第10章27話 Heretical Carnival 4. 2人のランナウェイ

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 ラビがガイア内部へと入ってきて、仲間と共に遠隔通話をしていたクロエラであったが、一足先に通信を打ち切ってしまっていた。

 それは話した通り、『比較的自由に動ける』のが自分だけだと思ったからということもあるが、それ以上に切実な問題があったためである。


「ちょ、クロエラ君! 来てる、来てるよ!?」

「わ、わかってるよ!」


 バイクに乗っているクロエラの腰に腕を回してしっかりとしがみついている『人魚』の姿をした少女――アルストロメリアが悲鳴混じりの声を上げ、クロエラもフルフェイスメットの中で顔を歪める。

 光源がないのに不思議と明るい、そして天井も床も壁も、全てが真っ白に染まっている『白い洞窟』をクロエラのバイクが駆け、その後ろを『黒い泥』が追いかけてきている。


 ――……ダメだ、振り切れない……!


 遠隔通話を少しの時間する余裕はあったものの、かといって決定的なほど『黒い泥』と距離を取ることができない。

 相手の動きは確かに速いがクロエラの全速力には遠く及ばない。これは確かな事実だ。

 問題なのは『白い洞窟』の構造にある。


 ――くっ、また曲がり角……!


 いかに超スピードを誇るクロエラとは言え、カーブを全く減速なしに曲がり切ることはできない。緩やかなカーブならば問題はないが、『白い洞窟』は以外にも人工建造物のような『直角』を主とした構造となっているのだ。

 そのため、直線である程度稼いだ距離がカーブで詰められてしまっているのだ。

 『黒い泥』は直線だろうがカーブだろうがそのスピードがほぼ変わることがない。不定形の姿故なのだろう。

 加えて、クロエラは『事故』を恐れてどうしても減速せざるを得ない。どんなスピードで転んだとしても、地面や壁に叩きつけられる前に体勢を立て直してダメージを食らわないことは可能だろうが、それは大幅な減速を意味する。

 ……そうなった時、止まらずに追いかけてくる『黒い泥』に追いつかれるのは想像に難くない。

 結果、つかず離れず――しかし精神的にはかなり追いつかれている――の追いかけっこが延々と繰り返されることとなってしまっていた。


 ――今は何とかなってるけど、このままじゃ……!


 ちらりとクロエラはハンドルの中央部に目を向ける。

 そこには今までにはなかった『液晶画面』のようなものがあった。

 液晶には複雑な『線』が描かれている。

 これはいわゆる『カーナビ』のようなものだ。

 『バイクでもカーナビみたいなのってあるよね?』とクロエラがふと思いついた後、いつの間にかバイクに現れていたものである。

 アストラエアの世界の時にはなく、『三界の覇王』戦時には既にあった――レベルアップでも特に霊装の強化機能はなかったというのに、まるでクロエラの想いに応えるかのように霊装が勝手に進化としたとしか思えないものであった。

 とはいえ、本物のカーナビとは異なり衛星から情報を得ているわけではない。未知の情報は一切なく、既知の情報……要するに今までクロエラが通ってきた道が自動でマッピングされる機能しかない。

 割と謎の機能ではあるが、自分の霊装の能力であれば信頼してもいいだろうとクロエラは思っている。

 それはともかく。


 ――行き止まりになったら終わりだ……!


 不安なのはそれだ。

 今までは曲がり角をどれだけ曲がっても道は続いていた。

 しかしそれがこの先ずっと続くとは思えないし、楽観するなど論外だ。

 行き止まりになってしまったら、十全に力を発揮することのできない通路の中で、退路を塞がれた状態で謎の『黒い泥』と戦うことになってしまう。

 それだけは避けたいが、かといってどうすればいいのかなどクロエラにはわからない。


「ね、ねぇ……クロエラ君」

「なに!?」


 ちゃっかりとバイクに相乗りしている少女――アルストロメリア。

 彼女についても謎だらけだ。

 ラビから少し話は聞いているが、『敵』であることは間違いない上に『能力不明』なのが不気味すぎる。

 できれば早めに離れたいところではあるのだが……。

 おずおずと話しかけてくるアルストロメリアに、クロエラは語気荒く応える。

 別に怒っていたりするわけではない。

 徐々に追い詰められ始めている、という『焦り』と事故らないように集中してしまっているためである。

 ……言ってから『しまった』と軽い自己嫌悪に陥ってしまってもいるのだが、それはアルストロメリアの知るところではない。


「君、?」


 クロエラの言葉にめげることなく、アルストロメリアは問いかけてきたが……その問いかけの真意がクロエラにはつかめなかった。


「……泳げるけど!?」


 つかめはしないが無視することもしない。クロエラは正直にそう答える。

 クロエラ雪彦は確かに泳げる。別に水泳が得意というわけではないが、現実世界でスイミングスクールに通っていることもあり一応一通りは泳ぐことはできる――ただし、身体も弱いし運動が得意というわけでもなく25メートルを泳ぎ切るのが精一杯ではあるが……。


「わ、わかった。あの『黒い泥』の動きを止めて、距離を取れば……逃げ切れるよね?」

「? ……そう、だね。一度大きく距離さえとれば逃げ切れると思う」


 ――この道の先が行き止まりじゃなければだけどね……。


 考えうる中で『最悪』の結末は敢えて口にせず、クロエラは言った。

 事実、行き止まりにさえならなければ、一度大きく距離を開ければ『黒い泥』に追いつかれなくなるという確信はあった。

 ただし、その『大きく距離を開く』というのが難しく、またどの程度まで開けば確実に追いつかれないかまではわからなかったが……。


「そ、そ、それじゃ……エキスパンション――《幻想大海イマジナリィオーシャン》」

「!? こ、これは……!?」


 アルストロメリアが魔法を使った瞬間、クロエラは自分を含めた周囲一帯に起きた激しい変化に戸惑った。

 。いや、それだけでなくわずかに身体が浮かび上がるような感覚が確かにあった。


「――ドライブ《ディープ・ラン》!」


 戸惑いは一瞬、クロエラはすぐさまドライブを使い『この状況』に対応する。

 ドライブに応じバイクが姿を変え――水上バイクに近い形状へと一瞬で変形する。


「…………よし、これなら距離を離せる!」


 ちらりと後方を確認すると、追いかけていた『黒い泥』はその場で空中にも関わらずバラバラに拡散していき、追いかける動きを完全に停止していた。

 幾度も修羅場を潜ってきたクロエラはこの程度で足を止めることはもうない。

 アルストロメリアが『人魚』の姿をしていることから、今の状態が『無重力』ではなく『水中』であることを一瞬で判断し、水中走行用のドライブを使ったのだがそれで正解であった。

 水中走行ディープ・ランの効果を最大限に発揮し、一気に『黒い泥』との距離を稼ごうとする。




 ――……むぅーん、そううまくはいかないか。まぁクロエラ君に運んでもらった方が楽だし早いだろうからいいけど……。


 一方で、アルストロメリアは表には出さないものの内心でそう思っていた。

 彼女が使った拡張魔法エキスパンションは、二語魔法であるもののたった一種類の魔法しか現状使えない。

 その効果は、自分を取り巻く環境を周囲一帯に『拡張する』というものである。

 アルストロメリアが『人魚』の姿をしているのに地上でも活動する……どころか、まるで空中を泳ぐように移動しているのはこの『環境』が関係している。

 素で飛行能力を持つガブリエラたち同様、アルストロメリアにはユニットの特性として『自身の周囲を水中と同じ状態にする』というものがあるのだ。

 この特性により、アルストロメリアは地上であっても水中同様に『泳いで』移動することが可能となっている。

 エキスパンションでこの特性の範囲を拡大――周囲一帯を『水中』へと変えたのである。


 ――あの泥はしばらくは足止めできるだろうし、クロエラ君にもう少しついていこう……。


 ここまでの逃走で、アルストロメリアは本気で怯えつつも『黒い泥』の動きを観察していた。

 不定形の正体不明の存在ではあるものの、やはり『水』のようなものの中では自由に身動きは取れない。それどころか、目に見えない『水』の中に突如放り込まれたことで、『黒い泥』は形を保つことができずに拡散してしまっているようだ。

 これだけで倒しきることができるとまでは思わないが、『足止め』であれば十分すぎるだろう。

 ……欲を言えば、クロエラをこの場に置き去りにして《幻想大海》の中を泳いで一人逃げる、ということが彼女にとっての最良ではあったのだが……。

 予想以上にクロエラの対応が速い上に水中であってもかなりの高速移動が可能だったことで、作戦を変更。

 いけるところまではクロエラに運んでもらった方が良い、というものだ。

 『黒い泥』以外に敵がいないとも限らない。

 アルストロメリアには直接敵と戦える魔法が一切ないのだから、クロエラと共にいた方が結果的に安全ではあるだろう。


 ――むぅ……でも、使なんだよね……どこかであたし一人で逃げないと……。


 今ではないがいずれクロエラから離れて単独行動をしなければならない。ミトラにはそう指示されているのだ。

 この場を切り抜けたとして、クロエラがアルストロメリアを逃がしてくれるかどうか――最初の遭遇時の会話から、敵対さえしなければお互い不干渉を貫けるとは思っているが――そして首尾よく一人になったとして、『黒い泥』のような相手に襲われたら逃げきれるかどうか……。

 どちらにしても、自分の厳しい状況には変わりがないとアルストロメリアは思っている。


 ――んだ……もう少しで『終わり』なんだから、最後まで踏ん張らないと……。


 誰にも――クロエラはともかく自分の仲間にさえも本心を隠しつつ、アルストロメリアは『機』を窺い続けるしかなかった。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 その後もクロエラは『白い洞窟』をひたすらに進み続けていた。

 《幻想大海》の効果も切れ、今は普通に地面を走れるようにはなっていたが、


「……そういうことか……」


 今更ながらにクロエラは気付き、どれだけ自分が焦っていたのかを痛感する。


「ドライブ《エア・ストライド》」


 地面を走るのをやめ、空中走行の魔法へと切り替える。


「? そんなに天井低くもないけど……」

「ああ、うん。多分、この方がマシだと思う」


 アルストロメリアには理由はわかっていないようだったが、クロエラはようやく気付いたのだ。

 あの『黒い泥』は、クロエラの『跡』を追っていたのだということに。


 ――この白いヤツ、思ったより柔らかい……だから、結構距離を離したと思ってもあの『黒い泥』は車輪の跡を追えていたんだろうな……。


 目を凝らしても微妙に見えづらい程度ではあるが、確かにバイクの走った後には轍が残されていた。

 分岐でまいたと思ったのに正確に『黒い泥』が追跡していたのは、それが理由なのだ。

 実際に触って見なければ確かなことはクロエラにはわからないしその余裕もないが、おそらく間違いないと確信している。

 『白い洞窟』の特徴である、白い壁や床――これらは『石灰』のようなものなのだろう、とクロエラは気付いた。

 小学校ではおなじみの、グラウンドに白線を引くアレと同じような成分である。

 当然、床や壁などはがっしりとしているが、表面には石灰の粉が敷き詰められているような状態なのだ。それに、バイクの重量と馬力で全力疾走していたら床もわずかにでも削れてしまっているかもしれない。

 『黒い泥』の追跡方法がわかったのであれば、少しでも時間を稼ぐために『跡』を残さないように走る――それがクロエラの出した結論である。

 もっとも、細い道を空中に浮かびながら走ることにより地上を走るよりもスピードはやや落ちてしまうが……。


「それにしても、この洞窟いつまで続くんだろう……」


 出口のない迷宮を走っているのではないかと不安になってくるものの、ナビが記したマップを見る限り『無限ループ』はしていないようだ。

 風景が変わらないためどこを走っても同じように見えてしまうが、クロエラは自分の霊装の機能を信じることに決めた。

 少なくとも、ちゃっかりとついてきている少女よりは信頼がおけるのには間違いない。

 積極的に攻撃を仕掛けようとしたり、罠に嵌めようという意思は見えないが、先ほどの《幻想大海》でクロエラを置き去りにして一人逃げようとしたのではないか、ということは推測できていた。

 彼女と離れる絶好のチャンスではあったものの、結局『黒い泥』から離れなければならないのには変わりない。仕方なしに、アルストロメリアと行動を共にしているといった状況は変わりない。


「うーん……ねぇねぇ、このナビって今まで通ってきた道なんだよね?」

「ちょ、勝手に――いやまぁいいけど……。

 うん、ボクがバイクに乗って通ってきた道がマッピングされていくみたい」


 後戻りという選択肢がない以上、ナビはあくまでも『無限ループしていない』という保証にしかなっていない。

 ……いや、もしかしたら無限ループしているがナビはそれに気付かずに延々とマッピングを繰り返しているだけなのかもしれない、とクロエラは少し不安になる。


「……ねぇ、このナビ、もうちょっと地図を小さくできない?」

「?」

「だーかーらー、地図の倍率を下げることができないかってこと」


 この辺りは、普段スマートフォンやカーナビの地図を使っているかどうかによって理解度は変わるだろう。

 アルストロメリアが言っているのは、ナビに表示されているマップの縮尺を小さくする――つまり、より広範囲を一度に表示できないかということである。

 何を言っているのか理解したクロエラは、言われるがままにナビを操作しマップの縮尺を変える。


「……これでいい? ごちゃごちゃして道が全然わからないけど……」

「…………なるほど、わかったわ」


 範囲を広げた地図を見てもクロエラには何もわからない。

 今まで通ってきた道が複雑に入り組んでいて、しかも縮尺を変えてしまったがために道を辿ることさえできなくなったとしか思えないのだ。

 しかし、反対に地図を真剣な表情で見ていたアルストロメリアは何事かを理解したらしい。

 振り落とされないように注意しながら、彼女がナビのある一点を指し示す。


「もうちょっとあちこち走らないと確定とは言えないけど、この辺りに出口があるんじゃないかな?」

「な、なんでそう思うの?」


 クロエラがまだ走っていない、地図の空白のある一点を指さすアルストロメリア。

 同じような空白はいくらでもあるというのに、なぜそう思うのかが理解できない。


「うーんと、クロエラ君が走っていたところって、よく見ると『弧』を描いているように見えない?」

「…………あ、本当だ……」

「円の、まぁ……4分の1くらいではあるけど、確かに『弧』だと思う。

 ということは――」

「この洞窟は円状に広がっている……?」

「そゆこと」


 なるほど、とクロエラは納得する。

 走ってきた道しか表示できない都合上、かなりいびつな形ではあるものの確かにアルストロメリアの言う通り『弧』を描いているようには見える。

 このままもっと走り続ければ、いずれ『円』であることが確定するであろうが……そんな時間の余裕がないことは承知している。


「そうか、円状のダンジョンだとしたら……ゴールは中心って可能性はありそうだね!」

「でしょでしょ?」


 なんでこんなことに気付けなかったのか、とクロエラは再度自分が冷静なつもりで全然頭が回っていないことに気付かされた。

 何にしても、延々と『白い洞窟』を目的もなく走り回って時間を浪費するよりも、可能性の高そうな『手がかり』を辿った方が良いだろうと思う。


「よし……君の言う通り、円の中心部を目指してみよう。すぐに行けるかはわからないけど……」

「あの『黒い泥』に追いつかれないかびくびくしながらよりは、そっちの方がいいよね」

「うん、そうだね」


 一刻も早くラビの元に駆け付けたい気持ちに変わりはない。

 しかしすぐにどうにか出来る見込みはない――が、比較的自由に動けるのが自分しかいない現状、時間の浪費は極力避けるべきだ。

 もし円の中心が外れだった時にはどうするか……一瞬だけ考えるが、その時は『外れが一つ消えた』とポジティブに考えることにしよう、とクロエラは思う。


「アルストロメリア、悪いけど君もナビを見ていてくれないかな? あと、『黒い泥』が追いついてきたらまたお願い」

「わ、わかった!」


 一人だけでこのダンジョンを乗り越えることは難しい。

 アルストロメリアが信用に値する相手とは微塵も思っていないが、お互いに協力し合わなければどうにもならないという思いもある。

 クロエラは一つの問題を先送りにし、とにかく最優先すべき問題の解決へとまずは集中することに決めた――

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