第1話 流星
「待って」
銀の奔流が夜空を駆ける。
流れ星。
彗星の到来はまだ遠い、満天の夜空に輝くそれは大気圏に突入するシャトルでもなければ解体された人工衛星でもない。
少女はマウンテンバイクを深く踏み込む。
荒ぐ息。白い呼吸の軌跡が彼女の白んだ頬を撫で、夜空に吸い込まれてゆく。
少女の切なる願いは聞き届けられない。
銀の光は細く余韻を残し、消えた。
・・・
時は進む。
寒さが強まり始めた10月、午後2時。ランチと喫茶の間のアイドルタイム。
喫茶店『露光』の店内は閑散としている。
喫茶店としてはそこそこな広さの店内にはレコードの小気味よいジャズが流れる。鼻をくすぐる珈琲の匂い。いかんせん建物がそこそこ老朽化している為に暖房の効きが悪いことを除けば、過ごしにくいことも無い。……多分。
喫茶を楽しみに来る客もいないことは無い、というよりある程度固定客はいるのだが、こと平日に店内で食べて行く客は多くない。大概がテイクアウトで済ませる。
今日の売り上げも微妙だがこの時期はこんな所だろう。
繁忙期ははこうはいかない。せいぜい閑散期を楽しむことにしよう。
俺、望月朔は読みかけの文庫本をカウンターの下から引き出す。ページを捲る音が不規則にノイズを刻む。
と。からん、からん、と入り口のベルがなった。
俺はいらっしゃいませと言うと次のページに視線を移す。
俺の接客はいつもこんなものだ。そのためかとりわけ女性客は居着かない。自覚があるからすぐどうにかなるものでもない。
ふいに入り口に視線を遣る。
「ん?」
誰もいない。
強風でもないのに、と疑問を感じながらも読書を続行する。
「あの」
声。
「誰だ」
声はせども姿は見えず。
「暖かいコーヒーをお願いします
カウンターの下からひょいと頭と手が覗いた。
俺は少しだけ驚いた。
身を乗り出すと小さな女の子がそこにいたのだ。
身長は大きく見ても120cm程だろうか。多少高めに作られているとはいえ少し屈んだ程度でバーカウンターの下に収まってしまうほどの身長である。
女の子の髪型は一見ショートカットで、もみあげだけ伸ばしている。横を向いたとき一房だけ後ろ髪を伸ばして束ねているのが見えた。
「よいっしょっ」
椅子に載ったことで覗かせた顔も幼い。歳の頃は10歳程度といったところか。
近燐の小学校の下校時刻まで精通してはいないが、ド平日。いささか小学生が訪れるには早すぎる時間に思えた。
「その歳でサボりはよくないぞ」
喋りながらコーヒーの準備を始める。客は、客だ。俺とて品行方正にここまで生きてきたと言う訳でもない。誰しもそういう時期があるのかもしれない。
もし何か事情があり、客でなかったとしても茶の一杯程度振る舞っても構うまい。ここは俺の店だ。
カップに湯を注ぎ温め、コーヒーポットにフィルター等をセットする。
焙煎された豆が蒸らしの蒸気を吸い、膨れ上がり、濃い匂いが立ちこめる。
「大丈夫です。テストが終わったので、今日は早帰りなんです。」
今日日小学校でもテストで早帰りがあるのか、と考えながらソーサーをカウンター下から取り出す。
コーヒーカップの湯を捨て、カップをソーサーに載せてコーヒーを注ぐ。
「お待ちどうさん」
女の子の前に珈琲を置くと、彼女は迷い無く口に運ぶ。
眉をしかめる事なく数口含み、感嘆の息を漏らす。
「ブラック飲めるの?ませてるね」
些か年寄りじみた発言だったかと軽く後悔しつつも俺は口が緩むのを自覚する。美味そうに飲んでくれれば店主冥利に尽きると言う物だ。
「あの、今日はお話があってきました」
女の子は俺の言葉には応えず。しかし目を真っ直ぐ見つめながら切り出した。
「……」
どうぞ。と俺は仕草で促す。知り合いではないが子供の質問に目くじらを立てるほど狭量なつもりもない。
「私を、あなたの弟子にして下さい」
「…………はぁ……」
俺は溜め息をついた。
「真剣なんです。」
女の子の瞳はきらきらと輝いている。それほど珈琲が美味かったというのだろうか。
まぁ、悪い気はしないのだが……。
「珈琲の煎れ方ならもっと上手い奴は幾らでもいると思うし、俺に習わなくてももっと良い人がいると思うよ。で」
「違います」
否定の言葉にもためらいは無い。良い切れ味だ。
「私を、魔法使いの、あなたの弟子にして頂きたいんです。」
たっぷりと時間が流れた。気がした。
秒針の動きがスローモーションの様にゆっくりとしたものに感じられる。
「…お嬢さん。ここは喫茶店だよ?」
俺は、占いの館とか、その手の店ならそういう仕事の奴も居るだろうに。というニュアンスで述べたつもりだった。
「はい、存じています。喫茶店『露光』の店長さん、望月朔さん27歳。血液型A型。身長176cm体重」
「ちょ、ちょっと!?」
女の子は俺の個人情報をつらつらと並べて行く。
身長体重は健康診断の時の数値か。生年月日、資格、学歴。まぁよく調べた物である。他に客もいないが気持ちのいいものでもない。
「そして、この街にいる、おそらく唯一の魔法使いです。」
彼女はカウンター下に置いていた鞄から封筒とアンドロイド端末を取り出す。
封筒の中から取り出されたのは写真と、地図。
「何だ、これ」
俺の背中に汗が滲む。
写真の中の俺は、光っていた。
良く出来た画像加工ですね。とでも笑い飛ばす所だったが、俺は言葉を失った。
写真の枚数はざっと見積もっても数百枚。ナンバーが振り分けられ、広げられた地図には写真の撮影場所が細かく記録されている。
少女はアンドロイド端末に記録した動画を再生し始める。
ワイヤーで釣られている以外説明のつかない跳躍をする俺の姿。
屋根の上にふわりと着地する俺の姿。
「いつ、撮ったんだ。こんな」
意図せず肯定の言葉が口を次いで出る。ありえない。あってはいけない。
店内には俺と彼女の二人だけ。
まるで外界から完全に切り離されたかの様な空気の滞留を感じる。
「今のやり取りも録音しています。写真と動画の原本は別な場所で保存してあり、私に何かあれば公開してもらう手はずになっています」
女の子は淡々と続ける。
ジャズの音が遠い。壁にかけられた振り子時計の音が酷く耳に障る。
「なんだ、これは」
「脅迫です。録音も既に別所に転送してあります。」
彼女は俺をもう一度見つめる。
子供にしか見えない女の子が化物に見えた。
「私を、弟子にして下さい。」
逃げ道は、無い。
「……お前は……何を……知りたいんだ」
俺は頭を抱えた。
彼女は少女の、年相応な笑顔を浮かべる。
「私に、魔法を教えてください」
「それで、俺の弟子になりたい君の名前は?」
俺は頬杖をついて訊ねる。
「植物の芦に原っぱ、環状線の環と書いて、あしはらたまきです。」
環はにっこりと笑った。
「よろしくお願いします!」
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