第10話 夢


 誰かが話している。

私は目の前にいる人たちを上手く見ることができない。

ただ、涙が出そうな懐かしさだけが、胸を満たす。

「がんばってね。環」

「ここからが、あなたの」


 そこで芦原環は目を覚ました。

何かの夢を見た気がしたが、内容は覚えていなかった。


 もうすぐ、冬が終わる。


 一月の終わりに雪が降り積もった。

換気と目を覚ますために窓を少し開け、肌を刺すような冷気に環は顔をしかめた。

手早く身支度し、朝食を済ませる。

「いってきます」

 母に手を振り鞄をかけなおし学校へ向かう。

 春休みは何をしよう、受験の準備もしないとな、と環は考えながら橋を渡った。

ぞくり

 男とすれ違った環は足を止めた。

 服装は少し草臥れたスーツ。背格好は朔より少し小さい中肉中背。目は昏くどこか虚ろだ。

「あー、あー、あー」

 男が口を開いた。言葉に意味や感情は感じられない。

 環は後ずさる。男の様子が異常なことは一目でわかる。

「あの……なにか、用、ですか」

「あー」

 会話は無駄なようだ。環は走り出した。

「せんせ、先生っ」

 携帯を取り出すも圏外の表示。町中なのにと環は焦り鞄につけた鳥のキーホルダーに語りかけるが反応がない。回路の接続もダメ元で試すがやはり無反応。

「なん、で」

 まだ環には原理がよく分からないのだ。故障なのかどうかすら分からない。

強く踏んでいる隙は無さそうだ。

 男はまだついてくる。視界の端に映った姿は変な歩き方なのに妙に速い。このまま家や学校に男を連れていくのはとても恐ろしい気もする。

 涙目を擦り環は『露光』に向かって走る。

 住宅街を縫い、商店街を抜けても男はついてきた。

環の懸念は的外れと嘲笑うかのように他の人影はない。

後継者不足でシャッターは多いにしても朝の通勤時間の姿ではない。

「ひ、ぐ」

 迂回しながら逃げてきたが男はずっと変わらない調子でぴったりと付いてくる。

環は交番にすら人影がないことを確認し悲鳴を飲み込んだ。

「なん、でぇ……!」

 ずっと足音が聞こえる。

音は先ほどより少し速くなっている気がした。

もう振り返ってはいけないと確信する。

環は体力がある方ではない。足に震えが出ている。心が折れたら、もう走れないかもしれない。

呼吸音が近い

首に 息が

「嫌!」

 鞄を振ると何かの手応えがあった。

確認もせず環は全力で走る。

ずっと心臓がばくばくと音を立てていた。

「たす、け、て」

露光の看板が出ていた。店が開いている。

「先、生。せんせい」

 からんからんと、ベルが鳴る。

店の中に……朔はいなかった。

「たす、け」

後ろから突き飛ばされ、環は床にうつぶせに倒れた。

何が、大きなものが覆い被さる。

「や、だ」

環は振り向きたくなかった。

しかし首に濡れた質感が触れる。

「ひ、ゃ」

 情けない悲鳴を上げ、環は見てしまった。

黒く大きい人の数倍に膨らんだ肉の塊に、小さな人間の顔がいくつも張り付いている。

それから伸びた沢山の細い手足の一つ一つが環を掴んでいた。

「あ、……や」

首に触れている手は妙に湿っている。まるで舌のようだ。

喉がひりつく。

怖い

肉に足が呑み込まれていく。

どうして

「やぁ……」

なんで

呑み込まれる。食べられる。

ゆるして

思考が散乱していく。


 風の音。


 次の瞬間、環にへばりついていた何かは横凪ぎに扉ごとは両断された。

ふき飛ばされた肉が壁にぶつかりかさかさと音を立てていた。

切り伏せたのはRPGに出てきそうな派手な装飾がついている大剣。

「まさかこんな近くで夢魔が出るなんて……」

 剣の持ち主は女の子だ。身長は環と大して変わらないだろうか、髪の毛をくるくると巻きなんだかフリフリふわふわした服を着ている。

 環は倒れたまま少女を見上げている。

「あ、りがとう……ございます」

環の視線に気づいたのか少女は環を見て


「にゃ?」


何故か赤面した。

環は何故少女が狼狽えているのか分からない。

「あ」

そこで、環は目が覚めた。



・・・


「夢……?」

 環が目覚めた場所は自室のベッドだった。外はまだ暗い。

足元で飼い猫のちろるが腹を天上に向け寝息を立てている。

カレンダーを見る。12月の始め。月曜日。

 頬をつねると痛みがある。

「怖かった」

 声に出し、体が震えた。

夢。そう、夢だったのだ。

しかしあまりにも鮮烈な印象がまだ脳裏に残っている。

 学校を休みたい気分たがもうすぐ修学旅行もある。環は実行委員会だ。

「先生……」

鞄を引き寄せお守りと青い鳥のキーホルダーを掴み額に寄せた。

『なんだ?』

キーホルダーが眠そうに返事をした。

朔の声だった。

「!?」

『ん……?たま?だよな?』

「ごめんにゃさい……」

噛んだ。

『?』

「まちがい……でんわ…です」

『いや、電話じゃないぞ?』

朔の声が消えた。環は息を吐き、キーホルダーを放してベッドで丸くなった。


・・・


 その日の放課後。アルバイトも授業もないが環は『露光』を訪れていた。

 朔はグラスを磨いていた。他に客の姿はないが視線を気にしておどおどする環の様子に朔は首をかしげる。


「どうした?そういやなんか今朝も変だったな」

コーヒーを出すとたまは会釈をして口をつけた。

「あ、の」


 たまは今朝見たという怪物の夢の話をした。


「……ふむ」

 俺はグラスを棚にしまい顎に手を当てた。

「夢魔って言ってたんだな」

「はい」

「どこで憑かれたかは分からんが、おまえに憑いてたんだろう。チャイルドスリープとか色々異名もあるが、術士は一度は遭遇するもんだ」

「あの……知らない女の子は……」

「フリフリのそいつは日魔の構成員だ。夢魔はもう心配はない」

 俺はたまの不思議そうな顔に気づいた。

「ああ、日魔ってのはな」

「たのもー!」

からからと乱暴にベルがなった。

「うわぁ」

眉根に勝手に皺が寄る。

入り口には男がいた。

「朔、今日こそ俺達の因縁に終止ひょ!?」

 ベルトの沢山ついたコート、鎖モチーフのシルバーアクセサリー、染め抜いたのだろう肩口まで伸ばしたメッシュ入りの金髪。

 なんだか格好いいポーズを決めようとしたのだろう男は環に気づいて硬直した。

 顔がみるみる耳まで赤くなる。

「朔ゥ!!!」

「いや、事故だ事故。俺は無実だろうこれ」

「……あの、先生?」

 たまはぽかーんとしている。

俺は男を指さし説明した。

「これが橙の弟子。筑紫野吾妻(つくしのあづま)」

「柊さんの!じゃあ魔法使いさんなんですね」

「そそ」

「さ、朔、おまえ、弟子を…とったのか…?」

「ああ、なんだ橙に聞いてないのか」

 吾妻は苦虫を嚙み潰したような顔をした。

「弟子の環です。よろしくお願いします」

 たまは丁寧に頭を下げる。

 俺はたまにとって初めて別な術士の弟子を見たことになるのかと気づいた。

恐らく結構前から初遭遇は近くにいたんだと思うのだがなとほんの少しだけ長谷川邦子を不憫に思う。

「よ、よろしく。吾妻です……」

 吾妻もつられてか頭を下げた。

俺が後ろにいるのだがいいのだろうか。まぁ深く考えないことにしよう。

「たま、あまり近づくなよ。そいつはロリコンだからな」

「ちゃうわい!!!!!」

 握手をしようと手を差し出した吾妻はびくりと硬直した。

「先生たちはお友達なんですか?」

「いや、まったく。そいつが勝手に俺に突っかかってくるだけ」

「朔……よくもいけしゃしゃあと……」

 吾妻は俺をにらみつけると少しだけ店内に視線を投げ、誰もいないことを確認し手を掲げた。

「テイルヴィングッ!!」

フラッシュのような発光。たまがまぶしさに目を瞑る。

 俺は慣れているが確かに眩しいな、うん。

吾妻の手にはバチバチと火花を散らして大剣が収まっていた。

「我が宿命のライバルよ……今日こそ……」

たまが光に慣れ目を開ける。


「あっ」

 

「あ、え、は……ああ!」


 吾妻はたまの表情を見てなにか気づいたのかまた顔を赤らめていく。

「このひと……夢の中で見た……?」

「……!そういえば吾妻は日魔の会員だったか。そうかそうかそうかー、ありがとうな、弟子が世話になった」

 たまは朔を見上げてまた不思議そうな顔をする。

「いえ、先生。でも女の子だったんですよ」

「変身するんだよ」

「え」

「日魔っていうのは」

 剣を肩に担ぐと吾妻は狼狽えた。

「ま、マテ、朔。話し合おう」

「なんだよ、おまえが隠したところでどうせすぐバレるぞ」

 急にしおらしくなった吾妻が面白く、ついからかいたくなる。

「ああ……なるほど……ふむ。いや今から恰好をつけようとしても無駄だろうし橙が確実にばらすぞお前」

「なにをいっているのかなモチヅキクン……」

 吾妻の顔には汗が浮かんでいる。俺は吾妻の剣を指さしてつぶやいた。

「あとそのデカブツで床に傷でもつけてみろ。俺の知る限りを全部今ぶちまけてやる」

「…………」

 吾妻は数言つぶやくと手の中から剣が消える。

「……環ちゃんって言うの?」

「は、はい」

「よ、よろしく。俺もまだ修行中なんだ……はは」

 吾妻は椅子に座るとアイスコーヒーと愛想なくつぶやいた。環も追加でホットコーヒーを注文する。

 俺ははいはいと用意を始める。今日のおすすめコーヒーの豆はブルマンである。

豆も選べるのだがあまり指定されることはない。少し寂しかったりする。

「あの、筑紫野さんが今朝の女の子……なんですか?」

 吾妻がカウンターに額を打ち付けた。俺は口笛を吹く。

「あ………うん………ソダヨ………」

 自供まで10分もかからなかった。

「日魔っつーのはだな、正式名称(有)日本魔法少女協会だ」

 吾妻が黙ったので吾妻には触れず説明を再開した。しゃべりながら冷却用タンブラーに熱いコーヒーを注ぎ粗熱を取る。

「まほう、しょうじょ…」

 吾妻は朔より小柄とはいえ身長170cmはある成人男性である。確か19歳と言ってたような気がする。

環からの視線に吾妻の表情が悲壮感漂うものになっていく。

「安心しろ、たま。日魔の構成員は全員18歳以上の男だ」

「!?」

「全員変態だがそいつに限った話ではないし、やっていることは別に変質者ではない」

「朔……」

 吾妻の瞳に殺意がともる。

「魔法少女さんってなにをされてるんです?」

 俺は環の前にホットコーヒー、吾妻の前にアイスコーヒーを出した。

「ちゃいるどすりーぷの退治……とか」

 吾妻がぼそぼそと唇を尖らせる。可愛くねぇよと俺は顔をしかめた。

「今朝のあれですか……?」

「夢魔。英語だと正確にはChildren's Sleeping Goat」

「ヤギ……?」

「なぜかアメリカだとヤギ率が高いらしい。子供ってアピールされてるがあれを生み出すのは俺たち術士だ。大人でも見たりする」

 俺は器具を洗いながら答えた。

「魔術師の無意識下の誤射で生まれた魔術生物のことを言うんですよ……」

 吾妻はつぶやいてアイスコーヒーをすすりながら死にたそうな顔をしている。

介錯してやろうか?

「寝てる時に間違って術を使って作り出しちまうことがあるってことだ」

「寝てる間に?わ、私が……?」

「俺たちだって夢を見る。人間だからな。まぁ自分の夢に出てきても他人製の夢魔ってことも多い。そしてその方が体感五割増し不気味だ」

「でも……あれを……人が……」

 たまは肉塊を思い出したのだろう、小さく身震いした。

「ちなみに夢魔に夢の中で殺されても実際肉体には影響しない」

「え、そうなんですか?術なのに?」

「ああ、ものすごく気分は悪いがな。夢の中でしか存在できないチャイルドスリープはそんなに強い力を持たないし簡単に消えちまう。できることも極少ない」

「先生も見たことあるんですか?」

「子供のころはな、母さんに泣きついて……なんだよ」

 吾妻が露骨に嬉しそうな表情になる。

「ククッ……ダサいな朔……!!」

得意げな吾妻を無視して話をたまに戻す。

「たまにも対処法は教えてやる。注意しておくべきだったな。悪かった」

「……びっくりしました……魔法使いさんにとっては普通なんですね……」

「気持ち悪いもんは気持ち悪いがな。自分の術中では大概術が使えないし、起きても大体覚えてるし……トラウマになる奴だって勿論いる。」

「う……」

「だが前提として夢の中では夢魔は小物だ。時々現実世界に出るようなでかいのがでることもあるから気をつけろよ。見るようになったってことは出会う可能性も無いことはない」

「あれが……現実に……ですか!?」

「滅多にないがな。毎度同じ姿をしてるってことはまずないし。場合によっては食べ物や植物の形をとったりもするぞ。俺もピーマンの夢魔を見たことがある」

 吾妻がとても嬉しそうだが橙はとっくに知っているし何なら俺はお前の見た夢魔の話を聞いたことがあるぞ。

「はぁ……」

「で、そいつら日魔はそういう夢魔関係の災害を食い止めるのを主目的にしてんのさ。ありがたいことだ。」

 俺とたまは吾妻を見た。

「正義の味方さんなんですね!あ!日曜とか土曜の子供向け番組に出てくるような?」

「大体そんな感じのとらえ方でいいだろう」

「吾妻さんは女の子にへんし……先生。皆さん女の子に変身されるんですか」

 はっとたまが顔を上げた。構成員はすべて18歳以上の男だと言っていたのを思い出したのだろう。

「ああ」

「魔法少女さんですもんね……」

「俺もう帰る!!」

 吾妻は小銭を席に置いて勢いよく店を飛び出していった。アイスコーヒーのグラスは空になっていた。

「まいどありー」

 からんからんと、見送るようにベルが鳴った。

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