第7話 炎のおともだち

 俺は環を自宅へ送り届け、一人『露光』への帰り道を行く。

住所は学生証を見た後環自身からも聞いていたが、なるほど隣駅との中間ほどだった。

情報屋に素行調査も依頼したが間違いない。両親の素子量も調べたが、環以上どころか素子は全く感じられなかった。検知限界以下、にわかには信じられなかったが両親は祖父母まで本当に普通の人間だった。


赤穂白雪の名前に反応して倒れた環。

環が赤穂の被害者の可能性もでてきた。

あの魔女ならば何をしても不思議ではない。


 俺は決意した。

あの子の師匠になる。

自分が誰かに教える立場になるとは思わなかった。

復讐さえ果たせれば、本当にそれで死んでも構わなかった。

それでも、信じるという言葉が嬉しかった。

どこまで出来るかは分からないが、あの子の助けになりたい。そう思えた。

 環は朔のことは誰にも打ち明けていないと言っていた。

 兄は不在だったが環の親も俺の事を知らず、気絶した娘を送り届けた事に感謝し後日礼をしたいとまで言っていた。

 環は約束を守ってくれていた。

バルコニーで天体観測をしていたら朔をみつけ、ずっと人知れず追いかけ続けた。

あの子の希望に、なれるのだろうか。


夜空を見上げる。星は見えない。






 人気のない住宅街を歩いて行く。

 ふと、対面から歩いてくる人影に気付いた。

まとめ上げられた黒く艶やかな長い髪が冬風に揺れる。

赤い着物を着て、片手に携えているのは日本刀。

 一瞬宿敵の魔女を思い出すがあいつの赤とは……違う。それにあいつは”刀”なんか使わない。

 屋外で職質されそうな出で立ちのこいつも術士ではあるだろうとは推察される。

「誰だ……あんた……」

 一瞬の違和感。

 よく知っている感覚、俺以外の手によって領域が開かれている。

続いて薄く収束する波紋のように結界が展開されるのを感じる。

閉じ込められた。

 街の様子は変わらないように見えるがコピーした箱に放り込まれたようなものだ。

実在の街ではないので一般人への被害は気にしなくてもいいが状況は命がけの決闘を挑まれているに等しい。

 しかし俺はこの女に見覚えがない。

「望月朔……」

「……」

 ポケットの触媒を確認する。汎用が3本。

戦闘になった時の可能性を考え術式を構築。ポケットの中で触媒を2本握りつぶす。

「死んで?」

刺客か、復讐か、どちらも可能性はある。

「メルキオル」

 音声魔術。音に意味を乗せたり発動法は千差万別だが俺はあらかじめ組んだものを発動する鍵として使っている。

技名を叫びたい術士も大抵これを使う。簡易に引き出せるのが魅力だが少し恥ずかしい。

体力と素子が削られる感覚と共に手に馴染んだ杖の感触が現れる。

『やぁおはよう、朔。魔女をみつけたのかな』

 お喋りな使い魔の青い鳥が先についた籠の中で囀る。喧しいので回路通信以外への干渉は切る。

『なんだ相手は子供かい。本格的にロリコンに目覚めたのか嘆かわしい』

『うるさい黙れ』


子供?


 女。いや、なるほど近くで見るにまだ少女と言って良い歳だろう。少し吊り目がちの薄化粧、赤が似合う目が覚めるような美人だ。

眼前に影。

 とっさに突き出した杖に衝撃が走る。

幸運にも手には当たらなかったが杖に刃が食い込んでいる。

特殊加工してある本体に傷を付けるとは相当な切れ味だ。

手にしびれが走る。

「死にたくなければ弟子をとるのをやめなさい」

「……知り合い、か?」

 俺は混乱していた。

環の周囲に術士が居たならば朔に弟子入りする必要は無い。

つまり、この女は隠していた?環に?何故?

もしくはこの少女こそが環の記憶を操作し対抗術を張った犯人か。

「あんたは、知らないのか?たまが」

「……お前なんかがたまを語るな」

 静かに、痛いほどに肌を刺す殺意。

「六番、炎、溶けよ、爆ぜよ」

 刃に炎が奔る。音声魔術による付加魔術。

あれで斬られたら杖はひとたまりもないだろう。

「ちょっと待て!!話を聞け!!彼女に術をかけたのはきみじゃないのか??」

「なに」

 物騒なものを構えたまま、視線だけ朔から離さず少女は静止した。

「環、ちゃんには強力な対抗術が掛かっている。俺も術士の記憶を消そうとしたが無理だった。きみがかけたんじゃ」

「わたしが、たまに、そんなことをするわけ、ないだろう……!!!!」

 少女はより激昂する。

「あ――――……」


しらんがな


 ただひとつはっきりした。この子は犯人ではない。

というか、多分アレだ。

これは愛が重いヤツだ。

ヤンデレ。そう、ヤンデレだ。同性の。


『ピィ!怖い……僕は火が苦手なんだ。知ってるだろ朔!!』 

 一瞬呆けたもののメルキオルの悲鳴で我に返り、俺も急いで術を展開する。

「おまえが出来ずともたまの中からおまえを消してやる!!死ね!!!!」

「メル。バッジ、76。行け」

 杖の先から青い光が散っていく。

小さいだけで使い魔であるメルキオルの破片を蒔いただけなのだが少女は青い光に一瞬気を取られた。

「メル。18、24、並列」

 その隙に俺は偏光魔術と粗製術を展開。少女の火種を貰いアルミニウム粒子の即席閃光弾が視界を焼き姿を散らす。光学系魔術は一応得意分野だ。

メルキオルの欠片達は境界に当たって大半が砕け散る。

おおよそ隔絶された空間は把握した。残りは朔の目となる。

「あの子はヤバイ。無力化して逃げる」

 宅地の壁の上に飛び乗り走る。なんだか猫になったような気分だ。

『殺さないの?』

「多分、俺の……弟子の知り合いだ……。それに……無暗に殺すとか言うな。まだ子供だぞ」


・ ・ ・


 残された少女、長谷川邦子は朔を探す。

「二十一……」

 索敵魔術を構築、展開するも反応は無し。

格上だということは分かっていた。

だから、万全ではないが準備もしてきた。

 少女は道路に数珠球を蒔く。そして自分の着物の胸元を広げ、心臓の上に符を乗せた。

「出てこないつもりなら……炙り出す……」

符は肌に貼り付き体と一体になる。

「ぐ……」


 少しいびつながら、炎の犬が現れる。

何頭も、何頭も

『魔術生物だね。それも多頭か。すごいな、子供の扱う術じゃないよ』

 俺と視界を共有するメルキオルが口笛を吹く。鳥らしさのない鳥である。

 炎犬が無作為に走り出した。俺は身を捩って躱す。

メルキオルが邪魔だ。

 索敵能力に秀でてはいない様子だが数が多い、10や20ではない。

更に結界内の物質を取り込み各個体が徐々に大きくなりながら駆け回っている。

『照準は甘いようだから朔をおびき出す陽動用かな。粗削りだけど良くできた術だね。彼女意外と強いよ?』

 そんなことは言われずとも分かっている。

浮遊術を展開し屋根に飛び乗る。

 犬たちは障害物や結界の壁に当たると跳ね返りめちゃめちゃな軌道で獲物を探す。

飛び上がり屋根の上にまで上がってきているのが見えた。長時間避け続けるのは難しいかも知れない。

「たまは……!わたしが……!どんな思いで」

 少女の足下に赤。

 可愛いらしい顔が苦痛と鼻血で汚れ歪んでいる。

処理が追いついていないのだろう。無理もない。

 俺と会話したことで絶対に殺すという信念に少し乱れも生じているのだろう。頑なな思いは人を強くするが、同時に核を喪えば脆い。これだけの術、準備も大変だったに違いない。

殺す決意で、自身も決死の覚悟で向かってきたのだ。

「あぐ、う」

 少女は膝をついた。

「まだだめ……まだ……殺してない……」

 遠目からメルキオルの『眼』で見てもわかるくらいに炎は彼女自身を蝕んでいる。

発動に失敗した術の破片が鬼火のように浮かび上がり術士本人に食らいつく。

耐火付与しているだろう着物にまで貼り付く炎が見える。

「メル、さっさと決める。早く止めてやらないと死んじまう」

『朔、きみは復讐者としては本っ当にド三流だけれど、人間としてそのお人好しさは好ましいと思うよ』

「焼き鳥にするぞ」

 あまり術をひけらかすのは避けたいが、環の知り合いが死んでしまう。

それは、避けたい。

 俺は術を組み上げる。

幸い彼女は満足に動けそうにない。彼女さえ無力化すれば領域が消える。

魔術生物は供給された素子が切れるまで領域が消滅しても動き続ける。

支配権を取り直ぐに領域を張り、炎犬共を無力化する。

或いは先に炎犬を潰すか。

厳しい。

厳しいが、不可能ではない。

 それにしても、あの娘は何者なのだろう。

環の同級性なら16か17かそのくらいのはず。しかし扱う術はどれも高度なものだ。そこらへんの術士が初期に教えるような物じゃ無い。


魔術生物 炎の術士


 嫌な予想が導き出された。

確か、橙が近くに住んでいるとは言っていた。

弟子を取ったとも聞いていた。

「まさか」

こいつは


「やれやれ」



 音もなく、いつの間にか朔の足下に黄金色の獣が居た。

「!?」

狐に似たそれから逃げるように朔は一歩後ろに下がる。

生物ではない。生命体には微量でも含まれる魔術素子を全く感じない。

これも炎犬と同質。いや、相当高練度の魔術生物。

「ああ、それ以上動かないでおくれ、これでも気が立っているのでね、間違えて殺してしまうかもしれないから」

 空気が軋む。

「よいしょ」

 まず目についたのは黒い手。それはごく薄い手袋の色。

そして手を起点とした切れ目とそこから覗く白髪。

結界への物理介入。

 白髪、白い肌、金色の瞳。暗い色の着物と羽織。黒に箔を散らしたおそらく刀。

シックながら派手派手しい男。

 先に侵入していた獣と同じ、おそらくは狐を模したであろう魔術生物が幾匹も足下を駆けていく。

 顔は若いが、思い当たる人間は一人しか知らない。


彼は悪人である。

賢者であり愚者である。

汚点であり象徴である。

老獪なる妖狐である。

屍を積み上げ血の川を泳ぎ炎を着る男。

国内要注意術士、その三位。


神楽坂庵


 神楽坂庵といえば老人でありながら国内のトップ魔術師に名を連ねるとともに国際指名手配されている殺人鬼。殺し屋。

 犯罪者であるのに評価されているのは彼の生み出し周知した術式の多彩さ、多様さ、研究の希少さなどが他の追随を許さないほど価値があるものだからだ。

 中でも炎と魔術生物研究では国内外でも比肩する者はいないだろうと言われている。

 生きる伝説などと崇めるシンパも少なくなく、カルト教団もあるネタの集合住宅のような男なのだが、彼の『納得する額を払えば誰でも殺し、殺すためなら何でもする』という信条から協会も手を焼いた生粋の問題老人である。


 数年前突然協会と和解すると声明が出た際は数々のゴシップを聞いたものだ。

「怪我が治りきっていないのになにを飛び出したかと思えば」

 軽い足取りでトントンと屋根を伝い地面まで降りると神楽坂は肩で息をする少女に歩み寄る。

 少女は反応しない。しゃがみこみ胸を抑え震えている。

「んー?……フム」

 近づいただけで少女に絡みついていた炎が神楽坂に襲いかかる。

神楽坂は躊躇いなく一匹を掴むと”握り潰した”。

「……やりなさい」

 足下の炎、少女を蝕む炎に、端から金の狐が食らいつく。

耳を劈くような悲鳴、あるいは笑い声か。甲高い音を立て、術が術を喰っている。

 魔術による魔術浸食。

相手の術解析ができていないと不可能な高等術式だ。

仲間がやられたことに気づき、他の魔術生物が集まってくる。

飛びかかる溶けかけた炎犬、いや最早マグマに近い魔術生物を振り向くこともなく音なく抜刀された黒い刀で切り払う。

術式核にしていたのだろう砕けたガラス状の破片が道路に散らばる。

神楽坂は群がるそれらを狐と伴にちぎり引き裂き食い破り切り伏せていく。

肉体強化も多重に掛けているのが分かる。

圧倒的な個別の術の練度の高さ、そして戦闘術の技量。

 俺は背中を脂汗が伝うのを感じながら、眼の前で起こっている事象から目を離せない。

メルキオルが籠の中でくるくる回っている。

『朔あれめっちゃコワイ』

 俺もだ。とは言わなかった。




「ルール違反ですよ。邦子」

 辺りが暗さを取り戻していく。夏ばんでいた気温も急速に冷え、冷たさが肌を刺す。

 狐たちは仕事が終わって飽きたのか思い思いに神楽坂の肩に乗ったり足下で転がったりしている。

 神楽坂は膝をつくと手を付いてしゃがみ込んでいる少女、邦子の顎を持ち上げ、頬を平手で打った。

「いお……り……」

「使い慣れない術にまで手を出すとは、相手がお人好しでなければお前が死んでいたのは分かりますね」

 説教が始まった。

「ごめ……」

 ぴしゃりと返しに一発。

「声で分かりますよ、自分の肺腑まで灼くとはなんて愚策。なんて脆弱。しばらく術は禁止です。学校も少し休ませますから」

 神楽坂は叱りながら邦子の体の傷を診ている。肌に乗るケロイドが痛々しい。

「まったく……こんなに火傷をして……」


 間違いない。

邦子と呼ばれていたあの少女は、神楽坂庵の弟子だ。

 体力も精神力も限界だったのだろう。神楽坂が手をかざすと邦子は抵抗なく眠りに落ちた。

 結界もろとも領域が消滅する。

俺が屋根から降りると長谷川邦子を抱えた神楽坂が歩み寄ってきた。

 まじまじと見てもとても老人には見えないが、その微笑みにはなにか張り付けたようなものを感じる。

神楽坂庵は狐と呼ばれている。きっと化けているのだろう。

「うちの子が迷惑をかけましたね。この子は長谷川邦子。ワタシの弟子です」

言葉にしづらいが真っ当なことを言われ、戸惑う。

「いや……俺…………悪いが身に覚えは無いんだが、なにか……した……か……?」

「タイセツなオトモダチを取られて嫉妬しているだけですよ。ふふ、可愛い子です」

 腕の中の少女の頭を撫でる姿は歴戦の殺人鬼とはほど遠いものに見える。

「ワタシとしては、キミにはよくやったと褒めてあげたいところです。そのまま芦原のガキとくっついてくれて構いませんよ」

 初対面の相手に何を言うんだこの男。

「ワタシは有名人らしいですから名乗る必要はないかもしれませんが神楽坂庵。素敵な殺人者です」

 神楽坂は片手で手品のように黒い名刺を出した。

「ああ、ワタシの名刺は1000万位で売れるらしいですから困ったらドウゾ」

 クスクスと笑うもその感情は底が知れない。

俺は殺し屋の名刺なんかどうしろというんだと思いつつ懐にしまう。

「望月朔だ……」

「ふふふ、知っていますけどどうも正義の魔女狩り君」

 何もかも知っているという顔をされると腹立たしいが、こいつ相手にケンカを売っても良い事は全く無い。今正面から戦っても勝ち目は薄いだろう。

「ああ、この子はワタシの奥さんになるのでね。アホなことは止めますが、変に手を出したら生皮を剥いで殺すから」

 神楽坂はにっこりと笑った。

「覚えておくよ……」

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