第11章18話 不穏の影
私が『ラヴィニア』になってそろそろ2週間が過ぎようとしている――
最初は色々と戸惑ったし慣れないことも多かったけど、ありすたち周りのサポートもあり困るというようなことはなかった。
私も徐々に慣れてきたし、『ラヴィニアになったこと自体がわけがわからない』という点を除いて、至って普通の日常を送れていたと思う。
……まぁ相変わらず体力がなくてすぐにへばっちゃうんだけどね……勉強はまだ何とかなるけど、これだけは短時間で片付く問題じゃないから仕方ないか。
ともかく、3月も後半。
小学校も3学期が終了――今日が終業式、いや学年末だから『修了式』が正しいんだっけ? ともかく、午前中に式をしたら春休みに突入だ。
夏休みや冬休みに比べたら影が薄いから社会人になると忘れがちではあるけど、子供にとっては物凄く重要な休みであることには間違いない。
クラス内でもうきうきそわそわしている雰囲気が感じられる。
…………気のせいか、この間からありすと相性が良くないという白鳥院さんが元気がなさそうだったり、時折私の方へと視線を向けてきているように感じられるんだけど……。
まぁ概ね問題ないと言えるだろう。多分。
修了式も終わり、各々の教室で通知表が配られてからの喜怒哀楽も一段落だ。
……気になってたけど、私の通知表はなかった。修了式間際の転校だったから? それとも、プロメテウスが改変した? どっちかはわからないけど、まぁいいか……これで下手に悪い成績だったりしたらへこむしね……。
春休みの注意点とか色々と先生のお話も終わり、その日の学校は終わった。
「5年生も同じクラスになれるといいねー」
「そうですわね」
「ん」
4年生も終わり。5年生になったらクラス替えが待っている。
卒業まではその時のクラスから変わることはない。まぁ小学生にとっては重大事だよね。
仲の良かった友達と別のクラスになってしまうというのも切ないけど、替わりに新しい友達ができるチャンスでもある。
どっちがいいかは悩ましいところだね。
「ラビちゃんも同じクラスになってほしいなー」
「えー? まぁ私も顔見知りがいた方が助かるけど……」
正直なところ、私が5年生になるのかどうか――その時までこの世界に『ラヴィニア』が存在しているのかわからないしね……皆にはそのことは言えない。年長者組にも、だ。
「あたしだけ中学別になっちゃうし、皆と同じクラスになれるの次が最後になっちゃうし……」
「みーちゃん……」
気持ちはよくわかる。
ちょこっとだけしんみりとしちゃったけど、思い悩んでも仕方のないことだ。
「うー……神様にお祈りしたら聞いてくれるかなー?」
「んー、クラス替えはともかく中学校は無理じゃない?」
「くっ、恋墨ちゃんはドライだなー」
「みーちゃんがお引越しすれば解決ですわね♡」
「無理だよそんなのー」
……存外、『神様』にお願いしたら叶えてくれちゃうかもしれないけどね……いや、プロメテウスがそういう改変をしてくれるかはやっぱり微妙かもね。仮にやってくれるとしても、私利私欲のために神の力を使うのは厳に慎むべきだろう。
なんて、きゃきゃしながら教室から荷物を持って帰ろうとする私たちなのであった。
平和だなー。『ゲーム』のことさえ考えなきゃだけど……。
* * * * *
……学校からの帰り道、桃香は物凄く暗い顔をしていた。
校門が近づくにつれて顔は暗く、足取りは重くなってゆく……。
『うぅぅ……帰りたくないですわ……』
『がんばんなよ、桃香!』
『ん。諦めが肝心』
『あやめたちに心配かけちゃダメだよ――まぁ理由はわかるけど』
きっと通知表の内容がアレだったんだろうなぁ……。
私たちに助けを求める視線を送ってくるものの、
『じゃ、ミドー。後はまかせた』
『ほーい。任されたよー』
『うぅ、お慈悲を……お慈悲を……!』
『私たちも今日は予定あるからね。諦めなよ、桃香』
美々香に引きずられるようにして桃香も帰っていった……。
友達が一緒ならその場では怒られないだろうけど……どっちにしたって帰った後に怒られるに決まってるしね。
それに、桃香に言った通り私たちには今日は予定があるのだ。
「……ここが葦原沼かー……」
「ラヴィニア、初めてだもんね」
「うん。『ラビ』の姿の時はここまで遠出しなかったからねー」
今日の予定は、家族そろってのお出かけだ。
とはいっても電車で2駅離れた繁華街――葦原沼での買い物だけどね。
弥雲さんと美奈子さんが揃って休みであり、私たちも午後はまるまる空いているし丁度いいだろうということで、家族での買い物となったのだ。
買い物の目的は今日の晩御飯の材料もあるけど、メインは別にあり服とか色々だ。
で、ある程度買い物を済ませた後に私とありすは二人でちょっとあちこち見て回りたい、と言って自由行動をさせてもらっているところだ。
繁華街とは言っても親子連れは多いし、子供だけのグループも結構いる。人気のない場所とかもないし安全だろうという判断だ。
仮に迷子になっても、私たちは携帯持ってるしね。美奈子さんたちもそこまで心配していないみたいだ。
「このあたりまではまだ『ゲーム』の範囲内みたいだね……」
家族としては買い物が目的ではあるが、同時に私には別の目的があった。
以前、確かヨームに聞いたんだったかな? 『ゲーム』の範囲が葦原沼辺りまでということだった。
範囲を超えた場合、『ゲーム』由来の機能が使えなくなるだけとヨームは言ってたが、それはあくまでも通常の使い魔の場合だ。
『ラヴィニア』となった今の私がどうなるか……怖いけど、確認できるときにしておきたい気持ちがある。
流石に範囲を超えた瞬間に消えるとかはないとまでは思うけど……。
「もうちょっと行ってみる」
「そうだね」
葦原沼の動脈とも言えるメインストリートを私たちは進んで行く。
美奈子さんたちからどんどんと離れていき、ターミナル駅のところまで進んでいくと――
「! 今、何か変な感じがあった!」
冷たい風が吹いてきた時みたいな、何かぞくっとした感覚が確かにあった。
もしかして今、境界を超えたか……?
そう思ってありすへと遠隔通話をしようとするが――
「……ありす、今私の声聞こえなかったよね?」
「ん。聞こえなかった。わたしからもラヴィニアに送ってみたけど――」
「こっちも聞こえなかったよ。
……他に身体に異常はなし、かな……?」
「たぶん?」
ありすに異常がないのはわかっていたことだ。お正月には葦原沼の境界どころか、海外に行ってたしね。
問題の私の方はと言うと、遠隔通話が使えなくなったこと以外には特に異常はない。まぁ『ラヴィニア』になってからというもの、遠隔通話以外の使い魔の機能は使えなくなっちゃってたんだけどね。
身体が動かなくなったりすることもないし、意識もはっきりしている。
「いじょーなし?」
「だね。杞憂に終わって良かったよ」
こういう実験が無駄に終わるかもしれないから、というので疎かにすることはできない。
とりあえず心配事が一つ片付いたということで喜ばしいことであろう。
試しに違和感のあった場所から戻ってみると、
『どうかな?』
『ん、聞こえた』
すぐに遠隔通話が使えるように戻った。
ちなみに、境界の内側に入る時には特に何も感じなかった。出る時だけっぽいね。
「ん、実験は終わり?」
「うん。付き合ってくれてありがとう、ありす。
これで安心して外を歩けるね」
「よかった。一緒にお出かけできる」
そうだね。まぁ滅多に遠出することはないけど。
境界の外に出てしまっても問題ないことが確認できたのはそれはそれで良かった。家族でもうちょっと遠くに出かける可能性は十分あるからね――特に春休みだし。
確認したいこと自体は終わった。
「よし、じゃあ美奈子さんたちのところに戻ろうか」
「ん。迷子にならないように手をつなぐ」
「……そんな心配は無用――まぁいいか」
確かに人混みは結構あるしね。私はともかく、ありすが迷子になったらちょっと怖い。
私の手を握ってくるありすの手を振り払うことなく、私からもきゅっと軽く力を入れて手をつないで二人で歩いていった。
「仲良し姉妹~♪」
「はいはい……」
髪色が違いすぎるから姉妹にはあんまり見られないかもしれないなー、なんて思いつつも……この約2週間、『姉妹』として過ごしてきて悪くないなと私は思い始めてきていた。
……私の方が『妹』ってのにはまだ微妙に納得いってないんだけどね!
二人できゃっきゃしながら美奈子さんたちが買い物しているであろうお店まで移動――
今日くらいは『ゲーム』のことは忘れよう。
やれることはほぼやりつくしたし、焦って動くこともないだろうし。
……絶対に敗北するわけにはいかないけど、現状アクティブに動けることもない。この辺りの認識は皆もそうだった。
なので思い切って今日は『ゲーム』はお休み、でいいだろう。もちろん、家に帰った後に皆で集まって……となったら渋る理由はないし『ゲーム』に参加するけどね。
……どうしても私自身が『偽物の家族』なんじゃないかという思いは拭いきれない。
だから素直に今の平和と――『幸せ』を謳歌する気になれない。
美奈子さんたちは何の疑いもなく私を『娘』として扱い、『親』として接してきてくれている。
プロメテウスが何とかしてくれたおかげで今私は安全に暮らせているわけだしそこは感謝なんだけど……自分が『紛れ込んだ異物』であることに変わりはない。
この『ゲーム』が無事に終わり、ありすたちの世界をゼウスから守り切ることが出来た後……。
その時に私がこの世界に残れたとしたらどうするべきか――今日だけは暗いことを考えまいとしているけど、どうしてもこの問題だけは忘れることができないのだ。
……むぅ、自分の性格ながら嫌になってくるな……いまいち切り替えが上手くできないや。
でも、まぁ――ありすが嬉しそうだし、そのことは良かったかなと思う。
そんなことを考えながら歩いていた時、ふと私の視線の先に
「――っ!?」
「ラヴィニア?」
背の低い私たちからしてみれば、繁華街の人混みはまるで森の中みたいなものだ。
けど、その中においても
他の人に紛れて、そいつは横目に私たちを見て――嗤った。
「――
そう――そいつは服装は違えど、私たちの知るドクター・フーそのままの顔立ちをしていたのだ……!
こちらが気付いたことを認識したドクター・フーは、その場で踵を返し人混みの向こう側へと消えていく。
「くっ……」
「むー……!」
反射的に私たちも追いかけようとしたが、この人混みの中で走り出したら流石に危ない。
人にぶつかってトラブルになってしまいかねないだろう。
私もありすも、走りださず、それでも少し急ぎ足でドクター・フーと思しき人物の後を追おうとしたのだが……。
「いない……」
「ん、逃げられた……?」
もうヤツの姿はどこにもなかった。
……逃げられた、のだろうか……?
「……見間違い、だったのかな……?」
「んー……わからない……」
さっき見た時はドクター・フーだと思ったけど、あいつは既にアストラエアの世界で倒れたはずだ――仮に生きてたとしたって、『ゲーム』の中の存在だ。現実世界に現れるわけがない。
背格好の似た女の人を見間違えただけなのかもしれない。
私たちを見て嗤ったように見えたのも勘違いだったのかもしれない。
「念のため、皆には後で報告しておこう。見間違いなら、それはそれでいいし」
「ん、わかった。
……あいつがいるわけない、と思うけど……んー……」
何事もなければそれでいい。
何かがあった時が困るのだ。
……現実世界にドクター・フーがいるわけがない、とは思うんだけど――胸の奥でざわざわとしたものが蠢いている……そんな風に私は感じていた……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
葦原沼のメインストリートから外れた小道にて――
「……ぶなぅ……」
聞いたら思わず振り返ってしまいそうな不細工な鳴き声が聞こえてくる。
ただ、そこには誰もおらず、またいたとしても建物の陰に溶け込むような姿をした『そのもの』に気付くことはなかったかもしれない。
「……ぶなーぅ……」
陰から現れたのは小動物だった。
兎のように長く垂れ下がった耳に、猫のようなしなやかな四肢を持ち、ふさふさの筆のような尻尾を持った小動物――
「……ぶなぅ……」
やがて諦めたかのようにがっくりと項垂れると、とぼとぼと歩いてその場から去って行った……。
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