第7.5章17話 レッキング・ガール 6. 男三人、露天風呂。何も起きない

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 一方、男子風呂の方はというと――




「おお……こりゃすげーな」


 『剣心会』のレクリエーションで何度か演習場自体には来たことがあるものの、ここロッジの風呂場を使ったことはなかったため千夏も初見である。

 広さとしてはやや小さめの銭湯ほどであろうが、当然普通の家の風呂場とは比べるべくもない広さである。

 そして、彼の人生では初となる露天風呂だ。


”ほー、映像とかでは見たことがあったが、生で見るのは初めてだな”


 普段ぬいぐるみのフリをしているため風呂にそもそも興味を持っていないトンコツではあったが、実際に露天風呂を見て感心したような声を上げる。


「映像――ああ、テレビとかっすか」

”ああ。流石に普段は暇だからな。カナたちと一緒に見ていることが多いんだ”

「なるほど。アレっすね、こういう温泉とか見ると……漫画とかであるみたいな『アレ』とかやってみたくなるっすね」

”? ……ああ、『アレ』な。確かにやってみたくはあるが……”


 『アレ』とは、温泉に浸かりながらお酒をぐいっと、というアレのことである。

 未成年の千夏は当然ダメだし、残念ながらこの場にお酒はないのでトンコツも無理である。

 ……もっとも、トンコツの体格だと温泉に浸かるというよりも『沈む』ことになってしまうため、お酒があっても無理はあるだろうが。


 ――尚、本当に温泉(あるいは普通のお風呂でも)に入りながらアルコールを摂取するのは非常に危険なため、本当にやってはならないことを付け加えておく。


「う、うぅ……」

「なんだ、ユキ。そんな入口で縮こまって」

”おう、そうだそうだ。さっさと入ろうぜ。俺は寒さとかは平気だが、お前らは早く温まらないと風邪ひいちまうんだろ?”

「そ、そうだけど……」


 まだ湯舟に入っていないというのに顔を赤くした雪彦は、浴場の入口でもじもじとしている。


「別に男しかいねーんだ、恥ずかしいとかねーだろ」

「そうなんだけど……その、僕、男の人とお風呂入るのあんまりないから……」

「…………そ、そうか」


 星見座家だと、大体は姉弟で一緒に入る――この露天風呂ほどではないが、星見座家の風呂場もかなり広く、姉弟四人ならば同時に入れてしまうくらいなのだ――ので、雪彦は言葉通り同性と風呂に入るという経験が少ない。

 実の父親は事情があり今は離れて暮らしているし、楓たちの父親も色々と忙しくて滅多に一緒の風呂には入ったことがない。

 小学四年生なのでまだ学校でも泊まりの修学旅行等も行ったことがないため、本当に同性の裸の方が見慣れていない、そして見られ慣れていないのである。


「つっても、トンコっツぁんの言う通り風邪引くからな。ほれ、行くぞ」


 名目上とは言え一応は男子側の引率役である。雪彦に風邪を引かせるわけにはいくまい。

 千夏が雪彦の手を取り、少々強引に浴場へと引き入れる。


「……うぉぅ……」


 が、引っ張り込んだ雪彦を見て千夏は思わず硬直してしまう。

 タオルを胸元から当てて身体を隠している美少年――顔つきが女性と言っても過言ではない作りであるため、一瞬本当に『女』なんじゃないかと思ってしまったくらいだ。


「? 兄ちゃん……?」

「い、いや、何でもねぇ。ほら、行くぞ」

「う、うん……」


 雑念を振り払い、千夏は尚も恥ずかしがる――しかし抵抗はしない――雪彦を引っ張り、まずは洗い場へと向かうのであった。


 ――ふーむ……傍目から見ると、これはアレだな。『おまわりさん』を呼んだ方がいい光景にしか見えねーな。


 裸の少年が、恥ずかしがっている年下の少女を無理矢理男子風呂へと引っ張りこんでいるようにしか見えない。

 実際はそんなことはないのだが……トンコツはそう正直に思うのであった……。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 その後、特に大きなドラマもなく、千夏たちは普通に体を洗って湯船へ。

 雪彦も普段は姉たちと一緒に風呂に入っているとは言え、流石にもう自分一人でも身体は洗うことが出来る。

 尚、トンコツについては悪戯心を起こした千夏によってもみくちゃにされたものの、意外にも気に入ったようであった。


「ふぅー……やっぱ広い風呂はいいな。足が伸ばせる」


 これといって温泉に思い入れはないものの、単純に広い湯舟に浸かれること自体は嬉しいのだろう。

 一般的な家庭では、小さな子供はともかく中学生くらいになったら足を伸ばせるくらいに広い湯舟はそうそうない。蛮堂家もそうであった。


「……」


 千夏の横でトンコツを抱えながら入っている雪彦は、沈黙したまま何やら千夏へと視線を向けている。


「ん? どうした、ユキ?」


 その視線に気が付いた千夏が何の気なしに聞いてみる。

 聞かれた雪彦は顔を真っ赤にして、


「な、何でもないよ!」


 と慌てて答えつつ更に深く湯舟に沈んでいく。


”うおっ!? こら、俺が沈――”

「わぁっ!? ごめん、トンコツさん!?」

「……何やってんだ、おめーは」


 呆れながらも、トンコツを雪彦の代わりに抱え上げる千夏。

 使い魔であれば仮に溺れても平気ではあろうが、苦しいことには変わりはない。


”ふぃー、なるほど、風呂は危険と隣り合わせなんだな”

「いや、そんなことねーっすから」

「うぅ、ごめんなさい……」


 とはいえ、実際に高齢者が風呂場で倒れている――ということもよくあることだ。気を付けるにこしたことはない。使い魔のトンコツには無用の心配ではあろうが。


「――で、本当にどうした、ユキ? 何か悩みがあるなら相談に乗るぞ?」


 別に兄貴風を吹かせているわけでもなく、純粋に心配して千夏は尋ねている。

 そこまで長い付き合いではないとはいえ全く知らない仲ではない。

 ラビのユニットの中では数少ない男子同士であるし、共に暮らしている家族が女性ばかりである雪彦だ。異性には話しづらい悩みとかもあろうという心遣いである。


「うー……その、怒らない?」

「え、怒られるようなもなのか……? まぁいいや、怒らねーよ」


 子供の言うことだ、というわけでもなく千夏はよほどのことがなければ怒らないつもりでいたし、実際そうそう怒ることはない。

 事実、散々ありすや美々香に『ちくビーム』をされても嫌がりこそすれ、怒鳴ったりしたことはない。


「……あ、あのね」

「おう」

「…………に、兄ちゃんの、身体……触って、いい?」

「お、おう?」


 恥ずかし気に上目遣いで――そして心なしか目がうるうるとしている――お願いして来た内容が、予想の範疇外過ぎて面食らう千夏であった。

 とはいえ、特に断る理由も思いつかなかったので、


「まぁ、そのくらいなら全然いいぞ」


 と応じてみせるのであった。


「や、やった!」


 嬉しそうに笑顔を浮かべると、雪彦はすすすっと千夏へと近づくとペタペタと体を触り始める。


「うわぁ……すごい……男の人って、こうなんだ……」

「いや、おめーも男だろーが」

「でも……僕ひょろひょろだし……」


 そう言いつつ悲し気な表情で自分の腕を触る。

 確かに筋肉質な千夏の身体と比べるべくもなく、雪彦の身体は細く華奢だ。


「ユキの歳なら、まぁそんなもんだろ。心配しねーでも、そのうち嫌でも大きくなってくるさ」

「そうかな……?」


 不安そうに顔を曇らせる雪彦に対し、千夏は朗らかな笑顔を浮かべる。


「まだ小四だろ? 背伸びるのだって、まだまだこれからだぜ。っつーか、俺だって小学生の時はガリガリに痩せてたからな」

「そ、そうなの!?」

「おう。……ま、残念ながら背はそこまで伸びなかったけどな」


 まだ成長期にあるため今後どうなるかはわからないが、少なくとも中学生になった頃あたりの劇的な成長は望めまい、と千夏は半ば諦めている。

 ちなみに彼が口にしたのは嘘ではなく、本当に千夏も小学生の時は今の筋肉質な体からはかけ離れたやせ細った体形だったのだ。

 もっとも、今の千夏も筋肉質とは言っても十分細身な部類に入るのだが。


「へぇ……そっか……じゃあ僕もいつか……」


 早ければ来年には身体が大きく成長するであろう。

 どうなるかはまだまだ未知数だ。


「ねぇ、お腹も触っていい?」

「!? ま、まぁいいけど……」


 自分の将来に希望を持ったためか、最初の恥ずかし気な態度もどこかへと吹き飛んだ雪彦はぐいぐいと迫る。

 その迫力に引き気味になりつつも自分から許可を出した手前断れず、千夏は頷いてしまう。


「……おぉ……お腹もすごい……」

「さ、流石に腹は……」


 もう少し手を下に下げたら、触ってはいけないところに手が届いてしまう。

 流石の千夏も、同性とは言え段々と恥ずかしくなってきたようだ。


「っつーか、なんでユキはそんなに身体に触りたがるんだ?」

「んー? 僕ね、絵を描くのが好きなんだけど……男の人ってあんまり知らないから、上手く描けないんだ。僕自身をモデルにしても、意味ないし……」

「ああ、そうか……って、星見座のおじさんは?」

「おじ様は……ぽよぽよしてるから……」

「そ、そっか」


 どうやら楓たちの父親は『ぽよぽよ』していて参考にならないらしい。

 身近に他に男性のいない雪彦にとっては、がっしりとした千夏の身体こそが参考になる『男性像』であるようだ。


「……すごい……背中も、腰も……」

「ちょ、ユキ!?」

「足も太くて、硬くて……」

「うわっ!? さ、流石にもう……」


 『絵を描くのが好き』と本人が言っていたが、雪彦は割と芸術家気質――おそらく普通の人間がそう聞いて思い描くような――である。

 一度触ってたがが外れたか、ぺたぺたと千夏の身体を触る手が止まらなくなってきている。

 ――念のため補足しておくと、雪彦には他意は全くない。自己申告通り、身近に『男性像』となる同性がいないため、実際に触れる男性の身体に興味が湧いているだけである。

 もっとも、ぺたぺたと他意がないにしろ全身を触られる千夏の方は溜まったものではない。

 かといって振り払うこともできず、されるがままになるしかないのであった……。




”……ふむ……”


 そのままでは溺れてしまうので湯を満たした桶に移されていたトンコツは、千夏たちの様子を見て何かを思い出そうとするように考え込み――やがて答えを出した。


”……カナが好きな、か”


 の人間の趣味嗜好についてはよくわかっていないが、それでも自分の信頼するユニットの趣味嗜好を否定する気は全く起きないトンコツであった。




 ……一方の女子風呂では覗きがどうとか色々と話題にはなっていたものの……。


、僕と全然形が違う……何で……?」

「お前も後何年かしたらなるから――うわっ、マジそれ以上はまずいって!?」


 女子の心配など全くの的外れだと言わんばかりに、男子は男子でいちゃいちゃ(本人たちがどう思っているかはともかく)としているのであった。

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