第5話 柊事務所

 その日、帰った環は私服に着替え、喫茶店『露光』を訪れていた。

日は大分短くなってきたが日没まではまだ時間がある。



 からんからんと、ベルが鳴る。

店の入り口にはすでにCLOSEDの札がかけてある。

「よお、来たな」

 俺はいつもの黒いカフェエプロンを外しジャケットを着こんでいた。

「あれ?」

 珍しいですねと環が切り出してくる前に用件を告げる。

「あー、今日はな。例の他の師匠の件で連絡があった。一緒についてきてもらえるかな?」

「……はい、ありがとうございます……」

 少しだけ悲しそうな顔で環は頷いた。

「悪いな……何かあれば相談には乗るから、さ」

 環を待たせシャッターを閉め、ついてくるよう促し駅の方角に歩きだす。

 天気はまずまず。雨は降らないだろう。

「専門術士の病院を紹介してもらえるかもしれないから、悪い話ってわけでもないんだ」

「魔法使いの……専門のお医者さんですか?」

「んー……正確には術士がやってる医療従事者の集団。かね。病院は通称なんだが確かに紛らわしいな。志命(しめい)病院だから志命の方がいいか、どっちでも通じるし」

 道に人気はないが環はきょろきょろと辺りを見回し声を潜め口に手を添えて俺に尋ねる。

「あの、いいんですか?往来でこんな話しても」


 俺は環に術士の事は家族・友人等にも口外しないことを約束していた。

術士の工作なんて今時世の中に溢れかえっているが余計な手間が増えるし、親しい相手の記憶改竄はあまり精神的に良いものではない。

「今はわざわざ見えるようにしてないだけで俺たちの周りに領域を展開している。俺たちの行動や音声は周囲に知覚されないようになっている」

 環はこちらに尊敬の眼差しを向ける。

「や、やめてくれ…そんなにすごい術じゃないから…」

「充分すごいです!魔法です!」

「……」

 こういうテンションは、苦手だ。

「あ、あ。そうだ。折角だからな。このあたりで神楽坂って名前を名乗るヤツがいたら距離を取った方が良い」

「どなた方なんですか?」

「関わり合いにならない方が幸せな人種だよ…」

 俺は電話で伝えられた内容を思い出して溜息をついた。



・・・


 『露光』は宅地の中に立っている。駅までは徒歩で20分程度。

 俺達は駅の前を通り過ぎると少し煤けた小さなビルの前に立った。

一階にはコンビニが入っている。

「ここだ」

「本当に、ご近所なんですね」

「君は……この街に俺以外術士がいないと言ったが、結構いる」

「そ、そうなんですか!?」

 コンビニをよけ、脇の階段を昇る。

「これから会うのは柊橙という女だ。悪い奴じゃないからそこだけは安心してくれ」

 二階のドアには立方体に蓋がついた絵が描かれた札が貼ってある。

 俺は時間を確認し、ドアをノックしてから開いた。

「橙、邪魔を……す……る……」

 明るい髪、柔和な笑顔、そして豊かな……

「あれー、朔ちゃんもうきたn」

 乱暴にドアを閉めた。環は後ろで戸惑っている。

「えーどうしたの?入りなよー」

「服を着ろ痴女」

 環が階段中腹でぽかんとしている。気まずい。

 しばらくして、内側からドアが開かれた。中から顔を覗かせたのは女。

 歳は朔とさほど変わらないそいつは、下着のようなトレーニングウェアの上に無理矢理スーツを着ている。

「ごめんねー。自主練が終わったところでつい」

「ついじゃない。何も知らない他人とか宅配だったらどうするんだ」

「民間人なら術で記憶を飛ばすし術士なら拳で、ね」

 握り拳を見ながら俺は肩を落とす。

「物理かよ……」

 事務所の中には彼女一人だけだった。


 柊橙。この事務所の所長をしている。

 髪色は明るく、だいだいという名前にかけてかオレンジブラウンに染めて髪留めでまとめている。

 橙は事務所に置かれたソファにかけるよう促すと。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し氷を入れたグラスに注ぐ。

 人数分グラスを配るとデスクからファイルを取って彼女も対面に腰かけた。

「初めましてお嬢さん、柊橙です」

 環の前に正方形の名刺が置かれる。役職には「筐」代表と書かれていた。

「環……芦原環です。お世話になります」

 橙は足を組むとうーんと小さくうなった。

「朔ちゃんが直接見てあげればいいと思うけどなぁ……」

「できない。わかっているだろう」

 橙は膝の上で頬杖をついた。

「お姉ちゃん的はキミにも危ないこと、してほしくないんだけどなぁ」

少しだけ険悪な空気が流れる。

 環は橙と俺の顔を交互に見て口を開いた。

「ご兄妹……なんですか……?」

「……姉弟子だ」

 俺は頭を軽く掻く。そうだ、喧嘩を見せに来たわけではない。

「悪いな、気をつかわせた」

「いえ、その……」

「ああ、えーと。たまちゃん?大丈夫だよー。橙おばちゃんが良い師匠をさがしたげる」

「……言っておくがこの子は17歳だからな」

「うそ」

「17歳です……」

 環は言われ慣れてはいるのだろう。少し悲しそうに学生証を出して淡々と答える。

「ゴホン、それよりだ。話を戻そう。見つかったのか?若しくは問題の少ない精神系の術医師でもいい」

「あーごまかしたなー。本当は?」

「17歳です」

「真面目に聞いてくれ橙」

 心底呆れた俺に橙はようやく居直す。

「んー?調べたんだけどすぐに手が空く知り合いはいないね。あたしも新人の面倒見なきゃだし」

 橙はファイルを開く。

そして口元が寂しいのかテーブルに置かれたポップキャンディの包みを片手で器用に剥いて咥えた。以前はタバコを吸っていたが弟子をとってやめたらしい。

「たまちゃん、術士の経験はホントに0?」

「はい」

 環がはっきりと答えると橙は眉根を寄せた。

「ホントに未登録児かぁ……志命病院の方もあたったけど一応確認したくて。ご足労頂いたのに悪いね」

「今時、病院に完全に捕捉されない血統があるとも思えないんだが……」

「キミのそれは皮肉かな?」

「俺と違って出自ははっきりしているんだ。変な勘繰りはやめてくれ」

「この子、素養は結構あるんでしょう?」

「……」

 俺は環に気づかれないよう術を使う。

用途は伝達。素子で通信回路を構築し、橙に繋ぐ。環に聞かせるわけにはいかない。

察してくれたのか橙も表情を変えず回路を開いてくれた。

『目隠しを破られて盗撮されていた。素子0では間違いなくないだろう』

『それは聞いたけどほんとに素人ちゃんって感じだし……』

『加えてこの子に対抗術を張っている術士がいる』

『ん……?記憶操作に失敗したの?キミが??』

『ああ……儀式術を撥ねるくらいのを張られている』

 ぱきりと飴の砕ける音がした。

 儀式術は最も古い術の係累故にしっかりと使えば効果が高い。それを撥ね退けるということは相手は俺よりも格上の術士だと考えられる。

「兎角、こっちから呼び出して悪いけど、しばらく朔ちゃんが面倒をみてあげな。ずっととは言わないから、これお姉ちゃんの命令ね」

「だから……」

「あの庵ちゃんだって弟子をとってからずいぶん丸くなったんだから。悪いことばかりじゃないよ」

「橙」

「それ以外の手続きは全部こっちでやったげるからやりなさい」

「……俺は道楽でやってるわけじゃ……」

「一応言っておくけどね。鈴ヶ織のおじさまにも話してあるから、頼っても無駄だよ」

「っ……」

 俺達の師匠の名前を使うということは完全に命令だ。

久しぶりにまともに頼みごとをしたのに、酷い裏切りだ。

「朔ちゃんにとっても悪い話じゃないと思う。手助けは極力してあげるし、アレについても今まで通り手伝ってあげる」

…………。

「朔ちゃん?」

 良いよね?とその表情は物語っている。

「わかった……よ……」

 俺はぐったりと項垂れた。こうなった橙を言い負かせた試しがないのだ。

「えらいえらい。ご褒美にアメちゃんをあげよう」

「いらん」

「あ、の」

「たまちゃん。そういうことだから、しばらく朔ちゃんがみてあげる」

「!!」

 環の表情が明るくなる。わかりやすい。

「ただし、その前に」


 事務所の道路側に面した窓、すべての硝子が砕け散る。

 硝子片を押しのけ飛び込んできたのは、男。

 黒い喪服、黒い鞄、黒い靴、黒い手袋、おまけに黒い袋を頭に被った男はすくと立ち上がると橙に銃を向けた。

「柊橙、死んでいただきます」

「折角だし、うちの事務所。魔法使い事務所「筐」を見学していきなさいな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る