第9章12話 ジュリエッタとヒルダ

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「オルゴール、エクレールの拘束とヒルダの霊装の監視をお願い」

「……わかりまシタ」


 後はヒルダとの決着をつけるだけだ。

 その状況において、ジュリエッタは戦闘の手伝いではなくあくまでも補助を依頼する。

 ジュリエッタ一人で決着をつける、という意図の顕れではない。

 ここからエクレールに動かれたり、霊装を使ってオーダーの威力を上げられたら再度逆転される恐れがあるからだ。

 特に霊装は危険だ。いざとなればヒルダは自分の霊装を手元に呼び出すことが出来てしまうし、そうする場合ジュリエッタに見えないようにやってくるだろう。そして、ジュリエッタの不意を突いて霊装を当てて来るはずだ。

 そうならないためにはオルゴールに目視で霊装を監視しておいてもらわなければならない。

 霊装が消えた瞬間を目撃すれば、ジュリエッタに警告するなり糸でフォローするなりが余裕をもって行える。




「決着だ」


 剣を構え、ジュリエッタはヒルダ――そして彼女を守ろうとする幻霊たちと一人対峙する。

 現在現れている幻霊は残り6体。追加のレジデンス・オーダーを使われたとしても、エクレールが動けない限りは対処可能だとジュリエッタは確信している。


「――よかろう」


 ヒルダもまた確信している。

 もはや幻霊は足止めにすらならないと。

 だから、のだ。


「マス・オーダー《ファントム・レギオン:》」

「……?」


 ヒルダは自分から幻霊たちを全て消去した。

 その意図がわからずジュリエッタも困惑する。

 足止めにすらならないが、だからと言って無意味というわけでもない。

 数で圧す、というのが有効な戦術であるとはジュリエッタ自身も認めるところだ――ヒルダもそれをわかっていたから幻霊を呼び出していたはずなのだ。

 なのにその幻霊を消した。

 そこにどんな意味があるというのか……。


「! この魔力……そういうことか……!!」


 幻霊が消えた瞬間、ヒルダの全身に強大な魔力が宿るのをジュリエッタは感じた。

 それは先程の《アクセラレーション・クアドラプル》の動きを凌駕した時のヒルダと同様だった。

 これによりジュリエッタはヒルダの能力――その『本質』をようやく理解した。


「おまえの本当の力は――なんだな……」




 ヒルダの能力は、ように見える。

 他者へと命令を強制する魔法に対し、ギフトは自分自身のステータスの底上げといった能力だ。

 そしてヒルダの単体での戦闘力は決して高いわけではなく、ギフトの効果があってようやく並程度にしかならない。

 モンスターへの攻撃手段もなく、底上げしてなお強大なモンスターとは戦うことが出来ない。

 仲間と組む前提の能力――他人から見ればそう映るであろう。


 しかし、実態はのだ。


 仲間と組む前提の能力、この点は正しい。

 しかしそれは『仲間のサポートを行うため』ではない。




 かつてギフトが実装された後に、ヒルダ本人とその使い魔プリンが検討した結果、ヒルダの本当の能力がサポートではないのだと推測された。

 その本当の能力とは、『仲間に与えた【賦活者アクティベーター】の効果を、というものだ。

 『本当の能力』とはいうものの、実のところこれが『ゲーム』としての正しい仕様なのか、それともバグなのかは結局のところわからない。だが、事実としてそうなっているのだ。


 オーダーによって【賦活者】のステータス上昇を仲間に分け与えたとする。

 その仲間がもし倒れた場合、一体どうなるのか?

 ――答えは、『上昇したステータス分をヒルダへと還す』なのであった。

 アリスの【殲滅者アナイアレイター】、ジュウベェの【殺戮者スレイヤー】のような永続的な強化にはならないものの、ユニット一人に分け与えた分のステータスがヒルダへと上乗せされるのだ。その上昇幅はかなり大きい。


 気付いたきっかけはただの偶然だった。

 ヒルダのバフを受けたアンジェリカが戦闘不能リスポーン待ちとなり、戦闘力の低いヒルダ一人でどうにか生き残らなければならないという絶体絶命の危機に陥ったことがあった。

 迫るモンスターをヒルダはいともあっさりと倒してみせたことがきっかけである。

 これをきっかけに考えたところ、【賦活者】による強化は以下の推測をした。


 1.事前に仲間――これがヒルダと同じ使い魔のユニットだけかどうかは検証できない――にオーダーで【賦活者】の効果を分け与えていること

 2.【賦活者】を分け与えた状態のまま、仲間が戦闘不能に陥ること

 3.1、2の条件を満たした際にヒルダのステータスが与えた分だけ上乗せされる。ただし、この上乗せ分はオーダーで与えた分のみに限られる

 4.戦闘不能になった仲間が復帰した際には、ヒルダへの上乗せ分は消失すること


 つまり、強化バフをかけた仲間が倒れるほどヒルダは強くなっていく、ということになる。

 ヒルダとプリンはこのことがわかってはいたものの、積極的に利用とはしなかった。

 当然のことだ。仲間の犠牲を前提とした作戦など立てるべきではないし、仮に立てたとして犠牲になるのはアンジェリカ――ヒルダの実妹なのだから。




 生前使用しなかったその能力を、今のヒルダは全開で使っている。

 アビサル・レギオンのピースたちへと【賦活者】を使って強化し、そして強化したピースが倒されるたびにパワーアップを繰り返す……。

 仲間の屍の上に立つことで得られる力なのだ。その有り様は正しく、『悪霊を統べるものレギオンマスター』の名にふさわしいものだ。


「ふん、今更気付いたところで遅いわ」


 ジュリエッタの考えを否定することなくヒルダはそう言う。

 確かに今更な話だ。一度上昇したステータスは、ピースたちが復帰しない限り下がることはない。

 先程幻霊たちを呼び出した時にヒルダ自らも合わせて動かなかったのも、レジデンス・オーダーで幻霊を呼び出した分ステータスが下がってしまったからに過ぎない。

 もはやいくら幻霊を呼び出したところで、魔力を無駄に消費するだけだとヒルダは判断した。

 いずれ押し切れるであろうが、それには時間がかかる――手早く決着をつけたいのはヒルダも同様だ。

 故に、幻霊を全て消してステータスを再度上昇させ、自らの手でジュリエッタとオルゴールを潰すと決めたのだった。


「……非道なことを……!」


 自分の言えた義理ではない、と内心で思いながらもジュリエッタはそう言わざるをえなかった。

 簡単に言えば、ヒルダはピースたちを見殺しにしたのだ。

 勝てるならばそれで良し、勝てなかったとしても問題はない。その分ヒルダが強化されるだけの話だ。

 どちらに転んでもヒルダには不都合はない。ジュリエッタたちを倒すための『糧』となるのには変わりないのだから。


「非道、じゃと?」


 エクレールを除く12体分の力を返還されたのだ、ライズを使って尚追い付けないほどのステータスを得ている。

 そのために仲間の犠牲を容認したことを『非道』とジュリエッタは評した。

 ヒルダはジュリエッタの言葉に対し、歪んだ笑みを浮かべ応える。


「ナイアの自己満足で作ったアビサル・レギオン……所詮『お遊び』にすぎぬが――ふん、まぁ存外役には立っておるのぅ……ワシのとしてな」

「ヒルダ……おまえ……!」


 仲間であるはずのピースたちを『強化パーツ』と言い切るヒルダ。

 その言葉に怒りとも悲しみともつかぬ感情を抱くジュリエッタだったが、それ以上言葉が続かない。

 自分の言えた義理ではない。自分が何かを言う資格がない――特にヒルダに対しては――どうしてもそう思ってしまうのだ。

 別にヒルダの何を知っているわけでもないが、仲間を犠牲にしてなんとも思わない人物ではなかったはずだ。

 ……ピースとなったことでそこまで歪んでしまったのか。そしてピースとなった原因が、自分が倒したことなのだ。どうしても考えてしまう。


「くそっ……おまえに仲間を思う心はないのか……!?」

「ハッ、『心』ぉ? に何の価値があるというのじゃ? 不要じゃろ、――それで勝てるというのならなぁ!」


 ヒルダにとって厳密にはピースたちは『仲間』ではない。

 全て、自分自身のパワーアップのために使う『消耗品』――強化パーツにすぎないのだ。

 だからそこには本当に『思いやる心』や『仲間の死を悼む心』など欠片も存在していない。

 ジュリエッタも認めざるをえない。


 、と。


「……そういえば貴様、妙にワシに執着しているようじゃな。ふん、仲間――いや、ワシを倒したのかのぅ? おや、図星か?」

「……」

「くくっ、ワシを殺した貴様が心について語るか、滑稽じゃのぅ」

「うっ……」


 その一言がジュリエッタに突き刺さる。

 ――次の瞬間、


「ぐあっ!?」


 言葉だけでなく物理的にヒルダの拳がジュリエッタへと突き刺さった。

 幻霊を消したことでステータスが強化状態へと戻り、更にわずかながらも動揺したジュリエッタには致命的な隙ができてしまった。

 まともに殴り飛ばされたジュリエッタはすぐに立ち上がるものの、受けたダメージは大きい。


 ――……失敗した……!


 油断ではないが隙を晒してしまったことに内心舌打ちするジュリエッタであったが、その気持ちは未だ乱れたままだ。

 ヒルダの言葉は動揺を誘うためのものにすぎない。

 確実にジュリエッタを仕留めるための隙を作ろうと三味線を弾いているだけだ。

 ……それがわかっていても、自分に向けられた言葉を無視することができるほどジュリエッタ千夏は無神経ではなかった。


「そらどうした? 『心』のせいじゃないのか?」

「くっ……」


 揶揄うように、しかし冷たく笑みを浮かべたままヒルダがそのまま格闘戦を挑んでくる。

 リーチだけなら身体を大きくし剣を手にしたジュリエッタの方が有利なのだが、とにかくスピードが全く異なる。

 一撃で倒すのではなく、一撃放ってはすぐ距離を取って反撃を許さない……幻霊がいなくともヒルダ一人でじわじわと体力を削っていっている。


「ライズ《アクセラレーション・クアドラプル》ッ!」


 このままでは結局ジリ貧だ、と仕方なしに切り札の四倍速クアドラプルを使い何とかヒルダへと反撃を試みようとする。


「おっと……ワシよりはが、油断はできぬか」


 だがライズを使われた瞬間にヒルダは距離を取って近づかなくなる。

 すぐに効果が切れるのはわかっているのだ。素のスピードで上回っているとは言え、万が一の反撃さえも受けないように慎重に行動しているのだ。

 ヒルダの考え通り、折角の四倍速は無駄に終わってしまい――もう一度四倍速を使うよりも早く再びヒルダの攻撃がジュリエッタを滅多打ちにする。


 ――……強すぎる……!?


 ヒルダを倒しさえすれば勝てる、そう思っていたのは間違いではないが甘かった。

 12体分のピースの強化は一体どれほどのものだろうか、12倍とまでは言わないまでも少なくとも2~3倍程度では済まないはずだ。

 四倍速ですら追い付けないほどのステータスを素で持っている上に、それに全く慢心せずに確実に仕留めに来ようとしている。

 今ジュリエッタが攻撃を受けても立っていられるのは、《バロール》で辛うじて攻撃の直前にわずかながら回避ができているからに過ぎない。

 反撃することも出来ず、ひたすら削られ続けるのみの状態だ。


 ――オルゴールも今は動けない……ジュリエッタ一人で何とかするしかない……!


 オルゴールの援護は期待できない。今全力でエクレールの動きを封じ続けてくれている彼女を動かしてしまい、エクレールが再び動けるようになってしまったら2対2となっても勝ち目はゼロだ。

 エクレールが動けない今、1対1でヒルダをどうにかして倒す以外に勝ち目はないのだ。

 ならば諦める道理はない。


「反撃を……!」

「ふん、無駄じゃ」


 だが、諦めるつもりはなくとも実力の差はどうにもできない。

 ライズを使えば近寄らず、使わなければヒットアンドアウェイで削られる。

 オーダーを使えばより確実になるが、使って来ない。

 ……オーダーを使おうとした瞬間を狙ってライズで距離を詰められるのを警戒しているのだろう――同じ理由でエクレールを解放しようとしないのだ。


「そぉらっ!!」

「ぐあっ!?」


 もはや回避することすら出来なくなってきた。

 下方向からの抉り込むかのような蹴りがジュリエッタの鳩尾を捉える。

 吹っ飛ばされたジュリエッタの背後へと高速で回り込み、反撃を許さず後頭部を一撃。地面へと叩きつけると共に追撃で頭を踏み砕こうとする。


「くぅっ……!?」

「チッ、しぶといのぅ」


 ヒルダの動きを見切れずともすぐに追撃が来ると予想したジュリエッタはとにかく動き、何とか踏みつけは回避できた――が、状況は悪化の一途だ。

 痛覚を無くしているから動けるが、体力が削れるのは避けられない。

 回復している余裕もない。

 残り体力でどうすれば倒せるか――必死にジュリエッタは考える。


 ――……一撃で斬るしかない……!


 エクレールでさえ斬れたのだ。ライズでの強化は必要だろうが、ヒルダであっても《クラウソラス》の刃は通じるはずだ。

 チャンスは一度きりだろう。一撃必殺で仕留めなければならない。

 ……もっとも、その一撃を入れることすら難しいのが現状だ。


 ――焦るな……よく『視』ろ……!


 ステータス全てにおいてヒルダに勝てないジュリエッタに唯一残されているのは、今まで培ってきた『技』だけだ。


 ――御姫おひぃ様に教えたのに、ジュリエッタが出来てないんじゃ話にならない……!


 相手が強いからといって『いつも通り』が出来なくなったら負ける――現実世界の試合でそうした敗北を幾つも味わってきた。

 同じことをここでだけは繰り返すわけにはいかない。


「……来い、ヒルダ。最後の勝負だ」

「ほう?」


 ジタバタと足掻くのを止め、正眼に剣を構えジュリエッタはその場から動かない。

 はた目には諦めたかのようにも見えるが、そうでないことは彼女の言葉を聞かずともその場にいる者ならば誰でも感じ取れるだろう。

 静かな構えだが、『気迫』が違う。

 目に見えぬそれとて、この場にいる者で疑う者はいない――その程度のレベルの者は立ち入ることのできない領域なのだ。


「……ふん、切り札でも隠しておるか? まぁ良い。ワシのやることに変わりはない」


 どんな切り札があるのかはヒルダからはわからないが、いずれにしてもそれは通用しないであろうとは予測している。

 ありうるとすればエル・アストラエアでルールームゥを一撃で破壊した《ジリオンストレングス》だろうが、今のヒルダに当てることは不可能だろう。肉体の限界まで負荷をかける四倍速クアドラプルであってようやくヒルダに追い付けるかどうかなのだから。

 己の勝利が揺るがぬことを確信しつつ、それでいて一切の油断も躊躇もなくヒルダもジュリエッタを仕留めようとする。




 ――……拙い、ですネ……ワタクシも動いた方が……!?


 ジュリエッタとヒルダの最後の戦いを離れた位置で見ているオルゴールには、ジュリエッタの勝ち目が全く見えなかった。

 剣を構えたまま攻撃のチャンスを狙っているようだが、相変わらずのヒットアンドアウェイを繰り返すヒルダに追い付いていない。

 辛うじて致命傷を避け続けているようではあるが――そしてそれはヒルダが『着実な削り』を狙っているおかげでしかない――全く反撃の糸口がつかめていないようにオルゴールには見える。


 ――クッ……けれど、ワタクシが今動いたら……。


 チラリと糸で動きを封じ込めているエクレールの方へと視線を送る。

 意思の全く見えない視線が、耐爆スーツの奥からオルゴールへと注がれているのがわかる。

 もし、少しでも拘束を緩めたらエクレールはもう止めることが出来なくなるだろう。

 そうなればもはや敗北は確定だ。

 とはいえ、このまま封じ込めてジュリエッタとヒルダの一騎打ちの状況が続いても、いずれジュリエッタが削り殺される。

 イチかバチか糸を伸ばしてみようかとも考えるが……。


 ――……ダメですね……きっと、ヒルダはそれを誘っている……!


 疑念が拭えない。

 下手に横から手を出してしまったら、一気に状況が変わる――それほどまでにジュリエッタたちの戦いは危うい均衡で成り立っている、とオルゴールは見た。

 状況が変わると言っても間違いなくジュリエッタにとって悪い方向へと傾いてしまうだろう。

 加えてエクレールを解放してしまう可能性を考えたら、どうしてもオルゴールは動けない。


 オルゴールには『役割』がある。

 その『役割』を果たすためには何があっても体力をゼロにするわけにはいかない。

 もしもここでジュリエッタが敗北したとしたら――その時、オルゴールはなりふり構わず

 ジュリエッタたちの戦いに協力しナイアを倒したいという気持ちに偽りはないが、オルゴール本人の気持ちよりも優先すべき『役割』があるのだ。


 援護は出来ない。考えるべきは、『逃走経路』――オルゴールは自分の気持ちを押し殺して『役割』を果たすべくどう動くかを考える。




 ……しかし、異変が起き始めていることにオルゴールは気付き始める。


「……ジュリエッタ……?」

「くっ……こやつ……!?」


 同じくヒルダも異変に気付く。

 ライズを使っていないジュリエッタはヒルダの動きに追い付けない――

 現に今も一方的に攻撃を受けている――

 ように見える、だ。


「まさか……どうやって!?」


 そしてついに、顔面を狙って抉るように放たれたヒルダの手刀を、ジュリエッタは回避してのけた。

 完全に回避はできず頬が微かに斬られはしたが、その程度では大したダメージにはならない。


「やっと

「なっ……!?」


 事も無げに短くそう言うジュリエッタの言葉の意味を、ヒルダは嫌でも理解してしまった。

 慣れた――つまり、ヒルダの超強化されたスピードに慣れた、と言っているのだ。

 ライズで動体視力を強化したりもしていない。

 ジュリエッタ自身の身体能力のまま、ヒルダの動きについていけるようになったのだ。


「そんなことが出来るわけがないわっ!!」


 確かに『ゲーム』は全てがステータスで決まるわけではない。

 思考能力や体捌き等、ユニットの元となった人間の資質や能力に左右される要素はそれなりに大きい。

 だがしかし、だからと言って超高速移動するヒルダの動きを捉えるような『技』などあるわけがない――あるとしたら、それはもはや人間の域を逸脱しかけた『達人』としか言いようがない。

 ジュリエッタ千夏がいくら現実で武道を学んでいようが、そんな芸当ができるわけがないとヒルダは叫び、再び死角から襲い掛かろうとする。


「そこっ!」

「ぐぅっ!? 馬鹿な……」


 完全にではなかったが、今度はジュリエッタが振った剣がヒルダを掠った。

 もしも直前で剣を振るうのを見て攻撃を中断しようとしなければ、今の一撃で首……とまではいかずとも腕一本は切り落とされたかもしれない。

 

 たった二回、回避されただけだがヒルダは素直にそれを認めざるを得なかった。

 どういう理屈かは全くわからないが、確実にジュリエッタはヒルダの動きを見切り始めている――それこそ本人が口にしている『慣れた』という馬鹿げた理由なのかもしれないが……。


「どこまでも……!!」


 それでもまだ優位なのには変わりない。

 変わりはないが……自分の思う通りにいかないことにヒルダは苛立ちを隠せないでいた。




 ――…………。


 内心冷や汗をかいたものの、表情には全く出さずにジュリエッタは剣を構え直す。

 ヒルダの動きに慣れたというのは全てが嘘ではないが、8割くらいはただのだ。

 ある程度は見えてはいるが、やはり根本的に追いつくことは全くできていない。

 それでも続けて二回、避けることができたのは、ひとえに《バロール》による超感覚とジュリエッタ自身の培ってきた『経験』が上手くかみ合ったからだ。

 一度動かれたらヒルダの姿を捉えることが出来ないのには変わりないが、かといって常に動きが捉えられないわけではない。

 動き出す一瞬、その時を逃さずに《バロール》で捕捉し、その時のヒルダの体勢や目線からどう動くかを瞬時に判断して回避・反撃を仕掛けているのが本当のところだ。

 ほんの少しでもジュリエッタが読み違えれば、抉られたのはジュリエッタの心臓だっただろう。


 ――多分、次が最後……!


 二度回避されたことでヒルダの表情が変わったのはジュリエッタにもわかる。

 三度目はない――ジュリエッタがかわせるかわせない、ではなくヒルダの方がこれ以上長引かせずに確実にとどめを刺しに来るはずなのだ。

 ヒットアンドアウェイで着実に削る戦い方が間違いとは思ってはいないだろう。しかし、削りの時間が長かったためにジュリエッタに見切られた、とヒルダは思っているはずだ。

 だからこれ以上時間をかけたらまずい。一撃必殺で逆転される恐れがある。

 ……そうヒルダは考えざるを得なくなるはずなのだ。もしそう考えないのであれば、それはそれでジュリエッタ的には好都合ではあるが。

 ともあれ、ヒルダもこれで完全に一撃必殺で仕留めるようになるだろう。

 その一撃を捌き切り、逆に一撃必殺を叩き込む――ジュリエッタの勝ち目はそれしかない。


「……」


 剣を構えるジュリエッタの心は不思議なほど落ち着いていた。

 自分よりも『上』の相手と戦っているにも関わらず、気負いも緊張もなく、ひたすら冷静に『視』ることが出来ていると自覚さえしている。


『ここで自分が負けたら……』


 そんな思いさえももはやない。

 ヒルダとの決着をつける――そのことだけを考えていた。


 ――「


 思い返すのはありすの言葉だった。

 最後の激突を前にジュリエッタは小さく笑う。


「大丈夫、ジュリエッタは負けない――絶対に!」




 一撃でジュリエッタを仕留める――そう思考を誘導されていることはヒルダは自覚していた。

 わかっていながらも、もはやそれを狙わざるを得ない状況なのも認めている。

 彼女には、ジュリエッタの回避が『偶然うまくいった』だけなのかどうかの判別は付けられないのだ――9割方偶然だと思っても、残り1割で自分が倒される可能性がある以上『賭け』には出られない。

 ならば、お望み通り一撃で仕留めるのみだ。


「来い、『堕心鞭』よ!」


 ジュリエッタの周囲を猛スピードで駆けまわりながら、ヒルダは自らの霊装を手元へと呼び戻す。

 『確実』な勝利のためにはが必要になるはずだ。


「! ジュリエッタ、ヒルダの霊装ガ……!」


 オルゴールが気付き警告を飛ばすが、


 ――遅いわ!


 加速したヒルダの行動の方が圧倒的に速かった。

 オルゴールの警告とほぼ同時に、ヒルダは手に取った霊装をジュリエッタに向かって投擲する。

 触れた者のオーダーへの抵抗値を下げるこの霊装に『触れる』とは、身体への直接の接触はもちろんのこと、相手の霊装など身体に繋がっている部分すらも含んでいる。

 つまり、ジュリエッタであれば《クラウソラス》で触れても効果を発揮することになるし、オルゴールであれば糸で触れても効果を発揮する――それを直観していたためオルゴールたちはヒルダの霊装を封じ込めようとせず、その場に放置していたのだ。

 手にした剣で弾けばオーダーが強化される。

 ジュリエッタが理解していないわけがない――だから、投げつけられた霊装ははずだ。

 普通の戦いならばそこまでではないが、超高速移動しているヒルダとの戦いにあってはそれは致命的な『無駄動作』となる。

 加えて今のヒルダの腕力で投げつけられる霊装のスピードも、やはりヒルダ同様の超スピードだ。ジュリエッタに考える暇を与えることなく行動を制限させようとする。


 ――……!? 回避しない、じゃと!?


 だが、ヒルダの思惑とは異なり、正面から霊装が迫っているにも関わらずジュリエッタは構えを崩さずその場に立ち尽くしていた。

 動きが速すぎてついていけていないのか? それとも霊装に触れてもオーダーが発動する前に行動できると思っているのか? どちらなのかはわからない。

 わからないが、ヒルダからしてみればジュリエッタの行動は『悪手』にしか思えない。


 ――『意外』な動きじゃが、ただそれだけのこと。避けぬというのであれば、そのまま固めてとどめを刺してやるわ!


 霊装が命中するかどうかは関係ない。

 当たらずともほんの一秒動きを止めれば確実に仕留めることが出来る。霊装を当てることができればより確実になるだろう。


「オーダー!」


 ヒルダ側も魔力の限界が近い。

 これがジュリエッタに使う最後のオーダーになる――そうヒルダは考えていた。




「……ライズ!」


 そこでジュリエッタが動いた。

 どのような動きにも対応できるようにヒルダは注視し、けれどもオーダーを止めることなくジュリエッタへと掛けようとした。

 だが。


「!? 前に!?」


 ジュリエッタの動きは予想外だった。

 横にでも上にでもなく、飛んでくる霊装の方向――そしてその先にいるヒルダへと向けて真っすぐに向かってきたのだ。

 四倍速クアドラプルでヒルダより少し遅いくらいだ。霊装を剣で叩き落しながら敢えて前へと進み距離を詰め、ギリギリ四倍速でヒルダへと斬りかかるつもりなのだろう。そうヒルダは読んだ。

 その考えは概ね正しい、と評価する。

 ジュリエッタとヒルダのステータス差を考えれば、一発逆転を狙うには『賭け』をせざるをえないだろう。


 ――じゃが、もはや『詰み』じゃ!


 ライズを使おうとするのは予想済み。

 それ故、早めにオーダーを使おうとしているのだから。

 たとえここから四倍速を使ったとしても、オーダーの方が速く発動する距離だ。

 己の勝ちを今度こそ確信し、ヒルダはジュリエッタの動きを止めようとする。




「《アクセラレーション・》!!」


 ――赤い炎が舞い散った。

 否、それは炎ではなく、あまりの負荷に耐えきれなくなったジュリエッタの足が砕け、飛び散った肉片と血の雨だった。

 八倍速オクタプル――使えば《ジリオンストレングス》同様に肉体がもたないであろうことがわかっていたため使わなかった、加速アクセラレーションの更なる強化版だ。

 その速度は四倍速を超えるヒルダであっても捉えきることのできないものであった。

 砕けた足をメタモルで再生しながらジュリエッタは前へと、ヒルダへの最短距離を突き進む。

 地面スレスレにまで姿勢を下げ、ヘッドスライディングするように飛んで来た霊装をを潜り抜け、ほんのわずかのロスもなくヒルダの元へと到達。

 予想を超える速度に、ヒルダがオーダーを発動させるよりも早く――


「ぶった斬れろぉぉぉぉぉっ!!」


 ヒルダの左肩から右脇へと袈裟懸けに振り下ろした《クラウソラス》が、肉体を両断せんと切り裂いていく。


「こ、の……ッ!? 貴様……!!」


 完全に予想外だった。

 ライズを使ったスピードで、ようやくヒルダと五分になると思い込まされていた。

 肉体への負荷があまりにも強く軽々に使うことができないのは確かだが、魔力量的には十分使うことができたのだ。

 ここまでジュリエッタが使用しなかったのは、ライズを使ってもヒルダより早く動けない、というミスリードを仕掛けてヒルダの認識を狂わせ、最後の一撃を食らわせるためだったのだ。


「貴様ッ!!」


 身体の大半を――ましてや心臓をも両断されたにもかかわらず、それでもヒルダはまだ生きていた。

 『ゲーム』としての性質……すなわち体力さえ残っていればどれだけ肉体を損傷しても関係がない、というものだ。

 残った右腕を突き出し、ジュリエッタの左目、《バロール》へと指をねじ込み抉り取ろうとする。


「……っ!?」


 咄嗟にジュリエッタがヒルダの右腕をつかむが、やはりパワーは今のヒルダの方が上だ。

 止められることなくそのまま――ユニットに存在するかは疑わしいが――脳をも抉ろうとするヒルダは、憎々し気に叫んだ。


「貴様がワシを殺したのじゃろう!? だからワシに執着していたのじゃろうが!

 ワシを殺すのか!? 貴様さえ……貴様さえいなければワシは、『悪霊』になどならんかったというのに!!

 死ね! 貴様が死ねばよいのじゃあっ!!」


 ――それが『ヒルダ』の本心なのかどうかはわからない。

 わからないが、ジュリエッタの心を抉る言葉であることには違いなかった。




「――ライズ《ジリオンストレングス》」


 だが、ジュリエッタは揺るがなかった。

 左腕でヒルダを捕らえ、右腕一本で《クラウソラス》を頭上へと振り上げ――


「! や、やめ――!?」


 逃げることのできないヒルダへと躊躇うことなく振り下ろした――




 真っ二つにされたヒルダは最後に何かを言い残そうとしたようであったが、それは音とはならず。


「……」


 《ジリオンストレングス》によってダメージが強化された故か、今度こそ体力すべてを削られ切り消滅していった。


「……ヒルダ……」


 抉られた左目から血の流れるまま、修復することもなくジュリエッタはヒルダのいた方を見つめてつぶやいた。


「…………お前にやられて、それで気が済むのならって考えたこともあったけど……やっぱりそれは無理」


 自分の命惜しさに言っているのではない。

 確固たる意志を込め、ヒルダに届かずともジュリエッタは言う。


「ジュリエッタの命は、殿様たちがくれたもの。だから、ジュリエッタの命は殿様たちのために全部使うって決めた――だから、ジュリエッタの命は他の誰にもあげられない」


 彼女千夏はかつてラビに命を救われた。

 敵であったジュリエッタを受け入れてもらった。

 『冥界』では仲間になったばかりのジュリエッタを信頼し、ラビも命を預けてくれた。

 ……その信頼に報いる方法を、彼女千夏は他に思いつかなかったのだ。

 アンジェリカとの戦いで『禊』が済んだとは全く思っていない――かつての『過ち』そのものであるヒルダが目の前に現れたのだ、他の誰が何を言おうともジュリエッタの心を楽にすることはできないだろう。

 本人もそれを嫌というほど理解していた。

 だから、己の戦うべき原点――ラビたちに救われた命の使い方を見つめ直し、それゆえにヒルダを倒すために戦い続けたのだ。


「……ジュリエッタの、勝ちだ……!」


 力が抜け、その場に膝をつきつつもジュリエッタは己の勝利を宣言する。




 ヒルダピースには『心』が無かった……はずだ。

 しかし、本当にそうであったかはわからない。

 そもそもジュリエッタとの戦いも、フブキたちピースの大群で攻め続けた方が勝率が高かったように思われる。

 その方が大幅な魔力の消費も避けられたし、ピースたちの様々な魔法を使った方が追い詰められた可能性は高い。

 しかしそうならなかったのは、ヒルダが『自分のパワーアップのため』にわざとピースたちを死に追いやったからだ。

 結果としてヒルダはジュリエッタたちを追い詰めることができたのだが、追い詰めたがためにジュリエッタは『剣』を手に取り、そして逆転することができた。


 隠しているようで結局のところ、ヒルダは自分の『心』を優先したがために敗北した。

 対してジュリエッタは、己の『見栄』を捨て、過去よりも己の役割を『無心』で追い求めたが故に勝利した。




 ――この戦いは、『心』が勝敗を決したものであった。

 そして、ジュリエッタが『見栄』と恥じた己のこだわりは――ヒルダを追い詰める『技』となり勝利を齎した。

 だからは、やはり『誇り』と呼ぶに値するものだったのだろう。

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