第9章33話 遥かな世界より、愛をこめて -2-

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 年越し間際になって、桃香の友人であるありすが家を空けることとなり、その間ラビを桜家で預かることとなった。


”よろしくね、あやめ”

「はい、ようこそいらっしゃいました、ラビ様」


 ラビが桜家に来るとなった時、桃香の家族は大賛成だった。

 本人も疑問に思っていたことだが、『使い魔は無条件に好かれるのでは?』と疑いたくなるのも不思議ではないほどの歓迎ぶりである。

 それにも理由はある――ラビも薄々気づいてはいたが、『七耀桃園』の本家に近い家ということもあり、桜家は色々と複雑な事情がある。

 家の事情、そして両親の仕事の性質上、桃香の傍にいない時間が非常に長いのだ。

 その寂しさを埋める代償……というわけではないが、普段から桃香がお世話になっているラビが期間限定とはいえ身近にいてくれるのは、桃香にとっても良い影響を与えるだろうとの判断だ。

 ……あやめもその役割を持っているとは言えるが、やはり年が離れてしまっていることと学校等の生活時間が異なることもあって24時間一緒にいられるわけではない――そして桃香の両親もあやめの両親も、あやめに常に桃香に付き添うようなことは望んでいない……あやめ自身の人生を桃香のためだけに使ってほしくない、と誰もが思っているためだ――のもあって、ラビはもちろんありすたち友人にも感謝している。

 加えて、あやめにとっても、ラビは『友人』と言える関係になったと思っている。料理修行でのあれやこれやを経て、心の距離は大分縮まっただろうとも(ラビ本人は『疲れた……』とげっそりしてはいたが)。

 何よりも、中身は別にしてもラビの見た目は愛くるしい小動物だ。普通にそういうのを『かわいい』と感じられるだけの女子的感性は持っている。


 ……ともかく、ラビが桜家に年末年始世話になるというのは、あやめにとっても大歓迎であるというのに変わりはないのだ。

 …………そして、酒飲み大人組にとっては『酒飲める人が増えた!』という意味でも喜ばしいことではあった。その点だけは、あやめはあまり賛成できないことではあったが……。




 ともあれ、ラビが加わったことでかつてない賑やかな年末年始を過ごすことができた。

 特に助かったのは年明け――様々な親戚が訪れ、その中には望ましくない客もいるため桃香を隔離しなければならなかった時だ。あやめと共にラビも一緒にいてくれたことはとても心強い――桃香の手前顔には出さないが、あやめだって不安には思っていたのだ。

 そんな時に、ラビが傍についていてくれるのはありがたかった。他にも、美々香と千夏、それに幼馴染の海斗がいてくれたのも嬉しかった。




 そんなこんなの年末年始は、特にトラブルもなく――いや、親戚のことを除いて幾つか気にかかることが起こっていた。

 桃香たちが『ゲーム』に行っている最中、大きめの地震が起きたのだ。

 幸い、家具が倒れたりするような大きさではなく、すぐに収まり桃香たちに危険はなかったが……。

 この地震の原因はわかっている。正確には後になってラビたちから聞いたのだが、どうやら『ゲーム』の影響が現実世界にも及んだためだったらしい。

 以前、ありすが桜家に泊まった時の大嵐もそうだったというし、『ゲーム』が現実に影響を与えるとはにわかには信じがたいのだが――『幽霊団地』の件もあるし、あやめはそういうものだと受け入れ、いざという時には桃香を守れるようにすぐ動ける心構えをしておくくらいしか現状やれることはない。


 ――私が『ゲーム』に残っているのは、桃香たちのためなのかもしれない。


 『ゲーム』そのものに参加できないことについては、特にどうとも思っていない。

 現実離れした魔法を、自分自身で自在に操ってモンスターと戦うゲームというのは確かに心躍るものはあったが、そこまでゲームに熱中できるわけでもなく、いわゆるアクション系のゲームは特に好みでもなかった。

 桃香を直接『ゲーム』内で助けられないのは心苦しいが、反面現実世界でのサポートがしやすいため都合がいいと言えなくもない。

 地震は大したことはなかったが、いざとなったら動けない桃香を抱えて……ということもできる。そんなことが必要にな事態に陥ってほしくはないが……。


 ……もう一つ、大きめの地震が起きたことで忘れてしまっていたが、気になる出来事は起きていたのだ。

 地震の起きる少し前、あやめは親友の花音かのんとメッセージアプリでやりとりをしていた。

 しばらくの間やりとりをしていると、突然花音から返信が返ってこない時があった。

 まぁ電話でもないし、即返事をしなければならないような緊急の話をしているわけでもないし、とあやめは気にしていなかったのだが――花音から返信が来なくなってから少しして、あの地震が起きたのだった。

 結局、地震であたふたしたことと、その後に花音から『地震こわかった! あやめちゃんの方は大丈夫?』と普通にメッセージのやり取りが再開されたので頭から抜け落ちていたのだ……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 正月明けからしばらく経って、1月の半ばも過ぎたころ――あやめにとってもなかなか難しい問題が発生した。

 ラビたちが戦ったユニット――『ジュウベェ』の本体であった少女の身柄を預かってほしいと言われたことである。

 北尚武台で起きた『追いはぎ事件』の犯人である可能性が非常に高く、また『ゲーム』的な意味でも敵対していた危険人物であることは承知の上で、あやめは敢えて預かることを承諾した。

 本来ならば桃香の近くに置きたくない人物ではあるが、かといって目に見えない遠くにやるには不安が残る。

 どちらが良いかを天秤にかけた結果、あやめの目の届く範囲で監視するのがベターである、と判断した結果だ。

 それに、意識を失った少女を実質的に預かることになる高雄女医が、


『問題ない。私が責任をもって監視しよう』


 と請け負ってくれたことも後押しした。

 高雄はもちろん『ゲーム』の関係者ではないため細かい事情は知らないものの、『桃香を守る』という点についてはあやめと同等――いや、時にはそれ以上の情熱を燃やす人物であることを知っている。

 ……また、高雄にとってはあやめも桃香と同列の扱いである、ということもわかってはいるが――結局あやめもまだ未成年なのであまり強く反発はできない。

 とにかく、高雄には『元ジュウベェの少女』が目覚めたら何をするかわからない危険人物……かもしれない、とは伝えてある。その上で、監視を請け負ってくれたのだ。感謝するしかない。




 問題、というより理解不能なことが起こったのはそのすぐ後だ。

 少女を確保し、高雄に預かってもらった後は自分の両親と、当然桃香の両親にも事情を話さずにはいられない。

 とりあえず『行き倒れを拾った。警察には後で届けるが、一旦高雄先生に預かってもらう』という少し苦しい言い訳を考え、何とか説得しようと頭の中で何度もシミュレートしていたのだが……。


『?? 今更のこと?』


 高雄に預けた翌日、いざ話を切り出してみたら揃って『今更?』と言った態度で返されてしまった。

 わけがわからず高雄の元へと向かったら……少女はいつの間にか目覚めており、高雄が慣れた手つきでかいがいしく世話をしている姿があった。


『せ、先生……一体何が起こっているのでしょう……?』

『……お前の方が一体どうした?』


 前日に話した内容を高雄は完全に忘れているように見えた。

 それどころか、よくよく状況を確認すると、少女を預かったのはもっと前――そして目覚めたのももっと前、ということになっていた。

 しかも、少女の身元は不明のままであり、高雄が保護者として預かることになっているのだ。

 自分の頭がおかしくなったのか、と流石のあやめも混乱する。

 ラビに相談すべきか……と考えたが、自分の中でもどう説明すべきかわからず、ある程度状況を把握してからにしようと決める。


 その後、色々と調べていると、発端だった北尚武台の事件も起きていなかったことになっていたり、少女についても高雄たちが語る通りになっていたりと……現実が改変されているとしか思えないことになっている、と結論を出す以外になかった。


 ラビにもこのタイミングで報告はしたが、あやめ同様に混乱しているようだった。

 『ゲーム』の仕業としか思えないが、ラビも語る通り『ゲーム』側が現実を歪めてまで少女を保護する理由も見当たらない。

 『神様のしわざ』と冗談めかして口にしたが……信じたくはないがそうとしか思えない状況だった。




 この時初めてあやめは、『ゲーム』に対していい知れない『恐れ』を感じた。

 元より現実を遥かに超越した『ゲーム』ではあるが、それでも内容としてはあくまでもゲームはゲームだ。恐れるようなことはなかった。

 大嵐や地震などが『ゲーム』の影響であるとは聞いてはいても、直接原因となるモンスターと対面していないため実感は薄かった。

 しかし、『元ジュウベェ』の件で、あやめは自分たちには知覚することのできない『超存在』としか言いようのない存在が、自分たちの世界を操っているのではないか……という恐れを感じたのだ。

 ――これはピッピアストラエアがラビに語った、『ユニットたちに語ってはならない』ということとほぼ同じ意味で感じる恐れだと言えよう。

 正体不明の存在に全てが支配されているのではないか……そんな漠然とした、説明できない、現代の人間が忘れかけた『大いなる存在』への恐れを生まれて初めてあやめは感じていた。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 漠然とした恐れを抱きつつも、あやめの想いとはお構いなしに時間は進んでいく。

 新たにラビのユニットとなった星見座ほしみくらの姉妹から、桃香発案の『お泊り会』について打診があったのでそれの対応を行うこととなった。

 目的は、お泊り会に参加する理由付けが難しい千夏のフォローだ。


 ――少し厄介ですが……まぁ何とかなるでしょう。


 集まるメンバーの中で、千夏だけが明らかに浮いているのが問題だった。

 桃香のクラスメートであるありす、雪彦は――性別の問題はスルーして――問題ない。雪彦の保護者枠で姉たち、ついでに妹……ここまではそこまで不自然な理屈もなく参加可能だ。

 千夏だけは厳しい。一見すると、誰とも繋がりのない男子中学生なのだ。雪彦側の引率として……という最終的な立場はすぐに思いついたが、『じゃあ何で千夏に?』という問題が結局残ってしまう。

 調によっておおよその人間関係は把握済みだ。

 ……これは今回の件があったから調査した、ではない。

 ラビのユニットとなった時点で調査を行っていたのだ。

 疑っているというわけではない――結果としてそう見える行動であることは否定しないが、すべては『桃香のため』である。

 桃香にとって害があるかないか、(早々ないとは思うが)反社会勢力との繋がりがないか……などの人柄を含めた身辺調査をひそかに行っていた。

 念には念を、だ。桃香のためを思えばいくら用心してもし足りない、とあやめは常々思っていた。


 結果、千夏はもちろん、つい最近仲間となった星見座姉弟にも何の問題もないことはわかった。

 特に千夏については、『剣心会』での付き合いもあったため本当は調べる必要もないとは思っていたが、自分のその考えが正しいと裏付ける結果が出たことに安堵していた。

 ……『男性』であるがゆえに、特に慎重になっていたことからも、より安心の度合いは大きい。




 あやめと千夏は、割と長年の付き合いではある。小学校で同じクラスになって二年目の桃香とありすよりも長い付き合いなのだ。

 『剣心会』という限られた場所ではあるが、レクリエーション等のイベントでもそれなりに関わりはあったし、彼が中学生になっても時々『剣心会』へと顔を出してくれているので割と知った仲ではあると思っている。

 そんな彼の『好意』については――実のところあやめは気付いてはいた。

 ただ、それがいわゆる『男女間の好意』ではなく、『剣心会』の子供たちが『お姉ちゃん先生』と慕ってくれているものの延長線上にあるものだとも気付いていた。彼本人がどこまで自覚しているかはわからないが……。

 そのこと自体はくすぐったくも嬉しいものではあったが、彼の幼馴染――そしてまず間違いなく彼に『男女間の好意』を抱いているであろう少女から敵意……とまではいかないもののライバル視されているのには苦笑するしかできないが。

 同じようなことが星見座姉妹からもあるかと少し警戒はしたものの、どうやらあやめ同様に千夏の気持ちを察したか特にトラブルはなかった。




 ……それはともかくとして。

 星見座姉妹から相談を受け、あやめはすぐに行動を開始した。

 千夏の母親と自分の母親鮮美は『剣心会』繋がりを除いても付き合いがあるのは知っていたので、苦労したのは鮮美と会話するタイミングだけであった。

 うまい具合に話を通したら、後は『千夏に引率を頼む』という嘘の――まるっきりというわけではないが――名目をでっち上げ、千夏の母親を説得するだけである。

 これに関してはありすの母親とラビも来るという想定外の事態も起きたものの、ほぼあやめの思う通り事が進んでいったと言えるだろう。




 そこから先は、『お泊り会』の準備に奔走することとなった。

 宿泊場所――桃園演習場内にある桜家の別荘の掃除や準備、事前に商店に話をつけて食材や飲料、特に大人用ジュースアルコールを予約して当日に引き取れるようにする必要がある。流石のあやめでもまだアルコールをその場で買うことはできない。

 気を遣わなければならないのは、3歳児の星見座撫子だろう。アレルギーについては全員そうであるが、撫子はまだ幼児だ。口に入れていいものといけないものは保護者によく相談しなければならない。

 この辺については保護者役の姉妹は当然として、自分の母親とも相談していた。

 ……相談した結果、当日の昼ご飯は『(撫子も食べられる)具沢山焼きそば』をあやめが作れ、となぜか母に命令されてしまったのは完全に誤算ではあったが……。




 ラビがよく知るように、あやめは料理が得意ではない。

 嫌いではない……はずだが、とにかく上手くできないのだ。

 流石にあやめ自身も上手く作れていないことは自覚している(車の運転と違って)。

 なので、今回もラビに頼ることとなった。


『”…………うん、まぁがんばろうか……”』


 ラビが生気のない目をしていたのは気のせいではないだろう……。

 申し訳ないという思いは当然ありつつも、ラビにしか頼れないのだ。ラビ自身もそれはわかっているし、子供たちのため――ひいてはあやめの将来のため、とすぐさま生気を取り戻し全身全霊で協力を約束してくれた。

 過酷を極めたラビとの料理修行の結果、撫子も他の子どもも大満足な出来になったのではあるが。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 謎の『ゲーム』という不安要素はあるが、あやめは今がとても幸せだということを実感していた。

 ただ、その幸せももうすぐ終わってしまうことを自覚してもいる。

 彼女は後二か月ほどで高校を卒業し、大学へと進学することになる。

 それは別にいいのだが、問題なのは進学に際してあやめは今の家を出て大学の近くで一人暮らしすることになるということなのだ。

 つまり、『桃香の傍から離れる』のだ。

 あやめが望んだことではない。そうするように自分の親からも桃香の親からも言われてしまったためである。

 ……訳が分からなかった。

 なぜ自分が桃香の傍から離れなければならないのか、全く理解が及ばない。

 大学も一人暮らしせずとも今の家から通うことは十分可能な距離だ――それなりに通学時間はかかるので今以上に桃香の傍にいられる時間は減ってしまうが――桃香のことを思えば何一つ苦ではない。


 結局、色々と話し合い、妥協案として一年は今の家から通う。ただし、桃香のことよりも学業最優先。今まで『桃香の世話役』ということで渡されていたバイト代はなくなるので、自分で別にバイトを探せ。

 ……と、家にいられること以外は到底妥協案とは言えないような条件を呑むこととなった。

 親たちの考えが全く理解できない。

 まるで、としか思えない。

 この件については普段ならば娘にダダ甘な父親ですらあやめを庇うことはなかった。もはや確定事項と言えるだろう。




 ともあれ、この『幸せ』も残りわずか――それを自覚しつつも、今だけは幸せに浸っていたいと思っていた。

 今回のお泊り会はあやめにとっても楽しいものだった。

 桃香以外の子供の世話も苦ではないし、桃香と仲良くしてくれていることは本当にうれしく思っている。

 両親に対しても、一人暮らしの件で思うところはあったが、もちろん感謝している。そのためのささやかな恩返しとして、料理以外の様々な仕事を総て引き受けたのだ。

 今回は機会に恵まれなかったが、いずれ桃香の両親――とついでに若様桃香兄にも返していきたいとも思っている。

 ……桃香の身の回りの世話や護衛は、あやめが好きでやっていることであるし、立場上は『仕事』である。恩返しになるとはあやめ自身は思っていない。

 思考がまた暗い方向に行こうとするのを無理矢理払いつつ、一人酔っ払いズ大人組のおさんどんをはじめとした仕事へと意識を切り替える。




 やがて、大人組も解散し、最後の後片付けをしてあやめも翌日に備えて休もうとしていた時だった。


『”よーぅ、あやめちゃん。久しぶりだなぁ”』

『!?』


 突如頭の中に声が響いてきてあやめは混乱する。

 ……『ゲーム』のユニットとなって半年近く、『遠隔通話』の存在は知っていたが使ったことがないためそれであると気付かなかったのだ。


『あなたは……』


 長らく声を聴いていなかったため忘れかけていたが、すぐに思い出せた。

 自分の使い魔のマサ……何とかだ。


『”けけけっ、時間が時間だから寝てると思ってたが、起きてたか。いや、それとも起こしちまったか? 悪ぃなぁ”』

『……』


 不愉快な使い魔の物言いに顔をしかめつつ、あやめはダイニングテーブルへと座りなおす。


『……今更何の用ですか』


 必然キツイ物言いとなる。意識したわけではないが、自分で思っていた以上に使い魔に不満を溜めていたことをあやめは思い知った。

 『ゲーム』についての認識が残っていることについては感謝しているが、だからといってここまで長期間放置されたことを恨むなというのは無理があるだろう。


『”いやぁ、本当に待たせてすまねぇなぁ”』


 全く悪びれることなく口だけの謝罪をしてくる。

 それがまたイライラを加速させてくるが、感情的になって怒鳴るようなことをあやめはしなかった。

 感情的になっていいことなど一つもない――それが、今まで生きてきた中で学んだことだ。


『……ずっと放置しておいて、こんな時間に何の用ですか?』


 怒りを堪え、根気強く問いただす。

 桃香の使い魔となったクラウザーに恐れをなして逃げた――それがあやめの認識であったが、今の使い魔の態度はとてもそうとは思えないほどのふてぶてしさを感じさせられた。

 それがあやめに言い知れぬ不安を感じさせる。

 まるで、『元ジュウベェの少女』の時のような、言葉に表せない大いなる存在に対する不安と同様の……。


『”あー……それなんだけどよぉ……あやめちゃん、今どんな状態だ? 寝てるか? それとも立ってたりするかい? 手に刃物持ってたりしねーよな?”』

『……? 椅子に座ってますが……?』


 思わず素直に答えてしまったが、質問の意図がわからない。

 そんなあやめの疑問にはお構いなしに、愉快そうに使い魔は笑った。


『”おーけーおーけー、ならまぁだろ”』

『……は? あなた、何を――』


 問いただそうとしたあやめは、突如浮遊感を味わう。

 その直後――彼女は今までいた別荘のダイニングから全く異なる場所へと飛ばされていた。


「こ、ここは……!?」


 辺りを見渡し、そこが見覚えのある場所――『マイルーム』と呼ばれる場所だと思い出す。

 たった一度だけ訪れたことがある場所だ。しかし、現実とは到底思えない景色だ、早々忘れることのできない景色でもある。


”よぅ、顔合わせるのも久しぶりだなぁ”

「……!」


 SF映画に出てくるような工場――そこに放り出されたあやめの前に、黒い小さな『サル』が現れそう声をかけてくる。


「…………マサクル……!」


 顔を見て名前を思い出した。

 自分の使い魔の名はマサクル――『殺戮Massacre』を自ら名乗る異常者だ。

 クラウザーに恐れをなして逃げたとは到底思えない、邪悪な『暴』の気配を敏感に感じとり、さすがのあやめも一歩下がってしまう。


”けけ、けけけっ!”


 あやめが自分のことを恐れた、ということを感じ取ったのだろう。マサクルは心の底から愉快そうに――嗜虐的に笑った。




 ――これより、あやめの『地獄』が始まったのだ……。

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