第9章21話 私に天使がいてくれるなら……
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アトラクナクア撃破後、ほんの数分後――
ガブリエラたちと
リュニオンも解除し、三人とも魔力体力共に全快までしている。
……ついでに、千夏もすぐに目を覚まし、ばつの悪そうな顔をしていた。
「ブラン……貴女どうして……?」
上で戦っていた千夏がどうして落ちてきたのかも気になるが、それ以上にガブリエラにはブランのことが気になって仕方がない。
ボロボロになった氷晶竜へと向かって問いかけると、竜体の中から小柄な少女が姿を現す。
「! え……!?」
「…………
氷晶竜の中から現れた少女は、ブラン――
髪も肌も服も、全てが純白の幼い少女ではない。
顔立ちは元のブランに似てはいたが、元より数年は成長した……10歳前後くらいの姿へと変わっている。
肌は相変わらず病的なまでに白いが、髪は黒く染まっている。
何よりも着ている衣服が異なる。
昔の貴族が着ていた『十二単』にも似た着物――ガブリエラが見間違いするわけがない。
ピッピ――巫女アストラエアが着ていたものと同じだ。
『我らが王から聞いてはいたが……やはりアストラエアは……』
『で、でも貴女はブラン……よね?』
「うん……ぼくはブラン。
「えっと……どういうことみゃ?」
ブランが生きていてくれたことは喜ばしいが、状況がさっぱり飲み込めない。
ある程度は結晶竜たちは理解しているようだが、それでもわかっていないことがあるようだ。
ガブリエラたちの知るブランと同じく、気怠そうな――というより面倒くさそうな顔をしながらも、ブランがたどたどしく説明をする。
その内容は簡単にまとめると以下となる。
まず、ブランは自分でも認識している通り、結晶竜の心臓である『
だが気が付いたらいつの間にか今のような姿となって目覚めていた、とのことだ。
その蘇生の理由については、結晶竜たちが詳しかった。
『ブランはね……創造神アストラエアの依り代としての役割を持っていたのよ』
以前にピッピがラビへと語った通り、この世界の『神』が力を揮うためには依り代が必要となる。
巫女・アストラエアとしてピッピはこの世に顕現してはいたが、人間の肉体ではいざという時に不都合が生じかねない。
今回のナイアたちによる襲撃が正にそうだ。あの襲撃により、巫女・アストラエアは人間としての『死』を迎えることとなってしまった。
最初からラグナ・ジン・バラン――そしてその黒幕である異世界の神・ヘパイストスとの『戦争』を視野に入れていたアストラエアは、いざという時に備えて人間よりも強靭な肉体を持つ依り代を準備していた。
それが、ブラン……この世で唯一の、純正の結晶竜なのである。
「……ノワールがブランに体調はどうだって聞いてたの、そういうことだったかみゃー」
巫女・アストラエアの死を確認したそのあと、ジュウベェが襲撃してくる前にノワールがブランの様子を気にしていたのをウリエラは思い出していた。
おそらくノワールは、アストラエアが死んだ後にブランへと乗り移ったのかどうかを気にしていたのだろう。
ノワールがどんな想いでいたのかはわからない。
この世界のためを思うならば、ブランにアストラエアが乗り移った方が都合は良かったのだろうが――
「ぼくにもよくわからないけど……ぼくはたぶん、アストラエアの結晶と『ゆーごー』? したんだとおもう……」
巫女・アストラエアにも似た容姿、そして氷晶竜の色が青――アストラエアの死後結晶と同じ色に変わっていたことから、ブランの推測を全員が受け入れていた。
本人の言葉がないから推測しかできないが、アストラエアはブランに自分の結晶を分け与えることで生き返らせたのだろう。
……それが、かつてのラビの命を救ったピッピと同じことのようにウリエラたちには思えて仕方がない。
「……ほんっと、自己犠牲大好きだにゃー……ピッピは……」
怒るでも悲しむでもなく、サリエラはそう呟く。
きっと
しかし、ラビの時がそうだったように、伝わらずとも重要な意味がそこにはあるはず――そう信じるしかない。
「……でよ、そろそろ俺たちも上に戻りてーんだが……」
遠慮がちに千夏がそう言う。
彼は連続して使用した《ジリオンストレングス》の影響か、未だにまともに魔法を使うことができない状態だった。
ひとまず敵はいなさそうということで変身を解いて魔力回復に努めていたのだ。
千夏の発言に、ぎろりとウリエラとサリエラは鋭い睨みをもって返す。
「…………いや、まぁ……その……俺も回復しきってないし、まぁ状況整理は必要、かな……うん」
二人が何を怒っているのか、自分のせいだということは流石に理解しているため大人しく千夏は引き下がるしかなかった。
彼は彼で『死ぬ気で』飛び降り、二人に二度と戻れないであろうことを覚悟して伝言をお願いしたというのに生き残ってしまった、ということに思うところがないわけではない。
もちろん、まだ『ゲーム』に残ってラビたちのために戦えるというのは喜ばしいことだが、勢いで言ってしまったことが恥ずかしくてたまらない、という感じなのだ。
そんな千夏の事情は知る由もないだろうが、ジョーヌが助け舟を出す。
『まぁまぁ、ウリエラちゃんたちもそんな怖い顔しないの。
ブラン、貴女の状況は……不可解なこともあるけどある程度理解したわ。本当に倒すべき敵はまだ上空――我らが王のおわす場所に残っている、ということね』
「ええ、我が主にお願いすれば私たちは移動できると思ったのですけれど……」
「うーみゃんとアーみゃんに遠隔通話がつながらないみゃー」
いざとなれば強制移動で空中要塞に連れて行ってもらう、ということを考えていたがそれもできないようだ。
もっとも、遠隔通話がつながらないこと自体に不安はあっても二人がまだ無事だということは理解できている。きっと、空中要塞の内部に無事侵入できたためつながらないだけだろうと納得する。
「……地上が完全に安全かはまだわからないにゃ。ルージュたちには『神樹』の守りをお願いしたいかにゃー」
今のところラグナ・ジン・バランもラグナ・ヴァイスも動くものはいない。
アトラクナクアのボーンアーツでことごとくがひねり潰され、《フルメタルエグゾスカル》の材料になったのだとは思うが、本当にこれで終わったのかどうかは確証が持てない。
だからといってガブリエラたちがこのまま地上にこれ以上残るわけにもいかない。
ありすの提案した『切り札』のためにも、ガブリエラたちも
地上の守りはルージュたち結晶竜に任せたいところではある――もしこの場にピースが現れたら危ういかもしれないが、戦力で圧倒的に劣るこちら側があれもこれもとこれ以上は考えられない。
『ふん、良かろう。我が請け負った。ジョーヌ、ブラン、貴公らで王の元へと馳せ参じよ』
「一人で大丈夫ですか、ルージュ?」
心配そうに問いかけるガブリエラに、ルージュはニヤリと凄味のある笑みを浮かべて答える。
『任せるがよい、ガブリエラ。「
残党狩り……にすらならないかもしれない、とは思うものの『神樹』の防衛は重要だ。
どちらにしろナイアたちアビサル・レギオンとの戦闘では結晶竜はさほど活躍は望めないだろう。
空中要塞へと突入するための『機動力』は、ブランとジョーヌの方がルージュよりも上回っている――ユニットから見れば全員が規格外のスピードではあるのだが。
ならば、放置もできない地上のことはルージュ一人に任せた方が良いだろう、そういう判断だ。
ルージュが自信に満ちた宣言をしようとした瞬間だった。
「なっ……!?」
『何だ!?』
地面に放置していたラグナ・ジン・バランの残骸――《フルメタルエグゾスカル》の残骸が爆発した……ように見えた。
アトラクナクアが残骸を押しのけた、というのとも少し違う。
だが、それがアトラクナクアが起こした事象だというのは誰もがすぐに理解した。
「…………『魔眼』みゃ!」
「し、しまったにゃー!? 魔眼が残ってたかにゃ!?」
何が起きているのか、ウリエラとサリエラがすぐさま理解する。
残骸の下から、黒い『泥』のようなものがせりあがってくる。
アトラクナクアの身体にも似た色だが、液体のように流動的な……『黒い液体金属』とでも呼べばいいのか、この世に存在するあらゆる物質に似ていない奇妙な『泥』だ。
ウリエラたちの脳裏にすぐさま浮かんだのは、天空遺跡で戦った魔眼種水蛇竜だった。
身体をいくら欠損させても、取りついた魔眼の力で奇妙な再生を繰り返して復活してきたのと似ている。
……確かにアトラクナクアの肉体はその大部分を《ネツィブ・メラー》によって消失していた。
が、破壊不能の魔眼は残り、残骸の下でアトラクナクアの肉体を無理矢理再生させていたのだ。
それがついに表にまであふれてきたのが、『黒い泥』……なのだろう。
「魔眼ってことは……くそっ、天空遺跡の時と同じか!」
「あの時より拙いみゃ……魔眼を取り出すのも難しそうみゃ!」
溢れ出た黒い泥は付近の残骸を飲み込みながらも膨張を続けている。
もはや泥の内部のどこに魔眼があるのかもわからない。
そもそも、水蛇竜の時とは異なりあの黒い泥は周囲の物質を取り込み続けているのだ。下手に魔眼を取り除こうと近寄れば、ユニットや結晶竜ですら取り込まれてしまうかもしれない。
「あーもう! また触れない系の敵かよ!?」
つい先ほども同じように触れることのできない
ダメージを覚悟すれば一応殴ることのできたエクレールとは違い、アトラクナクアはそれすらできないのだから。
『るーさま、ぬーさま!』
『わかってるわ、ブラン』
『おのれ……!』
頼りの綱は結晶竜たちのブレスだけだ。
三体のドラゴンが吐き出すブレスが黒い泥を瞬く間に削ってゆくが……。
「だ、ダメかにゃ!?」
「再生速度が速すぎる……!」
削った端から次々と泥があふれてきてしまう。
三体がかりでも、泥の増えるスピードの方が速いくらいだ。
『まずい……ガブリエラたち、つかまって!』
ついにあふれる泥が濁流となりガブリエラたちの方へと押し寄せてきた。
『触っても大丈夫かもしれない』とは誰も思わなかった。
結晶竜たちに掴まりその場から離れることにするが、このまま放置はしておくわけにはいかない。
黒い濁流は残った残骸を吸収しながらも更に膨れ上がり、エル・アストラエアの方へと向かって押し寄せていこうとしているからだ。
『あんなのどうすれば……』
『我らでは力不足だというのか……』
最終決戦に向けて駆け付けてきてくれた結晶竜たちも、力になれずに悔しいという思いはある。
だがそれ以上に『絶望』を感じている。
たとえこの場に万全の調子のノワールがいたとしても、あの黒い濁流を止めることはできない――そうとしか思えない。
「…………ウリュ、サリュ。私たちで止めましょう」
《フルメタルエグゾスカル》の時とは『絶望』の質が異なる。
意思を持たぬ自然の暴威と変わらぬ黒い濁流を見て、ガブリエラの表情が変わる。
その目には諦めはなく、決意のみが溢れていた。
「りえら様、でも……」
「《ネツィブ・メラー》使っても、あれは無理にゃ……」
魔力放出型であっても、雷属性を使ったレールガンにしても、黒い濁流を止めることは不可能だろう。
可能性としては内部の魔眼を破壊することだが、それも回復アイテムを使い切るまで《ネツィブ・メラー》を連打しても無理に思える。
そもそも、アトラクナクアは『8つの魔眼』をその身に宿していた。
8つの魔眼を破壊しきることはどう考えても不可能だ。
「大丈夫。私に考えがあります」
なのに、ガブリエラは微笑み、微妙に嫌な予感をさせる言葉を放つのであった――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ガブリエラの持つ4種の魔法――
そして4つ目が
この魔法はウリエラたちの頭脳をもってしても完全にその効果を解明しきったとは言い難い、リュニオン以上に扱いの難しい魔法だといえる。
効果としては、『場』に『属性』を与える門を召喚するといったものである。
『炎』『水』『雷』『闇』『毒』etc……いわゆるゲーム的な意味での属性を場に与える――各属性の『精霊』を呼び出す、ともいえるだろう。
事実、ガブリエラはリュニオンを使ってゲートで呼び出した
ゲートの最も扱いが難しい点は、『どの門が現れるかはランダムである』ということにある。
ガブリエラがどんなに頭を使って考えても、狙った効果の門が現れたことは一度もない。故に、ウリエラたちも『ゲートの効果は完全ランダム』だと結論づけてはいる。
そして、ランダム故に
何が恐ろしいかと言うと――数ある門の中には、
過去に一度だけその門を呼び出してしまい、あわや
以来、さすがのガブリエラもゲートを使う時は
もっとも、呼び出してはいけない門は出現率が低いのか、その後一度も出たことはないのだが……。
「リュニオン《ウリエラ》《サリエラ》――ブランたちは、とにかく
戦闘準備を整えたガブリエラはブランたちに向かってそう言う。
「ま、待て。俺も――」
魔力自体は回復している。千夏もジュリエッタに変身して加勢しようと願い出るが、
《ダメみゃー》
《にゃは、言っちゃ悪いけど、今のバンにゃんは足手まといにしかならないにゃー》
「むぐ……」
あっさりと断られてしまう。
詳しい話は時間がなかったためしていなかったが、ウリエラたちには現在のジュリエッタが戦闘力をほぼ喪失していることを見抜いていた。
《ジリオンストレングス》を連続で使った後遺症でライズは未だ使えず、仮に使えたとしても肉体に蓄積したダメージは癒えていない上に『肉』が足りなくてメタモルもほぼ使えない状態だ。
この状態のジュリエッタが参戦したとしても、無駄に命を散らすことになるだけだろうことは簡単に予想できる。
「私たちなら大丈夫です。とにかく、千夏兄様もブランたちも……
「…………おい、ガブリエラたち、一体何をするつもりだ……?」
ガブリエラの言葉に不穏な気配を感じ取った千夏が尋ねるが、ガブリエラは微笑みだけを返し、
「それでは行ってきますね♪」
悲壮感など全く感じさせない、いつも通りの態度で黒い濁流の元へと飛び立つ。
《……りえら様の考えたことはわかったみゃ。でも……》
《そう都合良く……いにゃ、
「大丈夫ですよ、二人とも」
既に作戦は二人にも伝えてある。
……それが『作戦』とも呼べないものであることは置いておいて、ガブリエラの言う方法以外であの黒い濁流をどうにかする方法を二人も思いつけなかった。
確かに成功すればこの絶望的な状況を打破できる、とは思う。
問題は、成功するかどうかが運任せな点にある。
しかしガブリエラには確信があった。
「この戦い――我らが勝ちます」
ゲートとは、果たして
ウリエラたちはランダムであると結論付け、以降特に検討もしていなかったことだが、ガブリエラはずっと疑問に持ち続けていた。
確証が全くないためガブリエラも誰にも語らなかったことだが、彼女の中には一つ仮説ができていた。
ゲートは
もしも完全ランダムなのであれば、もっと『呼び出してはならない門』が現れていないとおかしいとガブリエラは直観していた。
確率の話などガブリエラが理解しているわけではない。本当に直観しているだけだ。
門が全部で何種類あるのかは把握してはいないが、それでも数百はないはず――多くても10~20の間に収まるはずだ。
それだけの数であれば、たとえ出現率が低い門であろうとも過去に数回は出現していなければおかしい。ガブリエラにはそうとしか思えない。
……そもそも『出現率が低い』という考え自体が間違っているのではないか、とさえ思っている。
だからガブリエラの考えを嚙み砕くとこういうことになる。
ただし、状況によっては絶対に出てこない門がありうる。
故に、状況に沿った門の幾つかから選ばれる――この『状況に沿った』という判断はおそらくは『ゲーム』側のシステムが行っているのだろう。
かつてアリスたちと対戦した時には、視界を遮る『闇』、物理攻撃を無効化できる『水』の門が現れた。
エル・アストラエアでフブキと戦った時には『炎』『水』『毒』etc……そして望んでいた『風』の門が現れた。
《フルメタルエグゾスカル》との時は一発で『雷』が現れた。
いずれも、結果的には有効だったりそうでなかったりはしたものの、基本的には『それなりには有効』な門ばかりが出現している。
そうした事実の積み重ねから、ガブリエラは『狙った門は出せないがこの場で有効な門が出てくる』と推測していた。
「ウリュ、サリュ、覚悟はいいですね?」
《……正直おっかないけどみゃ……》
《りえら様の考え通りなら、これ以外に手はないにゃー》
覚悟を問われ、果たして覚悟ができているのか微妙な返答ではあるが、リュニオンしている以上もはや三人は一蓮托生。
地上へと降り立ち、迫りくる黒い濁流へと目を向け、ガブリエラは一度大きく深呼吸をする。
そして……。
「我らに主らの祝福があらんことを――ゲート!!」
ガブリエラと黒い濁流の中間の空中に、一つの門……のようなものが出現した。
四角い形状の他の門とは異なり、縦長の楕円形の門は遠目からは巨大な『目』のようにも見える。
異様なのは形状だけではなく門に施された装飾だ。
門扉を縁取る装飾は、見るものを恐怖させるかのような……無数の髑髏であった。
明らかに他の門とは異なる、異常な門である。
《ひっ……本当にでたみゃ!?》
《かかかか、覚悟を決めるにゃー!?》
ガブリエラの作戦通り、運良く――なのか運悪く、なのかともかく狙い通りの門が出現した。
これこそが『絶対に召喚してはいけない門』――かつてガブリエラたち自身も危うく全滅するところだった、禁断の門。
その名は――
「開け、《
ガブリエラの声に応えるように、空中の門――地獄門が扉を開く。
開いた門の先には
そして、『場』に対して何一つとして『属性』を与えることはない。
だからガブリエラは地獄門に対してリュニオンすることはできない――リュニオンする対象が存在していないのだから。
ではこの地獄門は一体何なのか?
その答えは――
「! 来ました……!」
《みゃー! ふんばるみゃー、りえら様!》
《にゃー! 飲み込まれたらおしまいにゃー!》
突如、周囲の物全てが地獄門へと引き寄せられ始める。
地面に転がっていた残骸も、大きさに関わらず吸い寄せられ――地獄門へと次々と飲み込まれ、消滅していく。
圧倒的質量となった
これこそが地獄門の効果。決して呼び出してはならない門、と呼ばれる所以である。
地獄門は他の門とは異なり『属性』を与えることはない。
ただひたすらに、付近に存在するありとあらゆる物質を吸い込み続ける――そうした特異な効果を持つ門なのだ。
地獄門に飲まれた物質がどうなるのかはガブリエラにもわからない。
一つだけわかっていることは、飲み込まれたら最後、絶対に脱出することは不可能……ということだけである
「く、うぅっ……!」
『ありとあらゆるものを吸い込む』という能力は、ガブリエラ自身にも作用する。
以前出現した時には、相手をしていたモンスターだけではなくガブリエラ自身、そしてフレンドのトンコツたちはおろかピッピでさえも吸い込もうとしていたのだ。
その時は手遅れになる前にクローズで地獄門を無理矢理閉じたおかげで事なきを得たが……。
「今回は、閉じませんよ……!」
地面に霊装を突き刺し、必死に地獄門の吸引に抗いながらガブリエラはそう言った。
もはや地獄門に頼る以外、アトラクナクアを倒す術がない――そうガブリエラは理解している。
《! 黒い泥が吸い込まれていくみゃ!》
抗う、という概念すらないのかもしれない。アトラクナクアが変じた黒い泥が地獄門へと吸い込まれてゆく。
そして門に吸い込まれた箇所はこの世から消滅し、徐々に黒い泥が削られていっている。
これならば……とも思いたいが、確かにアトラクナクアは
《根競べにゃ!》
「ええ! 負けませんよ……!」
解決策はただ一つ。地獄門が黒い泥全てを飲み込むまでひたすら耐える。それだけである。
《うぅ、向こうも再生を続けてるみゃ……!》
《ほんっと、生き物とは思えないしぶとさにゃ!》
その身を削られながらも黒い泥は次々と増殖を繰り返し、エル・アストラエアへと向かって前進を続けようとしている。
異様な執念――『魔眼』に操られるままナイアのインプットした命令を愚直にこなすだけの『機械』のような動作だ。自らの命を顧みず、ひたすらに前進を続ける様は、恐怖よりも哀れみを感じるものがある。
だからと言って手加減などできるわけがない。
ここで黒い泥を逃せば、もはや誰にも止めることはできないだろう。《フルメタルエグゾスカル》よりも更に『最悪』の存在なのは間違いないのだ。ラビのユニット全員の総攻撃をかけたとしても、もはやこれは止めることは不可能だ。
敵も味方も関係なく消滅させる地獄門、これ以外にアトラクナクアは倒せないだろう。ガブリエラはそう考えたのだ。
《ブランたちは……って、ヤバいみゃ! あっちも吸い込まれかけてるみゃ!》
《ちょっと、この吸引力なんとかならないのかにゃ!?》
「くぅ……耐えてくれるのを祈るしかないですね……!」
遠くに避難させたブランたちだが、地獄門の吸引力がすさまじいのか引き寄せられ始めている。
近くにいるガブリエラたちほどではないが、徐々に引っ張られていることに気づいたのだろう、ジェット噴射を使って逃れようとしてはいるものの、それでも距離を離すことができていない。
自分も吸い込まれるのに抵抗するので精一杯で手助けはできない。
ブランたちについてはもはや『無事を祈る』という無責任極まりないことしかガブリエラにはやれることがない。
「もう少し……!」
どれほどの時間が経ったか……必死に耐えるには長すぎる時間だが、実際にはほんの数分もかかっていないだろう。
ついに地上から黒い泥が消え、その大半が空中の地獄門へと巻き上げられていった。
しかしまだ終わっていない。
大半を吸い込まれながらも黒い泥は再生を繰り返して脱出を試みている。
おそらくは核となっている魔眼がまだ地獄門の中に落ちていないのだろう。だから再生を繰り返しているのだ。
完全に全てが吸い込まれるまでは終わりではない。
ほんの少しでも黒い泥が残れば――そしてその中に1個でも魔眼が残ってしまったら、再び増殖され今度こそ手がつけられなくなってしまう。
もう一度地獄門が呼べるかどうかは、五分五分といったところだろう。
なぜならば、地獄門が
再度増殖をしだしたアトラクナクアならば、『ひょっとしたら勝てるかもしれない』という判断をされてしまうかもしれない――地獄門を使って削ったことにより『勝てる相手』とシステム上の認識が上書きされてしまうためだ。
だから、この一回で終わらせなければならない。
「くぅ……!」
じりじりとガブリエラ自身も地獄門に吸い寄せられている。
辛うじて地面に突き刺した霊装と自身の脚力と腕力で踏みとどまれているが、このままだと後数秒でガブリエラも限界を迎えてしまう。
《だ、大丈夫みゃ! これなら間に合うみゃ!》
《りえら様、もうひとふんばりにゃ!》
二人の励まし通り、ガブリエラの限界よりも黒い泥全てが飲み込まれる方がおそらく早い。
もはや増殖しても脱出は不可能、地獄門の淵に未練たらしくしがみついているのが最後の泥だ。
……ここで後一撃でも加えられれば確実に落とせるだろうが、それをやろうとしたらおそらく攻撃した本人も巻き込まれてしまう。
どちらにしろ時間の問題なのだ。このまま放置していてもアトラクナクアは倒せる。ならば、倒した後に地獄門をちゃんとクローズで閉じることを考えるべきだろう。
散々苦戦させられたが、最終的な勝利は目前――と思われた時であった。
<お、お、おおおおおおおおおおおおおっ!!>
「う、うそっ!?」
《は、這い上がってきたみゃー!?》
地獄門の中から、黒い泥が無理矢理這い上がってきたのだ。
それはもはや元のアトラクナクアの面影のない、悍ましい黒い肉塊だった。
淵にかかっていた泥が手となり、門の中からは8つの赤く光る魔眼をバラバラに配置した『顔』と思しき部位が競りあがってくる。
《ま、マジかにゃ……》
《ヤバいみゃ、脱出されるみゃ!》
――
そしてアトラクナクアは
身体の大半を地獄門に吸い込まれ消滅させられながらも、魔眼による再生を繰り返してついに地獄門に『適応』してしまったのだ。
それでも『吸い込まれたら終わり』という地獄門の能力に耐えることは不可能だったが、吸引に耐えうるだけのパワーを進化することで得てしまっている。
<う、ぬ、おおおおおおおおおおおおおっ!!>
単純に
「そんな……っ!?」
地獄門ですらアトラクナクアを倒すことはできない。
その事実をついにガブリエラも受け入れてしまい、その顔が絶望に歪む。
このままだとアトラクナクアは地獄門を抜け出てしまうだろう――もしかしたら地獄門自体を破壊してしまうかもしれない。
奴が自由に動けるようになったらもはやどうにもならなくなる。
仮にナイアたちを無事に倒せたとしても、ピースでもユニットでもないアトラクナクアはその後もこの世界に残り続けて全てを食らいつくしてしまうかもしれない。
<お、ま、え、は……ころぉぉぉぉぉぉすっ!!>
――ついに、アトラクナクアの顔が地獄門から抜け出し、8つの魔眼がガブリエラへと殺意の籠った視線を向ける。
《……門を消して戦うしかないみゃ!》
《で、でも《ネツィブ・メラー》でももうあいつには通じないにゃ……》
「ここで終わり、なんて……」
アトラクナクアの意識が残っている以上、ここを逃げ出してもしつこく追ってくることだろう。
ガブリエラが囮になってこの場を離れればエル・アストラエアの完全壊滅までの時間稼ぎはできるかもしれないが――それで稼げる時間にさほど意味はないように感じられた。
何よりも、ここで逃げ出してしまうことを、ガブリエラの『プライド』が許すわけがなかった。
「あと少しだったのに……!」
地獄門を消したら100%負ける。
かといってこのまま残していてもガブリエラが吸い込まれる方が先だろう――いや、先に脱出したアトラクナクアにやられるか。
必死に考えを巡らせる三人であったが、もはや『詰み』なのは誰の目にも明らかだった。
『ガブリエラ!』
『やらせはせんぞ!』
『このたたかいは、ぼくたちのたたかいだ!』
その時――三本の光の矢がアトラクナクアを穿った。
<な、あ……!?>
それは避難していたはずの三体の結晶竜たちだった。
炎、閃光、そして氷のブレスが門の淵を掴むアトラクナクアの手を穿ち、そして、
『もういいかげんきえろ……!』
這い出そうとした顔面に向けてブラン自身がジェット噴射で体当たり、と同時に強烈な冷気を噴射して顔面を一瞬で凍らせる。
<う、うぅ……うぅおぉぉぉぉぉぉぉ――>
いかに地獄門の能力に適応できたと言っても、全身が飲み込まれてはもはやどうにもならない。
断末魔のうめき声が地獄門の奥底へと消えていった……。
アストラエアの世界の未来を大きく左右する地上の戦いの結末――
世界を蝕む『大いなる
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます