第8章52話 廻り、巡り、繰り返す
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
神樹都市『エル・アストラエア』は、
規格外の巨大さを誇る神樹が天井となり、そして神樹の魔力によって『邪悪な存在』を寄せ付けぬ結界に守られている。
天を覆うとはいっても、不思議なことに暗くない。
これは神樹が降り注ぐ太陽の光を遮ってしまっているものの、神樹自身が替わりとなる光を放っているためだ。
枝に生った幾つもの大きな『実』が昼には太陽のような光を放ち、夜間には淡い緑の光で都市全体を照らしている。
……『ラグナ・ジン・バラン』による侵攻さえなければ、非常に穏やかで暮らしやすい都市だったはずだろう。
そんな都市の一角――『アストラエア神殿』のある区画の外れに、少し大きめの公園がある。
公園と言っても、日本の公園のような遊具があるわけでもなく、自由に遊べる『広場』と言った方が正確だろうか。
その広場の中心に子供たちの集団がいた。
「ふんぐがががが!」
「んー!!」
お互い抱き合うような姿勢で男女の子供が組み合っている。
片方はありす――異世界からの来訪者。
もう片方は小さな角に翼、短い尻尾の生えた色黒の少年――ありすたちに最初に声を掛けた少年『トッタ』。
もちろん、本当に抱き合っているわけではない。
互いの手は相手の腰――ズボンのベルトをがっちりと掴んでいる。
「うおー! トッター! 負けるんじゃねーぞー!」
「ありすさん! もう少しですわー!」
周囲の声援に応える余裕は両者ともにない。
彼女たちが何をしているのかと問われると、『遊んでいる』としか言いようがない。
日本で言う『相撲』が近いだろうか?
小さく円形の陣地を作り、その中で二人が戦い、リングから一歩でも出るか地面に足以外がつくかした方が負けという、シンプルなルールである。
本物の相撲と異なる点としては、
そのリングの大きさ故もあるがスタート時点でがっぷりと組んだ状態で始まるということ。
後は、相撲ならありである突っ張り等――すなわち相手を『殴る』ような行為は反則であるということ。
もちろん蹴りや噛みつきなどもご法度である。
非常にシンプルな『力比べ』と言えよう。
「んー……! んんー!!」
「う、うわっ……!?」
顔を真っ赤にして力を込めたありすが、じりじりとトッタを押し込む。
こちらも必死になって踏ん張るトッタであったが――
「ち、ちくしょー!」
ただ押すだけでなく少し上向き、要するに『吊る』ようにしながら押していたありすがついにトッタをリングの外へと押し出した。
子供たちの歓声が響き渡る。
「きゃああああああ! ありすさーん!!」
「うおおおおおおお! あーりーすー!」
「あーりーす!」
……別に地元民だからといってトッタに何がなんでも勝って欲しいというわけではないのだろう。
桃香の(半分くらい悲鳴に近い)歓声につられ、勝者を称える謎のありすコールが沸き起こる。
「……んふー」
ありすの方も満更ではなさそうだ。
「はー、くっそー。やっぱ、そんなんでも『英雄』なんだなー。まさかこのトッタ様が負けるとは……」
「ん、トッタも強かった」
互いに健闘をたたえ合い、熱く握手をかわすありすとトッタ。
「くくく……トッタがやられたか」
「しかしヤツは我ら『アストラエア親衛隊』の中では最弱……」
「異世界の英雄に負けるとは親衛隊の面汚しよ……」
「んー、さすがに疲れたから、次はトーカお願い」
「ふぇっ!? わ、わたくしですか!?」
「くくく……よかろう。親衛隊筆頭のこのベティスが貴様を血祭にあげてくれるわ!」
「おいちょっと待て誰が最弱だコラ」
「トーカがんばれー」
「ひぎゃああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
……と白熱する相撲大会の横で、
「全くもう……女の子相手にムキになっちゃって」
呆れたように呟く少女レレイ。彼女はトッタ少年と共に最初にありすたちに声を掛けた子である。
彼女たちは相撲には加わらず、年少者たちともう少し大人しく遊んでいる。
「う、ま、まぁ……トッタ君たちの気持ちはわかるけど……」
雪彦も相撲組ではなく女の子組の方にいる。
……ありすと桃香は、ここに来るなり半強制的に相撲組にされていた。桃香はともかくありすは午前の続きだ、とばかりに乗り気ではあったが。
「アリスちゃんとトウカちゃんもこっちに来ればいいのにねー」
「ねー?」
レレイを始めとした女子・年少組は相撲には全く興味がないらしい。
人間の年齢にして10歳児と同じ程度のレレイなら、ギリギリ男子と取っ組み合いをしないとも限らないが。
「……こっちは厳しいんじゃないかなぁ……特に桜さんは……」
大人しく、と言っても遊んでいないわけではない。
雪彦たちがやっているのはこの世界ではメジャーなテーブルゲームの一種である。
将棋とチェスが合わさったような、カードゲームほどではないがそこそこ複雑なルールのゲームである。
……そこで桃香には厳しいんじゃないかと思ってしまうあたり、雪彦は素直である。
とはいえ、実際には年少者も参加することが出来る程度だ。いざやってみれば覚えるのも早いとは思われる。
「ね、ねぇそういえばさ、朝のお兄ちゃんは来ないの……?」
「え? ああ、千夏兄ちゃんのことね。う、うん……午後は別の用事があるって」
「そっかぁ……」
露骨にがっかりとした態度のレレイ。
彼女は午前中はありすやトッタたちと共に遊んでいたのだが、自分たちに代わって幼児の面倒を見ていた千夏のことが気になっているようだ。
この場に千夏がついてきてくれなかったことを残念に思っているのは雪彦も同様である。
向こうは向こうで今後のことについて話すのだから、無理を言ってこちらについてきてもらうのは悪いだろう――そう雪彦は考えていた。
もっとも、ついてきて欲しいとお願いすれば千夏は来てくれたであろうが……。
「英雄って言っても、私たちと同じくらいの子供ばかりだと思ってたから意外だったな」
「千夏兄ちゃんだけじゃなくて、僕の姉ちゃんたちもいるよ……」
「……何だか女の子ばっかりなのねぇ」
言われてみれば確かにそうだが、それを言われたところで雪彦にはどうすることもできない。
曖昧な笑みで濁すしかなかった。
「そ、そういえばさ、レレイさんって、トッタ君の妹なの?」
「違うわよ? 私が姉でトッタが弟。ま、双子なんだけどね」
「そうだったんだ……僕の姉ちゃんも双子だよ。両方とも女だけど……」
互いに駒を進めながら姉弟トークをする二人。
幼児たちはその横で、ついてきたキューと一緒に仲良く遊んでいる。
「……平和だねぇ……」
「……そう、ね……『ラグナ・ジン・バラン』さえいなければ……」
「……ごめん」
余りにも普通の日常風景すぎて忘れそうになってしまうが、この都市――いや世界は恐るべき侵略者の脅威に晒されているのだ。
「ううん、私たちも直接『ラグナ・ジン・バラン』って見たことないくらいだし……『エル・アストラエア』の外に出てみたいなぁって思うくらい」
「そっか……」
この世界に『ラグナ・ジン・バラン』が出現してから200年ほどが経過している。
かつての
レレイらが生まれた時には既に人々は神樹都市に閉じこもって住んでおり、自由に外の世界を歩いたことはないのだ。
――僕たちが頑張ってマサクルたちを倒せば、レレイさんたちも自由に、本当に平和に暮らせるようになる……。
言葉ではわかっていたつもりだったが、雪彦にはまだ実感が足りていなかった。
マサクルたちを倒し、『ラグナ・ジン・バラン』の脅威をこの世界から取り除くことが出来たならば、神樹都市しかしらない子供たちも外の世界を知り自由に生きていくことが出来る――
『被保護者』という意味での不自由こそあるものの、この世界に比べれば圧倒的に自由で平和な世界を生きる雪彦は、改めて自分たちがすべきことを認識するのであった。
「……スバルちゃん、あなたも英雄だっていうけど……無茶はしないでね?」
「え!? う、うん……」
本当に心配そうな表情でレレイは雪彦に詰め寄り、ぎゅっと手を握る。
瞬間、雪彦の顔が紅潮し自分でもわかるほど心臓がバクバクとなり出す。
――雪彦は女きょうだいに囲まれて暮らしており、女性の中に一人放り出されているのがいつもの状態ではあるが、別にだからと言って女性に慣れているというわけではない。
流石に姉と妹には何とも思うことはないが、家族以外の女子に手を握られればそれなりにドキドキする程度には男の子なのである。
「きゅっ!」
「……あ、バレた……」
と、そこで子供たちに構われていたキューがレレイをぺしぺしと叩く。
「…………酷いや、レレイさん……」
雪彦も気付く。
レレイは雪彦の注意を惹いている間に、尻尾を使って駒の配置をこっそりと自分に有利なように変えていたのだ。
ふふっ、と悪戯っぽく笑うレレイ。
「『アストラエア親衛隊』のリーダーとしては、負けられないんだよねー」
「あ、その設定、君もなんだ……」
アストラエアの闇は深い。
――まぁ、ピッピが慕われてるっていうのは……悪い気はしないけどさ……。
元自分の使い魔であり、今は『エル・アストラエア』を代表する巫女であるピッピだが、現地の子供にも好かれているのはわかる。
それ自体は悪い気はしない雪彦であった。
「ぎゃー!?」
「よし、
「ふー……よかろう、我が腕の中でもだえるがよい……」
相撲組の方は何やら大ボスと化したありすに対し、親衛隊が挑むという形になっているようだ。
「きゅい~……」
「あー、桜さん大丈夫かな……?」
そうは言いつつ、親衛隊リーダーとの戦いを行っている雪彦は駆けつけない。
心配された桃香だが、ありすが出ると聞いてすぐさま復帰。
「ありすさーん! 仇を取ってくださいましー!」
と声援を送っているので大丈夫そうだ、と雪彦は放置することにした。
「うーん、でもアリスちゃんもすごいねー。英雄っていうのも納得かな」
「……本人にその気はないだろうけどねぇ……」
果たしてありすがどう思っているのか、雪彦には本当のところはわからない。
ただ一つ気にかかっていることはある。
――恋墨さん……
ジュウベェとの最終決戦のことを雪彦は
あまりにも異常で異様で信じがたい出来事だったのと、姉たちにありすに対して余計な疑念や警戒を抱かせないために覚えていないフリをしていたのだが――結局のところありす本人も『覚えていない』らしいので要らぬ心配であったかもしれない、と雪彦は考えていた。
だが、それでもジュウベェを絶望的な状況から打ち破ったのは紛れもなくありすであり、それだけの力を持っていることは疑いようがない。
そして話に聞いた限り、クリアドーラがいくら強いとは言っても、チートによる不死身や即時復帰、異常なステータス上昇に他者の魔法さえも使ってくるジュウベェより強いとは雪彦にも思えなかった。
だから本気を出していない――本気の出し方を『覚えていない』のではないかと思うのだ。
だというのに、雪彦からはありすは焦っているように全く見えない。今もトッタたちと元気よく――少なくとも学校で雪彦が普段目にするありす同様――遊んでいるようにしか見えない。表情だけはいつも通りのぼんやり顔のままなので楽しんでいるのかどうかはよくわからないが。
――……いや、そんなの僕が心配するのも烏滸がましいか……。
――もし恋墨さんが本気を出せないんだとしても、その時は今度こそ僕が恋墨さんを――皆を助けられるようになればいいんだ……!
――今度こそ、足手まといにはならない……!
「おーい、レレイたちもこっち混ざろうぜ!」
「えー? いやよー、小さな子もいるのに」
「大丈夫だって! アリスが皆で遊べるもの教えてくれたからさ!」
「……もー、しょうがないわねぇ。スバルちゃん、決着はまた今度ね」
「あ、う、うん……」
物思いにふけりつつもレレイとのゲームは一進一退の攻防を繰り広げていた。
小さな子たちもルールだけはある程度知っていたのだろう、どちらが勝つかわからない盤面をいつの間にかかぶりつきで見ていたが、中断されると知って残念そうに声をあげている。
――うーん、このゲーム……結構面白かったなぁ。姉ちゃんたちにも教えてあげよう。
楓たちならばあっという間にルールどころか定石まで覚えて、雪彦では手も足も出ないくらいにまで強くなるだろうが、将棋等も結構好きなため喜んでくれるだろう、と思う。
……なんだかんだで雪彦はかなりのシスコンなのだ。
「スバルちゃん、行こっか」
「う、うん……」
さっと手を出すレレイ。
触れて良いものやとドキドキして迷いながらも雪彦はその手を取って共にありすたちの元へと向かう。
「良かったね、女の子も小さい子も一緒に遊べるって」
「うん…………うん?」
「アリスちゃん、英雄なだけあるなぁ。色んな遊びも知ってるなんてすごいなぁ」
「……そうだね」
――あれ? もしかして僕、ナチュラルに女の子だと思われてた?
「ちっくしょー……スバルちゃんの前で負けるとは……」
「くくく……我ら『アストラエア親衛隊』もまだまだということだな……」
「しかし
「我らが勝てずとも仕方ない話よ……」
――あれれ? まさかこっちも!?
――いや、気のせいに違いない……だって僕、男物の服着てるし……。
色々と思い悩んだもの全てが吹き飛びかねない衝撃の事実を垣間見た雪彦だったが、そんなわけがないと振り払う。
尚、異世界の子供たちが異世界の服を見て『男物』『女物』を正確に判断できるのかという疑問はあるが――そのことには雪彦は気付かなかった。
「ん、スバル……こっちでもモテモテ……」
そんな雪彦を、ありすは(おそらく全部わかった上で)生温い眼差しで見守るのであった。
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