第8章59話 アニキラシオン 4. "マスター・オブ・パペッツ"オルゴールvs"グレートウォール"ボタン

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 オルゴールには『役割』がある。

 彼女がラビたちに語った『天空遺跡』に来た理由は半分は本当だが、もう半分は嘘である。


 ――本当ナラ、こんなことをする必要もないのデスガ……。


 投げ飛ばしたボタンを追いかけながらオルゴールは思う。

 そう、本当ならば彼女はアビサル・レギオンと戦う必要などない。

 彼女に与えられた『役割』を考えるならば、ラビたちと接触する必要さえもなく、隠れてやり過ごすというのが一番賢いやり方であったろう。

 この『エル・アストラエア』の戦いにしても、ラビに『戦いたくない』と訴えれば『わかった』とあっさり承諾してくれたこともわかっている。

 だがそれでも、オルゴールは共に戦うことを決めた。

 しかしその理由は義憤にかられたからでも義侠心からでもない。


 ――アア……あのルールームゥとかいうピースが、……。


 ……ある意味、オルゴール――綾鳥マキナという少女は『病んで』いた。

 それは治療が必要なほどのものではないし、日常生活において他人に危害を加えるほどのものでもない。

 ある程度は彼女自身も自分の性質を自覚していたし抑えることも出来る。

 だが――


 ――ルールームゥ……妬ましイ……ジュリエッタの心を独り占めにしてイル……。


 先程のジュリエッタとの会話でオルゴールがより強く感じたのは、『頼られたことの喜び』ではなく『ルールームゥへの激しい嫉妬』だった。

 ジュリエッタはオルゴールを見ていない。ボタンも見ていない。ただひたすらにルールームゥだけを見ていた。

 ……それはもちろん特別な感情があったからでもなく、この場にいる一番の脅威がそうだったから目を離せない、というだけのことではあったのだが……。


 ――早ク……戻らないト……。


 密やかなる狂気を秘めたオルゴールは、己の使い魔に課せられた『役割』よりも優先すべきことを見つけてしまった。

 それこそが、彼女がアビサル・レギオンと戦う理由だったのだ……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「デハ、ここでアナタを倒させていただきマス」

「ぐぬぬ……!」


 一度だけではなく何度もボタンを投げ飛ばしてジュリエッタたちから十分な距離を取った。

 ここからボタンが隙をついてルールームゥの元へ向かおうとしても、余裕でオルゴールが対処できる程度の距離はある。


 ――この子の糸……斬れない……!


 足首に巻き付いた糸に向けて、プロテクションでの切断を試みたが失敗に終わった。

 これがミオの【遮断者シャッター】であれば流石に糸は斬れたであろうが、そのことはボタンの知ることではない。

 三角錐にした壁であっても、糸を斬ることはできない。

 なぜならば、オルゴールの糸は一本ではなく三本――三本の細い糸を三つ編みのようにして一本に見せかけたものだったのだ。

 鋭い錐のような先端も、三つ編みの隙間に入り込んでしまい糸そのものを傷つけることは出来ない。


 ――くっ……この子も意外と面倒な相手だ……!


 糸による支援や防御、妨害がメインの、ある意味でボタンと似た『仲間の援護』が得意なタイプだとは思っていた。

 援護型同士がぶつかり合う、という普通ならありえない戦いになると互いに決め手がなく戦いが長引いてしまうだろう。


「むー、こっちもやることが色々あるし、あなたを倒さなきゃね」

「……アナタには無理デス」

「むっ!」


 ボタンの魔法が実は攻撃に転用できることはバレていると思っていいだろう――先程の攻防からそれが推察できないような相手であれば恐れるに足らない。

 バレているにも関わらず、オルゴールはボタンに確実に勝てる。そう思っているのがわかる。

 ただ、反対にオルゴールの攻撃ではボタンの防御を突破することは難しいはずなのだ。

 気付かれないように糸を巻き付けられるという失態を先程は犯してしまったが、同じ失態は犯さない。

 投げ飛ばされている間も、新しい糸が巻き付こうとしていたがそれらは全てプロテクションで防ぎきっていた。


「無理かどうか……試してごらん!」


 本当にボタンの攻撃能力を理解していないか、あるいは過小評価しているか。

 どちらにしてもボタンのやることに変わりはない。

 オルゴールを倒し、あるいは振り切ってルールームゥと合流する。それだけだ。


「プロテクション《モーニングスター》!」


 ボタンが魔法で作り出したのは明けの明星モーニングスター――無数の棘を持つ球体状のバリアであった。

 糸の切断は困難。であれば、打撃力で直接オルゴール本体に攻撃を仕掛けるしかない。


「……ウィーヴィング《シュラウド》」


 対するオルゴールはルールームゥの砲弾すら防ぎきった暗幕であっさりと《モーニングスター》を包み込んでしまう。


「ヤハリ、無理デス」

「ふふふ……本当にそうかな?」


 《モーニングスター》は止められた時点でもう消している。

 魔力を無駄に使ったようにしか思えないが――あるいはオルゴールに魔法を使わせて魔力消費させようという狙いがあるのか。

 それとも、ここで時間を稼いでルールームゥがジュリエッタに勝つのを待っているのかもしれない。

 いずれにしても時間をあまりかけられないしかけるつもりもない。


「ウィーヴィング――《巨人の右篭手ガントレット》、《巨神の左篭手ヴァンヴレイス》」


 左右二つ、巨大な『拳』を象った糸人形を作り出す。

 二つの拳を操って相手を一方的に叩きのめす――それがオルゴールの戦術であった。


「二つかー……


 対してボタンの方も謎の余裕を崩さない。

 確かにプロテクションによる防御であれば巨人の拳も防ぐことは可能ではあるが……。

 ボタンの余裕の理由を考えることもなく、オルゴールは両拳をスレッドアーツで操り乱打を浴びせかけようとする。


「プロテクション《ミューカス》」


 ボタンは手に持った傘を楯のように掲げると、傘に対して魔法を使用する。

 すると傘部分がドロリとした『粘液』状に変化、更にボタンを覆い隠すように大きく広がる。


「……ム!?」


 構わず拳を叩きつけたオルゴールであったが、傘に触れた途端に拳が動かせなくなったことに気付く。

 粘液の楯――それが糸で出来た拳を絡めとってしまったのだ。

 普通の糸とは異なるとは言え、やはり糸は糸だ。粘液を強引に突破するのには向いていない。

 しかも粘液で固められてしまった糸は解くことも出来なくなってしまっている。


「させませんよ! プロテクション《ファン》!」


 拳状の糸を早々に諦め、次の糸を出して動きを封じようとするオルゴールだったが、ボタンはすぐさま別のプロテクションを使用する。

 同時に異なる壁は出せない――と思いきや、どうやら霊装に掛ける魔法と合わせて2種類までは同時に使うことができるようだ。

 出した壁は大きなファン……換気扇や扇風機のファンであった。

 そのファンが高速で回転――自分に迫ろうとしていた糸を巻き込み、絡めとる。


「ふふっ、やっぱりね」


 最初に投げ飛ばされた時のことは忘れていない。

 敢えてわかりやすく糸で作った編物を見せつつ、本命は隠して伸ばした糸で直接ボタンの動きを封じようとするものだったのだ。

 それを読んだボタンは、自分の周囲一帯をファンで巻き込んで糸を全て絡めとって防御しようとしたのである。

 糸を絡めとった後もファンは回転を続ける。


「くっ……」


 そのままだとオルゴール本体まで引っ張られてしまいかねない。

 伸ばした糸を消し、巻き込まれるのを避けようとしたオルゴールであったが、そこまでがボタンの読み通りであった。


「プロテクション《リジェクト》!」


 オルゴールが拳を含めて糸を切り離して逃げようとした瞬間、ボタンは2つの壁両方に拒絶リジェクトをかける。

 糸を全て吹き飛ばしつつ、今度はボタン自らが前へと出てオルゴールとの距離を詰めようとする。

 これは完全にオルゴールの想定外であったろう。

 ボタンの本領は『防御』――攻撃に転用できるとは言っても積極的に前に出て戦うのには向いていないはず。


「プロテクション《プレス》!」

「!? ――ガッ!?」


 しかし近づいてくるのであれば好都合、と糸を伸ばそうとしたオルゴールを激しい衝撃が襲う。

 それだけではない。オルゴールの身体が弾き飛ばされ、背後の建物の壁へと押し付けられてしまう。

 プレス――ボタンの持つ魔法の中でも少々特殊な、『相手を拘束する壁』であった。

 『その場に壁を出す』のではなく、『移動し続ける壁を出す』のである。しかも、その壁はちょっとやそっとでは破壊できない硬さを持っている。


「ぐ、ウゥ……!?」


 まともにプレスを浴びてしまったオルゴールは身動きを取ることも出来ず、はりつけにされてしまったようなものだ。


「おっと、指先だけ動かしてなんとかしようとしても無駄ですからねー! プロテクション《アイアンメイデン》!」


 押さえつけられていても何とか糸を出すことは出来る。

 それを見抜いたボタンはプレスを変化――オルゴールの全身を包み込むように壁を生成しなおす。

 名高い拷問器具――鋼の乙女アイアンメイデンのように『棘』こそないものの、人間であれば間違いなく窒息するであろう完全な拘束である。

 糸を出したところでアイアンメイデンの『外』へと伸ばすことも出来ない、完全な密閉空間へとオルゴールは閉じ込められてしまう。


「ふふふっ……このままじわじわと絞め殺す、っていうほど余裕もないんで――プロテクション《ピックハンマー》」


 拘束を緩めず、今度は和傘霊装へと魔法を掛け――先端の鋭く尖ったピック状のハンマーへと変える。


「壁に包み込まれているから攻撃できない、なんてことないんですよ? あたしの魔法同士なら普通にすり抜けできますからねー?」

「……ッ!!」


 魔法によってはたとえ自分のものであっても貫通することが出来ないものもあるが、ボタンの魔法はそうではないようだ。

 ――防御が得意と思わせつつ攻撃も出来る。そして攻撃はいざという時の自衛手段と思わせつつ、実のところ積極的に攻撃することも出来る。

 それがボタンの正体であった。


「ルゥちゃんや他の子のお手伝いもしなきゃいけないんで――さよならっ!」


 そのままボタンは躊躇うこともなく、動けないオルゴールへとピックを突き立てようとし――




「――えっ!?」


 ピックを持つ腕を背後から掴まれ押し留められる。

 背後には誰もいなかったはず――探知系能力は一切持っていなくてもその程度はわかる。

 だが、確かに背後から伸びた腕がボタンの腕を掴んでいるのだ。


「う、うそっ!?」

「……残念デシタね」


 そこにいたのは、拘束されているはずのオルゴールであった。

 アイアンメイデンの中にもオルゴールは確かにいる。

 だというのに、なぜここにもう一人いるのか、ボタンは訳が分からず混乱するも――


「そ、そんなわけないっ!?」


 そのままでいるわけにもいかず、オルゴールの腕を振り払い振り返る。

 確かにオルゴールはそこにいた――ただし……。


「!? な、な……!?」


 背後にいたオルゴールは

 ウィーヴィング《糸人形パペット》――糸で見た目そっくりの『人形』を作る魔法、それを幾つも作ったものである。


 ――全部動いている!?


 合計五体のオルゴール人形は、全てが本物のように動き、ボタンへと迫ってくる。


「スレッドアーツ――《マスター・オブ・パペッツ》」「散らばっタ糸自体を始末できナイ時点で」「貴女には勝ち目ハありませんでシタね」

「くっ……!?」


 全ての人形がまるで本物のように動き、言葉を話している。

 とても信じられない魔法ではあるが、それこそが『技巧アーツ』系列――レアスキルの性能なのだ。


「プロテクション《リジェクト》!!」


 五体もの人形に襲われたらひとたまりもない。

 ピックを解除、リジェクトでまとめて吹き飛ばして距離を取ろうとする。

 狙いはアイアンメイデンで捕らえた『本体』にとどめを刺す――それしか勝ち目はない、とわかっているのだ。


「《アイアンメイデン》……そいつを潰せぇっ!!」


 一度使った魔法に対して新しい動きをさせるのは不可能ではない――アリスのような特殊なケースもあるが――が負荷がかかる。

 それでも不可能ではない。

 アイアンメイデンを収縮させ、内部に閉じ込めたオルゴールを強引に潰そうとした。

 ……が、


「ステッチ――《バリアシオン》」


 声は閉じ込められているオルゴールから聞こえてきた。

 すると、オルゴールの全身の至るところに複雑な『文様』が浮かび上がる。


「そ、そんな……!?」


 オルゴールを捕えているアイアンメイデンに『亀裂』が入る。

 ――ボタンのプロテクションは何度も触れたように『絶対防御』の魔法ではない。

 魔法の強度を超えるパワーであれば強引に破ることも可能だ。

 その『パワー』を、閉じ込められたはずのオルゴールが発揮しているのだ。


 ――パキン、


 と意外にもあっさりとした乾いた音を立ててアイアンメイデンが砕け散った。


「……うそでしょ……あ、あたしのプロテクションを……」


 破れないわけではないが、普通は破ることなど出来ないはずだった。

 そうでなければ『防御魔法』としてなりたたない。

 だというのに、オルゴールは自力で破ってみせたのだ――それも、どう見てもパワー型ではないユニットだというのに。




 その秘密はオルゴールの第三の魔法――刺繍魔法ステッチにある。

 本来であればウィーヴィングで作った編物に対して、刺繍によって異なる効果を付与するというだけの魔法だ。

 それをオルゴールは施し、通常ではありえないパワーアップを遂げたということになる。

 肉体強化ではない。

 全身に張り巡らせた刺繍の糸によって、自らの肉体そのものを『操り人形』として繰り、本来なら出来ない『無茶』をさせたのだった。

 ただし、そのような真似をしてオルゴール自身に負荷がかからないというわけではない。

 無理矢理限界を超えたパワーを絞り出した肉体は大きく傷つき、ダメージを受けていないわけではないのだ。


「ふ、うふ、うふふふ……」


 オルゴールのダメージを見てボタンもそれを悟る。

 すなわち――ボタンの魔法が通じないわけではない、ということに。

 《アイアンメイデン》を掛け続ければオルゴールは遠からず自滅するようなものだろう。

 しかし弾き飛ばした糸人形もすぐに集まってくる。何よりも素直に《アイアンメイデン》をもう一度食らってくれるとも思えない。

 そうなれば、ボタンに取れる手段は一つだった。


「プロテクション《スカイフォール》!!」


 自身を中心とした全方位に向けて、『上から下』へと押し潰す巨大な『蓋』状のプロテクションを生成する。

 糸人形ごとまとめて潰してしまえばよい。シンプルな結論であった。

 だが――ボタンの魔法は発動することはなかった。


「がっ……ぐ、ぇ!?」


 ボタンが苦痛の悲鳴を上げると共に、その身体が宙に持ち上げられる。


 ――なに……!? 苦しい……! く、首が……!?


 魔法の発声が完了する直前、突如ボタンの首が絞められてしまったのだ。

 その上足がつかないようにと吊り上げられてしまっている。


「か、かはっ……!?」


 ――散々注意していたはずだった。オルゴールの見えない糸には。

 だというのに、いつの間にか糸が首に掛けられており、『首吊り』をさせられているのだ。


「……」


 首にかけられた糸を外そうと爪をたててもがき苦しむボタンの様子を、少し離れた位置でオルゴールと糸人形たちが取り囲んでじっと見ている。


 ――あ、あたしが苦しんで死ぬのを待ってる……!?


 近寄ってとどめを刺さないのはプロテクションによる反撃を恐れている……だけではない。

 まるでピンを刺した虫がもがいて死ぬまでを観察するかのような――血の通った人間が中身とは思えないものを、オルゴールからボタンは感じ取った。


「あっ、ぐぁ……!」


 

 もちろんアビサル・レギオン自体が真っ当な存在ではないことは自覚している。

 だが、それ以上にこのオルゴールというユニットはおかしい。


「プロ、テク……ション…………《ニードル・インジェクション》……!」


 オルゴールはここで始末しておかなければならない。

 ボタン視点ではオルゴールもユニットなので倒したところでリスポーンしてくるとは思っている――実際には使い魔不在なのでリスポーンできないのだが――が、数分間は身動き取れなくなるのは確実だし、何よりもリスポーン回数がかさめばジェムが尽きて復活できなくなることもありうる。

 長期的に見てラビ側のユニットはリスポーンさせ続けるのが、アビサル・レギオン側にとっては有効なのだ。

 意識が失われるギリギリのところでボタンが最期にプロテクションで作ったのは、敵の攻撃を防ぐことなど到底無理なほど小さい『針』――

 それが、じっとボタンを観察しているオルゴールの胸に突き刺さる。


「……?」

「あん、だ、も……道連れ……だ……!!」


 小さな針に刺されたくらいでは大した痛みも感じず、何をやろうとしているのかわからなかったオルゴールであったが……。


 ――パンッ!!


 と、小気味よく弾ける音と共に、オルゴールの胸から上が爆発四散した。

 《ニードル・インジェクション》――『針と注入』、変則的ではあるが要するに『注射針』である。

 小さな針が相手に突き刺さり、そこから破壊不能のプロテクションを注入して内部から破裂させる。

 必殺ではあるが残虐すぎてボタンが使うのを躊躇っていた『奥の手』だ。


「がっ……ぐぇ……」


 オルゴールが倒れると共に糸は緩むが――それとほぼ同時にボタンは完全に意識を失い、そしてその身体が光の粒子となり消えていった。




 ――オルゴールとボタンの戦いは、互いに壮絶な『死』を迎える引き分けに終わったのだった……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「……フム、最後の攻撃ハ危険でシタね」


 辛うじて残っていた建物の陰から現れそう呟いたのは、であった。


「《マスター・オブ・パペッツ》解除――糸ヨ、戻レ」


 オルゴールが魔法を解除すると、ボタンを取り囲んでいた糸人形――そしてが解け、糸に戻り彼女の両手のグローブへと戻ってゆく。




 全てはオルゴールの掌の上だった。

 最初から最後まで、ボタンは気付くことはなかった。

 気付けるためのヒントは幾つかあったが、気付けなかったのだ。




 オルゴールはボタンを追いかけて行く際に、糸人形を使っていたのだ。

 つまり、ボタンが『オルゴール本体』と信じていたのは糸人形――相打ちで倒したのももちろん糸人形である。

 《アイアンメイデン》を力尽くで破壊する、などという強化魔法を使ってでさえ尚肉体に激しい負荷がかかることが出来たのも、本体ではなく糸人形だったから。

 そしてもしボタンの最期の攻撃がオルゴール本体を倒せたのだとしたら、首を吊るための糸もその時点で消えて、相打ちではなくボタンの勝利で終わったはずだった――なのに糸が消えなかったのは、オルゴール本体は無事だったから。

 戦いながら何度もボタンの不意をついて糸を張り巡らせていたのも、オルゴール本体は横から俯瞰して見ていたから。

 ついでに付け加えるならば、ボタンが思っていたような残虐な理由で糸人形は待機していたのではない。

 手早く決着をつけるなら『糸』を『ワイヤー』などにして『切断』攻撃を行えば良かったのだが、残念なことにオルゴールの糸は太さを変えることはできても性質を変えることは出来ない。

 故に、プロテクションという防御魔法を持つボタンを打撃で倒すのは無理と判断し、首を絞めての窒息――ユニットにもピースにもそういう概念は本来はないが――を狙ったのだ。

 窒息するまでの間の反撃を恐れたため、迂闊に近寄らず、そして何かあっても対処可能なように周囲を取り囲んで様子をみていただけの話なのである。

 実際にボタンは最後の攻撃で糸人形を一撃で破壊してみせたのだから、オルゴールの判断は間違っていなかったと言えるだろう。


「サテ……ジュリエッタの方へ戻りまショウか……アチラも直に決着が着きそうデスガ」


 オルゴールはジュリエッタの元へと『糸』を残している。

 ジュリエッタの援護や敵の妨害をするほどの強度は持っていないが、周囲の『音』を拾うことくらいは可能だ。『糸電話』の逆バージョンと言える魔法を使っている。ちなみに糸人形がボタンと会話していたのは、『糸電話』の魔法も併用していたためである。

 ここまででも相当な数の魔法を使い続けているものの、オルゴールにはまだ魔力の余裕があるのかアイテムで回復させる様子は見えない。


 ――他の戦場も気になりマスが……マズはジュリエッタですネ……。


 ルールームゥが、故に憎らしいというのは理由の一つだ。

 ボタンがいなくなった以上、妖蟲の妨害はありえるとはいえほぼ気にするようなものではない。

 他のメンバーがどこで誰と戦っているかの全てを把握しているわけではないが、おそらくはルールームゥが今攻めてきているアビサル・レギオンの中では一番危険な相手である、というのがオルゴールの見立てである。

 ……『天空遺跡』にはいたクリアドーラやエクレール、ヒルダといったメンバーの姿は今のところ見当たらない。

 『エル・アストラエア』には攻めて来ていないのか、だとしたらやってこないのか――その理由はオルゴールにはわからない。

 来たら来たで対応するだけだ。今は、見えている脅威を順に片づけていく方がいいだろう、と判断する。

 そのような判断の元に、オルゴールはジュリエッタの元へと戻ろうとする。

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