第9章34話 遥かな世界より、愛をこめて -3-

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 マサクルにより強制的に『ゲーム』に呼び出されてから先――あやめの体感時間にしておよそ一週間は、『地獄』の日々だった。

 肉体的に危害を加えられたわけではないし、かといって精神的に危害を加えられたわけでもない。

 ただひたすらに、『鷹月あやめ』という人間の意思や人格を無視された……言ってみれば『物扱い』されたという感じではある。

 だからといってそれが耐えられるものかといえば、多くの人間にとってそうであるようにあやめにとっても耐えがたいものではあったが。


「ここは……?」


 状況を全く説明せずにあやめが連れてこられたのは、見るからに毒々しい煙を噴き出す沼が点在する、生き物の気配が微塵もない『死んだ世界』だった。

 現実に存在するとは全く思えないこの世界においては、むしろあやめたち生者の方が異物であるとさえ思える。

 そんな世界にあやめたち以外の『異物』が存在していた。


「……!」


 あやめとマサクル以外の異物たちが、そこに集っていた。


「あん? おい、クソ野郎……そいつぁ何だ?」


 マサクルをも超える『暴』の気配を持った、時代錯誤な不良ツッパリの姿をした幼女が、剣呑な視線をあやめへと向けてくる。

 普段ならば毅然として受け止めることもできたであろうあやめだったが、あまりの『暴』の気配に気圧されてしまう。

 何も言えず、硬直してしまうあやめを笑ったわけではないだろうが、笑ってマサクルは応える。


”くけけっ、俺っちのユニットの一人さ。おまえさんたちアビサル・レギオンの初陣だっつーのに、一人だけ除け者にすんのはかわいそうだからなぁ”

「……ふん」


 その一言で了解したのか、あるいはどんな返答をしようが気にくわないだけなのかはわからないが、少女はそれ以上何も言わなかった。

 ……その少女だけではない。

 他に控えているのも、いずれも現実ではありえない『異形』としか言えない少女たちばかりであった。

 ――それらすべてが『ユニット』と呼ばれる、『ゲーム』の参加者であるとはすぐにあやめには結びつけることはできなかった。


”さーて、そいじゃ出発するぞー。おい、ルールームゥ!”

<……>

”……? ルールームゥ? おーい、聞いてるかぁ!?”


 マサクルが呼びかけているのが誰かはあやめにはわからなかったが、『ルールームゥ』はその場であやめ同様硬直し、すぐには反応を返さなかった。

 が、再度のマサクルの呼び声に応え、


<[コマンド:トランスフォーメーション《ウァサゴ-3》]>


 その身を巨大な機械――『宇宙船』へと変化させる。

 自身も一度だけ揮ったことがあるとはいえ、魔法の力を目にし改めてあやめは『ゲーム』の超常的な力を思い知ることとなった。


”けけけけけっ! よっしゃ、アビサル・レギオン共、乗り込め!”


 マサクルの言葉に従い、ルールームゥの変じた宇宙船へと次々とユニット――否、ピースたちが乗り込んでゆく。

 最後に残ったのは、マサクルとあやめ、そしてもう一人――


”さーて、あやめちゃんよぉ……これからはお前さんにも働いてもらうぜぇ”

「ふ……まぁ拒否しても構わんよ。キミの運命は――パトロン殿のユニットとなった時点で決まっているのだからな」

「……あ、あなたたちは……!」


 マサクルも、もう一人のユニットエキドナも、あやめの意思を完全に無視した理不尽な強権を揮おうとしている。

 何を言っても聞き入れてもらえることはないし、どんなに抵抗しても彼らの思う通りに動かされてしまうのではないか――そんな予感をあやめは感じていた……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 強制的に『ゲーム』に参加させられ、《ウァサゴ-3》――ルールームゥの変化した『宇宙船』に無理矢理乗せられてから四日が過ぎた。

 ……とはいえ、あやめには昼夜の感覚はすでになく、一体今がいつなのかすらわからなくなっていた。

 人間は長時間の監禁に耐えられる生き物ではない。

 どれだけ強靭な精神力を持っていようとも、誰とも会話せずに一つ所に閉じ込められては一週間ももたないと言われている。

 幸いなのはあやめが閉じ込められた部屋は真っ暗闇ではなく、休むためのベッドが用意されていること。

 不幸なのは、今のあやめは普段と同じ身体のように見えても、『ゲーム』のアバターとして再現されているため、飲食も睡眠も本来は不要であるということだ。

 最初は部屋から脱出しようと試みたり、時折様子を見に来るマサクルやエキドナに抵抗しようとしたものの……その気力はすぐに尽きた。


”なぁ、そろそろ俺っちに『協力する』ってうなずいてくれねーかなー? そうすりゃ、まぁ悪いようにはしないぜぇ?”

「……」


 時間の感覚を完全に失い、動く気力さえ尽きかけたあやめの前にマサクルとエキドナが現れ、もう何度目になるかの問いかけをしてきた。

 この時点であやめはマサクルの目的を聞いている。


 ――これから向かう先で抵抗する『敵』を倒すこと


 それがマサクルの言う『協力してほしいこと』なのはわかった。

 問題なのはそれが決して『良いこと』とは言えないことだ。

 マサクルは隠すことなく、本当の目的――アストラエアの世界の侵略をあやめに語った。

 ……『異世界』の存在は信じがたかったが、あやめは受け入れざるを得なかった。超常現象としか言いようのない『ゲーム』の存在も、それであれば一応納得できる……気はするためだ。

 何よりも今自分がいる場所――《ウァサゴ-3》の外、すなわち『宇宙』を旅する光景を見て、『異世界』とまではいかなくても『異星』の存在だけは信じざるを得ないだろう。

 しかし、だからと言ってマサクルに協力することをあやめは良しとしなかった。


「……あなたに協力したら……それは、悪ということ……」


 この苦しみから解き放たれるなら……という誘惑はないわけではない。

 それでもあやめはマサクルに協力する、つまり明確な『悪』を拒絶した。

 自分自身が『正義』とも思ってないし常に『正しい』行いだけをしてきたとは思いあがっていない。

 生命の危機を脱するために、自分の身を守るために敢えて『悪』を行うことも『緊急避難』として見なされるだろうとも思っている。

 しかし、あやめにはそうすることができない理由があった。


「私は……私は、絶対に、悪になってはいけない……!」


 体力も気力も尽きかけているが、それでもはっきりと意思を込めた視線でマサクルたちを睨み返す。

 あやめの行動原理の根本にあるのは『桃香のため』だ。

 故に、桃香に間違った行動をさせないためにも、自らが規範とならねばという想いがあった。

 それこそがあやめが『悪』に与さない、という強い動機となっているのであった。


”……はぁ~……”


 あきれたようにマサクルは深いため息を吐く。

 全く理解できないことだった。


”あんま手荒なことはしたくねーんだけどなー……”

「……っ」


 ここに至るまで、監禁はしているものの直接的に危害を加えるようなことをマサクルはしてこなかった。

 それは彼が『説得』しようとしていたから、ではない。

 単に自分のユニットには危害を加えられないからだ。『ゲーム』のシステムとして、使い魔からユニットへとダメージを与える術は存在しない。せいぜいが、強制命令フォースコマンドで無理矢理動かす程度だ。これが敵ユニットであれば話は別ではあるが――クラウザーのような攻撃性能を備えたアバターでもない限りはどちらにしても無意味だろう。

 しかしやりようはいくらでもある。

 監禁による苦痛で屈しないのであれば、別の方法を取ることも、マサクルの悪魔の頭脳ならばできてしまうのだ。


「パトロン殿、もうじき『目的地』に到着するだろう。やるなら早めにやったらどうだ?」

”けけっ、ああそうだな。

 おい、ルールームゥ!”


 何をするつもりかわからないが、ひどく危険な匂いを敏感に感じ取ったあやめは無駄と知りつつもその場から逃げようと咄嗟に動いた。

 が、


「ぐっ……!?」

<ピピッ>


 どこからか現れたルールームゥが動こうとしたあやめを取り押さえ、床へと押し倒す。

 あやめは女性とは言えども非力ではない。

 常に身体は鍛えているし、同年代の運動部男子と比べても遜色ない力を持っている。

 けれどもルールームゥの力には全く及ばなかった。

 床に押し付けられ、身動きが全く取れない。


”さーて、そいじゃまずはパワーレベリングから済ませちまうか。頼むぜ、エキドナぁ”

「ふ、いいだろう。【改竄者オルタラー】――」


 エキドナのギフト【改竄者】が世界ゲームのルールを改竄、ルールームゥ内部のこの部屋をマイルームと同等のものへと変化させる。

 ――アイテムの補充やユニットのレベルアップはマイルームでしか行えない。故に、ギフトの力を使って一時的に部屋をマイルームへと変化させたのだ。

 それができる【改竄者】の力は、『ゲーム』のシステムを超越した、明らかに異常な力であるが今まで『ゲーム』に参加していないあやめにはその異常さは実感できない。

 ただわかっていることは、もはやマサクルはあやめの返答を待つことすら止めた、ということだけである。


”けけけ……あやめちゃんが悪ぃんだぜぇ? 最初から素直にうなずいてりゃ、痛い目に遭わずに済んだってのによぉ”

「……!」


 押さえつけられ動けないあやめの頭にマサクルが両手を当てる。


”けけけけけっ! 楽しい楽しいレベルアップターイム!”

「!? ぐ、うああああああっ!?」


 心の底から楽しそうにマサクルが言うと同時に、あやめの全身に衝撃が走る。

 ……レベル上げに際して、かつてありすがラビに語った通りに『少しだけ痛い』という感覚がある。

 それはもちろん、苦痛を与えることが目的ではない。

 単純に『ゲーム』のシステムとアバターの精神とが馴染んでいないが故のものなのだ。

 だから回数を重ね、二つが馴染んでいくとともに痛みは薄れてゆくのが通常なのだ。

 あやめの場合、それが全く馴染んでいないところに一気にレベル上げを行うこととなるのだから、その苦痛は筆舌にしがたい。


「あああああっ! いやっ! がっ、ぎゃあああああああっ!!」


 身体中の至るところに焼けた針を何度も突き刺し、同時に電流を流しているかのような絶え間ない、そして逃げ場のない苦痛に襲われついにあやめは悲鳴を上げた。

 逃げようにもルールームゥによって動きは封じられ、苦痛に身をよじることさえできない。

 後にマサクルとラビが対面した際に『別に拷問とかしてない』と嘯いたが、これは立派な拷問だろう。

 マサクルからしてみれば、痛みは伴うがやっていることはただのレベルアップ――ただし急激な――なのだ。特に嘘をついたつもりもないのだろう。

 もっとも、やられているあやめからすれば拷問以外の何物でもない。


「ああ……楽しいなぁ」


 あやめの絶叫が響き渡る中、エキドナもまた心の底から楽しそうにマサクルと共に笑う――




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 さほど長い時間ではなかったはずだが、人生において普通なら味わうことのない苦痛を味わい続けたあやめにとっては永遠にも等しい時間が過ぎた。


「……ぅ……ぅ……」


 本物の肉体ではなくアバターへのダメージ――それも本当の意味ではダメージではないのだが――ではあったが、あやめの感じた苦痛は本物だ。

 あまりの衝撃に全身の痙攣が収まらず、倒れたまま動くこともできない。

 泣き叫びすぎて喉は嗄れ、顔は涙やらでぐちゃぐちゃになっている。


”いやー、やっぱりあやめちゃんに目をつけて正解だったわ。こりゃ、なかなかお目にかかれないレアもんだぜぇ”

「それはなによりだ」


 あやめルナホークの成長をさせる過程でどのようなステータスかは見えていた。

 『特別な人間に特別なユニットが割り当てられる』――正にその通りだった。

 既にエキドナ亜理紗という前例があったため信憑性は高いとは思っていたが、ルナホークも同様に並のユニットを凌駕する性能を持っていたのだ。

 特にエキドナと比較して『攻撃力』という一点で勝っているのは、マサクルにとって嬉しい誤算だったと言えよう。

 倒れたまま呻くあやめへは一切視線を向けず、二人は話を続ける。


「これでルナホークの戦力も加え、万全と言ったところか――いや、果たして素直に言うことを聞くかな?」


 洗脳したわけではないのだ。土壇場でマサクルの命令に逆らい致命的なことになる可能性はありうる。直接的なダメージを与えることはできないが、やりようはいくらでもある。

 強制命令等で言うことを聞かせることは出来るが、わずかな隙は生じる。

 ……もっとも、ルナホーク一人が逆らったところで早々致命的な事態に陥ることはありえない、とも思ってはいたのだが。


”けけっ、まぁ問題ねーさ。

 なぁ? あ・や・め・ちゃん?”

「ひっ……!?」


 あやめの髪を掴んで無理矢理頭を上げさせ、にやぁっと笑う。

 普段は気丈なあやめも、耐えがたい苦痛を味わわされたことで心が折れかけているのだろう、その笑みに対して怯えた表情をみせた。


「……くくっ、そうだな」

”あぁ、なーんも問題ねぇさ”


 ――事ここに至って、エキドナは自分の認識を改めた。

 こそがマサクルがあやめを放置していた本当の理由だったのだ。

 『痛み』は人の心を容易く折る。だからこそ、この世に『拷問』というものが存在し、かつ有効な手段として機能しているのだ。

 だが自分のユニットに対して拷問をするのは難しい。直接的にダメージを与えることがそもそもできないし、やろうとするなら勝ち目のないモンスターの群れに放り込んで……というくらいだろう。そのやり方だと効率的とは言えないし、リスポーン代もかかる上に一歩間違えばユニットを失う可能性もある。

 唯一システム的に自分のユニットを痛めつける方法が、この急速な、そして初めてのレベルアップだったのだ。

 もちろん、この手が使えるのは一回限りだ。二度目以降はレベルアップ自体に必要なジェムが足りなくなるだろうし、アバターが馴染めば痛みはなくなる。

 ……問題なのはという点だ。

 いくらあやめが普通の女子高生とは少々違うとは言っても、あくまでも『少し違う』程度だ。

 桃香の護衛を兼ねているとはいえ、漫画やドラマのような危機があるわけではない。当然、あやめも『護衛を兼ねている』だけであって専門的な技能を学んでいるわけでもないし、ましてや拷問に対する訓練をしているわけもない。

 『女だから』でありうるかもしれない――そして絶対に桃香を守りたいと思う――ことについては想像はできていたが、今回の『拷問』は全く想像の範囲外だった。


 『ゲーム』内故に現実の肉体には確かに影響はないだろう。

 その反対に、『ゲーム』内故に肉体に後遺症を残すことがないためなのだ……実際に繰り返せないことはあやめにはわからない。

 繰り返せるかもしれない、あやめにはそこだけしかわからない。


 手間暇をかけて『洗脳』するのは最後の手段だ。

 ルナホークなどマサクルの計画に支障はない。

 戦力としては捨てるに惜しいものではあるが、それを補って余りあるほどの戦力――アビサル・レギオンは既に完成しているのだから。

 ピース化するのは本当に最後の手段だ。大駒メジャーピースとなれるかどうかまではわからないからだ。


 最小限の労力で最大限の成果を出す――マサクルにはいずれこうなることが読めていたのだろう。もちろん、あやめが積極的にマサクルに協力するのであればもっと話は早かったのであろうが。


”……ま、上手くいきゃーあやめちゃんが手を汚さないでも済むさ”

「…………」


 これはマサクルの本音だった。

 この時点でマサクルはピッピアストラエアが『ゲーム』から離脱したことは

 ならばユニットが障害として立ちはだかってくることはないだろう。現地人はピースの相手にはならないし、せいぜいが結晶竜インペラトールくらいしか障害はないだろうと予測していた。

 その程度の障害であれば、ルナホークはおろかエキドナの出番すらも不要となるはずだ。アビサル・レギオン、そして『実験』として作ろうとしている『魔眼』を適当なモンスターに埋め込んだ軍勢だけで十分だろうとも。

 あやめは力なくうなだれるしかなかった……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 ……そして、事態はあやめにとって最悪な方へと転がっていってしまった。


 ――……ラビ様……!? では、今私たちが戦っているのは……!?


 気が乗らないのは確かだが、ヒルダのオーダーで無理矢理動かされる状態でルナホークは『天空遺跡』へとやってきて、そして言われるがままに魔法の力を揮った。

 そのうち、崩れ落ちた――ルナホーク自身が破壊したのだが――封印神殿内から、ラビとアリスが現れたことであやめは事態を察した。

 桃香を守る立場のはずが、桃香に助けてもらう立場になってしまったのだ。

 嬉しく思うよりも先に申し訳ないという気持ちの方が先立つ。

 そして何よりも『桃香の枷』となってしまった自分に腹が立つ。

 この時、あやめは恐怖よりも怒りの方が勝った。

 しかし、だからと言ってマサクルたちから逃げることも抵抗することもできない。


「……一体、これからどうすれば……」


 一番恐れるのは、あやめを『人質』として楯にしてくることだ。

 見捨ててもらって構わない、といくらあやめが思ったところでその通りにラビたちが行動してくれるとは限らない――むしろ、あやめを助けるためにマサクルたちの要求を呑んでしまうかもしれない。

 ……そんな時、予想外の方向からあやめへの『助け』がやってきたのだった。




「……ルールームゥ、ですか……?」

<はい。ルールームゥでございます。良かった、成功しました>


 突如現れたルールームゥの指示に従い変身した後、『何か』をされた。

 すると、今まで無機質な電子音しか発しなかったルールームゥから、やはり無機質ではあるが『言葉』が聞こえてくるようになったのだ。

 ルールームゥがなぜそんなことをしてきたのか、ルナホークには訳が分からなかった。

 戸惑うルナホークに構わず、ルールームゥは信じられないことを口にしてきた。


<……当機は、貴女を助けたい。――そう感じています>

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