第13話 実験遊戯③
その日朔が店のシャッターを開けた頃、環は新幹線の窓から景色を眺めていた。
同じ班の友人達は仲良く談笑している。
環は新幹線が苦手だった。飛行機よりは大分マシだが頭が痛む。
ぼんやり酔いどめの副作用に微睡みながら遠く雪を被った山の稜線を目で追う。
「っ」
環は俯き口を抑えた。
ギリギリで声を出さないで済んだ。
窓にそれはいた。環たちが座っている席の隣の窓を、霜の薄くついた”外から”覗き込む男。短い髪が風で捲くられ目だけがギョロギョロ蠢き何かを探している。手足は細く関節が蜘蛛のように曲がっていた。
「たまちゃんどしたの?」
クラスメイトの里奈ちゃんに肩を叩かれ環は我に返った。
車内に男を見咎める人間はいない。
チャイルドスリープ、夢魔。あれもそうなのだろうか。
しかし、余りにも男はしっかりした存在感をもってそこにいる。
「ちょっと酔っちゃったみたい。お手洗いに行ってくるね」
そして、ああ、通路に出た瞬間環は確信した。
選択を間違えた。
見られている。今はっきりと、あの男が環を見ている。
男に目をやることなく環は小走りで車両を移動した。
・・・
トイレの個室で息を殺して環は携帯を出した。
電波はある。SNSも現在時刻で更新されている。
「先生……」
環は個室で青い鳥を握りこんで頭を振った。
「怖くない……怖くない……あれは幻……」
チャイルドスリープは現実に出てきても素子を持つ人間にしか見えないし夢ほどの殺傷能力はもたない。
だめだ。こんなことで先生を煩わせる訳には行かない。
環は震える手でキーホルダーを鞄にしまった。
吾妻が帰ったあとに環は朔に魔法少女協会の名刺をもらっていた。魔術士協会よりは少ないものの支部は結構あるらしい。
電話をかけ相談すると、京都支部の魔法少女が調べると低い男の声で返事が来た。
電話を切り、環はスマホを額に当てる。
「大丈夫……怖くない……」
・・・
席に戻ると男の姿はなかった。
環はそっと息をつく。
一日目は御所の見学と清水寺観光。環の班は女子4の男子2の6人。茜、里奈、環、雫、翼、晃
気心の知れた友人たちと過ごす時間は楽しい物だった筈だ。
御所見学が終わり、清水坂で変なTシャツや木刀を物色する友人たちを環はどこか遠巻きに眺める。
「……」
視線を感じる。
環は歳の割に小さく、何かとからかわれたりするため視線を感じること自体は珍しくはない。
ない、が
「たまちゃんいくよー」
「うん」
居心地の悪さを噛み締めながら環は歩く。
あんなに楽しみだったのに、今はただ、あと何時間で帰れるのかとそればかりが浮かぶ。
「あ、おねーさんがたまちゃんさんでありますか?」
背後からかけられた甘ったるい声に環は足を止めた。
ピンクの髪の、環より少しだけ小さな、少女。
背中にはピンクのランドセル
「は、はい……」
「おっと、お連れさんには自分の声が聞こえてませんのでお気をつけくだされ」
環は歩いていく友人たちに振り向くがこちらに気づく様子はない。慌ててまだ満足に術が使えないことを伝える。
「むむ、まだお勉強を始めたばかりと、これは失礼。自分が代わりに張りましょう」
彼女はランドセルからピンクをベースにした杖を取り出しえいと振る。星のエフェクトが散り、周囲が少し静かになった。
「申し遅れました。自分は日マ京都支部副隊長、魔法少女ひまりーちゃんであります」
「あ、芦原、環と申します」
お互いぺこりと頭を下げる。
「よろしくたまちゃんさん。はぐれないようお友達の後を歩きながら話すでありますな」
環は慌てて皆の後ろに追いつき歩く。
見た目は小学生コスプレイヤーだが、術の練度が非常に高いのは環にも分かった。
「まず調査結果でありますが、近圏でチャイルドスリープの現実顕現は確認出来ませんでした」
可愛らしいキャラクターもののメモ帳を捲り少女はペンを唇の下に当てた。
「新幹線の車体にも物理的接触痕があり、有り体に言えばたまちゃんさんが遭遇したのはチャイルドスリープではないであります」
頭が混乱する。なんて?ない、ある?
「に、人間、なんですか」
「んー、おそらく蜘蛛型の魔術生物、使い魔の可能性が高いと思うのですが、確かに人だったので?」
「は、はい……多分……」
あの目が、まだこちらを見ている錯覚。
「んん、心配ですね。きらりんのお友達ならなおのこと助けてあげたくはあるのですがー」
「きら、りん?」
「んむー、隊長さんがやっぱりだめとおっしゃるので今回お力になれるのはここまでですねー」
メモ帳に見えるそれは通信端末らしい。
「自分からも協会に伝達しておくので修学旅行は残念ですが中抜けして帰ったほうがいいかと思うであります」
「そう……ですよね。わざわざすみません。ありがとうございます」
喋り方や色々アレではあるが優しい対応に環の緊張が少しだけ解けた。思わず笑みがこぼれる。
「はわーかわいい。たまちゃんさん魔法少女に興味ありませんかー?」
「へ?」
「あー駄目です駄目ですー。これはマナー違反であります。じゃあ、たまちゃんさんまったねー」
ぴょんぴょんとその場で2回跳ねてから魔法少女ひまりーは驚異的跳躍力で去って行った。
大きな風が起こり班員達が足を止める。
「うさちゃん、ぱんつ……」
「たまちゃんどしたの?」
・・・
ひまりーのおかげかは定かではないが、環が午後に嫌な視線を感じることは無かった。
宿の裏手、自販機の横で協会の番号に電話をして息をつく。
先週雪の降った裏庭には氷がこびりつき冷蔵庫にいるようだ。流石に人の姿もない。
協会の術士が明日の朝一番の便で帰れるよう手伝ってくれるらしい。
「集合写真、撮りたかったな」
かさ
なんだろう
今髪に、なにか
「みぃつけた」
スマホを、黒い爪が掴んだ。
「ひ」
思わず手を放して、鞄を抱え宿から離れる。スマホが地面に落ちる音がした。
後ろに、いた。いや、まだいる!
気配のようなあやふやだった視線を今はっきりと感じる。
宿に引き返すか躊躇ったが駄目だ。万が一にも学校の先生や友達、無関係の人達を巻き込むわけにはいかない。
環は掌に意識を集中する。物体の強化なら少しは使える。
走って、走って、河原が見えた頃まばらな人の気配が消えた。
問い合わせた時に聞いていたが確かこの近くに協会の京都本部があった筈だ。
キーホルダーとお守りを手に握り締め、環は男に向き直った。
術を使い気づいてもらえたら誰か来てくれるかもしれない。
「きょ、境界を……」
緊張が逆に効いているのか、初めて一発で張ることができた。
あまり広くはないが障壁と強化なら使える。
男はやはり蜘蛛だった。手足は細く長く折れ曲がり、先は手指の代わりに鈎爪のようなものがついている。新幹線でははっきり見えなかったが、腰のあたりから腕が4本生えていて八足になっている。四つ脚は服に通してあるが副腕は生身の色をしていた。
「きみの生死は問わないらしいから、大人しくおじさんと来てくれないかな?」
グロテスクなビジュアルに人間の言葉がひどくミスマッチだ。
環は後退る。
「い、いや、です」
「そっかぁ……じゃあ、殺すしかないよね?」
足元のタイルが割れた。
「ひ」
速い
知覚の強化、いや、間に合わない
咄嗟に張った障壁が男を弾く
「やっ、た」
弾かれた勢いを八足で受け止め、すぐ男は戻ってくる。
足元に落ちていた枝を拾い、強化する。
「来ないで!」
細い枝を横凪に振ると男は吹き飛んだ。
「あ、あれ、こんなに、威力」
こっそり家でも魔法の練習はしていたがこんなに強い効果が出たことはない。
「めんどくせえなぁ……」
蜘蛛の脚で頭をかき、男がまた立ち上がる。
次の瞬間首に息がかかった。
「ひぐっ」
体当たりで地面に叩きつけられた。視覚で分かっても環には反応できなかった。
肉を少し抉って爪が環を地面に縫い止めていた。
鞄は吹き飛ばされ3mほど先に転がっている。
「……っ!!」
「気持ち悪いだろ?へへ、おまえを連れてけばこの手を元に戻せるんだとよ」
「や……いや……」
人間?これが人間なのだろうか。
環の目から涙が溢れる。
「やっぱり小さいな。本当に高校生か?」
人間の頭が環をじろじろと値踏みする。
環のスカートが捲られた。
「あー漏らしちゃったかぁ。はは、きったねぇ」
環は地面に刺さった拘束を外そうともがくが爪は釘のようにびくともしない
「離れ、て」
「川近いし、丸洗いすりゃいいか。はー、JKと一発くらいヤれるかと思ったのに、勿体ないがさっさと締めねぇと」
「先生……」
鞄に意識を向けるが遠すぎて回路が繋がる感覚はない。
首にプツリと爪が刺さり血が流れた。
死ぬ。
ここで一人、何もやり遂げる事なく
「アヅ」
飛びのくように男が離れた。環はとっさに鞄に手を伸ばす。
微かに熱を感じ鞄が手に触れた。
「あ」
男に噛みつき、鞄を環の方に投げ飛ばしたそれは狐だった。
白い炎の狐
鞄を抱きよせ環は狐を見つめる。
狐は肉を吐き捨て男に向き直ると牙を剥き出しにした。
「う、あ。あんたは」
「あれ、こいつ手配書でてるね」
毛を逆立てる狐からのんきな声が聞こえた。
「だれ……ですか……」
狐は答えない。
「芍薬、喰ってしまって良いよ」
狐が飛びかかるより早く男は悲鳴を上げ毬のように跳ね逃げていた。狐がそれを追う。
残された環は鞄を抱きしめたまま境界を解除した。
「せん、せ」
小さく小さく呟く。
回路が繋がる。
『たまか?』
「う、ウエッ、う」
『たま?』
・・・
環は次の日の早朝、京都の協会から派遣された術士に送られ関東に戻った。駅に朔が迎えに行くと緊張の糸が切れたのか環は幼い子供のように泣きじゃくった。
「大変だったな……」
「すみません。ありがとうございました」
たまはすっかり憔悴していた。傷は大した事はないらしいが首に巻かれた包帯が痛々しい。
「聞きたいことは色々あるが、今度にするか……」
廃墟で見つけた写真についても今は伏せておくべきだろう。
たまは朔におずおずと訊ねる。
「あの、狐の魔法使いさんに連絡してくださったのは、先生ですか?」
「いや……そいつが助けてくれたのか?」
たまは頷く。
「思い当たらないことはない。探しておくから今日はゆっくり休みな」
たまを家まで送り届け、念のためメルキオルの複写を数匹たまの家の周りに置いた。
狐……他に思い当たらないが、神楽坂は殺人を生業にしているがそれは依頼があってのものだし、何より本人がたまを嫌っている。万が一、丁度京都に行っていたからといって何故わざわざたまを監視していたのか?
何もかも不気味だ。
協会に犯人は引き渡されたそうだが、【改造屋】とやらに手足の治療と引き換えに”写真の少女を持ち帰る”よう依頼されていたらしい。
見せられた写真は確かに環の物だった。
ただし、それは高校の制服ではない、おそらく中学生位の。
俺を恨む人間の犯行も考えられなくは……無くはないが。
目的……立場……価値……思考がからがる。
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