第8章71話 エル・メルヴィンへ

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 神殿内での休息から6時間後――


「おーっす……って、星見座ほしみくら早いな」

「おはよう、バン君。うん、ちょっと早めに起きたから」


 二階広間へと千夏が現れると、既に楓が起きて石化したピッピの前で地図を広げて何か考えていたようだ。

 寝てないのか、と疑う千夏が言葉を発する前に楓がそう言い訳する。

 ――実際、撫子を寝かしつけた後に少しは寝ているのだが、ほんの数時間程度なので睡眠不足と言えばその通りではある。

 千夏も半ばわかってはいたが、ここで言い合いをしても意味はないとそれ以上の言葉は飲み込む。


「時間は――あとどれくらいだっけ?」

「えっと、大体6時間くらいかな……」

「……そっか……」


 楓が見ている地図へと目を落とす。

 エル・アストラエア北西のエル・メルヴィンへは、地図上で見てもそこそこの距離がある。

 千夏の考えはわかっているのだろう、何も言わずとも楓が続ける。


「お姫ちゃんの《グレートロック》だと……妨害がなければ2~3時間ってところかな。……現地に向かうだけなら、だけど」


 渋い表情でそう楓は言う。

 現地に向かうだけなら――言葉通り、エル・メルヴィンに行くだけならばその程度の時間で済むだろう。

 ただし、何も考えずただ人質交換のために向かうのであればそれでいいのだが、無策のまま向かうつもりは全くない。

 なにせ交換材料となる『バランの鍵』は人質であるラビ自身が持っているのだ。目の前に馬鹿正直に姿を現しても交渉すら出来ないだろう。


「どうする? そろそろチビ共を起こすか?」

「う、ん……そうね……の相談もあるし、もう起こした方がいいかも」

「! ……ってことは、何かしら考え付いたってわけか」

「……あんまりいい作戦じゃないけどね……」

「わかった。ユキは俺が起こすから、ありんこたちを頼む」

「うん」


 楓は何か思いついたようだ。

 それがベストな作戦であるかはわからないが、他に何も思いつかない以上それに賭けるしかない。

 何にしても時間ギリギリまで寝かせてあげるわけにもいかない、と二人は年少者たちを起こしに部屋へと戻る。




 数分後――


「バン君、大変」


 全然大変そうに聞こえない口調で楓が千夏に告げる。


「な、なんだ? どうした?」


 女子部屋から撫子を抱えてでてきた楓だが、その後ろには起こしに行ったありすと桃香の姿はなく――

 千夏も事態を察した。


「……あーちゃんとお姫ちゃんが部屋にいない」




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 数時間前――

 部屋へと戻ったありすと桃香は、こっそりと相談していた。


 ――わたしたちだけで、ラビさんたちを助けに行く。


 どちらからともなくそういう話が出てきた。

 目の前でラビたちが攫われるのを阻止出来なかったことに責任を感じる桃香と、ドクター・フーに(一方的な)因縁があるありす――もちろんラビたちを助けに行きたいという気持ちは人一倍強い。

 椛が攫われた楓たちの気持ちもわかるものの、それでもありすと桃香は自分たちの気持ちが抑えられなかった。

 その辺りが理性のブレーキが強すぎる楓との違いではある。

 どちらが良いというわけではないが……。




「……上手く神殿は抜けられた……」

「ええ、楓お姉さまにも気づかれていないはずですわ」


 神殿から外に出るためには壁をブチ破るか二階の広間から一階へと降りるかのどちらかしかない。

 音を立てずに壁を破るのは難しいので、誰も広間にいなくなる隙を狙ってこっそりと抜け出したのだった。

 そのため碌に休息は取れていないが、気が昂って疲れも忘れている状態だ。

 神殿を抜けた後に変身、抜け出したことが気付かれないように急いでエル・アストラエアから離れていった。




 それからしばらく経ち、魔力回復のため変身を解き少しだけ休憩しているところである。

 二人は今エル・アストラエアから少し離れた荒野、そこに転がっているいい感じの岩陰に隠れて休んでいるところだった。


「えっと……それでありすさん」

「ん?」

「そのぅ……行先の方は大丈夫でしょうか……?」


 ほぼ勢いで飛び出して行ったため、向かうべき場所『エル・メルヴィン』の位置を正確に把握しているというわけではない。

 『エル・アストラエアの北西』ということしかわかっていない状態だ。


「んー、北西って言ってたし、トーカが方位磁石を召喚していけば……」

「な、なるほど。でしたら方位磁石はわたくしが召喚いたしますわ」

「ん、よろしく。で、そっちの方向には……姿を隠しながら進んでいく」

「見つかっては困りますからね」


 割とノープランであった。

 ただ、『相手に見つからないように』ということだけは気にしているようだ。

 となれば、エル・メルヴィンに辿り着いた後、ラビたちが捕まった場所を隠れながら探り、こっそりと救出して脱出――ということは考えているらしい。

 それが行き当たりばったりとは否めないレベルのものではあるが。


「みつけた。きんいろ――じゃなくてくろいのとぴんくいろの」

「ん!?」

「あ、あなたは……ブラン様!?」


 岩陰を覗き込む小柄な人柄――氷晶竜ブランの人間形態がそこにいた。


「連れ戻しにきたの……?」

「いや? おーさまにゆわれたから……」

「ノワール様に?」


 どうやらエル・アストラエアから出て行った二人を見つけて連れ戻そうとしているのではないようだ。

 ブランは小さく頷く。


「うん。ついていけって。

 …………めんどくさいけど」


 最後に小声で本音を漏らす。

 それはありすたちにも聞こえてはいたが、それは聞かなかったフリで受け流す。


「んー、そっか……ノワールにはバレてたか……」

「というより、予想して対策してたって感じでしょうかね……」


 おおよそ二人の予想通りだった。

 ノワールはありすたちが大人しく楓たちと行こうとすればそれで良し。

 だが、ありすたちの様子を見ていて先走りそうな雰囲気を感じ取っていたノワールは、ブランに密かに『エル・メルヴィンに向かおうと抜け出したら追いかけて行動を共にせよ』と命令しておいたのだ。

 普段ならば千夏もありすたちが先走ることを予想しそうなものではあったが……彼も大分疲れていて本当に頭が回らなかったのだろう。


「じゃあ、ブランも一緒に来る」

「そうですわね。わたくしたち、戻るつもりはありませんし」

「そのつもり…………ほんとにめんどくさいけど……」


 めんどくさいと口にするものの、ブランはノワールの命令を放棄するつもりはないらしい。

 昨夜の戦いの時に共闘したありすは、段々とブランの性格がわかってきた。

 扱いづらい面はあるが、やるべきことはちゃんとやってくれる……と思っていいだろう。

 手持ちのアイテム以外で回復が望めない二人にとって、ブランは頼れる戦力になってくれると言える。


「それじゃ、行く。ブラン、わたしたち乗せて」

「えー……」

「魔力の節約ですわね♡」

「しょーがないなー……」




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「……おめー、ありんこたちのこと予想してただろ?」

「う、うん……こうなるかもしれない、とはちょっと思ってた」


 神殿二階広間にて、千夏、楓、雪彦、撫子、マキナ、そしてノワールが集まっている。

 千夏の問いかけにバツが悪そうに楓は目を逸らしつつ肯定する。


「心配あるまい。ブランが着いていっておる。彼奴にはにさせておる」

「…………マジでお見通しだったのかよ……」


 朝方、楓は部屋に戻って撫子を寝かしつけた後、また部屋を出てノワールの元へと向かってあることをお願いしていた。

 それは、


 ――『あーちゃんたちが勝手にエル・メルヴィンに向かうかもしれない』

 ――『そうなったとしたら、

 ――『ただ、できればでいいんだけど……ノワールの方で着いて行ってあげられないかな?』

 ――『ノワールじゃなくてブランが着いてくれるの? なら、ブランにこうお願いして欲しいけど、いいかな?』

 ――『あーちゃんたちと合流したら、エル・メルヴィンに到着するまでの時間を私の言う通りに調整して欲しい』


 というものだった。

 楓は確かにありすたちがエル・メルヴィンへと勝手に向かうかもしれない、と予想はしていた。

 それを止めることはできないわけではないが、無理に止めてもありすたちの気持ちが収まることはないだろうし、何より本当に抜け出すのかわからないのに楓がずっと監視しているわけにもいかない。

 だから不眠不休で動いても大丈夫なノワールたちにお願いをしたのだ。


「まぁ本当にあーちゃんたちが抜け出すかどうかは、五分五分だったけどね。

 ――それでノワール、ブランは今どこら辺?」

「ふむ、地図の……この辺りじゃな」


 ノワールにはブランの現在位置がわかるようだ。

 地図上のある一点を指す。

 エル・メルヴィンのほぼ南、エル・アストラエアから西よりの北西へと進んで行ったあたりだ。針路が逸れているため、エル・メルヴィンに到着するにはもう少し時間がかかるだろう。

 おおよそ自分の想定通りだ、と薄く笑みを浮かべる楓。


「ありがとう、程よい位置だと思う。

 それじゃ、これから作戦会議を始める――あ。綾鳥さん、申し訳ないけど遠隔通話でやるからちょっと待っててください。雪彦と撫子も一応参加してね」


 ありすたちの行動を読んでいただけあって、楓の行動は素早かった。

 短時間とはいえ睡眠をとったことで頭もすっきりとしているということもある。

 事前に数パターン作戦を考えていた。もちろん、その中にはありすたちの行動を織り込み済みのものもある。


「さすが、学年一の天才だな」

「揶揄わないで」


 半ば本気で感嘆の声を上げる千夏だったが、楓はあくまでクールに返す。椛だったら『照れるにゃ~♡』とでも言っただろうな……と一瞬だけ千夏も楓も思ってしまう。

 ともかく、のんびりしている時間があまりないのは確かだ。

 こほん、と(遠隔通話には不要だが)咳払いをしてから楓が仲間全体に対しての遠隔通話を開始する。


『あーちゃん、お姫ちゃん』

『……ふ、ふー姉……』

『か、楓お姉さま……』


 流石に遠隔通話を拒否することはなかった(通話拒否機能はそもそもないが)、ありすと桃香もちゃんと返事を返して来る。

 ――同時に、『仲間全体』を対象としているにも関わらず、ラビと椛からの反応がないことにも気付いた。理由はわからないが、とにかく二人が無事なのはわかっているので今は放置しておく他はない。


『今、話しても大丈夫?』

『ん、んー……』

『えっと、少しお待ちくださいませ。適当な岩陰にでも隠れますので……』

『わかった』


 待つこと数十秒。


『お待たせ……』

『あーちゃん、お姫ちゃん』


 移動しながらだと話しづらい、と思ったのだろう。物陰に隠れてから通話を再開する。

 楓の静かな言葉に『圧』を感じたのだろう、遠隔通話ごしであっても二人が委縮しているのが伝わってくる。


『『ご、ごめんなさい……』』


 同様に『圧』を感じた千夏たちも言葉を挟めず数秒――ありすと桃香が揃って謝罪の言葉を述べる。


『うん。二人の気持ちもわかる……けど、やっぱり相談はして欲しかったかな』

『……本当にごめんなさい……』


 楓も双子の妹を攫われた立場だ。ありすたち同様にすぐさま駆け出したい気持ちだったろう。

 それを察したこと、それとここまでの道行で頭も大分冷えてきたことで、ありすたちも冷静になってきていた。


『……あの、楓お姉さま、そのぅ……わたくしたち、一度戻った方がよろしいでしょうか……?』


 折角ここまで来たのに、という思いはあるが、下手に自分たちが先走ってラビたちの救出がより難しくなるという可能性に思い至った。


『ううん、それは大丈夫。むしろ、二人が先行してくれているのはある意味で助かるかもしれない』

『……そうなの?』

『うん。結果的に、だけどね。本当はバン君にお願いしようと思ってたことなんだけど……あーちゃんたちにそれは任せる』

『ん? なつ兄にお願いしようとしたこと?』

『これから詳しく説明する。あ、それとアイテムはまだ大丈夫? 足りなさそうなら、補充しよう。タイミングはこっちと合わせて』

『わかりましたわ』




 ――その後、パッパッと素早く各人に行うべきことを指示していく楓。

 有無を言わさぬ勢い、というのもあるが内容は的確であったため特に反論は出なかった。

 ラビと椛の人質交換まで残り5時間程度、『その時』は刻一刻と近づいていく……。

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