第6話 講義②

 橙は銃にひるみもせず立ち上がるとローヒールで男に歩み寄る。

「で、ガラスを弁償していただかなきゃいけないあなたはどなたかな?」

「香典を出してさしあげますのでそちらで工面してください」

銃声。連続4発。


 環は小さく悲鳴を上げ、頭を押さえてソファの影にしゃがみ込む。対して飄々とした橙の態度は崩れない。

「先生……」

「折角だから見ていろ。こっちに被害はこないから」

 俺が面倒を見るなら尚のこと、ほのぼのしていない【こちら側の現実】には触れておいた方がいいだろう。


「流石にお早い」

 男は銃をしまいぱちぱちと手を叩いた。

「火薬銃なんて国内で入手するのは面倒だろう?」

 橙は片手を開いて佇んでいる。傷は見当たらない。

つぶれた銃弾が掌から床に転がる。

「いやはやごもっとも」

 男はポケットから折り畳みナイフを取り出す。柄と全体に散らされた蛇の彫り物が美しい。

 橙はそれを見て少しだけ不機嫌そうに目を細めた。

「おや、ばれましたかね」

「……」

 沈黙は肯定。

「お客人は不干渉ですか?舐められたものですね」

「今日は関係ないからね」

 俺は何も言わない、何もしない。ただ見ている。

「こちらとしてもその方がありがたいですが、ね」

 男がナイフを横に振ると室内を強風が吹き荒れる。

「そうかい」

 橙はキャンディの棒を指で摘むと軽く振った。

 5cm程の紙の棒は軽い破裂音を立てて膨張する。長さ1m程度、太さ3cm程度の白い棒。

 橙が棒を軽い動作でくるくると回すと金属音を立てて何かがはじき飛ばされる。風の中になにかが入っているらしい。

「こっちも取り込み中だから早々に縛について頂こうか」

 男はナイフを握り直し鞄を置いた。

「面白い触媒ですね。興味があります」

「そ」

 橙は棒を構えなおすとナイフを持った男に躊躇なく肉薄する。



「先生。触媒ってなんですか?やっぱり……化学のとは違いますよね」

「反応を促進するために投入するそれ自体は直接反応しない物質を触媒と呼ぶ」

「儀式に使うヤギの血とか豚の心臓とかですか……!」

 なんというか、少し嬉しそうに環はこちらを見上げた。オカルト、好きなんだろうな。

「……そうだな。あいつにも関係あるし、術士になること自体考えるべきだしな。教えよう」

 俺はジャケットから5本の棒を取り出した。ガラス製の赤い筒。

「これや、橙が使っているあれが触媒と呼ばれる物だ。魔法使いの杖に当たる」

「あの、男の人のナイフもですか?」

「ああ」

 俺も男のナイフに見覚えがあった。正確には柄に描かれた蛇の意匠に。

「袋の男。あいつの所属している組織は人間狩りをしている」

「え?」

「人を集めて殺している」

「……」

 環は狼狽えている。

 無理もない。この子はのんきに飛んでいる朔しか術士を知らないのだ。

本に出て来るような箒で宅配業務でもする魔法使いでも想像していたのだろう。

「そしてここの事務所はそういう人間社会に迷惑をかける魔術団体の粛正に荷担している」

「朔ちゃん。その言い方は嫌いだよ」

 戦いながら橙が非難の声を上げ、ソファの側面に何かが当たって弾けた。

「!!」

 環は全く気づかなかったようたが、見えない壁がある。壁の下に転がっているのはコイン。

環はまた頭を押さえた。

「事実じゃないですか、うちも迷惑を被ってるんですよ」

 ふうと息をつきながら男も橙の顔めがけナイフを振る。

「朔ちゃーん、ちょっと集中するからそっちの壁だけ代わりに追加で張っておいてー」

 男の腹に蹴りを放ち壁際まで吹き飛ばしながら橙が手を振る。

「……床を抜くなよ」

 俺はジャケットの内ポケットからボールペンを取り出すと空中に図形を描いた。

一瞬だけ輪郭を散らして図形は霧散する。

「なん、で、そんな」

「触媒のためだ。これは人間を材料にして作られる」

 環が立ち上がる。

「とりあえずは聞け」

 環は手を震わせながら座った。


「近代魔術史の話をする。少し長くなる……


 昔、といっても割と最近までは触媒は生物に微量に含まれる魔術素子、それがなんだか具体的に理解はされていなかったがその物質の含有が高いもので作られていた。

長く生きる木や深海魚、豚や牛の血や骨なんかを使ってな。

術具、儀式に使うコミカルなアイテムなんかみたいなものが実際に使われていた。

だが、世界大戦の勃発で術士の倫理もおかしくなってしまった。

 1914年。人類史における初めての世界大戦は900万にも昇る死傷者を出した。徴兵された兵士の中には術士も含まれていた。

当時術士は今より数も少なく己の素性も隠して生きていた。

欧州なんかはまだ魔女狩りが起こっていたからな。今も場所によってはあるが……。

触媒自体は変質する物でないとしても使った後当面は役に立たないか、術に汚染されてもう使えない。

前線に送られた兵士術士は生き残るために隠れて術を使っていたんだが、目立つ杖なんかを持って行けないし戦地で都合良く触媒が調達できる訳がない。

そこで、触媒が尽き、命の危機に晒されたた術士は


 試しにそこにあった手近なものを触媒にした。


 効果は雲泥だったそうだ。術士の弱点だった大仰な儀式・威力・発動の遅さ、術士ごとの資質以外の部分は飛躍的に向上した。もともとブードゥー系では親先祖の遺骨を触媒にしていた奴らもいたからそういうやつらにとっては寝耳に水だったかもしれんがな。

 同時に俺達にある才能が魔術素子ってものでそれは微量に人体にも含まれていて、人体は杖の材料にでき、しかしそれは微量と言っても牛や豚とは比較にならない程良質だってことも分かった。


 戦場は実験、研究に最適だった。


 多少変な行動をしても、戦争に心が耐えきれず気が触れたと振る舞えば怪しまれないし、実験材料は”いくらでもあった”。

 第二次大戦でも同質……いや、もっと酷い実験が多く行われたそうだ。

 技術の目覚ましい進歩を取り込み、魔術は実戦に耐えうるレベルまで進化してしまった。戦争の終結後、術士は爆発的に増えた。

 隠匿や情報を抹消する術の発展で隠れる必要が無くなったからな。

 術士だけの街を作る者まで現れた。


魔力素子を含んでいても適正も素子量も一定に満たなければ絶対に術は使えない。

やがて術を使えない人を自分たちより下の生き物と断じ、一方的に狩る奴等が現れた。


そいつらに対抗するべく組織されたのが皮肉ではあるが協会と”魔女狩り”だ。」



 俺は息をついた。

横目にみると橙は男の側頭部に棒を叩き込んだ所だった。

脳震盪を起こし意識を飛ばせば術は発動できない。

「あの」

 環は青い顔をしている。

「魔女狩りって……そういう……ことなんですか……」

「そうだ」

 おそらく、俺の言う魔女狩りがどういうものだか気付いたのだろう。

今も昔も、魔女狩りは正義の執行者などではない。

「犯罪者である術士を断罪という名目で狩り、そいつらから触媒を作る同族食い、それが”魔術士による魔女狩り”の起こりだ」

 ならば袋を被った男は、と環が壁向こうに目を遣る。

「『筺』も、確かに十把一絡げに言えば魔女狩りの団体のひとつだな」

「じゃああの人も……触媒に……されちゃうんですか……?」

「いや、『筺』や多くの団体は基本的に倒した術士から触媒なんて作らない」

「へ?」

 俺はテーブルに並べた触媒をひとつ握り潰した。

砕けたガラス片は床に落ちる前に消える。

「この中身は俺の血から出来ている。志命の連中のおかげで献血ついでに触媒を作れる。今はそういう時代だ」

「じゃあ……なんで……人を……」

「より高品質な触媒がほしいからだよ」

 橙がソファの背によりかかった。

 スーツはずたずたに裂けているが肉体には傷ひとつ無い。

露出が高くなっているので意図して視線を外す。

「朔ちゃん。ちゃんと先生できるじゃない。えらいえらい、沢山褒めてあげよう」

 袋男は青い帯でぐるぐる巻かれて転がっている。あまり強くは無さそうだったが本当に変な見せかけだけのヤカラだったようだ。

俺も割とどうでも良い。当面は起きないだろうし。


「触媒に一番適当なのは10代~20代処女の魔術士。正確には処女性っていうよりも妊娠したことの無い女の術士が最適なんだってさ」

 橙はあけすけに語る。こういう時はありがたい。

 環は自分の掌を見ている。そうだ、だからおまえは危ない。

「こういうケースに入った使い捨ての汎用触媒じゃなくってちゃんとした杖やさっきのナイフ、この棒……杖なんだけどセンスが無くってね。こういうのを作るのに材料を集めたがるんだよ。あいつらは」

「どうして……志命さんが安全に触媒を作ってくれるのに?」

 橙はちっちっちと呟きながら指を振った

「人を沢山殺せば強い術者が釣れるし病院に頼まなくてもたくさん、”死ぬ”ほど触媒が作れるんだ。まぁ魅力は色々あるよね」

 橙が指先でバトンのように棒を回すとまたアメの棒ほどのサイズに縮んだ。

棒を口にくわえてシニカルに笑う。

「強い力にひとは憧れを持つものさ。そして憧れは簡単に理性を狂わせるんだ」

 俺は溜息をついた。今日だけでもう何度溜息をついただろう。

「環……ちゃん」

「たまか環でいいです。先生」

グイグイ来る子だな。本当に。

「……たま。橙も戦っていた術士も俺もきみの憧れる魔法使い、そして魔女狩りだ」

「……」

「能力も術も道具でしかない。術は暴力の代替品に使われる。これが現実だ」

 研究だって安全にできる環境はごく一部。例え平和な術士を目指そうと無条件な安全などもうこの世界にはない。



 魔法使いとはなんだろうか。

深くは考えていなかった。

とにかく人に無理なことができるかもしれない。

0を1にできるかもしれない。

奇跡

その可能性が環の光だった。



「一時的にきみの師事をすることにはなるが、俺も魔女狩り、そして善人の類ではない」

 俺は水のグラスに口をつけようとして眉をひそめた。ガラスの破片が沈んでいる。

「先生は……その……悪い、魔法使いなんですか?」

「……良い人間ではない。少なくとも」

 俺は環の目を見た。

「あの……」

「だから、あまり懐かないでくれ。たま、君だってちゃんとした奴に教わった方がいいだろ」

「……」

「ねぇたまちゃん」

 橙が声を上げた。

「界隈で師弟制度が一般化したのは『狩り』を防ぐためだ。小さい子から奴等の獲物にされちゃうからね。大体師匠を付ける。師匠は弟子を守り、成長を助け、仕事を弟子に手伝わせる」

「手伝う……」

「朔ちゃんはね。基本ただの喫茶店のへっぽこマスターだから、キミのためにもいいと思うんだ」

「橙」

「朔ちゃんはね、そうなったほうがいいんだよ」

「復讐には邪魔だ。余計なしがらみを押し付けないでくれ」

 環は聞き逃さなかった。

「復讐?」

「あたし達の元の師匠。朔ちゃんのおかあさんはね。悪ーい魔女に殺されちゃったんだ。その後に面倒を見てくれたのがさっき話しに出た鈴ヶ織ってオジサン」

 環の視線から逃げるように顔を逸らす。

「朔ちゃんはね、確かに綺麗な手じゃないよ。魔女に関する依頼は積極的に受けているし、魔女を殺す仕事も、受ける」

「ただの人殺しだ」

「でも無関係な人を巻き込まないようにいつも疲れる方ばっかり選んでるじゃない」

 橙は優しい。それが朔を更に追い詰める。

「俺は利己的な人間だ。環、君の事も消そうとした」

 殺そうとした。そう取られても構わなかった。優しい言葉が怖かった。

「それでも、やっぱり。先生がいいです」

 環は曇りのない目で俺を見た。

「……朔ちゃん……この子になにかしたの?」

 橙が胡乱げに朔を見遣る。まさか術士のくせに普通に数年ストーカーされ続けていたなどとは口が裂けても言えない。

「悪いひとでもいいです。先生は魔法使いが人を殺すことも、魔法使いが魔法使いを殺すことも、嫌そうに話されました。私も……嫌です」

 環はソファから立ち上がり、床に正座し手をついた。

「必要だから、そうされているのでしょう?教えてくださることも、選んでくれているのには気づいていました。あなたがあなたの事を信じられなくても、わたしはあなたの信じる理想を信じたいと思います。邪魔になったら放り出して頂いて構いません。」

 環は床に頭を付ける。綺麗な土下座だった。

「望月朔さん。どうか、私をあなたの弟子にして下さい」

 橙が口笛を吹く。

「なんだ、あたしがすすめなくてもぞっこんじゃない」

「……っ……クソ……やめてくれよ……」

 良い子だ。付き合いは短いが、それでも何度も店に通われ、ひととなりはぼんやり分かってきていた。

 時々言動と行動が飛ぶが、信念があり、期待があり、人を信じる事のできる、お人好しで、まだ世間を知らない、良い子なのだ。


「わかったよ」

「!!」

 環が笑顔になる。

俺の知る子供らしい、無邪気な笑顔に少し安心する。



・・・


 橙は犯人を引き渡し事務所の片付けをするからと早々に俺達を追い出した。

帰りがけにも説得するつもりで呼び出したのだと言っていたし、まんまとあいつの術中に嵌ってしまった。

肩を落とし、たまと店への道を歩く。

「先生は……復讐相手の悪い魔女さんを知っているんですか?」

「8年前。俺達の師匠であり、俺の母だった人を殺害し、その遺体を持ち去った犯人」

 俺は今でも鮮明に思い出す。母を”丸呑み”したあの魔女の姿を。あの赤を。

「赤穂白雪を探している」


 何故だろうか

その名前を口にした瞬間

術もかけていないのに

まるで記憶を改竄しようとした時と同じように


糸の切れたパペットのように、環は気絶した。

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