第9章35話 遥かな世界より、愛をこめて -4-

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 ルールームゥの言葉を素直にあやめは信じられなかった。

 無理もあるまい。

 ルールームゥはアビサル・レギオンの一員、マサクルの配下なのだ。あやめを監禁していたのも、マサクルの命令に従ったルールームゥが行っていたのだし、あやめが『拷問』された時にも協力していた。

 この甘い言葉も、あやめを更なる絶望に叩き落すための罠なのではないかとどうしても疑ってしまう。


<……疑うのは無理もありません>

「……なぜ、『敵』である貴女が私を……?」


 自分の立場は十分理解しているのだろう、ルールームゥも素直にあやめが信用してくれるとは思っていない。

 しかし、信用してもらうための材料は何もない。


<当機にもわかりません>


 あっさりとルールームゥはそう言った。

 あまりにもあっさりと言うため、あやめも思わず『はぁ?』と口にしてしまったくらいだ。

 動じずにルールームゥは淡々と語り続ける。


<……ですが、当機の『メモリ』の奥深くから、貴女を――『鷹月あやめを助けなければ』という声が聴こえてくるのです>

「……?」


 訳の分からないルールームゥの言葉に混乱し、逆にあやめの心の中の大半を占めていた『恐怖』や『不安』が自然と和らいでいった。

 ……より強い混乱で押しつぶされているだけではあるが、少しだけ楽になった気はする。いいことか悪いことか……あまりよくはないが、最悪というほどではないか。


「その……ルールームゥ……?」

<はい、ルナホーク>

「っ……」


 あやめの心に気付いているのかどうかは全くわからない、真っすぐな視線を返してくる。……ルールームゥの目と思しきパーツだとどこを見ているかわからないが。

 そっちがその気なら、とあやめも持ち前の冷静さを取り戻しルールームゥへと質問を開始する。

 ……脱出できるかどうかはともかく、ラビたちが来ていることを考えれば、何かしらの有用な情報を得てそれを渡すこともできるだろう、との打算も働いている。


「貴女はマサクルの仲間なのでは……? 私を助ける、ということはマサクルを裏切るということになるのでは?」

<…………最初の問いには『イエス』、二つ目の問いには…………『ある意味でイエス』、としか言えません>

「……ふむ……」


 想定した通りの答えではあった。

 あやめは思案する。

 冷静さを取り戻したことであやめの頭もフル回転を始める。

 ……ルールームゥはどういうわけかはわからないが、マサクルを裏切ることになりかねないということは認識しているらしい。

 まだ罠の可能性は残っているが……それを見極めつつ利用しよう、そう思いつつ会話を続ける。

 少しでも有益な情報を得て後へと続ける――それが囚われの身となったあやめにできる唯一のことなのだ。




 あやめはその後もルールームゥと根気よく会話を続ける。

 ルールームゥは言葉は通じるようになったとはいえ、あまり会話は得意な方ではないようだ――ユニット同様の『言葉のフィルター』がかかっているせいもあるが、おそらくはマサクルの影響もあって話しづらいこともあったのだろう。

 それでも、ルールームゥは一生懸命言葉を選んであやめへと話してくれた。

 ……自分が信頼されていないというのは承知しているのだろう。信頼を得るためにも誠実に話そうとしている、というのはあやめにも伝わってきていた。


「…………難しいですね……」


 一通り話は聞けたと思うが、その内容を理解しきれずにあやめは頭を抱える。

 ルールームゥの説明が悪かったせいではない。

 単純に話が難しく、あやめの頭で追いついていないせいだ。

 現実離れしたことについては理解が及ばないのは当然として――それでも飲み込み何とか理解しようと努力はしてみた。


「まず、貴女は

<イエス。加えて、ルナホーク……貴女とエキドナにも逆らうことはできません。命令の優先順位はマサクルが最上位となりますが>


 ルールームゥはマサクル、そしてユニットであるエキドナとルナホークの下した命令には逆らえないようだ。

 ポイントは、『命令には逆らえない』であって、自分の意思で行動できないわけではないということだ。

 だからルナホークを『助ける』という行動がマサクルにとっての裏切りになりかねないとわかりつつも、明確な『命令違反』には当たらないためできるということらしい……とあやめは解釈した。

 そして、もう一つ、自分ルナホークにも逆らえない、逆を言えば命令には従うということが重要だ。

 ……ここすらも嘘だとすればどうしようもないが、ルールームゥの言葉を信じれば『あやめに対して嘘はつけない』ということになるだろう。より上位のマサクルに不利になることについて衝突コリジョンする要素については嘘をつく可能性はありえるが。


「しかし、マサクルに直接危害を加えるのでなければ比較的自由に動ける――私を助けるのはそれに当たらない、ということ」

<それもイエスです>


 悩ましい問題だった。

 ここで助かったとしても、それはマサクルにとってさほどマイナス要素ではない、ということはラビにとってもプラスにならないという意味なのだ。

 もちろんあやめがマサクルの元から離れられれば、それだけラビたちにとっては有利にはなってくれる……とは思うのだが。

 ただし、あやめを助けることは裏切りになるかもしれないが、大きなマイナス要素でもないし命令違反にもならないためルールームゥが自由に動ける、というのはプラス要素だ。

 このことはルールームゥの言葉が『罠』ではないという裏付けの一つとなりえる。


「貴女には、元の人間だった時の記憶はない――けれども、なぜか私のことを知っていて助けようとしている……」

<イエスです>


 ここは全くあやめの理解が及ばない部分だ。

 それでもルールームゥに説明を受け、どうにか理解しようと努めた。

 これについては『ゲーム』のシステム的なことも絡み、ルールームゥ自身も完全に理解しているわけでもなく推測が混じっていることも難解な理由の一つだ。




 まず、ピースたちは『人間の魂に紐づけられたユニットの抜け殻』を利用して作られたものだ。

 ピースの肉体だけあっても動かすことは出来ない――『中身』が必ず必要となってくる。

 マサクルたちは、捕らえた『魂』からピースの『中身』を作り出している。……一体どのようにしてそんなことができるのかまではルールームゥにもわかっていないが。

 ともあれ、『魂』を元にしてピースの『中身』を作ってはいるのだが、元の人間の記憶や人格は取り除いたものしか使用していない。

 要はピースを動かせるだけでいいのだ。記憶は不要だし、人格もマサクルにとって都合のいい――態度はともかくとして『裏切らない』ことだけでも保証されていればいいのだ――ものに設定しなおしている。

 よってピースはユニットを元にしているとは言っても、元とは全く異なる存在となっていると言えるだろう。


 ただし、だからと言って元の人間の影響が皆無というわけではないようだ。

 ジュウベェもそうであったが、中にはうっすらとした『衝動』として残っているものもいる。

 ルールームゥが『あやめを助けたい』と思っているのも、そうした『衝動』が原因……とルールームゥ本人は分析していた。

 あくまでも『衝動』だけであり、それにどうしても逆らえない……ということは全くない。現にルールームゥもマサクルに命令され、あやめを取り押さえたり閉じ込めたりして危害を加えていた。

 このことから、ピースの行動原理はあくまでも『マサクルの命令』が最優先であり、そこに反しない限りはある程度自由に動けるということになるのだろう。


「……なぜ今になって私を助けようと?」


 あやめを助ける=マサクルの元から引き離すことになるだろう。

 そうなれば『マサクルの命令』に反することになるのではないだろうか? あやめの利用価値がゼロになった、とマサクルが見なしているのであればルールームゥがわざわざ逃がそうとするまでもなく放り出してくるだろう。

 だからルールームゥは『あやめを助ける』という行動をとることができない、というのがあやめの考えなのだ。

 ピースの原理等の説明は一応受けた。

 後は、ルールームゥが何をしようとしているのか、『あやめを助ける』とは具体的にどうしようというのかを確認するだけだ。


です>

「今しか……?」

<イエス。当機の予測では、この後どこかのタイミングで貴女へと洗脳を仕掛けることになります>


 さらっととてつもないことを言った。

 命令魔法オーダー等での強制命令で言うことを聞かせるだけではなく、『洗脳』という直接的な手段を取る可能性が高いとルールームゥは判断していた。

 これはあやめにとっては意外なことだった。

 『人質』として使う……のであれば、別に洗脳する必要もないように思える。アビサル・レギオンがいる以上、洗脳してまで『ルナホークとして』の戦力を頼るとも思えない。


 ルールームゥは特に説明しなかったが、あやめの考え――『人質として使う』というのはありえないことなのだ。

 映画等でよくある『人質を傷つけたくなければ――』というやり方は、この『ゲーム』においては使えない。マサクルが直接あやめを傷つけることはシステム的に不可能なのだから。

 あやめの視点では、先日のパワーレベリングと同等の痛みを味わわされるかもしれないという恐れがあるが、ルールームゥにはそれができないということはわかっている。

 だから、精々やれることと言えばあやめを誰も知らないところに監禁するくらいとなる。それでもあやめが自ら動けば逃げ出すことはできるだろう、マサクルの目の届かない場所であればなおさらだ。モンスターの巣に今から放り込むのはクエストに参加中であるため無理だし、目前に『ラビたち』がいるのにリターンの少ない人質作戦を取るのは何の意味もない。


 マサクルたちからしてみれば、閉じ込めておくにしてもコストとリスクがあるあやめを『効率的』に使うためには、最終手段として残しておいた『洗脳』を使うのが一番なのだ。


<洗脳が完了してしまえば、貴女を助けられる確率は限りなく低くなると当機は予測します>

「……確かにそうですね……」


 どうすれば洗脳が解けるか、という方法を仮に知ったとしてもそれをラビたちに伝える術がない。流石にこれをルールームゥから伝えるのは『命令違反』に当たるため無理だろう。


<なので、

「……それはそれで命令違反になるのではないですか?」


 ルールームゥがどうするつもりかはまだわからないが、『洗脳前』に手を打つのだとすれば『洗脳を妨害する』=『命令違反』に当たるのではないかという疑問はある。

 事実、命令違反になるだろうとルールームゥもわかっている。


<イエス。なので、

「??」

<『鷹月あやめ』を助け、『ルナホーク』を洗脳させる――命令違反を犯さずに貴女を助けるために当機に実行可能な手段はこれしかありません>

「……! まさか――」


 勉強は苦手だが頭の回転はとても速い。

 あやめはルールームゥの言葉を吟味し、何をしようとしているのかを悟った。


……?」

<イエス>


 ルールームゥの計画はこうだ。

 ルナホークへの洗脳を防ぐことは出来ない――命令違反に当たるためルールームゥは妨害することはできない。

 だから

 ただし、

 そうすれば、ルールームゥの『あやめを助けたい』という衝動と、マサクルからの命令の二律背反を改称することができる……そういう計画なのだ。


「そうか……私の今の身体は、『ゲーム』の用意したアバター……だから、精神を分離することは理論上は可能、と」

<イエス。マサクルたちのの構造を当機は解析済です>


 ルールームゥのギフト【解析者アナライザー】は『機械の構造を解析し己の能力として再現できるようにする』というものだ。ジュリエッタの【捕食者プレデター】の機械版と言っても差し支えないものであろう。

 既に『ピース製造工場』への解析を完了し、『魂からピースを作る』『ピースへと魂の一部を中身として与える』という能力をルールームゥは持っていたのだ。

 その能力をフル活用したのが『あやめ救出計画』なのである。


<当機の能力を使用し、貴女の精神を別の器へと移し替え、洗脳から保護します>

「……貴女がそれを実行可能ということは承知しました。しかし、それでは――」


 あやめの精神が保護されるのはいいとして、結局残された肉体ルナホークへと洗脳が行われてしまうことには変わりない。

 おそらくは『ダミー』の中身――ピースの中身と同じようなもの――を肉体へと入れて誤魔化すのであろうが、そうなると洗脳後はピース同様にマサクルの尖兵として動くこととなってしまう。

 それではたとえあやめを守れても、ラビたちの脅威が増えるだけで状況は良くはならない。

 この点についても、ルールームゥには考えがあった。


<当機たちピースも同様ですが、精神と肉体の結びつきはとても強いものです。

 当機たちも元の魂に近づけば、今の当機の精神は消え元の魂に入れ替わることとなるでしょう>

「…………!」


 ピースを止める重要な情報でもあった。

 どうにか元の魂を解放し、ピースたちに近づければ――すべてのピースは元の記憶・人格を取り戻すことになる、ということだ。

 ……ただ、あやめにはそれを実行する術はないし、そもそも『魂』がどこにあるのかもわからない――おそらくは『ピース製造工場』にあるのだろうが……。

 今重要なのは、洗脳されたルナホークをどうやって止めるか、だ。


「一度私の魂を別の器に移し、肉体は洗脳させる……そして、私の魂を再び肉体に戻せば……!」

<イエス。を追い出し、貴女が肉体の主導権を取り返せます>


 ――これはルールームゥにしかできない手段だった。

 あやめを一時的に保護し、ルナホークを洗脳させた後にもう一度あやめの魂で上書きする。

 ルナホークが洗脳した後に戻るにしても、気づかれたら再度洗脳されることになるだろう――ルールームゥも二度目は流石に助けられない。

 だからチャンスは一度きりだ。


<貴女が肉体に戻れるチャンスは一度しかありません>

「そうですね……」


 ここから先、ラビたちとマサクルたちの戦いが始まるだろう。

 そのどこかで戻る必要があり、かつ最良のタイミングで戻らなければならない。

 チャンスがあったからと言って、それが最良とも限らないのだ。

 戻るタイミングだけは、あやめが慎重に考えて判断し、行動するしかない。


「……戻るタイミングはこれから状況を見極めて考えるしかなさそうですね。

 わかりました。ルールームゥ、貴女を信用します」


 他にできることはない――黙っていてもおそらくはルールームゥの言う通り洗脳されていいように操られるだけだ。

 それならば、ルールームゥの計画に賭けてみるのも悪くないだろう。

 ……どれだけ最悪の状況になったとしても、桃香たちに迷惑をかける度合いに違いはない。ルールームゥの計画が上手くいけばプラスにはなるが、これ以上のマイナスにはならない。

 ここで燻っているだけのあやめではない。

 『桃香の護衛』として既に償いきれない失態を冒しているのだ。

 汚名返上の機会は今をおいて他にない……とあやめは考えてしまっていた。ラビや桃香があやめを責めるわけはないのに……。


<ありがとうございます>


 あやめの言葉にロボットのような姿をしているが非常に人間くさい動作でルールームゥは頭を下げ感謝の意を示した。

 ……少し話しただけではあるが、あやめはルールームゥに対して悪印象を抱かなかった。

 機械的な口調で読みづらい面はあるが、可能な限り誠実に話そうとしているのは伝わってきていた。

 それに加え、あやめには一つの想いがあった。


「……ルールームゥ……貴女は、もしかして……」


 忘れかけていた様々な出来事と、ここで得た『ゲーム』の知識があやめの頭の中で結びついていく。

 そして、『あやめを助けたい』と特別な感情を抱いてくれるであろう人物に、心当たりがあったのだ。

 だからこそ、ルールームゥのことを信用しようという後押しになったのである。


「…………いえ、なんでもありません」

<……>


 確証はないし、言ったところでルールームゥ自身にもわからないだろう。

 結局、あやめは言葉を飲み込んだ。

 あやめの考えが正しいのかどうかは――マサクルを倒した後にしかわからないことなのだ。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「! この子は……?」


 ルールームゥの計画はすぐさまスタートした。

 時間をかければかけるほど、間に合わなくなる可能性は高くなる。

 今はまだ『天空遺跡』から抜け、いずことも知れぬ目的地へと向かって進んでいる最中だ。

 おそらくは目的地に着いてからマサクルは侵攻のために様々な策を弄するのだろう――その時に洗脳されるかもしれないし、今は監視が外れているらしいが移動中に気が変わって洗脳を開始するかもしれない。

 時は金なり、だ。

 あやめもすぐさま行動開始することに異存はない。

 そして計画スタートと共に、ルールームゥが自分の胴体を開き、その中に隠していた『モノ』を取り出す。


<貴女の魂の器として、を使います>

「こ、この子を……!?」


 それは、だった。


<先ほど、地上より採取した生物を基に当機が作り出した疑似生命体です>

「は、はぁ……」


 ピクリとも動かない小動物は、どこからどう見てもぬいぐるみなどではなく生き物そのものだ。

 ……ただし、呼吸もしておらず触ってみてもほんのりと暖かいのに心臓の鼓動はない。

 『非常に精巧なぬいぐるみ』が最も適当な表現だろうか。


<この器に貴女の魂を入れ、放逐します>

「……その辺に置き去りにされても困りますので、ラビ様の近くに置いてもらうことはできませんか?」

<…………イエス。可能です>


 少し悩んだ様子はあったが、ルールームゥはうなずいた。

 勝手に攻撃をするわけでもないし、かといって敵に有利になるような行動をとるわけではない。『命令違反』には当たらないだろうとの判断だ。


<よろしいですか?>

「ええ、お願いします」


 うだうだとこれ以上は悩んでいられない。

 一刻も早くここから離れるのが先決だろう。

 あやめも覚悟を決める。


<承知しました。これより作戦オペレーション:レスト・ルナホーク開始します>

<[コマンド:トランスフォーメーション《ダンタリアン-71》]>


 ルールームゥの手に『秤』のようなパーツが現れる。

 そして、あやめの胸に手を当てると――


「……」


 がくりとあやめの身体がその場に崩れ落ちると同時に、『秤』の片方に青白い炎のようなもの――『あやめの魂』が載せられる。


<[システム:コピー:開始...終了]>


 『秤』の反対側に薄い赤色の炎――『あやめの魂のコピー』、つまり抜け殻の肉体に入れる『ダミー』が載せられる。


<[システム:ログ:成功]>

<[システム:検体の移植実行...終了]>


 青白い魂の方が小動物へ、薄赤い魂の方が肉体の方へと吸い込まれ――どちらもが生きかえったように動き出す。


「……」


 あやめの肉体の方は、どこかぼーっとしたような緩慢な動作でその場に蹲り、


「きゅっ、きゅー!」


 小動物の方は本物の生き物のように動き出したのだった……。

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