が連れて帰る」

違う、分かっている。りり子は戦場に戻るつもりだ。

「お兄ちゃんをみたら元気でた」

足から炭化した皮膚が剥がれていく。

「駄目だ」

「ここで帰ったら、きっともうお兄ちゃんと暮らせなくなっちゃう」

「俺が何とかするから」

自信はない、それでも行かせるよりはマシだ。

「もう大丈夫」

 りり子が軽く足を動かすと下から怪我のない皮膚が露わになった。欠けた指ももう再生している。

 りり子は、普通の人間ではない。

傷の治りは異常に早いし通常致死レベルの損壊からも蘇生できる。

恒常的に、自動的に、りり子は身体を修復し続ける。

魔術学校に招致されたのもこの異常体質あってのことだ。

りり子を人間扱いしない術士もそれなりに居る。

けれど俺はりり子が痛みを感じることも、少なくとも心は普通の少女であることも知っている。

「お兄ちゃんは、たまを守ってあげなきゃ」

 りり子は息をつき壁に血で陣を書いた。

血の幾何学サークルから黒い大鎌が引き出される。

触媒となった血液は杖と引き換えに構造を維持できなくなり崩れ霧散した。

「……行かないでくれ」

 りり子は不死に極めて近くはあるが決して不死身ではない。

 今回は運良く解体前に間に合ったが、バラバラにされたり心臓に修復不能なダメージを負えば死ぬ。

「お兄ちゃん、ありがとう。大好きよ」

 りり子はとっさに伸ばした手から逃げるように、ワゴンと壁の隙間から外に飛び出した。

「りり子!」

俺には無茶をするなとか言った癖に!

『朔、リーリーを追うね?』

小鳥が1羽飛び出していく。

「聞かん坊が……!」

『こいつらはいいの?』

床に転がる術士を見遣る。

意識は無いとはいえ敵の構成員。

殺して行くべきか、足が止まる。

「いい、……生存者が優先だ」

 拘束用の結束バンドで犯人達を後ろ手に縛り、奪ったナイフと触媒を倉庫に放り込んでから壁の穴を蹴り拡げ、俺は箒で後を追う。

「鈴ヶ織……やはり繋がらないか」

 回路伝いにも師を探すが反応は無く断念した。

あの人も魔術医師の端くれである以上討伐に参加している可能性もあった。

携帯電話も一応あるが鈴ヶ織の番号は医院のものだ。そして俺の携帯は電話とショートメールくらいしか出来ない簡単ケータイ。

治療を頼みたいのもあり行方を探してきたがもうどうにもならない。

『朔、この先たまちゃんを連れて行くのはかなりリスキーだよ』

メルキオルの喋り方はいつの間にか戻っていた。

『分かってる。だが、あいつらのテリトリーに置き去りには出来ない』

『朔!!止まって!』

メルキオルの叫びに箒を立てて無理矢理停止する。

「な」

りり子の姿が消えていた。代わりに目の前の空間が歪んでいる。

眼下には人影はなく不自然な荒れ地が広がっている。

『引き返そうよ、まずいよ』

「広域を覆って……?いや、だが…………なんだこれは……」

『さっきからおかしいとは思ったけどこれは駄目だよ……』

メルキオルの慌て方は尋常ではない。俺も察した。


『本来ここにあるはずの街がなくなってる』


 結界は周囲の環境に影響を与えないために境界で区画を区切り複製し、異常現象の移動流入流出を防ぐ。そこにある事自体は変わらないし外部からは通常の景色しか見えないつくり物の箱を作り出す。先日俺がビルで闘った時もそうなっていた。

内部の情報を時点保存し解除時により小さな力で修復する。

 しかしこれは違う。事象が大きく歪められ、あったはずのものが持ち去られている。

林と荒れ地の間には段差ができており、切れた配管が見えた。

予期せぬ何かが起きて誰かが街を丸ごと現実から隔離している。

 万世橋か、敵かどちらの仕業かは分からないが大量の人間を巻き込んだ凶行だ。協会の倫理規定、下手をすれば禁忌条項にも大きく障る。

「…………りり子はこの中にいる」

『多分そうだけど……』

背後のたまを見る。小さく寝息を立てる弟子は目覚める様子はない。

「……行くぞ」

『朔、無茶だよ。死体拾いがいたんだから最悪のケースの前提で動いてよ』

「それくらい俺にも分かる。だから今行かないと更に後悔する」

中に入れば出られる保証はない。

だがりり子にはもう声が届かない。

この歪みもいつまでもつかも分からない。

『……朔だって死んでしまうかもしれないよ』

悩んでいられる時間は、もう無い。

「メルキオル、複写にたまを運ばせろ」

『……OK、マスター』


メルキオルの青い燐光がたまを包み飛んでいくのを見送り、俺は歪みに飛び込んだ。


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