第9章10話 乙女と幻霊
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
先に述べた通りの結末だった。
数倍に及ぶピースたちを蹴散らし、敵のリーダーであるヒルダ・エクレールとの最後の戦いにまで持ち込むことができたのは、戦いの常識を考えればそれだけで驚異的であると言えよう。
しかし、それでもヒルダたちの方が上を行った――それだけのことだ。
人間同様の思考能力を持ちつつも、人間とは異なる思考回路を持つピースのことを理解し切れていなかった。それがジュリエッタの敗因の一つだ。
ただひたすらに勝つために全てを。
勝つためであれば仲間を平気で犠牲にするし、折角の自分の力でさえも使わない。
これが人間なら、犠牲は最小限で済むように心がけるであろうし、相手を踏みにじることのできる圧倒的パワーを持てば揮いたくもなる。
そういう『人間的』な思考をピースは――特にヒルダは持たない。
だから、単騎でジュリエッタたちを叩き潰せるほどの実力を持ちつつも、より確実にとどめを刺すための『策略』を練る。
ジュリエッタはそれに嵌ってしまったのだ。
「……ふん、貴様起きていたか」
「クッ……」
ヒルダが足元に転がるオルゴールの方を見て詰まらなそうに言う。
一撃を受けて昏倒していたオルゴールだったが、割とすぐに意識を取り戻していた。
……が、かといって迂闊に動けばすぐにやられると思い、気絶したフリを続けていたのだ。
「仕損じたか……まぁよい」
「!! アァッ……!?」
言いながらオルゴールの右腕を踏みつけ……否、
砕かれた右腕、その指先からは糸が伸びており、その先には――
「エクレール、横に振ってはいかんぞ。縦に振って確実に叩き潰すのじゃ。
……もっとも、そもそももう横に振る必要はないじゃろうがなぁ」
ヒルダの指示に従い、エクレールが吹き飛ばされたジュリエッタの方へと向かう。
そう、ジュリエッタはまだ消滅してはいなかったのだ。
しかし『消滅していないだけ』であり、もはや虫の息――倒れ込んだまま動くことが出来ない状態であった。
エクレールの棍棒がジュリエッタの頭部を砕こうとした瞬間、オルゴールの伸ばした糸がわずかに棍棒の勢いを緩めた。
それと同時に命中の瞬間にオーダーへの抵抗が成功、動くことが出来るようになったジュリエッタが回避しようとし……結果として完全に避けることは出来なかったものの、頭部を完全に砕かれるということだけは避けることが出来た。
とはいえ体力の限界近くまでダメージを受けたのには変わりないし、顔面に棍棒を食らったも同然だ。
もはや動くことも出来ず、今度こそエクレールによって叩き潰されるのを待つだけといった有様である。
善戦した。確かに善戦した。
しかし、結末はジュリエッタの敗北に終わる――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
たとえここで死んだとしても、ラビがリスポーンしてくれる――その思いはないわけではなかった。
だが、それが良い結果を生むとは到底ジュリエッタには思えなかった。
リスポーンしてもらうということは、ラビの近くに強制的に移動することになる。ということは、ナイアの目の前に現れてしまうことを意味する。
そうなればたとえ復帰できたとしても足手まといにしかならない。
なによりも、ヒルダとエクレールをここで自由にしてしまったらヴィヴィアンたちに迷惑を掛けることになってしまうし、
――……ジュリエッタは誓ったはずだ……。
――
――絶対に……負けないって……!
自分の為すべきことを為さずに、おめおめと復活してはいられない。
――動け……!
今身体が動かないのはオーダーのせいでも痛みのせいでもない。
エクレールは元より、ヒルダも
誇張抜きの『怪物』だ。人間大のサイズになったムスペルヘイムが2体いるようなものと言える。それらに徹底的に打ちのめされ、自分の力が通じないことを実感させられ、心が折れないわけがない。真っ当な神経をしていれば、どう足掻いても勝ち目がないと諦めて然るべき――そしてそのことを誰にも責められないであろう戦力差だ。
――動け!
なのに、ジュリエッタは折れた心を無理矢理戻した。
いつの間にか接近し、倒れるジュリエッタをまるで虫のように叩き潰そうとするエクレールを視認。
「ライズ……《アクセラレーション》……ッ!」
間一髪、振り下ろされた棍棒を回避。エクレールと更に距離を取る。
傷ついた肉体もメタモルで修復――しかし、それでも満身創痍といった感じなのは否めない。
「ほう、まだ立つか。存外にしぶといのぅ」
呆れたような、感心したようなヒルダの声にジュリエッタは壮絶な笑みを浮かべ答える。
「……うちの
――「
それに応えなければならない。
痛みを『気合』で堪え、ジュリエッタは叫ぶ。
「ジュリエッタ、お前たちには絶対に負けない……! ここで、必ずお前たちを倒す……ッ!!」
勝ち目のあるなしなど関係ない。
それが
ジュリエッタの心は折れはしたもののまだ砕けてはいない。
変わらぬ闘志を宿した目に、ヒルダは不快そうに顔を歪めた。
――……とは言ったものの、さてどうしよう……。
『気合』や『精神力』と言った形のないものが時として思わぬ力を発揮させるものであることはわかっているものの、それだけで状況が覆るほど世の中は甘くないということもわかっている。
いずれにしろ戦いを継続する上で、あらゆる面で戦闘力が劣っているジュリエッタとしては『作戦』を考えなければどうしようもない。
ヒルダたちがその気になれば、一瞬で距離を詰めてとどめを刺すことは十分に可能だ。
だから考えるための時間は1秒もないと思っていいだろう。
致命的な隙を晒す可能性はあっても、この1秒でジュリエッタは全てを決めなければならない。
――
どうすれば勝てるか、という『作戦』は戦いながら考えるしかない。
どう戦うか、という『作戦』……というよりは『方針』だけを定め、必要な魔法を頭の中に思い描く。
――……これが
魔力については回復アイテムの在庫があるのでまだもつ。
問題なのは『肉』だ。
去年末から続く激闘で補充が追い付いていない状態だったのに加え、この世界に来てからロクな補給が出来ていない。昨日襲ってきた
大技は後何発も使えない。『肉』が無くなれば後はライズだけで何とかしなければならないが、それはかなり難しいと言わざるを得ない。
――大丈夫、結局のところ
自分よりもあらゆる面で上回っている敵と戦うのはいつものことだ。
いつも通りに、いつも以上の強敵と戦うだけの話である。
まだ諦めるような段階ではない……そうジュリエッタは思う。
「ふん……どうやらもっと
ジュリエッタの内心を知ってか知らずか、このまま戦っていても倒すことは難しいとヒルダも思ったらしい。
既にエクレールと共に大幅にジュリエッタのステータスを上回っており、何も考えずにゴリ押すだけで
けれどもヒルダはそれだけでは不足だということに気付いている。
力任せに叩き潰そうとすれば、その『隙』を突かれる可能性がありうる。
より確実に息の根を止めなければならない――圧倒的優位であっても油断せず、勝ち切ることだけをヒルダは考えている。
故に、
「レジデンス・オーダー……来い、《ファントム・レギオン》よ!」
4つ目の魔法――ここに至るまで
ヒルダの周囲に幾つもの赤黒い炎が灯り、それらが『人』の形を取り始める。
「こ、これは……!?」
赤黒い、禍々しい輝きを帯びた炎は人型となり――それが見覚えのあるモノを形作る。
「こんなの、アリ……!?」
「言ったじゃろう? 徹底的に叩くとな」
ヒルダの元に現れた人影は
そう、それらは倒したはずのアビサル・レギオンのピースたちと全く同じ姿をしていたのだった。
これこそがヒルダの切り札たる第4のオーダー、
その効果は『死した仲間を幻霊として呼び出す』というものである。
『存在しないモノを召喚する』ヴィヴィアンのサモンと似てはいるものの、呼び出せるのはヒルダの知る仲間のみ――それも『
ようやく倒して2対2にまで戻せたというのに、あっという間に振出しに戻ってしまった。
しかも、開戦当初から比べてジュリエッタたちの魔力体力は共に減少、対してヒルダの方は魔力等の残量は不明だがステータスについては大幅なパワーアップをしている。
間違いなく追い詰められているのはジュリエッタたちの方である。
幻霊としてよみがえった13体のピース、それに加えてヒルダとエクレール……ヒルダ一人倒せば、という考えに依然変わりはないもののその難易度は時を追うごとに上がっていると言わざるを得ないだろう。
「誇るがいい。本来ならば最後に使う予定だった魔法を、貴様ら相手に出したのじゃからな」
「……そりゃ、どーも」
もちろんそう言われたからといって誇る気持ちなど湧き上がってこない。
ヒルダの言葉が皮肉であることも理解している。
後はもう物量とパワーをぶつけられて磨り潰されて終わる――それだけだっただろう。
しかし、それでも尚ジュリエッタは闘志衰えず、『いつも通りだ』と笑う。
むしろレジデンス・オーダーという『切り札』を使ったということは、いよいよ大詰めだと――決着の時は近いとさえ思っている。
「幻霊ども、オルゴールを潰せ」
お互い戦いの終わりが近いことは感じている。
ヒルダは呼び出した幻霊の半数を近くで倒れているオルゴールへと向け、残り半数と自分自身、そしてエクレールでジュリエッタを倒そうとする。
全快している時でも辛いが、今となっては過剰とも言える戦力だ。
それだけの戦力を差し向ける相手と見做された、つまり自分たちのことを『脅威』だと思ってくれているのだと前向きに考えることにし、
――やるしかない。
ジュリエッタは『覚悟』を決める。
幻霊を倒し、オルゴールを助け、ヒルダとエクレールへと刃を届かせるための『覚悟』を。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それは、『誇り』を持っているからだと彼女たちは解釈した。
――
ジュリエッタは二人の解釈を否定はしなかったが、内心ではそれが間違いだということをよく理解していた。自分自身のことだからよくわかる。
ジュリエッタが『剣』を使わない
呆れるだろうか、情けないと思うだろうか。それとも憐れむだろうか、慰めてくれるだろうか。
――……何だって、別にいい。
考える意味のないことだ。
それもまた考える意味のないことだ。
――『勝つ』ためには、
なぜ剣を使わないのか。
それは――
ただそれだけの、『誇り』でも『拘り』でもなんでもない、薄っぺらい自分自身のプライドを守るためだけに今まで
……プライドとも呼ぶに値しない、ちっぽけな見栄だろうと自分でもわかっている。
ありすが千夏のことを『へたれ』と評していたが、案外と一番千夏のことを見抜いていたのは彼女なのかもしれない――ありすが実際に何をもって『へたれ』と評していたのかはともかくとして。
だから、勝つためにその見栄を捨て去る。
「メタモル《
これで負けたら言い訳できない。
というよりも、言い訳する機会すら与えられない。
そもそも、負けた後のことを考えるなど言語道断だ――ありすたちの誰も、負けた後のことなんかよりも『勝つこと』を考えるはずだ。
「――
捨てる覚悟を決めたジュリエッタが、自分が『最強』と信じる形態へとメタモルを行う。
見た目は《
唯一違う点は、右手に両刃の剣――《
「メタモル《
更にもう一つ、メタモルを重ね掛ける。
するとジュリエッタの左目だけが禍々しく金色に輝く瞳に変わった。
残された『肉』をほぼ使い果たすつもりで使った2種類のメタモル――見栄を捨て去ったジュリエッタがこの戦いに勝つために選んだ、最後のメタモルだ。
「ふん……構わぬ、やれ、幻霊共!」
ジュリエッタの覚悟や事情などヒルダの知るところではない。
彼女にとっても、この戦いに勝つことこそが重要なのだ。
確実に勝つために、呼び出した幻霊を向かわせる。
「オルゴール!」
後はもう戦うだけだ。
恐れるのは『敗北』ただ一つ。
オーダーで止められる可能性は承知の上でジュリエッタは幻霊を薙ぎ払いつつオルゴールの元へ――それは同時にヒルダの元へと駆ける。
同時に、オルゴールも動いた。
倒れた自分へと襲い掛かるピースたちの動きを冷静に見つつ、こちらも今まで隠し通していた『切り札』を解放する。
「スレッドアーツ《
その魔法を使った途端、オルゴールの身体がバラバラになった。
人形のような見た目そのままに、腕、足、首、胴体……身体の各所が解け、文字通りの五体バラバラになる。
予想外の動きにピースたちは対応しきれない。
手や足、球体関節部分へと散発的な攻撃しか行えない。
「こやつ……!?」
オルゴールのこの行動にはヒルダも虚を突かれた。
ピースへと次の命令を下す前に、バラバラになったオルゴールの身体が糸に操られるようにジュリエッタの方へと投げ出され、そこで再び身体を元通りに戻す。
「……驚いた。そんなことできるんだ」
「ハイ。ものすごく痛イので、できればやりタクありまセンでしたガ」
球体関節人形なのは見た目だけではなく、その特性もだったようだ。
オルゴールの切り札の一つが、この『自分の身体をパーツごとに分解する』『再度パーツをつなげる』なのだ。
ジュリエッタと離れた位置で個別に幻霊の群れと戦っていても勝ち目がないと判断。
こちらも体の痛みを覚悟の上、行動したのだった。
「ジュリエッタ、勝算ハ……?」
聞きたくないが、聞かざるを得ない。それだけ追い詰められた状況なのはオルゴールもわかっている。
ジュリエッタのサポートをするため、とこの場にとどまったオルゴールではあるが、ラビのユニットでもない以上強制は出来ない。
勝ち目のない戦いならば逃げたくもなるだろう――オルゴールの質問をジュリエッタはそう捉えた。
「……大丈夫、勝てる」
それでもジュリエッタにはそう答えるしかなかった。
死地に付き合わせて悪いと思う気持ちはないわけではなかったが、だからといってここで『勝てない』とは意地でも言いたくなかった。
おそらくそういう気持ちも理解しているだろう、何の根拠もないジュリエッタの言葉にオルゴールは力強く頷く。
「デハ、最後の戦いと参りまショウ」
「うん、最後までよろしく、オルゴール!」
自分たちを取り囲む幻霊たちから目を離さず、二人は頷き合った。
これが最後の激突になる――ジュリエッタもオルゴールも、そしてヒルダもそれを理解していた。
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