第8章92話 Requiem for a Bad Dream 10. 闇に孵るまで
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
己の思惑通りに事が進まないことに、ベララベラムは苛立っていた。
――彼女は意思のないゾンビのように見えるが、あくまでそれは『
故に、他のユニットと同様に『自分の意識』はあるし、判断力もきちんと備わっている。
彼女は『ゲーム』の枠から外れたアビサル・レギオンの中において、更にその枠組みからも外れた存在であった。
他者とのコミュニケーションが一切取れないという強烈なマイナス要素を持っている反面、他者をゾンビにするという強力な能力を得ている。
強力な能力の代償としてのマイナス要素、とも言えるが……。
ともかく、他のアビサル・レギオンメンバーと比較しても飛びぬけて異質、かつ凶悪な能力を持つのがベララベラムである。
そんな彼女でも、アビサル・レギオンを支配する
彼女がエキドナから与えられた命令は一つ。
『エル・アストラエアを壊滅させよ』
ただそれだけである。
巫女アストラエアの始末とか、敵対するラビたちを倒せとか、そういう細かい命令はない。
エル・アストラエアにある全ての生命の抹消――それだけがベララベラムに与えられた命令なのだ。
命令を受けた時、ベララベラムは歓喜に打ち震えた。
能力故に他の誰とも協調することが出来ず、また己の『能力』を振るうことが出来ないベララベラム。
それはピースとしてアビサル・レギオンに加わった後もそうだし、本人は覚えていないもののユニットだった時からそうであった。
ベララベラムの基本にして最強のこの能力だが、彼女の意思で止めることも出来ない
この魔法の効果はピースに対しても有効だ。
厳密には生物ではない使い魔などの一部の例外を除いて、たとえ仲間であってもゾンビ化させてしまう魔法である――仮にベララベラムが普通のユニットだとしても、仲間のユニットにすら効いてしまうという魔法なのだ。
その例外の一つが、全身鋼鉄の塊であるルールームゥであった。
アストラエアの世界へと侵攻するに当たって、彼女は常にルールームゥの変化した要塞の一室に厳重に閉じ込められていた。
エキドナの命令によってようやく解き放たれ、ベララベラムはピースとなって初めてようやく『外の世界』へと出ることが出来たのだ。
ベララベラムはユニットとして見ても非常に特殊な性質を持っている。
通常、ユニットは姿かたちが様々に異なっていても、持っているスキルとステータスの違いこそあれそこまで特殊な能力というのは持っていない。
魔法を使わずとも空を飛べるガブリエラたちや、肉体と霊装が一体化しているルールームゥなどが、見た目に沿った『特殊能力』をデフォルトで備えている例外と言えるだろう。
ベララベラムも同様に、ゾンビの見た目に沿った『特殊能力』を備えている。
……いや、それは『特殊能力』と呼べるものではないかもしれない。彼女自身に言わせれば、それはもはや『
人も、動物も、モンスターも、ユニットでさえも、彼女の目には化物の姿となって映しだされる。
声も音も同様に、あらゆるものが化物の鳴き声にしか聞こえない。逆に彼女の言葉は怪物のうめき声にしか他者には聞こえない。
彼女は『ゲーム』の中において、誰とも分かり合うことのできない『孤独』な存在だった。
ゾンビになった生物は、ベララベラムと同じ状態になる。
すなわち、あらゆるものが化物に見えるようになるということだ。
反面、ゾンビ化したもの同士であれば正常に見えるし、声も届くようになる。
更にはナイアたちによって『ゾンビ化した生物を操る』という能力がインフェクションに付与されている。
インフェクションを使って『仲間』を増やせば増やすほど、彼女は孤独ではなくなるのだ。
ずっと――ピースとなる以前の記憶はないが――仲間からも疎まれ、恐れられ、隔離されていた彼女にとって、今回与えられた命令は初めて『全力』を揮えるものだった。
敵も味方もなく、ただひたすらに『仲間』を増やしていくことこそが彼女の目的であり、命令を遂行するための手段。
あらゆる生命を
最初は上手く行った。
ゾンビ化させた生物を操るのと同時に付与された『死体をゾンビとして蘇らせる』というもう一つの能力を使って、街中に溢れていた妖蟲の死骸、地中に埋もれていた太古の生物の化石をゾンビ化させ、人々へもゾンビ化を感染させていく。
放っておいてもネズミ算のように増えていく『
エル・アストラエアはかなり広いし人口も多いが、それでもゾンビからゾンビへと感染するインフェクションであれば、数時間もあれば街中にゾンビは広まることだろう。
後は現れるであろう邪魔者――ラビのユニットたちを倒せばそれで終わる。そして、ベララベラムは自身の戦闘力が高いことを自覚しており、なおかつ増やした『仲間』がいれば負けることはない……そう思っていた。
思い通りにいかなくなったのは、ガブリエラという『敵』をゾンビにしてからだった。
街の住人たちはゾンビ化していない住人に怯え、唯一正常に見え、言葉の聞こえるベララベラムへと縋った。
彼女の言葉に従い『仲間』を増やし、彼女こそが救世主だと崇めた。
けれども、ガブリエラがゾンビになった後に、彼女の王国に綻びが見え始めてきた。
強制的に命令をきかせることは出来る。ガブリエラですら、ベララベラムが命令すれば自分の仲間――ガブリエラには怪物にしか見えていないが――へと刃を向けるようにはなっていた。
しかし、逆に言えば
「私が守るから、皆は逃げて!」
ガブリエラはそう叫び続けていた。
放っておいたら、
怪物に見えているはずのまだ無事な住民たちには決して刃を向けることはない。
住民ゾンビたちもガブリエラの言葉に従い、ベララベラムが命令しない限りは建物内に隠れたりして他の住民を襲うこともなくなった。
エル・アストラエア壊滅という与えられた命令は確実に進行している。
どれだけ抗おうとも、一度インフェクションで感染したら自然治癒することはない――ゾンビ化までの時間の長短こそあれど、ゾンビ化は自然に治ることはないのだ。
当初の想定よりもペースは少し遅くなったとしても、街全てに『死』が蔓延するのは時間の問題のはずだ。
しかし、それでもベララベラムは苛立っていた。
「あの女が……全部悪い……」
ガブリエラ――
パワーだけの猪武者だと侮り、実際然程苦労することもなくゾンビ化することの出来た相手によって、ベララベラムの『王国』はあっさりと綻びを見せていた。
住民たちはベララベラムではなくガブリエラの言葉を聞いた。
命令すれば従うものの、命令しなければすぐにガブリエラの言う通り身を隠してしまう。
「私の声を聞け……!」
ゾンビ化させたガブリエラは、ベララベラムの意思で操ることは出来ても『排除する』ということは出来ない。仮に出来たとしても、使い魔がいる限りリスポーンされてしまうだけだろう。
「私を見ろ……!」
為す術もなくゾンビとなり、自分の味方すらも襲うガブリエラ。
自分は勝っているはずだ。敵のユニットはまだ残っているが、圧倒的なゾンビの数で勝り、更に住民ゾンビを敵は攻撃することが出来ないはずだ。
だからこの戦いはベララベラムの優勢で進んでいるはずだった。
「……私が女王なのに……ッ!!」
命令しない限り、誰もベララベラムを顧みない。
ゾンビの『王国』において尚、彼女は『孤独』であった……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ベララベラムたちがついに『
見張りについていたアリスからその報告を受けたラビたちは、すぐさま避難所から外へと飛び出していった。
避難所にはピッピたちエル・アストラエア住民の生き残りとキュー、それと未だ意識を取り戻していないクロエラが残っている。
「……クロ……大丈夫、貴女ならきっと……」
先程までラビたちが会議に使った部屋には、婆やたちの姿はなくピッピとクロエラ、キューしかいない。
ベララベラムが動き始めたということを聞いた瞬間、ピッピは婆やたち生き残りを全て避難所の最奥の部屋へと移動させ、『戦いが終わるまで決してそこから出ないように』と
特にラビたちに言われたわけではないが、いざという時に婆やたちを守りながら戦うという事態は避けたい。
言葉は悪いが『足手まとい』としか言いようのない存在だ。もちろん、戦いが終わった後に住民が生き残っていなければ何の意味もないが、少なくとも戦いの最中においては足手まといにしかならないのは事実だ。
だからラビたちが気にしないで済むような位置へと、生き残りは配置してしまうこととした。
「あとは、あなたが……うぐっ……」
ラビたちが一番気にするのはピッピのはずだが、それを知りつつも彼女はこれ以上隠れることはしなかった。
それにはいくつか理由はあるが……。
「げほっ、げほっ……」
咳き込むと共に口から血が零れる。
胸の傷も塞がることはなく、『権能』をもってしても治ることはない。
「……時間が、もう……ないわね……」
ピッピが隠れるのを止めた最大の理由は、時間――つまり自分の命が尽きる直前だということを理解していたためだ。
婆やたちに死ぬところを見られたくない、という感傷的な理由からではなく……。
「やれるだけのことは、やっておかないと……ね」
――この世界とは無関係なラビたちが必死にナイアたちと戦ってくれているのだ、
壮絶な笑みを浮かべ、ピッピ――アストラエアは己に出来ることをやろうとする。
まず間違いなくナイアとの決戦までピッピは生き残ることは出来ないだろう。可能性としては、今襲って来ているベララベラムを倒すまでももたないかもしれないと考えている。
残された時間はごくわずか……その短い時間で、ピッピは可能な限りの準備を整えなければならない。
そのために隠れることも止め、ヴィヴィアンに石化して寿命を少しでも延ばしてもらうことを拒否したのだ。
――……これで、私がいなくなってもある程度はもつはず……。それでも結局、ナイアを倒せない限りどうにもならないけれど……。
ピッピの持つ『権能』――この世界の法則を歪める力を使ってやれるだけのことはした。
まず一つは、ラビたちがエル・アストラエアに到着した直後に使った『言語変換』を固定化。これにより、たとえピッピがいなくなったとしてもラビたちとこの世界の人間で会話は出来るようになる――きっと巫女アストラエアがいなくなることで混乱が起きるだろう、その時に余計な手間をラビたちに掛けさせたくないが故の『言語変換』の固定化だ。
もう一つは今正にナイアたちが迫る南方大陸の『
こちらは、復活したラグナ・ジン・バランが攻め込んでいる最中だったため全員無事……とはいかなかったが、半数以上はそれでも救えたはずだ。
避難民たちをエル・アストラエアが受け入れることは難しいため、こちらはこの世界の住民の知らない――海の果てにある東大陸へと移動させた。最悪の事態に備えてアストラエアが密かに作っていた、最終避難所であるため当分の間は生活することは出来るだろう――何の説明もなしに見知らぬ土地に放り出され、ピッピが死んだら戻ることも出来ないというのには悪いとは思うが、命最優先だ。
この世界とラビたちの元の世界との極端な時間の流れの違いについてだけは、どうすることもできなかった。
元々はこれもピッピの『権能』によって実現させていたものだったが、言語のように固定化するのは影響が大きすぎるためだ。
よって、これだけはピッピが死んだら時間の流れは等速となってしまう。
ラビが現実世界の時間を気にしているのはわかっている。ピッピの予測では、この世界の次の夜明けまでがタイムリミットとなってしまうだろう。
「ナイアたちは……今……ぐっ……ごほっ」
やらなければならないことは後
まずはナイアたちの動きの把握と予想だ。
――『セイ』の住民がいなくなったことに気付いたわね……。
気付かれるのは想定の範囲内だ。
これで『セイ』に用のなくなったナイアたちは、すぐにでもエル・アストラエアへと戻ってくるだろう。
……ここで『セイ』を囮にして時間を稼ぐ、という方がラビたちにとっては都合が良かったかもしれないが、ピッピはそれをすることはなかった。
もし時間稼ぎをしたら、ナイアたちが戻ってくるのは夜明け以後の時間になってしまうからだ。時間の流れが等速に戻ってしまったら、夜明け後にラビたちがこの世界に留まり続けるのは難しくなるはずだ。
それに加え、当然のことながらこの世界の人間にこれ以上の被害を与えたくない……と、ある意味で身勝手な思いもあった。聞いたところでラビならば『まぁ仕方ないね』と納得はしそうではあるが。
もう一つのやらなければならないことのために、ピッピはクロエラを置いて別の部屋へと移動する。
「きゅっ?」
瀕死のピッピは動かない方がいい――そうラビたちに言われ『わかったわ』と答えたにも関わらず、ピッピは動こうとしている。
同じく置いて行かれたキューは横たわったままのクロエラと移動するピッピを交互に見て……結果ピッピの方を追いかけることにし、閉じられようとしていた扉に滑り込む。
ピッピもキューが部屋に入ってきたことには気付いていたが、そちらに構うことはなく部屋のベッドに腰掛ける。
そして――
「……もういいでしょう。出て来なさい……
ため息交じりに――傷の苦しさからだけではないだろう――そうピッピが呟くと共に、部屋中に『権能』を用いて
これにより、少なくともこの世界の人間であれば部屋に立ち入ることは出来なくなり、また外から魔法等で内部の様子を探ることも出来なくなる。それに、部屋の内部に予め潜むなり『盗聴』の魔法を掛けるなりしていても、時間が凍り付いたように動けなくなる。
婆やたちは他の部屋へと移動させたし、ラビたちも外へと出て行った。誰もここから先の会話を聞くことはないだろうが、念のためだ。
<やぁ、やっとボクの話を聞いてくれる気になったかな?>
ピッピの言葉に応え、彼女の目の前に『白い
輪郭がはっきりとしないが、一応『人型』のような形をした靄は、あやふやな見た目とは裏腹に異様な存在感を感じさせるものであった。
「人払いは済んだわ……このタイミングであなたから
――これが、ピッピのすべき最後のことだ。
靄……ゼウスが微かに笑う気配があった。
<時間もないようだし、手早く終わらせよう。
アストラエア――ボクと
「取引……ですって……?」
<そう――君にとっても、悪い話ではないと思うよ? ……まぁ、ヘパイストスとイレギュラーに取っては微妙な話になるかもしれないけどね>
「……っ」
人知れず、そしてこの世界の存続を賭けた戦いを続けるラビとナイアにも知られることはなく、『超越者』たちによる世界の命運を左右する取引は行われる。
「きゅ、きゅいー……?」
……ただ一匹、
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――どうして僕はこんなに弱いんだろう……。
何も存在しない、無明の闇の中で一人雪彦は俯いていた。
そんな思いが雪彦の心の中に重く蟠っている。
敵との戦闘については戦果を挙げられていないどころか、むしろ足を引っ張っていたとすら思っていた。
ピースとなったジュウベェには為す術もなく敗北しノワールに任せることになったし、エル・メルヴィンではナイアの能力が規格外すぎたとはいえ危うく
移動手段にしてもヴィヴィアンが追加で召喚獣を呼び出せば事足りるだろう。
だから、自分は何の役にも立たない――雪彦の自分の評価はそうなってしまった。
……実際のクロエラの働きと雪彦の自己評価には大きな隔たりがある。
それ以前に『輸送』『移動』は人数が増えれば増えるほど需要の増す重要な能力だ。特にクロエラが持っている能力は、
戦闘面にしても、確かにジュウベェ戦では事実上の敗北を喫することとなったものの、活躍できていないということは全くない。
特に
ただし、そうした評価を雪彦自身がしっかりと受け取れているかどうかは別問題である。
雪彦自身はそこまで
敵を早く倒せれば、それだけ被害も少なく戦いを終わらせられるのは間違いない。
より長期的に見て『効率よく』『消耗を減らし』て勝つには、クロエラのような補助能力が必要となってくるのだが……そこまではまだ雪彦も思い至ることは出来ていない。
ジュウベェに負け、アストラエアの世界においても負け……自分が『強くなった』と錯覚していたことを恥じ、打ちひしがれた雪彦。
特に外傷のないクロエラが立ち上がれないのも、全ては雪彦自身の心の問題だった。
しかし――
――強く……なりたい……。
それでも雪彦は
確かに自分は『強くない』ということは自覚したし、改めて思い知らされた。
同い年で異性のありすや桃香に強さが全く追い付いていないというのは、男子として悔しいし情けないとも思った。
そんな雪彦を誰も責めない。むしろ、仲間たちは優しくしてくれるし頼りにしてくれているとも感じている。
……ただひたすらに仲間の優しさに甘えていても、何の問題もない。失敗したとしてもきっとフォローしてくれる――それもわかっている。
それでも――
――どくん、
とクロエラの肉体の『中』で何かが蠢く。
心臓の鼓動ではない。ユニットには心臓はないのだから。
「う、うぅ……」
呻きながらクロエラが立ち上がろうとする。
本人の意識も朦朧としていて、自分が何をしようとしているのかを理解していないに違いない。
「行か……なきゃ……!」
うわごとのように呟きながら、クロエラは立ち上がり避難所の外へと向かおうとする。
その様子を見ているものは誰もいない。ピッピとキューも別の部屋へと移動した後だ。
それでも――雪彦は
姉妹たちにも、ありすたちにも、ラビにも甘えていられないと思った。
――僕は……強く、なる……!
『強くなりたい』という願望から『強くなる』という決意へ。
逃げ出したくなるような己の闇の中から、雪彦は悔し涙を流しながらも前へと進もうとする。
その意思と決意が、
「強く……なるんだ……」
まるで
彼女の覚醒した能力――それが今後の戦いにいかなる影響を及ぼすのか……それはまだ誰も知らない。
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