第9章11話 逆転と転帰

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 ジュリエッタが『勝つため』に使った二つのメタモル――

 一つは《剣獣形態・剣麗ソーディオン・ラピュセル》。彼女の作れる最強の『剣』である《光神剣態クラウソラス》をの形態である。

 もう一つの《魔王眼態バロール》は、ジュリエッタの吸収した各種モンスターの『知覚能力』――音響探査、赤外線、紫外線、熱探知等様々な、人間の持ちえない知覚能力を統合。各種知覚で得た情報を一律『視覚化』して脳へと送り込むという、アリスの《叡智ノ冠ムニンフギン》同様の力技での知覚拡張である。

 人間ならば処理し切れない情報の渦は容赦なくジュリエッタの脳へと負荷をかけ続けて来る。

 アリスの《ムニンフギン》が5分が限界であるのと同様、通常ならば《バロール》も数分が限界だろう。


 だがここに、ジュリエッタは一つの仕掛けを施していた。

 それは《クラウソラス》へと視覚以外のほぼ全ての感覚を移したことだ。

 少しでも脳への負荷を減らすために、《バロール》を通じて送られる視覚情報以外については《クラウソラス》の方で処理するようにしたのである。ある意味で、《クラウソラス》が『触覚センサー』となったと言えるだろう。

 必然、ジュリエッタの肉体からは五感がほぼ消え失せている。つまり、今ジュリエッタは『痛みを感じない状態』になっているのだ。

 アリスと異なり自分自身を自在に作り変えることが可能な、ジュリエッタならではの解決方法と言えよう。




「オルゴール、後ろとオーダーのフォローをお願い!」

「心得ておりマス!」


 背後からの奇襲はありえないわけではないが、可能性としては少ない。

 呼び出された幻霊ファントムたちはジュリエッタの正面から押し寄せようとして来ている。


 ――……魔法は使えない。


 幻霊を見てジュリエッタはそう直感した。

 というよりも、まるで『意思』がないかのように見える――人間電池となったマイナーピースたちと同じような、操り人形のようなのだ。

 そしてヒルダはその場から動かずに幻霊たちへと逐次オーダーを掛けて動かしている。

 流石に生前――という表現が適切かは微妙だが――の能力全てを幻霊に発揮させることは不可能なのだろう。もし出来たとしたら、ヒルダの能力はある意味でチートの産物であるナイアを超えているとしか言いようが無くなる。

 無敵で万能な、都合のいい能力は持ちえない。この『ゲーム』の原則は、ピースとなったヒルダにも当てはまっているはずだ。

 故に、ジュリエッタは『幻霊は魔法を使えずヒルダの指示に従うことしかできない』と結論を出す。

 もちろん、ヒルダがそう思わせるように隠しているだけという可能性も頭の隅には入れておくが、いずれにしろ脅威となるのは『数』だ。


「ふぅー……」


 《クラウソラス》を剣道で言う正眼に構え、その場から動かずジュリエッタは前を『視』る。

 焦る必要はもうない。

 なぜならば、ジュリエッタたちは確かに追い詰められてはいるが、ここまでしてくるという時点でヒルダの方もまた追い詰められていると言えるからだ。

 だから焦らず、一手ずつ目の前の脅威を順番に倒していけばいい。そう考えている。


「ジュリエッタ!?」


 オルゴールの眼からはジュリエッタの落ち着きようは『諦めた』ようにも見えてしまう。先程本人の口から『勝てる』と言っていたのだから諦めているわけはないのだが、余りに状況にそぐわない落ち着きようは不安を掻き立ててしまう。

 そんなオルゴールの不安を余所に、ジュリエッタは《バロール》で得られた情報を脳内で高速で処理。打つべき手を打とうとする。

 先頭に迫る幻霊四体――もう間もなく攻撃が当たる、という位置に来てもジュリエッタは動かない。

 もしやダメージが深すぎて動きたくても動けないのでは、とオルゴールは疑い糸を出して援護するか迷った瞬間、


「――終わり」


 その場から動かずに手首だけで剣を旋回、四体の幻霊を切り伏せる。


「……む……?」


 ライズを使ったわけでもないのに、異様に速い動きだった。

 ステータスが上昇しているヒルダには見えてはいたが、流石に幻霊全てを同時に動かすことは出来ずに四体を失ってしまう。

 中段に構えた剣を手首の力を使って跳ね上げるようにして先頭の一体を切り上げ、そのまま今度は左、右へと切り払い。最後の一体は再度中段に構えたまま突き刺して倒していた。

 魔法も、技も何も使っていない。剣道の基本動作の一つである、剣の扱いだけで四体も倒したのだ。


「こやつ……」


 単に武器を手にしただけではない、とヒルダは認識を改める。

 元より油断はしていなかったが、幻霊を出して数の有利を再度手にしたことで勝利は目前だと思っていた。

 だというのに、その数もこのままではすぐに減らされてしまう――敗北するとまでは思わないが、ヒルダの予想よりも勝つのに時間がかかってしまいそうだ、と思い直す。

 残り10体の幻霊を迂闊に突っ込ませるのは拙い。

 そう考え退かせるが、


「今度は、こっちから行く」


 構えを解かないまま、宣言通りジュリエッタの方から幻霊へと突っ込んできた……。




 ヒルダというユニットピースは、ステータスだけ見れば並以下のユニットだと言える。

 己のギフト【賦活者アクティベーター】の効果により辛うじてそれなりの水準には達しているが、持っている魔法の内容からして見れば単騎で戦い抜くには不足と言わざるを得ないレベルでしかない。

 魔法にしても『他者に命令できる』というのは強みだとしても、せいぜいが『動きを止める』程度の役にしか立たないだろう。実際、ヒルダがオーダーを敵に使う際にはそのような使い方しかしていない。

 ステータスはギフト込みで平凡、魔法も特殊ではあるが必殺の効果は持たない――そんなヒルダが、アビサル・レギオンの序列『第五位』、すなわちピース全体の総合力からして五番目の強さであると評価されているのには理由がある。


 一つは言うまでもなく、オーダーによる味方への強制的な指揮能力と、短時間とはいえ敵の動きを妨害できるという点だ。

 単独では戦えなくとも他に仲間がいればヒルダの能力は敵にとって致命的な脅威と化すことだろう。

 マス・オーダー、パイル・オーダーといった使い分けもでき、敵が単体であろうと大群であろうと問題なくオーダーを使うことが出来るのも強みの一つだ。

 更には彼女の霊装を敵に触れさせることが出来れば、オーダーの強制力が上がり妨害能力は飛躍的に増すことも可能だ。


 一つはオーダーによる仲間への【賦活者】を分け与えるという能力。

 低めのヒルダにとってはようやく並レベルにまで上げる、という微妙なギフトの効果ではあったが、元々のステータスが高めの仲間に対して使用すれば爆発的なステータスの強化に繋がる。

 しかも、【賦活者】によって分け与えたとしてもヒルダ自身のステータスは下がるわけではない。オーダー使用時の魔力を除いて、一切のデメリットがない使い勝手のいい強化能力と言えよう。


 ……ただ、これらの能力を鑑みても『第五位』というにはあまりにヒルダは力不足に思えるだろう。その感覚は正しい。

 仲間への支援能力・敵への妨害能力が優れているから、という理由で『第五位』となれるほど、アビサル・レギオンに集ったピースたちの能力は甘くはない。

 支援であれば防御特化のボタン、妨害であればほぼ絶対的な停止が可能なフブキや幻惑能力のルシオラの方がより優れていると言える。

 敵を倒す能力については言うに及ばず。暗殺特化のシノブ、先手必勝の格闘能力のリオナには全く及ばないだろう――それらが全く通じないジュリエッタの方が異常なのだ。


 だというのに、なぜヒルダが『第五位』に君臨しているのか。『レギオンマスター』――ナイアを差し置いて『悪霊の支配者』を名乗っているのか。

 ここにヒルダの秘密がある。




 ――こんなとんでもない魔法、使うのは大変なはず……。


 幻霊を切り伏せ、攻撃を弾き、ヒルダへと迫ろうとしながらもジュリエッタは冷静に考える。

 第4のオーダーである招聘命令魔法レジデンス・オーダー――考えれば考えるほど、魔法だ。

 幻霊は魔法こそ使えないしヒルダの命令通りにしか動けないようではあるが、そのステータスは元のピースの時と遜色はない。それどころか、【賦活者】によって強化されていた時と同じとしか思えないほどなのだ。

 そんな幻霊を14体全て呼び出すなど、並大抵の魔法ではないだろう。

 だから使うためには『制限』があるはずだと考えられる。

 そして、その『制限』の秘密よりもジュリエッタには気にかかることが二つある。


 ――きっと、魔力消費は膨大なはず。だから、そう何度も使えない……。


 魔法を使うのであれば当然魔力を消費することになる。

 これだけの規模の魔法であれば、そもそもヒルダの魔力量を大幅に上回っているはずなのだ――似たような召喚魔法サモンから考えての推測だが、そう間違ってはいないはずだとジュリエッタは確信している。

 それでも使っているということは、これも当然ながら魔力の回復を行っているはず。

 そしてピースたちの魔力回復方法は、人間電池であるマイナーピースからの【供給者サプライヤー】である。

 マイナーピースの姿は見えないが、おそらく空中要塞内部にパーツのように格納されているのだろう、とこれも見当をつける。

 【供給者】による魔力補給は無限ではない。天空遺跡で魔力を使い果たしたマイナーピースが消滅するのは確認済みだ。


 ――ピースは復活するけど、それでもいずれ魔力は尽きるはずだ……。


 倒したはずのフブキたちが復活していることからそれは明らかだ。

 だが、だからと言って何の制約もなしにピースが即時復活する、とは考えられない。

 もしも即時復活ができるのであれば、レジデンス・オーダーではなくピースたちをそのまま呼び出せばよいのだから。


 ――だから……このまま削れるだけ削り続ける!


 マイナーピースの数は膨大だ。それに一人あたりどの程度まで魔力を回復できるのかも不明だ。

 しかし使い続ければいずれなくなる――ヒルダ以外でも回復を行っているだろうし、ジュウベェたちの回復を阻害することが出来るかもしれない。

 いずれにしても魔力消費量が莫大であろうヒルダの魔法を使わせ続けることで有利になりうるのは間違いない。当然、ジュリエッタたち自身がやられないようにする必要はあるが。

 仲間の心配をしている余裕はないが、結局のところのだ。少しでも手助けできるのであれば、自分の戦いの『ついで』に狙っておいて損はないだろう。


「くっ……やっぱり数が多い……!」


 剣を使った戦いならば、と言ってもジュリエッタ千夏は別に剣で複数の相手と戦うことに慣れているわけではない。

 むしろ、『剣道』をベースにしていると考えれば一対一の戦いが前提となっていると言えるだろう。

 それでもジュリエッタが幻霊たちと切り結べているのは、《バロール》と《クラウソラス》での分散しての情報処理のおかげである。

 ライズで強化した上での《クラウソラス》の威力もその一助だ。

 いともたやすく幻霊たちは切り裂かれ、煙のように消え失せていっている。

 魔法がない分マシではあるが、少しずつジュリエッタの肉体に傷がつけられていき削られている状態だ。


「レジデンス・オーダー《ファントム・レギオン》!」

「くそっ、また……!?」


 最悪なことに、倒した幻霊が再びレジデンス・オーダーによって補充されていく。

 魔力を削るという目的には沿っているが、ますます生き残ること自体が難しくなっていくと言えよう。

 圧倒的にステータスで上回るヒルダたちが魔力を使わずに直接殴り掛かってくれば、それはそれでジュリエッタたちにとっては脅威となる。

 が、ヒルダはそれよりも『数』で押す方が結果的に優位になると信じて疑わない――ジュリエッタとしても魔力を削りたいにしても、戦いの流れとしては数の暴力で押され続けることが一番苦しくなるとわかっている。

 幻霊を何とか捌きつつヒルダに向かおうとするも、どうしても無傷で切り抜けることは出来ない。

 細かいダメージが積み重なり、ジュリエッタの肉体が傷ついていく。


「……拙い!?」


 それだけではない。

 幻霊に紛れて姿を隠したエクレールが死角から忍び寄って来ようとしている。

 《バロール》で動き自体は捉えているものの、急加速するタイミングが幻霊の突撃に合わせられており回避することが出来ない状態だった。

 これこそが数の脅威だ。

 エクレールの攻撃を防げば幻霊の集中攻撃を受けるし、幻霊の攻撃を防げばエクレールの攻撃を受けてしまう。

 どちらにしても致命的なダメージ、どころか下手をすれば体力を削られ切ってしまいかねない。

 両方の攻撃を食らうのは論外。理想は両方回避することだが……。


 ――


 頭をフル回転させ瞬時に判断を下すと、


「オルゴール、向かって右からエクレールが来る!」

「承知しまシタ!」


 エクレールの方はオルゴールに任せる。

 ジュリエッタの『読み』が正しければ、今回に限っては幻霊たちの方がより脅威度が高いはずなのだ。


 ――……?


 ヒルダが幻霊を呼び出し続ける理由は、その方がジュリエッタたちにとって脅威だから、はず。というのがジュリエッタの読みだ。

 より確実な勝利のために幻霊を呼び、エクレールで不意を突くだけで済ませるわけがない。


「……チィッ!?」


 ヒルダが必ず仕込んでいるであろう『罠』を探すが見つからず、仕方なしに幻霊へと剣を振るってその数を減らすしかない。

 だが、その時にジュリエッタは探し物のありかに思い至る。


「……まさかオルゴールの方か!?」

「ふん、遅いわ」


 ジュリエッタが気付いたことにヒルダも気付いたのだろう。

 その笑みが、ジュリエッタの推測が正しいことを物語っていた。


「オルゴール、気を付けて!」


 警告を放つものの、既にオルゴールの目前へとエクレールが迫っていた。

 オルゴールは糸でエクレールの動きを封じようとしており、そちらに集中している状態だ。少しでも気を抜けば力で振り解かれてしまうために、その場から動くことが出来ない。

 ……そんなオルゴールの頭上へと、いつの間に投げつけたのかが落下しようとしていた。




 これがヒルダの本当の狙いだったのだ。

 エクレールと幻霊の物量で押しつぶすだけでは不足。

 より確実にジュリエッタたちを倒すための『もう一押し』――それが、ヒルダの霊装『堕心鞭』に触れさせてのオーダー強化だ。

 この状態で一人を確実に数秒動きを止められるというのは大きい。動けなくなった方を倒すにしても、幻霊という『量』があるためにもう片方が助けに向かうことはかなり難しくなる。

 幻霊に紛れて霊装に触れさせようとする、とまではジュリエッタも読んでいた。

 しかし、幻霊のうち一体に持たせると思っていたのに、まさかエクレールに持たせるとは思っていなかったのだ。

 ヒルダの狙いはジュリエッタではなくオルゴール――糸によるサポートでジュリエッタを助けるオルゴールの方を先に始末すべき、とヒルダは考えていたのだ。

 ……結局のところ、ジュリエッタが幻霊・エクレールどちらに向かったとしても結末は変わらなかっただろう。ジュリエッタの動きに合わせて影で幻霊を操作し、霊装を運ばせれば良かったのだから。




 身動きの取れないオルゴールの頭へと霊装が落ちる。

 これを防ぐのは簡単だ。少し横に動くだけでオルゴールに当たることはない。

 だがその瞬間、エクレールは自由に動けるようになりオルゴールへと襲い掛かることだろう。そこで一撃受けてしまえば致命傷となるし、倒れないまでも動きが鈍ることになればやはり霊装をもう一度当てられることになる。

 『詰み』だ。ヒルダも、ジュリエッタでさえもそう思った時だった。


「ステッチ《ア・ラ・スゴンド》」


 オルゴールが魔法を使った瞬間、彼女の身体が真横へと飛んだ。


「■■■!!」


 戒めを解かれたエクレールはすぐさま棍棒を振りかざして襲い掛かるものの、オルゴールはその時には既に遠くへと移動していた。


「……危ナイところでシタ」


 離れた位置からオルゴールは事も無げに呟く。

 エル・アストラエアでのボタン戦でも使用した刺繍魔法ステッチの効果である。

 この魔法は強化魔法と言っても良い効果を持つ。

 刺繍は縫い付けただけでは効果を発揮せず、ステッチを使用した瞬間に効果を発揮させる。

 事前に刺繍を縫っておく必要はあるが、その準備さえ済ませておけば任意のタイミングで魔法を発動させることが出来るという利点がある――状況に対応した刺繍を予め用意する必要はあるが、ライズのような効果をいつでも発揮できるのは強みと言えよう。

 加えて、ステッチの強化効果は『ステータスアップ』に限らず行うことが出来る。

 今オルゴールが使ったのは『強制移動』に似た効果の刺繍だ。水平方向に飛ぶア・ラ・スゴンドという効果で、問答無用でオルゴールの身体を横へと飛ばすという効果である。

 たとえ身動きの取れない状態であると、空中に跳んでいる状態であろうとも、ステッチが発動すればその通りに刺繍を縫われた対象は動かされる。

 ……仮にこの魔法を敵に使ったとしたら――


「ステッチ《ピルエット》!」


 それにヒルダが思い至るのと同時に、オルゴールが再びステッチを使う。

 対象はオルゴール自身ではなく、エクレールだった。


「■■■――ッ!?」


 叫び声をあげ、エクレールの巨体がその場で捻じれるように回転、更にオルゴールが伸ばしていた糸を自ら体に絡めるようにして不自然な体勢で動きを固められてしまう。


「……何度も糸に触れさセタのが、功を奏しまシタね」


 敵にステッチをかけることが出来れば、凶悪な効果を発揮させることになるのだ。

 もちろん、無条件に軽々と使うことは出来ない。オーダー同様に抵抗されてしまえば刺繍を施すことは出来ない。

 オルゴールは今までエクレールの動きを止めるたびに、刺繍を縫い付けようと試みていたのだ。

 刺繍を気付かれないように肉体に縫い付けるのは難しい。服型霊装だけを縫えれば気付かれないかもしれないが、普通の服装をしているピースやユニットであれば容易に気づくことが出来るだろう。

 ただし、全身を耐爆スーツで覆ったエクレールだけは話が別だ。

 スーツの表面に刺繍を縫い付ければ気付かれることはない……そう考えたオルゴールは、密かに刺繍を施していたのだった。


「今デス!」

「……ほんと、オルゴールが手伝ってくれて助かった」


 本心からジュリエッタはそう呟く。

 彼女一人だったならば、力技で強引に突破するしか方法がなかったエクレールを、魔法の力で完全に封じ込めてくれたのだ。

 ステッチの効果もそう長くは続かない――特にエクレールの場合、強引にパワーでねじ伏せて来ることが容易に想像できる。

 だから、このチャンスはほぼ最後のチャンスとなる。そのことをジュリエッタも理解していた。


「ライズ《トリリオンストレングス》、《アクセラレーション・クアドラプル》!!」

「!! オーダー――!」


 ヒルダがオーダーを使うよりも速く、ジュリエッタが幻霊を薙ぎ払いながらエクレールへと突き進む。

 このタイミングではヒルダは狙えない。オーダーで動きを止められた場合にオルゴールからの援護が受けられないからだ。

 だから狙うべきは身動きを完全に封じられたエクレールの方である。

 オーダーが発動する前にエクレールへと接近、《クラウソラス》を振り下ろす。


「■■■ッ!!」


 そのまま黙って斬られるエクレールではなかった。

 拘束を解くためにもがいていたのが偶然攻撃を回避する役割を担う。

 だが狙って回避しようとしたわけではない。振り下ろした《クラウソラス》が右腕へと深く食い込む。


 ――これでもダメか!?


 硬いモンスターの甲殻でも易々と切り刻むことのできる刃であっても、エクレールの腕を切断するには至らない。

 苦悶の声を上げるエクレールだったが、戦闘不能となるには程遠い。

 このままヒルダのオーダーが完成し、ジュリエッタの動きが止められてしまったら折角のチャンスが無駄になってしまう。




 だから、ジュリエッタは普段の彼女千夏なら絶対にやらないような手を――いや、を使う。


「ライズ《キックアップ》!」


 腕に食い込む剣に向けて、更にジュリエッタは脚力強化キックアップした蹴りを叩き込み、その勢いで完全にエクレールの右腕を切断する。

 『剣道』であれば絶対にやらない、やってはならないことだ。

 しかしこれは『剣道』ではない。殺るか殺られるかの『戦闘』である。

 剣を使うと決めた時にジュリエッタは己の『誇り』を捨てた。

 故に、どんな邪道であろうと勝つためならば平気でやる――それこそがジュリエッタの剣を手に取るための『覚悟』なのだ。


「……間に合わんかったか……!」


 もはや止められぬ、とオーダーを中断したヒルダ。

 その判断が大きな誤りであることはすぐに気付かされた。


「このまま、斬る!」

「ウィーヴィング《修羅戦甲ヘクトブレイサー》、スレッドアーツ《乱撃ガトリング》!」


 ジュリエッタたちは止まらなかった。

 ――やはりピースとユニットでは戦闘経験の差が大きい。それは、ヒルダであっても例外ではなかったのだ。

 ヒルダは諦めずにオーダーをかけるべきであった。そうすれば、『被害』はもっと軽微で済んだはずだった。




 腕を切断したジュリエッタはそのまま返す刀でエクレールを股下から切り上げ、その背後を守るオルゴールは六つの巨腕を糸で作り迫ろうとしていた幻霊の残党へと拳のラッシュを叩き込む。


「…………」


 両断、とまではいかなかったが胴体を深く切り裂かれたエクレールがついにその場に崩れ落ちた。

 もはやステッチの拘束に抗うことすら出来ず、倒れたまま動きを完全に封じ込められる。

 右腕を切断されたことで棍棒も取り落としており、戦闘力はこれで無くなったと言えよう。


「…………おのれ……」


 一手だ。

 たった一手の判断ミスが致命的なまでの状況を創り上げてしまったことをヒルダは理解する。

 最強の戦力であるエクレールが動けなくなったことで、幾ら数が多かろうとも幻霊の脅威度は格段に下がってしまった。


「逆転、ですかネ」

「うん。でもまだ油断できない」


 形勢は逆転したと言えよう。

 動きを封じ込めたと言ってもエクレールはまだ消滅していないし、幻霊も魔力が続く限りレジデンス・オーダーで補充することが出来る。

 勝ち確、とは到底言えまい。

 それでもジュリエッタたちにとっては、ようやくヒルダを追い詰め、勝ち筋が見えてきた――といったところまで持ち込むことが出来た。

 もうダメだ、と思ったところからここまで逆転できたのだ。


「ヒルダ……後はお前を倒して終わらせる……!」


 そうすれば幻霊の脅威も、そしておそらくはエクレールも完全に無力化できるはずだ。

 ここでヒルダを倒すことができれば、他のメンバーに万が一にもヒルダのオーダーを使われるということもなくなるだろう――それだけでナイアとの戦いに勝てるとは言えないが、万が一は防げる。

 打って変わって不利な状況に追い込まれたヒルダの表情からは、一切の余裕が消えた。

 ……ただし、そこに『焦り』はなかった。

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