第10章66話 其ノ黒キモノニ触レルナ 6. 血と泥に塗れても……

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「ロア……あたしはもう多分長くはもたない。だから、わ」

「フラン……」


 膝をついたフランシーヌがケイオス・ロアにそう語ったのには『理由』がある。

 この『ゲーム』の魔法ではよくあることだが、身体能力強化系の魔法は効果に比例して『負荷』が高くなる傾向がある。

 フランシーヌの魔法も例外ではない。

 自らの肉体を伝説の『吸血鬼』に換えその能力を得る《ブルー・ブラッド・ブリード》。

 そして爆発的な強化を得る《狂黒血の徴エボル・スティグマータ》――そのどちらも、『血』を操る魔法という性質上、フランシーヌの『体内』に作用してしまう。

 たった一つの能力が万能であるが故のデメリットであるとも言える。

 『灼熱の世界』から、ずっとフランシーヌは最前線で強化魔法を使って戦い続けていた。

 身体への負荷を減らすために戦闘のない時は解除してはいたものの、ここに来て限界に達しようとしていることをフランシーヌは自覚していたのだ。

 膝をついたのも、限界が近づいてきているためだった。

 《リカバリーライト》で肉体の時間をさかのぼらせたとしても、ゼノケイオスとの戦いではあっという間に再び限界を迎えてしまうだろう。


「でも、まだ倒れるつもりはない――……!」

「! あんた……」


 その言葉で、フランシーヌの『覚悟』をケイオス・ロアは悟り――続く言葉を飲み込んだ。

 彼女の『覚悟』の強さを知ったが故に。




 フランシーヌは、、もっと言えばという『覚悟』を決めたのだ、と。




「強化時間も残りわずか――クロエラ、行くわよ!」

「う、うん!」


 そうこうしているうちに、アリスの《世界を喰らう無窮の顎ヨルムンガンド》が【消去者イレイザー】によって消されてしまい、動かざるを得ない状況になった。

 軋む身体を苦もせず――他人にバレないようにして強がっていることをケイオス・ロアだけは理解している――フランシーヌはゼノケイオスへと立ち向かおうとする。

 その姿を見て、ケイオス・ロアは何も言葉をかけることもできず……。


 ――……あたしも、そろそろ『覚悟』を決める時ね……。


 言葉には出さず、ケイオス・ロアは密かに自分自身の『立ち位置』について考えるべき時が来たのだと思ったのだった。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 フランシーヌに変身する玖宝くほう凛子という少女についてどういう人物かを語るとすれば――『我の強いガキ大将』という一言に集約されることになるだろう。

 とにかく本人の意にそぐわないことには不機嫌になるし、強引に自分のやりたいことをやろうとする……付き合わされる方にとっては溜まったものではない性質を持っていると言える。

 ……その最たる被害者が、幼馴染である桃香なのであるが――桃香も桃香で余計な一言を悪気なく放つためこじれることが多いのでお互い様なところはある。

 それはともかく。

 凛子も歳をとるにつれて『このままではいけない』と自覚できたのか、以前に比べて大分『我』は抑えるようにはなってきている。

 あくまでも『抑える』であり、そうした傾向がなくなったわけではない。

 もちろん、人間誰しもある程度『我』を通す場面はあることに違いはない。凛子の場合はその頻度が少し高いという程度であり、今はそれも抑えるようにしている。


 彼女の気質は悪く言えば『自分勝手』『我儘』ではあるが、かといって『無責任』なわけではない。

 『ガキ大将』と評する通り、いざとなれば『大将』として『子分』の前に立つ覚悟はある――小さい時に『子分』を引き連れていたずらをした際に大人に怒られる時も、一番前に出て一番怒られる役を厭わない……というよりも、自分のやったことからは逃げない。

 『子分』には『我』を通そうとするが、反面『子分』を守るという妙な責任感はあるのだ。


 この気質は、歳をとったことにより『自分の言ったことは守る』という純粋な責任感へと変わっていった。

 そして、元々の『我』を通そうとする性質は、『何が何でも約束は守る』ことへと変わったのだ。

 ……当然、無理なことはあるだろう。

 それでも約束を果たすためにできるだけのことを全力でやる。それが、玖宝凛子という少女なのである。


 彼女の『約束』は今二つある。

 一つは、自分自身の力で『ゲーム』をクリアして使い魔リュウセイを勝者とすることでこれ以上の『悪だくみ』をさせないこと――これは自分自身への約束なので、『誓い』と言った方が正確だろう。

 もう一つは、ラビを自分のユニットに渡すまで守るというものだ。

 この二つは本来ならば両立することは可能だった。

 だが、もはや両立は不可能だと認めざるを得ない。

 ゼノケイオスを倒し、ラビを取り返してアリスに渡す――これがそもそも難しいというのもあるが、自分自身の身体がそこまでもたないだろうとも自覚している。

 だから、優先順位を決めなければならない。




「……この槍、邪魔だから抜いてもらう」

「お断り、よ!」


 胴体を深く抉られ、《ゴッドブレス》の強化も尽きた今、フランシーヌ単独でゼノケイオスを倒すことは不可能だ。

 かつてドクター・フーを即死させた凶悪な魔法も、ゼノケイオスには通じないだろう。メタモルで回復されることもあるし、何よりもゼノケイオスは『生物』ではない……ある意味では『ゴーレム』のような存在なのだ。たとえ心臓を潰したところでも意味はないだろう――もしかしたら頭部を破壊しても即死しないかもしれない。


 ――……くっ、皆まだ立ち上がれないか……!


 一番ダメージを受けたのは自分であることは間違いない。

 クロエラは咄嗟に回避はできたようだが、地面へと落下してしまったショックで倒れたまま。

 アリスは全身強化の魔法もあった上に、自分が襲われるまでの猶予があったためそこまで大きなダメージを受けてはいないようだが、フランシーヌがゼノケイオスにとどめを刺される前に立ち直ることはできないだろう。

 ケイオス・ロアも同様。ただ、こちらは身体強化を使っていないのでアリスよりも傷は深いかもしれない。

 いずれにせよ、このままでは全滅確定だ。

 誰かが復活するまでの『時間稼ぎ』をしなければならない――それが自分フランシーヌの役割だ。そう『覚悟』を決めた。

 ここで全滅したら『約束』は絶対に果たせなくなる。

 しかし、誰かが復活さえすれば、ゼノケイオスとの戦いはまだ続けられる。そうなれば『約束』を自ら果たすことはできずとも、ラビをアリスの元へと連れ戻すチャンスはできる。




 クロエラ、アリスがわずかに動いた。

 彼女たちが立ち上がるまで数秒――その数秒を命を賭して稼ぐ。

 ……そのたった数秒が果てしなく遠いことを、フランシーヌはきちんと理解していた……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 表情があまり変わらないためフランシーヌにはわからなかったが、ゼノケイオスは流石に内心に『焦り』『戸惑い』を抱いていた。

 その大きな理由は、フランシーヌがことにある。

 ユニットであったとしても、腹部を深く抉られ――穴が開いたどころではない――て無事でいるはずがない。

 体力が残っていてももはやまともに動くことはできないくらいの激痛に苛まれ、立ち上がることすらできないはず……というのがゼノケイオスの持つ『知識』だった。

 なのに、フランシーヌは立ち上がるだけでなく未だ戦意を失っていない。


 ――……もう一人のわたしたちが立ち上がるまで、あと少し……。

 ――びっくりしたけど、やるべきことに変わりない。


 流石に立ち上がっているフランシーヌを無視してケイオス・ロアたちに攻撃する気にはなれない。

 何もできないとは思うが、目を離してはならない――そんな『凄味』を感じている。


「……インストール《フェニックス》」


 だから、『全力』を尽くす。

 諦めないフランシーヌに対する敬意からでも警戒からでもなく、確実な勝利を得るために。

 《煌黒神態ハイペリオン》に加え《フェニックス》をインストールしたことで更に熱量が上がる。

 ゼノケイオスの足元の砂が焼け、大気が熱され気流の渦を作り出す。

 もはや近づくだけで体力を削られる――インティやムスペルヘイムのような存在へとゼノケイオスは変貌した。


「くっ……ブラッディアーツ《血塊弾ブラッドブレット》!」


 放った『血』の弾丸は、ゼノケイオスに到達することすらできない。

 『血』ですらも蒸発し霧散していってしまっている。


「ブラッディアーツ《紅霧クリムゾンミスト》!」


 しかし、その程度で無効化できるほど『特化型魔法』は甘くはなかった。

 『血』を操るということは、その内部に含まれる様々な成分をも操るということを意味する。

 『血』そのものが現実の血液と同一というわけではないが、少なくとも『ゲーム』内においてフランシーヌの操る『血』だけはただの液体ではないのだ。

 目には見えないほどの極小の『何か』がフランシーヌの『血』には含まれている。

 蒸発した血液の中から、焼け残ったそれらが『霧』のように巻き上がりゼノケイオスの視界を塞ごうとする。


「……もう、終わらせる」

「!?」


 ……だが、『本気』になったゼノケイオスを止めることは出来なかった。

 不燃性だとはいえ、薄っぺらい『霧』など足止めにもならない。

 真っすぐに霧を突っ切ったゼノケイオスがフランシーヌの目の前へとジェット噴射で移動――

 右拳を振りかざし、もう二度とフランシーヌが動けなくなるようにととどめの一撃を顔面へと向けて放つ。

 熱気に肌を焼かれながらも拳をかわそうとしたフランシーヌだったが……。


「――」


 ゼノケイオスの拳は、フランシーヌの頭部――左目から上の部分を無残にも抉り取ったのだった。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「ぐぅっ、フラン……! cl《黄金巨星ライジングサン》!!」


 ゼノケイオスがフランシーヌへと接近したその時、アリスが立ち直り《ライジングサン》を使用。すぐさまゼノケイオスを背後から襲おうとする。

 ここまで《ライジングサン》を使わなかったのは、相殺のための魔力を温存するためだ。《ライジングサン》は使っている間、わずかな傷でも再生を行うことができるが逆に魔力は消費し続けることになってしまい、いざという時に《星天崩壊エスカトン天魔ノ銀牙ガラクシアース》や神装を使えない可能性を考えたせいである。

 そのせいでフランシーヌへの救援が致命的に遅れてしまったことを悔やむが、悔やんでいても仕方ない。




 しかし、もはや間に合わない。

 ゼノケイオスの拳がフランシーヌの頭部を抉り、フランシーヌが今度こそ膝をつく。


「cl《焦熱矮星プロキオン》!」


 それでもまだリスポーン待ちになっていないのだ。

 ケイオス・ロアの《リカバリーライト》で回復可能と信じ、アリスはゼノケイオスを引きはがそうとする。


「メイク《欠片レット》」


 対するゼノケイオスは全く焦ることもなく、背後を振り返ることもなく《プロキオン》を防いでしまう。

 フランシーヌは倒れ、これで一角が崩れたことにより戦況は一気にゼノケイオス優位に傾いた。

 そして、それは二度と覆ることはない――そう確信していた。


「……このまま、じゃ……済まさないわよ……!」

「!?」


 だが、その時ゼノケイオスにとって信じがたいことが起こった。

 腹部だけでなく頭部まで抉られたフランシーヌが喋ったのだ。

 体力が残っていようがいまいが、『頭部』を破壊されて無事で済むはずがない――それがゼノケイオスの『知識』だった。

 なのに、確かにフランシーヌは言葉を話したのである。

 驚きと共に崩れ落ちるフランシーヌへと目を向けると、残った右目だけではっきりとゼノケイオスを睨みつけている姿が見え――


「……っ」


 無造作に突き出された両腕が、ゼノケイオスの胴体へと突き刺さった。

 それと同時に、抉られた頭部と腹部から『黒い血』が溢れ出し、まるで生き物のように蠢く……。




 この異様な状況は、フランシーヌの『気合』や『根性』でどうにかなっているわけではない。

 彼女が使っていた強化魔法 《狂黒血の徴エボル・スティグマータ》ののせいなのだ。

 自身の肉体に『黒血種』という進化生物エボルを宿すことで強化を行う……それが《エボル・スティグマータ》の正体なのであった。

 肉体内部に別種の生物を召喚する疑似召喚魔法とも言えるこの魔法は、フランシーヌの『血』及び血液の循環機能を異形の存在へと変貌させることで身体強化を実現している。

 反面、肉体にかかる負荷は尋常ではなく、更に副作用として『エボルに肉体を侵蝕される』というものがある。

 もしフランシーヌが『エボル』に屈し、身体を乗っ取られた場合――敵も味方も関係なく襲い掛かるモンスターと化してしまう、諸刃の剣なのである。


 自分がどれだけ戦ってもゼノケイオスには絶対にかなわないと悟ったフランシーヌが取った作戦は、『エボル』へと自分の肉体を明け渡すことであった。

 炎にも屈せず、黒血の怪物がフランシーヌの肉体を食い破りながらゼノケイオスへと纏わりつく。


「……変な魔法……でも、厄介……!」


 まだ『フランシーヌ』というユニットは残っている。

 『エボル』を焼き尽くすには時間がかかりそうだし、背後からすぐにアリスが迫ってきている。

 時間をかけられない――すぐにゼノケイオスは決断した。



 ゼノケイオスの足元の影が蠢き、『エボル』ごとフランシーヌの肉体を呑み込んでゆく。

 ……もしもフランシーヌが万全の状態であれば避けることはできたかもしれないが、本人の意識が半ば無く、荒れ狂うだけの『エボル』はそれに抵抗することができなかった。

 ほんの一瞬で、『エボル』ごとフランシーヌの肉体は影の中へと沈み込んで消滅していった……。


「ext《竜殺大剣バルムンク》! 貴様っ!」


 アリスがゼノケイオスへと迫った時には、もう手遅れだった。

 迎撃はせず、ゼノケイオスは翼からジェット噴射しアリスと距離を取り向かい合う。

 ……その左胸には『ゲイボルグ』が突き刺さったままであったが――


「……槍は抜きたかったけど、仕方ない。

 業血の籠手ブラッドガントレット》」

「!? ……そういうことかよ……!?」


 ゼノケイオスの両腕を赤熱する『血』の籠手が覆う。

 今までブラッディアーツを使わなかった――だけとは思わない。

 ゼノケイオスは、ユニットを吸収することでその魔法を扱えるようになる。事前に考えた通りのことが起こっているのだ、とアリスは理解した。


「クソが! ってことは、ヴィヴィアンたちも――」

「ん。この中にいる」


 アリスの言葉に、ゼノケイオスは自分のお腹をポンポンと軽くたたき答えた、

 誰一人欠けることなく戦わなければならない。それがアリスたちの共通認識であったが、もはや崩れ去ってしまっている。

 しかも、こちらの人数が減るごとにゼノケイオスは使える魔法が増えていくのだ。


「もう一人のわたし以外、全員呑み込む」

「貴様……!」


 おそらく『呑み込む』ための条件は動けないほどのダメージを与える等だろうとは推測できる。

 今のゼノケイオスならば、容易に致命傷を与え呑み込むことが出来てしまうはずだ。

 ……『時間稼ぎ』をするためにアリス以外全員を呑み込んで戦闘不能にし、アリスは動けないほど叩きのめす。

 ゼノケイオスの目的は、この時点でほぼ達成できたと言えよう――

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