第15話 クリスマス炎上①
翌日、朔は店をClosedのまま開けた。
腸は煮えくり返ったがそれどころではないのだ。
「おはようございます」
待っていたのか白い息を吐いてたまが声をかけてきた。隣にはりり子。
りり子はもともと約束していたが、たまも急遽暇になったので朔のクリスマスケーキの仕込みを手伝ってくれることになったのだった。
「去年一昨年はりり子も居なくて正直死ぬかと思った所だ。助かる。言っておくが三年前より忙しいから覚悟してくれ……」
「お役に立てるようがんばります」
クリスマス商戦は過酷だ。しっかりバイト代分は働いてもらうとしよう。
「でしょー?やっぱりあたしがいないとね」
りり子も上機嫌だ。よし、働け。
バックヤードで作業着に着替えてもらい、その間に客席まで占領していた材料をキッチンに運ぶ
クリスマスイブまで日がない。諸々懸念はあるが今だけは忘れなくては。
「やだ、たまかわいい」
嫌な予感がする声が響いた。
「りりちゃん、これは良くないと思います。これじゃお仕事はできません」
りり子に押されて出てきたたまは露出過多かつフリフリのエプロンとゴスロリ服。
「お兄ちゃん見て見て、アルティのコス完成度高くない?」
「りりちゃん……は、恥ず」
アルティは確かりり子が好きなゲームのキャラクターだ。りり子はコスプレが趣味なので作ったのだろう。
たまは涙目だ。大方りり子が無理矢理着させたのだろう。
「りり子、減俸」
・・・
10分後
「ごめんてば」
それなりに叱った結果、キャップ白衣エプロンマスク手袋姿でりり子はぶーたれている。
俺もたまも同じ服装だ。
「俺ではなくたまとケーキに謝れ」
俺の言葉に何故か間に立っていたたまが縮こまる。
「ケーキさんごめんなさい……」
たま、お前じゃない
涙目のたまが箱を差し出してくる。
「いちごの検品とスライス終わりました。飾りに使うのはこちら、痛みがあったのはこちらです。」
確認するが完璧だ。
「製菓工場で働いたら社員に登用されそうだな」
言いながら褒め言葉なのか自分でも謎だ。
たまは飲み込みが早いし手際も良い。
何度か経験済みのりり子より早いのだからおそらく筋がいいのだろう。
「たまは家で料理とかするのか?」
「大体おか……母のお手伝いです」
母親もぽやぽやして見えたが、認識を改めよう。侮り難い親子だ。
そういえば以前頂いた料理も美味かったな。
「りり子、生クリームのホイップは」
「あと4パック分。すぐ終わるわ」
「そうしたら次は卵だ。殻座は捨てて卵黄は分けておいてくれ」
「むー」
「何だ」
「…………」
「せ、先生。りりちゃん早いですね」
褒めろという圧を感じる。
「……。集中してくれ」
もう手遅れな気もするが、いつまでも甘やかすと無限に増長する。少しは大人の対応をしなくては。
「お兄ちゃんのいじわる……」
これも愛のムチというやつだ。
・・・
二人のおかげで夕方には仕込みは粗方片付いた。残った作業は空き時間にやろうと思っていたので自分でも驚いている。
明日からはひたすらスポンジを焼く機械にならねばならないが気は楽だ。
「二人ともありがとう。予定より早く終わった。」
客席でぐったりしているたまとりり子の前に端材製パフェを置く。
「生きてるか?」
「生きてます……」
「死んでないわよ……」
「りり子、最後までよく頑張ったな。見直した」
「何だかあたしに対してお兄ちゃんの当たりキツくないかしら……」
「直近の自分の素行を思い出せ」
「む、う」
ハムスターのようにむくれるりり子の頭をわしわし撫でる。
たまはパフェをつつきながら嬉しそうにそれを見ていた。
・・・
二人を送り、俺は駅の近くにある深夜営業のスーパーに向かう。
ゼリー食だけでは体もメンタルもやられそうだ。
「あれ、朔ちゃん?」
スーパーの前に大きな買い物袋を持った橙がいた。
橙の買い物袋を持って隣を歩く。
緩いニットに、ガバチョと言うのだったかスカートの様に裾が広いパンツをはいている。
完全なオフなのだろう。会ってもスーツかトレーニングウェアばかりだったので久しぶりに私服を見た気がする。
「ありがとうね。荷物持って貰っちゃって」
「いや」
橙にこれから夕飯を作るから食べていかないかと言われ、俺は頷いてしまった。
重めの調理を丸一日した日は家事をしたくなくなるのだ。
「たまちゃん、修学旅行で大変だったんでしょ?」
「今日は元気そうにしていた」
「良かった……。でも、残念だったね。思い出台無しになっちゃって」
「そうだな……」
修学旅行の代わりにはならないが、春休みにりり子も連れてどこかに遊びに行くのも良いかもしれない。
「橙の事務所はあれから大丈夫だったのか?」
銀の蛇の襲撃後、何も無かったとは思えない。
「討伐依頼が出る程度には暴れてるね。うちの所員には犠牲者は出てない」
「そうか」
所員以外には、被害が出ているのだろう。
協会からも敵対団体認定された銀の蛇の構成員は志命病院からの触媒提供を拒否されているはずだ。乱獲は更に苛烈になる。
「最近は吾妻が仕事出来るようになってきてわたしも楽になってきたよ」
橙は少し疲れた笑顔を浮かべた。
橙の住んでいるアパートは駅からほど近い場所にあった。
古民家のリメイク物件だそうで部屋数は少ない。
管理人がまめに手入れをしているのか、整った庭木が植えられた小さな庭がある。
家を出た時に聞いてはいたが訪れたのは初めてだ。
「良い所だな」
「そうでしょー」
昔、中学生の頃までは、橙の家によく遊びに行き練習中の手料理をご馳走になったりしていたが、母が死んでからは避けられ交流は減っていた。
俺も、避けていたのかもしれない。
「ソファで待っててね」
部屋の中には物が少ない。
ソファとテーブルと、角の小さな棚にルームフレグランスとプレイヤーが置かれている。
事務所の方が生活感があったくらいだ。あまり帰ってはいないのだろう。
「手伝う」
「疲れてるんでしょ?一人でやれるから」
台所から追い出され、言葉に甘えソファに座ると眠気が押し寄せる。
入室時に自動再生されたジャズが心地良い。
仄かに橙の香水の匂いがする。
ついウトウトと船を漕いでしまう。
「コラ。流石に寝るではないよ」
頭に皿を載せられ目が覚めた。
「ああ、悪い……」
「お米炊いてる時間は無いからパスタにしたよ」
「すまない……作ってもらっておいて……」
「怒って無いから。ほら、テーブルちょっと寄せて」
テーブルに並べられたスープ、サラダ、魚のムニエル、パスタはペペロンチーノ。明日はお互い仕事だからか炭酸水が置かれた。
向かい合ってパスタを口に運ぶ。
「美味い」
「お世辞でも嬉しいね」
本音だよ。
「本当に、美味いよ」
「ふふ」
昔はよく焦げた料理を食べたものだが見る影もない。
それだけ時間が経ったのだと実感する。
食事が終わって、洗い物をして、俺は部屋を出た。吐き出した息が白くなびく。
「橙、クリスマスイブにさ」
「?」
「ケーキ、一台取っとくから、取りに来てくれないか……?」
「あ……あー……朔ちゃんのとこのケーキ人気なんでしょ?いいの?」
何かささやかでも礼がしたかった。
「当日分も用意するから一台くらい増えてもなんとかなる。事務所の奴らと食べてくれ。来なかったら届けに行ってもいい。」
「そっか、じゃあ仕事が終わったら寄らせてもらうね」
ああ、橙とこうして笑い合えるのは、嬉しい。
・・・
暖かい気持ちで俺は家に帰り、次の日から無心でケーキを焼いた。
専門を卒業する前から菓子づくりは割とウケが良かったのだが、頑張って覚えたコーヒーや紅茶が付け合せより人気がない現状は本当にどうしたら良いのだろう。ぼんやりと考えながらひたすら手を動かす。無の境地だ。空いた時間で追加の砂糖人形や飾りを作り、忘れていたチョコプレートにメリークリスマスとアイシングした。
土台が冷えたら、今度は術を使った保護ケージに並べたケーキを切り、間にソース、フルーツ、クリーム、カラメリゼしたナッツなど決めた具材を並べ、更にソースやクリームを塗りつけていく。
種類毎に準備したら後はひたすらデコレーションし、メルキオルに箱にしまわせる。一番崩れやすいホイップの装飾は当日朝にやるので目印にシールを貼る。
『今年はチョコでリボンを作ったのか、器用だね。去年のバラは今年はやらないのかい』
ツバや羽毛は飛ばないが煩わしい。
「クリームのバラはショートケーキだけにする。きりがない」
『あ、でもチョコのバラは作ってあるじゃん。お花好きだねっていうかこっちのほうがめんどくない?』
「ウケがいいんだよ。あとうるさい」
ノートを確認し予約数の横にチェックを入れ、メルキオルと術で擬似冷蔵庫と化した客席側にケーキを運び、俺の仕事は一段落ついた。
毎年ここまでの作業は、以前は父さんとりり子と、今はメルとやっている。
『リーリーはお嫁さんになってくれるって言ってるし、手伝ってもらっていいんじゃないの?』
「あいつは妹だしこれから進路を決めるんだ。真に受けるな」
駄弁りながら部屋に戻り労働の対価にメルの籠にナッツを入れてやると嬉しそうに啄む。
食事は素子を与えている為必要ないが、この鳥は嗜好品を好むし酒も飲む。ラジオも暇だと勝手に聞くので俺より世情に詳しい。
生きているからには、そういうものもあったほうがいいと俺は思う。
冷凍食品を温めながらラジオで天気予報を聞く。ありがたい事に曇りはするが終日雨は降らないらしい。
明日はクリスマスイブだ。
「もう……10年か」
クリスマスなんか、早く終わればいいのに。
・・・
クリスマスイブ。
早朝から店の前にテーブルを出して飛ばないよう看板に括りつける。プラスチックの保護ケースも固定して露光ケーキ屋スタイルの完成だ。
役所と商工会に許可を取り毎年イブだけはこの形で販売させてもらっている。
中に戻り、当日分の製菓を終わらせ、ちびっこにあげているクッキーを袋に詰めた。
コンコン、と店のドアが叩かれた。
開けるとそこには長谷川邦子
「どうした……あ、ちょっと待ってくれ。か」
「これ」
それだけ言い紙袋を朔に押し付け、邦子は全力で逃げた。
凄まじく速い。数秒で背中は見えなくなった。
「ええ……」
・・・
昼過ぎになるとたまとりり子が店についた。今日は丁度休みに被っていたため売り子を頼んでいる。
「今日はよろしくな」
「こんにちは……わ……すごい量ですねぇ」
「ふふん、もっと感謝していいのよお兄ちゃん」
「寒いだろうから後で術を使うが……」
紙袋の中を見てため息をつく
「貰いもんだが多分お前らにだ……」
中に入っていたのはサンタ服2着
りり子は拡げて身体に当ててみている。
「誰に貰ったの?」
「匿名希望らしい」
「何か気持ち悪いわね」
同感だ。
「着る着ないはお前らの自由意志に任せる」
「折角だから着ようかたま?」
「えっ」
りり子に肩を掴まれ、たまはこちらと服を交互に見ている。
「う、うん」
良かったな、長谷川。
・・・
出しやすい位置にケーキを並べていると二人が着替えて出てきた。
「あ、お兄ちゃん。カイロの術はあたしがかけたからいいよ」
「そうか、ありがとよ」
カイロは体の周りに薄い空気の膜を纏わせる術をそう呼んでいる。たまを箒で送る時も割と使う。
二人の衣装はミニスカサンタと言うのだろうか。上はモフモフしているが下半身はタイツの上に短いスカートと寒そうだ。
りり子も結構、たまはかなり小さいので子供の学芸会感はあるが可愛らしいのに変わりはないだろう。
「サイズが不気味なくらいピッタリなんだけど、ほんとに誰が持ってきたの?これ」
「……ノーコメントだ」
「あとお兄ちゃんのも入ってたよ。はい」
「……おう」
トナカイのつけ角
たまたちも恥ずかしい格好をしているのだ、しぶしぶながら頭につける。
「お兄ちゃん可ぁ愛い」
「さよか」
「似合って……ます」
「気を使わんでいい」
簡単に打ち合わせを済ませ、店の外を覗く。
「並んでるな……」
「一応簡易レジアプリを入れた端末を持ってきました。少しは楽になると思います。後で金額の確認をお願いしますね。」
「たま……」
「?」
「ありがとうございます」
毎年電卓を打ち、会計ノートに書いた記録を纏めるのが死ぬほど面倒だったがケーキを作っていると忘れてしまう。便利な術を使えようがドジはするのだ。
ぐうの音も出ない。ありがとうたま。
「お兄ちゃん、そろそろいいの?」
「ああ」
喫茶店露光が年1忙しい営業日が始まる。
「そうだ」
忘れないうちに、テーブルに据え付けたホワイトボードに若干の思考誘導をかけ写真禁止と書き加えた。
りり子は人馴れしているので注文予約を捌き、たまが計算会計する。俺はタイミングを見て店内から予約分の引き渡しと補充をする。
メルを使えれば楽だが一々隠匿しながらやっていられる量ではない。
ドアの隙間から外を見ると列はだいぶ伸びていた。
去年何かの雑誌とブログに勝手に掲載され、知名度が上がってしまったらしい。せめて予約して来てくれ。
「畜生お前ら全員コーヒー飲めよ……」
情けない愚痴をつぶやきながらケーキを運ぶ。
・・・
2時間程休みなく回しているとようやく列は短くなった。
「一旦休憩入れるぞ」
二人にも少し疲れの色が見える。
とはいえ客を待たせるのもなんなので俺が一人で出て二人に15分休憩させる事にした。
「……なんであんたなのよ」
まごつきながら二人会計を済ませた所に奴が来た。
「ご注文は」
朝より少しめかしこんだ長谷川邦子は俺の顔を見て露骨に嫌そうな顔をする。タイミングが悪かったな
「チッ……ショートケーキ、小さいホールでいいわ」
「……」
4号のショートケーキを袋に入れ差し出す。
「ほれ」
「いくら」
「衣装代でいいよ。……店の中に二人とも居るから勝手に話してけ」
「…………おまえ、嫌いよ」
知ってるよ。
邦子は少し赤い顔で店に入っていった。
十五分後
「おい、そろそろ再開……」
店の中を覗くと長谷川が床に寝転がって撮影会をしていた。
「ローアングラーかよ……」
結構引いた。
長谷川は上機嫌で帰って行き、小休憩を挟みながら日が傾く頃には全てのケーキが売り切れた。
うちは前金を取らない代わりに受け取り時間を過ぎたケーキは当日販売してしまうので客を待つこともない。クリスマスケーキは名入れをしないので特別だ。
「二人ともお疲れ様。おかげで予定より早く終わった。バイト代は予定通りに色を付けて出すのと、一台ずつケーキがあるから持って帰ってくれ」
たまとりり子は仕込みの日と同じく客席で伸びている。
「ありがとうございます」
「お疲れ様ーお兄ちゃんコーヒー淹れて」
「ふ、し、仕方ないな。たまも飲むか?」
「はい、いただきます」
ケーキに自尊心を打ち砕かれていたので少し嬉しくなってしまう。
「あれ、先生。もう一つケーキが残ってますが」
「ああ、それは橙の分だからこの後届けに」
「お兄ちゃんクリスマスイブに橙とデート!?」
熱湯が足にかかる。
「うわっち!誰が誰とデートだと?」
「へぇー、デートじゃないんだ。じゃああたしたちもついてっていいわよね?」
「は?」
「私もですか?」
りり子に丸め込まれ、何故か3人でケーキ配達をする事になった。
りり子とたまはサンタ服の上にコートを着て上機嫌だ。
俺は流石に角を外した。
「橙さん驚きますかね?」
「来年は橙にもサンタコスさせましょ」
「やめい……」
歩いているうちに気づいた。
もう5時を過ぎているが駅の方はほの明るい。
「ねえ、お兄ちゃん……」
「りり子、ケーキとたまを頼めるか?」
「先生……りりちゃん……」
駅前の空はイルミネーションや夕焼けではなく、火災で赤く染まっていた。
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