第8章107話 スイート・デシジョン

*  *  *  *  *




 ピッピとブランとの別れ――ジュウベェたちが撤退してから1時間ほどが経過した。

 その間、打ちひしがれているだけというわけにはいかない。

 幾つか確認したいことがあったので、楓には悪いけど実験に付き合ってもらった。

 その結果わかったことは……。


”……やっぱりか……”

「うん。現実と同じ速さになってる」


 このクエストの特異な点であった、『現実とこの世界の時間の流れの差』が等速になってしまっているということだ。

 半ば予想していたけど、これもまたピッピの力を使ってやっていたことなのだろう――本当に時間すらも操れるのか……って感じだが。

 これによって奇しくもこの世界内での時間と、現実での時間がほぼ同じあたりだということが判明した。

 現在時刻は夜中の1時くらい――つまりは現実世界も同じく夜中1時ということになる。


”マキナ、入院中って確か朝早いよね?”


 念のため確認してみる。

 私もまぁ前世で何度も入院してたから知ってはいるけど、もしかしたら病院ごとに違ったりするかもしれないし。


「は、はい……ま、毎朝6時に、看護師さんが朝の検温にやってきます……」

”ふむ……となると、マキナはその前に一度戻った方がいいね”

「でも……」


 渋るマキナであったが、いかにこの世界が逼迫した状況であろうともこれだけは譲れない。

 現実世界で更なる問題を、これ以上起こすわけにもいかないのだ。


”楓たちは?”

「私たちも朝7時には起きておきたい、かな……。いつもはもっと早く起きるけど、ちょっと寝坊したって言い訳はできる」


 星見座ほしみくら姉弟はワンセットと考えていいだろう。

 んで、ありす、桃香はもうちょっと遅くても大丈夫。千夏君も今日は部活なしとのことなのでこちらも朝はゆっくりで大丈夫みたいだった。

 となると――


”……タイムリミットは朝6時――長くても6時半くらいまでと考えた方がいいね”


 現実世界では土曜日だが、週休二日制のため学校はお休みの日だ。

 だから、まぁ朝を上手く誤魔化せればその後お昼までは『ゲーム』に参加できるのだが……多分、そんな時間はないだろう。

 なぜならば、ピッピが予測したナイアたちのエル・アストラエア到着時刻は今から約3時間後くらい――午前4時頃となっている。

 もちろんこれより遅くも早くもなるかもしれないが、どちらにしてもナイアたちがこっちに来てしまったらもう抜けることは不可能になると思っていい。

 ……このクエストから抜ける=この世界の滅亡をほぼ意味していると言えるからだ。

 一時撤退して現実世界を誤魔化すのに、どんなに短くても30分くらいはかかると思う。人によっては――特に家のことを色々とやるであろう楓たちは――1時間でも済まないかもしれない。

 それだけの時間、ナイアたちをフリーにするとなると……どんなことになるかは簡単に予想がつく。

 故に、私たちは次にナイアたちと遭遇したその時が最後の戦いになると考えるべきだ。


”…………一先ず皆を休ませよう。どうやら本当にあいつら撤退したみたいだしね”


 ジュウベェの言葉を信じるわけではないが、その後追撃もなく私たちは無事に過ごせている。

 まぁ正直ジュウベェたちが撤退せずにそのまま襲ってきたら、その時点で私たちは全滅していただろうし、わざわざ撤退してからまた不意打ちを仕掛けて来るなんて無意味に回りくどいことはしてこないだろう。

 警戒すべきはナイアたち――ルールームゥの空中要塞が近づいてきた時だ。もしかしたら、その時は先遣隊という感じで襲って来るかもしれない。

 ともかく、エル・メルヴィン組にしろエル・アストラエア残留組にしろ、昨日の昼過ぎから戦いっぱなしだった。

 いい加減そろそろゆっくりと休ませてあげないと身体も精神ももたないだろう。

 私の言葉に楓も頷く。


「そうね――でも流石にうーちゃんを一人にはさせない」


 ですよねー……。いや、まぁ別にいいんだけど……。




 一応ノワールの方でもナイアたちの気配を探って様子を見てもらいながら、私たちは一旦休息をとることとした。

 とはいえそう長い時間は取れない。

 ナイアたちとの最終決戦に向けての準備や作戦会議、場合によっては移動時間も考慮して2時間程度……くらいの小休止という名の自由時間を取ることとした。

 これがこの世界での最後の自由時間となる――そのことを皆に告げ、各々が思い思いの時間を過ごす……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




”あれ、ノワール? 修復はもういいの?”


 『神樹』内に残っているのは、ラビと付き添いのありすだけであった。

 ノワールは崩壊した神殿へと真っ先に向かい、損傷の修復を行うと言っていたのだが……。

 その腕に、黒い結晶と氷の塊のような結晶を持っているのを見てラビは察した。


「うむ。我の修復は仮体のみだし然程時間はかからぬ。

 ……それよりも、ブランの身体を、な……」

”……そっか、そうだね……”


 この世界の人間は死ぬと結晶と化す。

 しかし、結晶竜インペラトールたちはそもそもが既に『動く結晶』なのだ。これ以上は結晶化は進行しない――その意味では、結晶竜たちはこの世界における『ゾンビ』とも言えないことはない。

 それはともかく、ノワールはブランの『遺体』を少しでも綺麗にしてあげようとしているのだ、とラビは理解する。

 ブランの肉体は今ピッピの結晶と同じ部屋に安置されている。

 どちらも、きちんとした弔いはナイアたちをどうにかしてから、ということで一先ずは一番安全であろう『神樹』避難所の一室に封印しているのだ。

 ……この封印はナイアたちには然程意味はなさないだろう。目的は、撫子に二人の『死』を悟られないようにする、ということである。

 撫子には『ピッピとブランは今出かけている』と言い訳をしている。

 ピッピに懐いていた撫子には申し訳なく思うが、ナイアとの戦いがすぐ傍まで迫っている現状、これ以上撫子の心に負担を掛けない方が良いだろうという姉たちの判断だ。


”ありす、私たちも外に出ようか”

「ん。わたしも街の様子を確認する」

「すまぬ。我も修復が終わったら外へと出よう」


 ラビたちはノワールを残し、言葉通り街の様子――ほぼ破壊され尽くしているが――を確認しに『神樹』の外へと向かう。




「……ブランよ……」


 一人残ったノワールは、持ってきた氷晶を使ってブランの肉体を綺麗に整える。

 その表情は暗い。


「年若い其方を犠牲にして、またもや生き延びてしまったか……」


 結晶竜は不死ではない。

 かつてアリスに倒された氷晶竜だったが、両断されたにも関わらず復活できたのには秘密がある。

 人間に『心臓』があるように、結晶竜たちにも心臓にあたる部分――『晶核コア』があるのだ。

 晶核が無事であるならば、結晶竜たちは竜体も仮体も修復することで復活することは可能だ。

 しかし、逆に言えば晶核が損傷したり破壊されたりした時、人間の心臓が傷つけられたのと同様に生命活動に支障が出て来る。

 この晶核は竜体でも仮体でも同じだ。現在動かしている身体の方の晶核が主となる――『魂』や『人格』がその晶核に宿ると考えて間違いないだろう。

 ブランの晶核はジュウベェの攻撃により切り裂かれ、大きく傷ついてしまった。それがブランの死の原因だ。

 少々の傷ならば延命することは可能だった――心臓の病が即死に繋がるわけではないのと同様、健康体とは言えずとも生き永らえることは本来ならば可能であった。

 だが、傷の具合によってはそうもいかない。そこは人間同様、デリケートな器官なのだ。


 無駄とはわかっていつつも、ノワールは肉体だけでなく晶核も綺麗に形を整える。

 既に『魂』が消え失せた晶核は再度輝きを取り戻すことはなく、ブランは静かに横たわったままだ。


「多くの同胞が去り、其方まで去ってしまい、我も――」


 自己の肉体を修復し終えたノワールは、部屋を去る前にもう一度だけブランの顔を見て呟く。

 もはや二度とここに戻ってくることはないだろう――彼女たちの弔いをすることは、自分には叶わないということをノワールは予感していた。


 ビシッ……


 と音を立て、ノワールの右腕に亀裂が入る。

 然程大きくはない――が、修復したばかりなのに亀裂が入る、そのこと自体が問題だ。

 ノワールは

 幾らこの世界の守護者だと言え、200年に渡る稼働時間により晶核を含めた肉体は劣化する一方な上、ベララベラムのロトゥンによって晶核にわずかではあるが傷がついてしまっていたのだ。

 もはや全盛期の力など望むべくもない。

 このまま戦ったとしても、もはやピースの一人を道連れに出来るかも怪しいほどだ。

 それでも――と、ノワールは弱々しい、自嘲の笑みを浮かべる。


「200年前、とっくに捨てた命だ。我も最期に一つくらいは残さねばな」


 彼女の脳裏に浮かぶのはの姿。

 ブランの命を奪い、ノワールを挑発した鬼面の剣士ジュウベェ。

 そしてもう一人は――




 ノワールが部屋を去り、『神樹』の中には誰もいなくなった。

 この世界がナイアによって滅ぼされ、『神樹』が奪われるその時までは、誰もブランとピッピをこれ以上汚すことはない。

 黒晶にて封印された部屋にはブランたちの『遺体』があるだけであったが……。


「……」


 真っ暗闇の部屋の中、微かに――ブランの指が動いた……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「うゅ……」

「撫子……」


 《ナイチンゲール》の治療によりすっかりと体力を回復させた撫子は、目覚めた後は楓と共に街の様子を見に来ていた。

 撫子はそのまま時間まで寝かせておいた方がいいのでは、と皆が思ったものの、撫子が外に行きたいとねだったため仕方なく楓が付き添い散策に出たのだ。

 ……散策とは言っても、もはやゴーストタウンと言っても過言ではない廃墟の街だ。決して楽しいものではないだろう。

 今彼女たちがいるのはかつては神殿近くにあった広場だ。

 撫子も地元の子供たちとよく遊んでいた、彼女にとってはなじみ深い場所である。

 その広場も今は惨憺たる有様だ。

 元々特に遊具などもなく、広々としたただの広場だったが、今やルールームゥの爆撃に晒され地面には幾つもの穴が無惨に開いている。

 爆撃の余波でどこかから吹き飛んできた瓦礫が散乱し、おそらくはベララベラムに操られていたのであろう妖蟲ヴァイスやモンスターの『骨』も散らばっていた。


「……うぅ……」


 抱き上げている楓の胸にぎゅっとしがみつき、撫子はすすり泣いていた。

 声を上げてわんわんと泣いているのであれば普段通り楓があやすこともできるのだが、ある種異様な撫子の雰囲気に楓も戸惑っていた。


 ――撫子、やっぱり思うところがあるんだろうな……。


 果たして撫子が『死』というものを理解しているかはわからない。幸いにも撫子が生まれてから親戚に不幸があったことはなく、親しい間柄にもそういったことはない。

 唯一あったのはピッピとの別れだったが、どうやら『夢の中』で会っていたらしく『永遠の別れ』というわけではなかった――それだけに今度の別れはどう説明したらいいか、楓たちも困惑しているのだが……。

 『人』ではないが、なじみ深い場所が見るも無残な姿となっている。これは、撫子が生まれて初めて味わう『喪失感』であると言えよう。


「撫子、もう行こっか?」

「……ん!」


 撫子に悲しい景色をこれ以上見せたくない、と思った楓がその場を離れようとするものの、撫子はきつく楓の服を握って首を横に振る。

 この場に留まるのはあまり良くないのでは――というのが姉としての考えなのだが、少し悩んだ結果妹の意思を尊重することとした。


「…………」


 次第に撫子のすすり泣きは止み、やがて何を考えているのかまではわからないがぼーっとしたような表情でただひたすらに破壊された広場を見つめ続けている。

 時折鼻を啜る音は聞こえるものの、撫子は無言で広場を見つめ続ける。




 ――この時、撫子の頭の中を覗けたとしても、他人には決して彼女の考えを理解することは出来なかっただろう。

 なにせ本人も何を考えているのか理解が出来ていなかったのだから。

 彼女の特異な能力が『何か』を見せていたわけではない。撫子の眼には、楓と同じ破壊された広場が映っているだけだ。

 だが、確かに『何か』を撫子は感じていた。

 それが何なのかを本人が全く理解できておらず、楓に伝える言葉を持たないため、必死に自分なりに消化しようとして広場を見つめ続けるしか出来ない。

 頭の奥底から際限なく沸き上がり、ぐるぐると頭の中を回り続ける――泣けばいいのか叫べばいいのか、何もわからずただ翻弄されるだけの激しい感情。




 ――それは、撫子に生まれて初めて芽生えた、『他者への怒り』という感情だった。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「うーん……何かを忘れてる気がするんだけどにゃー……?」

「……」


 椛は首を傾げる。

 何か非常に重大な事実を目にし、それを忘れてしまっているような気がしてならないのだ。

 『神樹』避難所でぐったりとしている間も、常にそのことを考え続けているのだが全く思い出せない。

 自身の記憶力には自信を持っていたし、実際普段ならちょっとしたことでも忘れることはない――故に、実は弟妹からは『細かいこと覚えててお小言を言われる……』と恐れられている一面もあるのだが――はずなのに思い出せない。


 ――夢の内容を思い出そうとしている感じかにゃー……?


 流石に記憶力に自信があるとは言っても、普段から夢の内容までは記憶していない。

 それに近い感覚を椛は感じていた。

 ただ『大事なこと』ではあるような、そんな気がしてならない。

 忘れてしまっては『致命的なこと』ではない、とは思うのだが思い出せないのであればその感覚が正しいかも判断できない。

 ……様々な状況を鑑みると、ほぼほぼ致命的なことではない、とは半ば確信はしているのだが。


「ゆっきー」

「……姉ちゃん……」


 思い出そうとしても思い出せないなら、すぐにはどうせ解決できないことだ、と椛は自分のことは隅に追いやる。

 よりも重要なのは、自分の隣で暗い表情で俯いている雪彦のことだろう。

 仮に自分に重い悩みがあったとしても、優先すべきは弟妹のこと――椛はノリは軽くとも心の底から『お姉ちゃん』なのである。

 にっこりと笑顔を浮かべ、パンパンと自分の太ももを叩く。

 何を示しているのか雪彦もわかっているのだろう、少し躊躇ったものの、素直に椛の膝枕に倒れ込む。


「……ぐすっ……」


 決して大きな声ではないが、しかしそれでも確かに雪彦は泣いていた。


 ――小さい頃からそうだったにゃー。


 本人の気質や色々と複雑な家庭の環境もあり、雪彦は幼いころからあまり大声で泣いたりはしなかった。

 泣きたいことがあっても、一人で隠れてすすり泣いていたものだ。

 そんな雪彦を見つけては、無理矢理抱きしめたり今のように膝枕をしてあげて存分に泣かせていた。

 次第に雪彦も椛に甘え、泣きたい時は素直に椛のところで泣くようになっていた――もちろん、椛だけでなく楓も同様だ。




 雪彦の涙の理由はわかっている。

 ブランを犠牲にしてしまったことだ。

 そして、ブランが犠牲になった理由が、クロエラ雪彦がいざという時に動けなかったことに。

 動けなかった理由が、ジュウベェに恐怖したからだということに。

 ……あの時、ブランが間に合ったこと自体が奇跡のようなものだ、と雪彦を除く全員が思っている。

 恐らく、であろうという認識であったし、事実誰も雪彦を責めるようなことはしない――ブランを失ったノワールでさえも、雪彦に何も言うことはない。

 、雪彦は自分を責めてしまっているのだ。

 元より言い訳などするつもりもないが、せめて責められさえすれば、言い訳でも謝罪でも言葉にして発散することが出来ただろう。

 けれども誰も雪彦に何も言わない。

 反省も後悔も、そして自己嫌悪も――全て自分一人で受け止めなければならなくなってしまったこと、それが雪彦を苦しめているのだ。

 ……そう椛は理解している。


 椛に今出来ることは、雪彦を受け止めることだけだ。

 下手な慰めは今の雪彦には逆効果だろう。

 当然、責める理由はないし、雪彦の涙を否定することもない。

 ただ泣いている弟を優しく抱き留め、受け入れてあげることしかできない。


 ――……こういう時、バンちゃんやあーちゃんなら、もっとスマートに解決できるんだろうけどにゃー……。


 ありすはともかく、今千夏もまた一人思い悩んでいるのを知っている。

 だからというのもあって、椛が雪彦の傍についていてあげているのだ――もちろん、泣いている弟を慰めるのは姉の役割だという思いが前提としてあるが。

 意味のない仮定だが、あの二人なら……きっと無理矢理にでも引っ張っていって泣いている暇など与えずに、雪彦の鬱屈とした気持ちを晴らせるのではないかと考えている。椛の勝手な評価に過ぎないのは自覚しているが。

 姉という手前、無理矢理雪彦を立たせることは出来ない。元より椛はそういう性格をしていない。


「……大丈夫、ゆっきー。お姉ちゃんはゆっきーの味方だよ」

「うぅ……姉ちゃん……ぐすっ」


 今はひたすら泣かせてあげるしかない。

 結局のところ、最後は雪彦自身が立ち上がるしかないのだから。

 その立ち上がるための力を『充電』させてあげる――それくらいにしか自分にやれることはない。

 そう椛は自覚し、またそうすることしか出来ない自分に軽い失望を覚えるのであった。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「報告。マサクル――いえ、『ナイア』との最後の決戦が始まろうとしています」


「ここまでの経緯はメッセージに纏めておきました。ご確認を」


「私は……引きません」


「貴方の指示にはありませんが、それでも私は私の意思で彼女たちと共に戦いたいと思います」


「正義? ……いえ、正義ではありませんね、きっと」


「少しでも長くと共にいたい――の記憶にとどめてもらいたい、という私の欲望です」


「もし、ナイアに敗北することがあればその時、彼は私のことも忘れてしまうでしょう……それが私には耐えられない」


「だからその可能性を少しでも減らすために、私の我儘を貫かせていただきたいと思います」


「以降、ナイアとの戦闘に入るため報告はできなくなります。尚、現実世界との時間のズレは解消されたとのことです」


「それでは報告を終わります、




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 無惨にも崩れ去ったアストラエア神殿跡――そこに千夏は一人でいた。

 ノワールの修復素材の回収の手伝いを終えた後、考え事がしたくて一人になれる場所を探していたのだが、幸いとは言えないが一人になれる場所はいくらでもあった。

 その中から、星見座四姉弟たちがいない方向に向けて考え事をしながら歩いていたら、神殿跡に辿り着いたというわけである。

 別にこの場所に意味があるわけではない。どこでもいいと言えばどこでも良かった。


「……ひでぇな」


 それでも、この街で何日間か暮らした神殿が崩壊しているのを見て、千夏は顔を顰める。

 人々さえ守れれば、最悪街は放棄する――そういう可能性は事前にラビたちが考えてはいたものの、いざ崩壊した街を見ると『これで本当にいいのか』という気持ちがどうしても湧き上がってくる。


「――やれるだけやる、じゃダメなんだ……絶対ぇにやりきらないと……!」


 元々はあやめを助けるためにナイアたちを追うだけであって、別にこの世界にもエル・アストラエアの人々にも『守る』べきという義務はない。

 この世界にいる間世話になったという点では義理はあるが、だからと言ってそれは命を懸けて戦ってまで返さなければならないものでもないだろう。

 ましてや、ラビの言葉を信じるならばこの街の人々は既にどこか別の場所へと避難しているはず。無人の街を守る必要など全くない――無事に平和になったらまた作ればいいだけの話だ。

 だが、千夏はそれを良しとは思わない。

 ただでさえこの世界の人々は理不尽に様々なものを奪われている。

 そんな彼らから『思い出』までも奪われるのを良しとは思わないのだ。


 千夏は生まれてからずっと桃園台の今の家に住んでいる。

 これと言って『地元愛』のようなものも特になく、かといって地元から早く離れたいという思いもなく、至って普通の少年が抱くであろう程度の思い入れしか持っていなかった。

 それが変わったのは、正月の時のムスペルヘイムがきっかけだ。

 あの時は結局大ごとにならず片が付いたものの、もしかしたら桃園台が壊滅するかもしれない……という事実に千夏は心の底から恐怖し、そして無事に終わったことに安堵した。

 家族の身に危険が迫ったから、というだけでは説明のつかない自分の感情に答えが出たのは、ついさっき。瓦礫と化した街を見てからである。


 ――こんな理不尽は許してはならない。


 故郷を奪われる辛さを実感できないのでわからない。せいぜいが『その寸前』までしか経験したことがないから想像することしか出来ない。

 けれども考えればわかる。

 単に家が無くなるというだけではない。

 過去を、思い出も全てが無くなるということだ。

 それが自分の意思でのことならまだ良いだろう。

 だがは違う。

 侵略者たちによる理不尽な『略奪』によるものなのだ。


「……、つけねぇとな」


 

 クラウザーのチートによって脱出不可、というイレギュラーな事態はあったものの、少なくとも千夏ジュリエッタは『ゲーム』のルールには則って戦った。

 その結果、ヒルダおよびその使い魔プリンから『ゲーム』の参加権を奪った。

 同じか同じではないかとと問われれば明確に『違う』と言えるのだが、千夏は本質的なところではきっと『同じ』だと感じている。




 近くの瓦礫の中から飛び出していた鉄の棒を手に取ってみる。

 太さ、長さともに丁度竹刀に近いものであった――が、流石に重さは全く異なる。

 千夏は気にせずに鉄棒を構え、その場で素振りを始める。


 ――自由時間とは言われてたけど、『休め』とは言われてねーしな。


 千夏はありすに比べたら脳筋ではないし、楓たちと並んで戦略戦術面でもラビと話すことが出来る。

 かといって頭脳派かと問われると、本人は全くそんなことない、と否定する程度には脳筋であることは自覚している。

 考えなければならないことが色々な意味であまりに重すぎる。

 別に考え事をする時に素振りをする癖があるわけではないが、とにかく身体を動かさないと押し潰されてしまいそうだと感じたのだ。

 ……とはいえ、だからと言ってそれだけで本当に頭を空っぽに出来るほど、千夏も単純ではない。

 どうしても頭に様々なことが浮かんできてしまう。


「……ふぅっ……はっ……」


 鉄棒とは言え、普段使う素振り用の重たい木刀と大した違いはない。

 次第に素振りのスピードが上がっていき、千夏の息も上がってゆく。

 汗が滲み、無理矢理動かされた筋肉が徐々に苦痛の悲鳴を上げ始めているが、それでも千夏は止まらない。

 頭の中には様々なことが浮かんでは消えを繰り返しているが、やがてそれは一つの像を結び出す。


「はぁっ、はぁっ……」


 ――結論は出た。

 いや、最初からしか千夏には選択肢がなかったはずなのに、敢えて見ないフリをしていたと言った方がきっと正しかったのだろう。


「ヒルダ……そうだよな、やっぱおめーとのケジメつけないとな」


 この世界を襲うナイアたちの討伐、それがあやめの救出を大目的とした今回のクエストにおいて達成しなければならない目標なのは疑いようがない。

 そのための障害となるのは当然アビサル・レギオンのピースたちである。

 最後の戦いでどのような布陣で挑むのかは千夏にはわからない。

 しかし、ラビたちがどのような考えで布陣を決めるかはわからないが、もしそれが自分の意に沿わないものであれば直訴しようとは思う。




 千夏ジュリエッタの相手はヒルダ以外にありえない。

 ナイアの【支配者ルーラー】とは異なり、効果時間こそ短いもののアリスにも通用する命令魔法オーダーの使い手にして、千夏にとっては因縁の相手だ。

 他にも強力なピースはいるだろうが、おそらく致命的な障害となるのはヒルダである、と千夏は考えている。

 ヒルダだけは絶対にナイアとの戦いに乱入させてはならないし、足止めをするのであればきっと誰が戦っても同じだろう。

 ならば、相応しいのは自分だ――そう千夏は思う。


「それに――じゃいられねぇしな」


 ヒルダと戦うのであれば、きっとその傍にはエクレールも控えているはず。

 アリスもエル・メルヴィンでクリアドーラへとリベンジを果たしたのだ。

 の千夏が、エクレールに負けたままではいられるはずがなかった。

 ……それに、リベンジを果たしたアリスにも。


 ――いずれ、その拘りを捨てるべき時がくるやもしれぬぞ。

 ――其方の拘りと、負けられぬという『信念』、いずれを採るべきか選択を迫られる時が来よう。

 ――だから、『覚悟』だけしておくことじゃな。


 数日前にノワールに言われた言葉が思い浮かぶ。


「…………『覚悟』か」


 ――なぁに其方の信念を貫き通すほど強くなれば憂いもあるまい。


 そうノワールは続けたが、残念ながら『信念を貫き通すほど強くなる』には時間があまりに足りない。

 もう後数時間もしないうちに最終決戦となってしまうのだから。


「ふん、上等だ。みせるさ」




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 崩れ去った街の避難所、その一つに桃香はいた。

 自由時間を告げられた後にそこへと向かい、他の誰とも顔を合わせないようにして――ひたすらに泣き続けていた。

 雪彦のように声を押し殺したすすり泣きではない。

 大声で、まるで幼児のように泣き喚いていた。


「きゅー……」


 他に誰もいない、と思っていたらキューがいつの間にか傍に寄ってきていた。

 キューに気付くと、桃香はキューを抱え上げて再び泣き続ける。


「きゅっ、きゅー……」


 涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃ、大声で泣き続けていたため喉も痛めかけている。

 それでも桃香は泣くのを止めない。




 それだけ、ルナホークあやめのことが彼女にとってはショックだったのだろう。

 ラビたちも事の顛末は理解している。

 桃香がどんな気持ちなのかも察しているつもりだ。

 だから桃香が一人で泣きたいと思ってふらふらと出て行ってしまったのを誰も止めなかったのだ。


「きゅぅ~……きゅい~……」


 ただ一匹、キューだけがそれでも桃香へと寄り添っている。




*  *  *  *  *




 ありすと一緒に外に出た私は、ありすに連れられて街を一通り見回った後に、街を取り囲む城壁の上へと登っていた。

 『神樹』に登ってみようとはしたんだけど、さすがに枝葉が多すぎて断念した。

 登ってもあんまり景色見えないしね。


”……桃香、大丈夫かな……”


 皆心配と言えばもちろんそうなんだけど、一番心配なのは桃香だ。

 なにせ救出対象であるあやめ――ルナホークによって倒されてしまったのだ。ルールームゥと二人掛かりだったとは言っても、ほぼ歯が立たない状況で一方的に負けてしまったようだし。

 ……【支配者】で操っているとナイアは言っていたけど、それにしたってルナホークの洗脳は相当厄介な深度であるようだ。

 しかも変身を解いた桃香の姿を見てさえ、何の躊躇もなく引き金を引いたというのだから……どれだけショックを受けているか、桃香の気持ちを考えるだけで辛い。


「ん……大丈夫。トーカは、強くなった」


 いつも通りのぼんやり顔で遠くの景色――街ではなく街の外、ナイアたちが向かって来るであろう方向を見ていたありすはそう答える。


”まぁ、うん……そうだね”


 ありすがそう言うってことは、私と同じことを感じているようだ。

 確かに桃香は出会った時に比べてずっと強くなった。

 それは単に『ゲーム』内での強さに限った話ではない。

 現実世界での、桃香自身の心の強さにもつながっていると私は思う。

 あまり喜ばしいことではなかったけど、特にそれが顕著だったのは――この間のジュウベェ戦の時だったろう。

 あんな恐ろしい相手に、たった一人で立ち向かう勇気はかつての桃香にはなかったものだったと思う。


「トーカは諦めてない」

”うん、ありすもそうんだね”

「ん」


 きっと昔の――私たちがかつて助け出そうとしていた頃の桃香だったら、もう諦めてしまっていたかもしれない。

 でも今は違う。

 なぜならば、私もありすも

 もちろん、普通に泣いている(であろう)桃香のことは可哀想だと思うし、あやめを絶対に助けなければならないと言う決心に変わりはない。

 けれどもそれは、桃香の代わりに頑張ろうというものではない。仲間としてごく当たり前の感情だ。




 無条件に他人に愛され、他人に助けられてしまうという恵まれているような難儀なような、異能としか言いようのない性質を持っている桃香。

 もしも彼女がルナホークあやめの救出――ナイアを倒すための障害として立ちはだかるであろう彼女を『倒す』ということを諦めたのだったら、私たちの心に『桃香を助けたい』という気持ちが湧き上がって来ていたはずだ。

 でもそうはなっていない。

 だから、桃香は泣いてはいても、決して諦めていないのだと私たちは理解していたのだ。


「トーカが諦めていないなら、トーカに任せる」


 ……既にありすには最終決戦における私の『構想』を伝えてある。もちろん、これから全員で集まった後にブラッシュアップして少しでも成功率を高めて行く必要はあるが。

 『構想』における鍵となるのは――やはりありすアリスとなる。

 理由は『ナイアを倒せるのがアリスだけ』だからだ。

 とにかくヤツの【支配者】がネックとなり、アリス以外のユニットでは手も足も出ないのだ。不意打ちも正直どこまで通じるか怪しい。

 今回の件、あやめを助けるという元々の目的を達成するためにはナイアを倒すのはもはや必須条件だ。ピースたちの解放については、正直まだ何とも言えない感じだけど……ナイアを倒さない理由はおそらく全くないだろう。


 最後の戦いは、いかにアリスを無事にナイアの元へと届けるか、そしてナイアとの戦いを一対一の状況に持ち込めるかにかかっている。

 アリスにも、他の皆にもかなりの負担を強いることになってしまうだろう。

 それを心苦しくは思うけど、今回に限ってはいつものように『無理しないで』とか『撤退しよう』とは私は言うことはなかった。


「そういえば、ラビさん今回はいつもみたいに言わないね?」

”あ、うん、まぁね……”


 ありすも私のお小言は聞き慣れてしまっているのだろう。

 いつもなら言いそうなことを私が言わないのを不思議に思っているようだ。

 ……私、どんな風に思われてるんだ……? いや、まぁ普段の言動のせいなので自覚はしているけど。


”皆が退きたいというのなら話は別だけど”

「それはない。ん」


 だよね。

 正直、ヤツらは一線を越えすぎている。

 この世界は確かにありすたちの世界とは違う、『異世界』だ。異世界が滅ぼうがなんだろうが、きっと影響はないだろう。

 でもだからと言ってもはや見過ごすことは出来ない――『正義』を気取るわけではないけど、ヤツらを見過ごすことは人として反していると思えるのだ。

 ヤツの言葉を信じるならば、この世界の戦いが終わって目的を果たしたら、あやめを含む『眠り病』患者も目を覚ますのだろう。これは私も事実だとは思う。

 ……それで問題は何も解決はしない。ヤツらが本格的に『ゲーム』攻略に乗り出し、またピースたちを投入しようとするなら『眠り病』は再発する。

 『眠り病』を完全に根絶するためにも、ナイアたちをここで確実に倒す必要がある。

 そのために、私たちはここで退くわけにはいかない――仮にここで退いたとしても、いずれ私たちは同じ問題に別の場所で直面することになるのは変わりないのだし。


”あやめのことや『眠り病』の子たちのこと、ピッピとブランのこと、この世界の人たちのこと……色々とんだよね、私”


 色々と理由はあるけど――私の本音を突き詰めていくと、『ヤツらを許せない』というのが一番の理由なのだと思う。

 物凄く個人的な感情が理由なのは自分自身どうなんだろうとは思うけど、そうなんだから仕方ない。

 こちらを弄ぶようなナイアの動きや言動も『ムカつく』し、ムカつくというレベルでは済まない悪質な行動には嫌悪感を通り越して怖気を感じる。

 

 『ゲーム』内の話はもちろん、『ゲーム』外でも同様だ。

 ……ピッピから聞かされた『ゲーム』の勝者に与えられる『特典』のことを考えたら、絶対にナイアを勝者にするわけにはいかない。

 そういう諸々の事情と、私自身の感情を含めて、ヤツとの戦いは退くという選択肢はない。


「ん、わたしもあいつは許せない」


 私の言葉にありすも同意する。

 ありすだけではない、ルナホーク救出を諦めていない桃香も、ヒルダとの因縁がある千夏君も、この世界の■であるピッピと縁がある楓・椛・なっちゃん、そして雪彦君も。

 その意味だと、まぁマキナオルゴールには一応今後の戦いに参加するか意思確認をしておく必要はあるかな。


「ラビさん」

”うん?”

「わたしたちと一緒に、あいつをぶっ飛ばそう。それで全て解決」


 相変わらずのバーサク具合だけど――


”……うん、そうだね。それで全て解決だ”


 今回ばかりはありすと全く同意見だ。

 私たちの全ての力を使ってヤツをぶっ飛ばす。それでヤツの起こした諸々の問題は一気に解決できるはずだ。

 ピースたちの解放条件がもしあるにしても、ヤツがまでぶっ飛ばせばいい。

 ……私も大分ありす的バーサク思考だな、今回は。


”そろそろ私たちも戻ろう。皆も集めて、最後の作戦会議をしないと”

「ん。わたしたちもいっぱい頑張る」


 一番負担を強いることになるであろうありすだけど、本人のやる気はかつてないほどみたいだ。

 ……表情からだとやっぱりわからないんだけどね。


「この戦い――絶対にわたしたちが勝つ」

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