第16話 クリスマス炎上②
「メルキオル」
触媒を割り杖を呼び出す。
眠そうな鳥を起こし箒に変形させる。
「朔、ケーキもたまも任せて。ただ無茶はしないで」
「ありがとうりり子、礼は今度する」
「……また後でね」
服の裾を掴むりり子の手を外し一気に高度を上げる。
上空から見ると駅前の異様な燃え方が目についた。
駅舎は一切燃えていない。駅前のビルが3棟が綺麗にそこだけごうごうと燃えている。
帰宅ラッシュの時間と重なっているためか人は多い、だと言うのに消防車のサイレンは一切聞こえない。
道行く人々はスマホを掲げ火事を撮影している。
「結界を張りきれていないのか」
『とりあえず対処しないとだよ』
火災を起こしている建物を包むように境界を張る。
かなり見られているが致し方ない。
野次馬達はキョロキョロしながらゆっくり流れ始めた。
「メルキオル!空気中から水分を抽出、舞上げ、上空から雨を落とす」
『オッケー。全然足りなそうだから領域外から雲を集めるよ。30sec、負荷も結構かけるから』
「構わない」
建物の外に橙の姿はない、まだ中にがいる可能性がある。
頭が熱を持ちピッタリ20秒で雨が降り出す。
雲は綿飴の様に巻き取られ滝のような集中豪雨になる。
「行くぞ」
ビル外の火災は湯気を爆発的に立て治まっていく。
箒を杖に組み直しながらビルの屋上に着地する。カイロの術の応用で膜を張っているが靴裏が溶ける程暑い。
「下の階を30秒無酸素状態にする」
『割れてる場所の特定、4つ階段があるね。60sec、120sec維持にもらうね』
「上々だ。更に下の階の解析を並行。俺は熱交換を優先する」
橙、何をしている。
魔術回路を開き繋がれそうな知り合いにありったけ回路を繋ぎ救援を求めているが橙の反応がない。
無酸素状態にした階の熱を上空の大気に置換する。
雨はますます強まり服を濡らすが無視して続ける。
術を組みながら携帯で消防署に通報、既に出発しているらしいので電話を切り術に再度集中する。
ドアを破壊し消火を確認しながら中に入る。死体が3体。
術士かどうか、男か女すら分からない。
「あ……う……」
いや、一人まだ生きている。
「意識はあるか」
まだ命がある怪我人を無視するわけにはいかない。思考誘導をかけながら出血箇所を確認し簡易だが応急処置をした。
「もうすぐレスキューが来る。がんばれ」
濡れた服で包み窓から下に落とす。
ゆっくりと包みは地面に降りていく。
『朔。4階の消火完了』
「引き続き下層まで消せ」
「ああっ!」
下の階、橙の事務所の上の階から悲鳴が聞こえた。
橙の声だ。
「筋力のリミッター解除!材質硬化!急げ」
腕が痛む、杖が軋む。
俺は杖の先を床に叩きつけた。
「ぶっ壊れろ!」
・・・
記憶のない俺が拾われたのは推定5、6歳程度の頃、月のない夜だった。
俺を拾ってくれたのは望月葵さんと望月彰吾さん、喫茶店を営む二人は術士と普通の人間の夫婦だった。珍しいことではない。術士同士では子供が出来にくいらしく血統主義以外の家系は普通にハーフやクオーターの術士がいるものだ。
葵さん、母さんは術士だけど子供が産めない体で治療してもダメだったらしく、俺を本当の子供のように育ててくれた。養子だったし言葉も全く分からなかったけれど、俺が孤独を感じることはなかった。
なんとか言葉を覚えて小学校に編入が決まって、初めて紹介されたのが橙だ。
一つ歳上の同じ小学校に通う勝気な女の子。母さんに術を習っていた名実ともに姉弟子だった。
初めて出来た友達。初めての同門。
俺たちは姉弟のように学び、遊び、育っていった。
ひょっとしたら……俺の初恋だったかもしれない。
そんな、俺の幸せな日常はあの日すべて壊れた。
クリスマスイブ、橙がうちに来る道中連れていかれて、追いかけた母さんも行方不明になって。
翌年帰って来たのは傷だらけの橙だけで、母さんは……
母さんが死んだ事だけは、母さんの使い魔のメルキオルが教えてくれた。
死体は、まだ取り戻せずにいる。
あの日からみんな変わってしまった。俺も、変わった。
俺と橙は鈴ヶ織蓮に師事するようになったが橙は大学へ、俺は専門に入って交流は無くなっていった。
魔術の使えない父さんはふさぎ込み、自分の記憶操作を頼んできた。
母さんの仇を討っても恐らく壊れたものは戻らない。父さんも立ち直らない。
それでも、無駄だったとは思っていない。
俺はあの頃より強くなった。
もう何もできず泣いているだけのガキはいない。
手の届く範囲は、諦めたりしない。
・・・
パラパラとコンクリ片が床に散らばる。
「朔……ちゃ……ごめ……」
俺の眼前には床に倒れた数名の男女と男の胸倉を掴む橙の姿があった。
掴まれた男の手には血に濡れた刃物が握られている。
床に赤いものが零れた。
「鳥……?ま、魔女狩りか!!」
ゆっくり橙のベージュのスーツに赤が広がり、手から力が抜ける。
「離れろクソ野郎!!」
メルキオルに命令を送りながら更に使い捨ての触媒を二本折り割る。
筋力が限界まで引き出された回し蹴りが男を吹き飛ばし、男は壁に埋まった。
「橙!橙っ!」
叫んだため熱い空気を吸い喉が焼ける。
「朔……」
シャツのボタンを引きちぎる。脇腹に深い裂傷。
「メル、消火を中断。皮膚、輸血レシピAの再現を」
『消火しないと朔たちも死んじゃうよ。40sec』
「脳を焼け!10秒だ」
腕の中の橙が冷たくなっていく。
「駄目だ。頑張れ、死なないでくれ橙」
『朔、ショックで気絶しただけだよ。バイタルはそこまで下がってないし錯か』
「うるさい!!黙ってやれ」
俺にだけ聞こえる溜息をつき、足元で呻いている生存者に複写を飛ばしながらメルキオルがクルクル頭上を回る。
「生きたければ全員動くな。動けば殺す」
『橙のバイタルチェックを最優先。生存者の応急処置と制圧もするね~』
火が収まっていくのを横目に倉庫から出した脱脂綿と包帯で出血箇所を止血する。
刺されていたのは一か所ではなかった。
どこまで刺されたのかわからない。下手な内臓をやられてしまい脳がダメになれば術士といえど終わりだ。
祈りながら服を直し、カイロの術をかけて回復体位をとらせる。
「姐さ……」
下の階から上がってきたのか、ドアを押し倒し吾妻が入ってきた。折れているのか片腕が紫に変色している。
「吾妻」
「朔…………俺は」
いつもの憎たらしいほど自信満々な吾妻は見る影もない。
「志命病院……救急車を……速く……橙を……助けてくれ……」
・・・
5分後。別れてすぐりり子が呼んでいた協会職員と各種病院に怪我人達は運ばれて行った。警察と消防が現場検証をし、協会の職員が説明をしながら術をかけているのが見える。
「先生……大丈夫でしたか?」
「ああ……」
怪我人は26人。一般人は8人、術士は6人死んだ。
橙の事務所はクリスマスイブだからと早めに解散し所員が帰った直後に襲撃を受けたようだ。残っていた2人と橙、吾妻が対処をしていた。
駅に被害が出なかったのは所員が命がけで止めたからだろう。
犠牲者は橙の事務所の所員が1人、銀の蛇の構成員が5人、残りは一階のコンビニの従業員、3階のアパレルショップ従業員と客だった。
大規模術式の揺り戻しで手足が震える。
「魔法で……、ケガを直したりはできないんですか……?私、この間首の傷をふさいでもらったんですが」
辛そうなたまに俺を見てからりり子が答える。
「傷口を糊でくっつけるような絆創膏まがいの治療はできるけど、細胞修復や肉体再生は他人の肉体にやると取り返しがつかないことになったりするからスタンダードじゃないわ。麻酔をやろうとして永眠する術士は年に数人出てるし、麻酔なしでかけるとめちゃくちゃ痛いのよ。だからちゃんと術士でも志命みたいな医者って職業があるわけ」
「そう、なんですね……」
りり子がこちらに寄って来る。
「お兄ちゃん。立てる?」
「もう少し、休ませてくれ」
「先生……大丈夫ですk……」
視界が歪む。少し無理をしすぎたらしい。
遠くからクリスマスソングが聞こえる。
ああ
やっぱり、クリスマスは嫌いだ。
・ ・ ・
「本当に大丈夫なのかい?」
遠くで声がする。
暖かいし、頭が当たる床が柔らかい。
「ほら、お兄ちゃん……起きて」
りり子が俺を覗き込んでいる。天井がある。ここは……
「……ここは……」
「私の家です。先生、橙さんは命に別状はないそうですよ」
たまが母親と連れ立って現れた。手には鍋が握られている。
「望月さん、消火活動のお手伝いをされたんですって?お疲れ様でした」
「どうも、環の父です」
先程の声の知らないおっさ……たまの父親か。
俺はたまの家のソファに寝かされていたようだ。
体を起こす。痛みは大したことはない。
りり子が処置してくれたのだろう。目立った傷もない。
頭の痺れがなければ嫌な夢だと思えそうだ。
「先生、お疲れさまでした。うちでごはん食べていってください。お母さんのパン美味しいんですよ」
「望月さんさえよければ。ただでさえうちの子がお世話になってるのに、こんな立派なケーキまでありがとうございます」
「あ、え。いえ。」
橙の所に持っていく予定だったケーキだ。この人数でも足りるだろう。
あの状態ではどうせ食べられないだろうし構わない。
「ちゃんとチキンはあたしが買ってきたのよ」
褒めなさいと言わんがばかりにりり子が薄い胸を張る。
恐らく俺を運んだのもりり子だろう。
「先生……大丈夫ですか?」
顔色が悪いだろうか。いつもの事な気もするが。
室内にはクリスマスツリーやオーナメントが飾られていて、オルゴールアレンジのクリスマス曲がかかっている。
「お兄ちゃんが帰ってもあたしはいただいていくわよ」
「はい、りりちゃんはもともと約束していたんです」
いつの間にか二人はかなり仲良くなっていたようだ。長谷川がいらぬ嫉妬を向けなければいいが。
「あ、なんか隠れてますけど、隣の部屋からこっちを見てるのが私の兄です」
暗がりから猫を抱えてこちらを見ている眼鏡の男。
存在感が無く少しだけ驚いた。
「はじめまして……」
「うす」
そのままたまの兄と座っているように言われ、ソファで隣に腰かけてクリスマスパーティの準備を眺める。
テーブルと椅子の配置で揉めているようで椅子をもってたまが行ったり来たりしている。
たまの兄が口を開いた。
「環は、頑張りすぎてませんか?」
「無理はさせないように気を付けています……」
会話が弾まない。どちらかと言うと受け身なのでどんな話題を出せばいいかもよくわからない。猫だけが空気を知らぬ顔で寝返りを打つ。
「ご迷惑をおかけして、これからもおかけするかとは思いますが、妹をよろしくお願いします」
「はい」
眼鏡のレンズに反射して目元は見えないが、声には不安がにじんでいた。
暖かい家庭だ。
昔は、あの店にもこんな光景が確かにあった。
無理矢理忘れようとしていたものが目の前にある。
「ほら、お兄ちゃん」
「先生、兄さんも」
手を取られるまま立ち上がり、食卓へ招かれる。
テーブルの中央にパンが盛られた籠とチキンが置かれ、個別にサラダとシチューの皿が並べられる。
暖かい、ここは優し過ぎる。
安心と、不安と、疲労と、後悔と、少しの痛みが胸を満たす。
「いた、だきます」
目から勝手に、涙がこぼれていた。
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