第9話 経営戦略
11月。息が白く濁り寒さは身を切るものになっていく。
実際のところ、『露光』の経営自体は可もなく不可もなくといった感じだった。収支的には。
「先生……これは……」
入り口に休憩中の札をかけ、手書きの出納帳を見てたまは顔をしかめた。
「こちらは……ケーキ屋さんですか……?」
そう、露光の主売り上げはケーキのテイクアウトである。
たまが言葉を濁すのも無理はない。昼過ぎでも店内が閑散としている割には売り上げは悪くない。その秘密はこれである。
「午前に来て買って帰る常連がいるんだよ……」
俺は少し唇を尖らせて反論した。とはいえこだわりの豆や茶葉が年何キロ廃棄になっているか指摘されると耳が痛い。
「いっそケーキ一本に転身された方がこれはいいのでは……じゃなければせめてコーヒーもテイクアウトをはじめるとか……」
「それは断る。カップかグラス以外の提供は断固拒否する」
「でもケーキのおいしい喫茶店でこんなにイートインのお客様が少ないのはやっぱり問題ですよ……」
店内はだいぶ綺麗になっていた。もともと害虫駆除は徹底していたのだが、ほこりやしみを落とし、ガラスを磨き、座席の破損や切れていたランプの交換をするとなるほど雰囲気はだいぶ明るくなっていた。
「……俺が昼に店を閉めることが多いから……」
「私も、ご迷惑をおかけしてその一助をしてしまったので強く言えないですけども……」
宅地も近いのだからもうちょっとなんとかできるのでは。とその目は訴える。
「う……ん……そうだな……」
「……」
「……経営はもう少し改善するよ……」
「すみません…出過ぎた発言ですね……忘れてください」
たまは歯切れが悪い。
「いや、気にしないでくれ」
「部活もしていないので、学校が終わった後もお手伝いに来ますか?」
「それはだめだ。そろそろ受験だろ?勉強しろ」
「……勉強もちゃんとしています。魔法の授業は、週末だけでいいです。」
「あのなぁ……それじゃ本末転……」
遮るようにからんからんとベルが鳴った。
「いらっしゃい……ませ?」
「……今閉店中なんだが?」
「妹なんだもの、いいでしょ?」
金髪のツインテイル。利発そうな青い目がきらきらと輝いている。妹のりり子である。
「たまがウエイトレスするならあたしもお手伝いしてあげるよ?朔」
カウンターごしに抱きつこうとするりり子をいなしながら俺は眉根を寄せる。
「お前はさっさとイギリスに帰れ」
「ひどいよ朔……あたし……朔に会いたくて早く戻ってきたのに……」
「こんにちは、りりちゃん」
「ごきげんよう、たま」
先日攻撃を仕掛けてきたりり子だったが、夕食をごちそうになって気に入ったのかたまにもそこそこ懐いた。
もっとも、まだたまの方が年上だと気づいていないようなのだが……。
「りりちゃんは留学されてたんですか?」
「コーンウォールに行ってたのよ」
「イギリスの……?」
「そう、世界で5校しかない魔法学校。その招待学生なの、あたし」
りり子が起伏の少ない胸を張る。
「わぁ……学校もあるんですか……映画みたいですねぇ……」
たまはまぶしそうに目を細める。俺は否定はしない。
「そうだな……普通の術士が入学するのはまず無理だな……」
世界に魔法学校と呼ばれる場所は確かに5か所。そのすべてが全く異なる団体に運営されており、招待でのみ入学を許可している。
それぞれ中国、イギリス、アメリカ、エジプト、ロシア。イギリス……コーンウォール校は触媒開発全盛期以前から存在する古参だ。
「そういえばなんで戻ってきた?授業はどうした?」
「研究過程が終わったからスキップ制度を使って早退きしてきたのよ?」
学校を風邪で早退したようなノリでりり子は説明すると椅子に座る朔に後ろから抱き着く。
「ねぇ朔。あたし来年からこっちの高校に通うから。ここに一緒に住んでいいでしょう?」
「断る。うちはそんなに広くない。師匠の家に戻れ」
露光の二階は居住スペースではあるが、あまり広くはない。もともと物置だったので仕方ない。
もう一部屋広げることも無理ではないが、パーソナルスペースなどの都合もあり同居は避けていた。
「大丈夫よお兄ちゃん。あたしは同じベッドでも」
「俺が嫌だ」
「素直になっていいんですよー?」
「俺はすごーく素直に断っているんだがな」
「お二人とも仲がいいですねぇ」
「ええ!」「どこがだ」
りり子はごねにごねた末に不満たらたらに鈴ヶ織宅に帰っていった。
翌日使うグラニュー糖が切れていたのを思い出し、朔は環を送った帰りにその足で問屋に向かっていた。
発注すると通常2日はかかるが、なじみの店なのでこういう時融通をきかせてくれるのがありがたい。
と、ビニール傘に当たっていた雨が突如止んだ。
俺は足を止め、顔を上げた。雲には変化がない。背後の足元をみると、あるラインからくっきり道路が乾いているのがわかった。
ポケットから取り出した簡易触媒を砕く。
「メルキオル」
術が発動し手の中にメルキオルが収まる。
即座にメルキオルが術式の構築を始める。
俺は携帯の電話帳から橙を呼び出す。電話はすぐつながった。
「橙、俺だ。ここらの蛇の情報が欲しい」
『朔ちゃん、場所は?すぐ』
電話が切れた。俺は舌打ちする。
結界に巻き込まれた。
もっとも橙も索敵を得意としている。今の電話からこっちの位置くらいはたどれるだろう。
俺は意識を研ぎ澄ませる。はっきりどこにいるかはわからないが視線も敵意も感じない。
「拡散する。拡散する。東に塔を構築。索敵開始」
青い燐光が飛んでいくのに合わせ俺も自分を浮かせた。
少し離れた廃ビルの屋上、その出入り口の裏。
暗がりに、男がいた。
くたびれたスーツ姿だが、サラリーマンには見えない。襟足にかかる髪は寝癖がついているし無精ひげも手入れをしている様子はない。
男の手元にはまだらな血だまりと動かない少女。
少女の制服に見覚えがあった。環と同じデザインだ。
少女は……おそらくもう、生きてはいまい。
「ったく……かってぇな……」
反対の手に握っているのはナイフ。
ナイフは綺麗なもので最中に思えるが血の一滴もついていない。対して男の服はくすんだ血で濡れている。
男は少女を解体していた。既に脚はひざ下から切り取られている。
少しだけ覗いた顔は恐怖にゆがんだまま固まり、涙と鼻水に濡れていた。
「現行犯」
俺は男から少し離れた位置に降りた。
携帯がぱしゃりと音を立てる。
同時に杖が銀鱗を散らす。少し、気が立っていた。
「降伏勧告をする。一度だけだ」
「乗るわけねーだろタコ」
男の手から女学生の腕が落ちた。
「おめぇ……そうか……このあたりの魔女狩りか……へへ」
薬でもやっていたのだろうか。男の目は赤く血に酔っているいるようだ。
俺はメルキオルを放った。自然、男の意識がほんの少し吸われる。
『術式構築完了。展開』
空間が震えた。俺が展開した境界と結界が広がる。
杖は空中で静止する。
境界と境界が重なり音楽のように音が響く。
「辞世の句があれば今のうちに用意しろ。外道」
・ ・ ・
からんからんとベルが鳴る。
「先生」
次の日の夕方、沈んだ顔の環が『露光』を訪ねてきていた。
「どうした」
今日も客はいない。と言っても昼に当日分のケーキはすべて売り切った。和栗のタルトが最近の一番人気だ。
「同級生が、行方不明なんです」
「……」
「あの、それだけじゃないんです。おかしいんです。クラスにいくつか空席があって」
「……誰がいたのかわからないんだな……」
「いえ……私は……わかるんです……でも」
「他の、教師やクラスメイトは気づかない?」
「……はい……」
現在。世界人口はおよそ30億。
特に2000年代に入ってからの人口減少は各国で問題視されている。
しかし、それだけの人類が本当に生きているのかさえ実際は定かではない。
「……隠しても仕方がないな。この間橙のところで襲ってきた男。いたろ」
「……はい」
「あいつの所属する団体。『銀の蛇の会』って奴達なんだが、ここ数年特に活発に関東近郊で人間狩りをしている」
「……」
たまは口を引き結び、服の裾を握っている。
「お前以外が気づかない級友は、おそらくもう生きていない」
「どう、して」
「協会という自治組織が死んだ人間の記録を隠蔽している」
「かなえちゃんの……家族は……?」
今までは気づいていなかったのならばもしかしたらたま自身にかけられていた知覚的プロテクトが修行で綻んでいるのかもしれない。
このまま続ければ弟についてもなにか思い出せる可能性はある。
ただ、それはたまにとっては見ない方がよかったものまで見せるのだろう。
「すべて忘れさせられているはずだ」
同級生の記憶が処理されているならば協会が死体を見つけたということだ。
もしかしたら昨日殺されていた少女がかなえちゃんだったのかもしれない。
だとしてもどうにもできない。他の人間が思い出すことももうないだろう。
一般人には術士に抗う術はない。死んだ人間は生き返らない。それが残酷な現実だ。
「大丈夫か?」
「……はい」
たまのぼんやりした様子に俺も少し不安を覚える。
「修学旅行。もうすぐだろ。これを持っていけ」
用意したのを忘れていた。
俺はカウンターの裏に置いていた小鳥のストラップをたまに渡す。
「なんですか?これ」
「おまもりみたいなもんだ。やばいと思ったら足で踏め。中に通信用の術式符と触媒が入っている」
「わ、割れたりしませんか?」
「だから足で踏めと言った。割らないと自動発動はしないし多少の衝撃じゃ割れない」
青い鳥をしげしげと見つめながらかわいそうだなぁとつぶやくたまを見て、俺は少しだけほっとしていた。
「出発までに接続訓練が終わればそのまま通信もできる。頼むから風呂とかには持っていくなよ」
「はい!」
俺は環という人間がよくわからなかった。
環はストーカーをしていたが暴力は極端に嫌う。護身用にと攻撃術も教えてみたが怖がって全くと言っていいほど発動できない。
被虐の記憶がそうさせるだろうか、しかし自身に関する警戒心は驚くほど薄弱だ。
危うい。
間違いなく、術士には向いていないとは思う。だが、このまま放りだしても長生きはできないだろう。
「どうすりゃいいんだか……」
小さな独り言は幸い拾われず。俺の胸中に燻ぶるだけだった。
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