第7.5章2話 神の遊戯盤にて
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ある日の深夜――
桃園の領域内にある『闇病院』こと
「……」
一人の少女がベッドで眠り続けている。
浅い呼吸をしているため辛うじて生きているのはわかるが、それ以外では全く身体を動かしていないため遠目には死体にも見えかねない。
その原因は、ガリガリに痩せていることと生気のない肌の色だろう。
この診療所の医師である美咲の見立てでは『極度の栄養失調』と思われている。
今も点滴で栄養を補いつつ、容体が急変しないかを美咲が定期的に見ているところだ。
《――
深夜の病室。
ベッドで寝ている少女の横に『何か』がいた。
それは少女を見て何事かを呟く。
《魂が定着してしまっている――ヘパイストスめ、ただの人形ではなくこの世界の人間をコピーしたか》
《……こうなってしまっては、
《……ともあれ、ここまで魂が育ってしまっては
《後は――仕方ない。本来ならば好まぬが、事実を改変するしかないか。今回の件、
しばらくとぶつぶつと呟いていた『それ』が黙り込み――
《……よし、これで問題ない》
《……ふむ……大きな『害』は出ないだろうと黙認していたが、どうやら私の予想を超える事態となっているようだ》
《幸い今回は我が
《…………やはり、一度『彼』に戻ってもらわなければなるまい。ああ……これも改変しなければならないか――だが、『彼』も文句は言うまい……『彼』にとって何よりも大切な存在が関係しているのだからな……》
ふと、『それ』の持つ異様な気配が消え去る。
まるで最初から何も存在しなかったかのように、病室が静寂に包まれる。
「……む? なぜ私はここにいる……?」
替わりに部屋に残されたのは、眠り続ける少女の他にもう一人。
この診療所の主である美咲であった。
既に寝間着に着替えている美咲が、なぜ病室にいるのか……本人も全くわけがわかっていない。
「寝ぼけているのか……? それとも……うぅ、まさかこの年で……!?」
嫌な想像をし、思わず身震いしてしまう美咲。
だがすぐにここが大声を出すべき場所ではないことを思い出し、口をつぐむ。
――……いや、まさか……無意識にこの娘が気になって……?
心の憶測に封印していたある『想い』に、美咲は心当たりがあった。
無意識のうちに『想い』に突き動かされて、夜中に病室に来てしまった――
――ありえない、とは言い切れないか……。
本当ならば『ありえない』と切り捨てたいところだが、そうもいかない事情が幾つも重なっていた。
――……『あの子』が生きていれば、ちょうどこのくらいか……。
突然あやめに匿ってくれるように頼まれた少女は、正確な年齢は不明ではあるが成長の具合からして15歳前後だろうと美咲は推測している。
血のつながりなどない、全くの赤の他人なのは間違いない。それ以前に少女の名前すらも知らない。
だというのに、美咲はこの少女のことが気になって仕方がない。
――…………いかんな、私も年を取って
ふと熱くなった眼がしらを押さえ、自嘲気味に笑う。
そしてこれ以上ここにいても仕方ないし、何より医者として患者の安眠――と言える状態ではないが――を邪魔するわけにもいくまい、と部屋を去ろうとする。
その時だった。
「……ん……」
「!?」
聞き逃してしまいそうなほど小さな声が、ベッドから聞こえて来た。
――意識が戻ったか!?
細かい事情はあやめからも聞いていないが、患者は患者だ。
「ん……ぅ……?」
僅かなうめき声の後、少女がゆっくりと目を開けていった。
* * * * *
……何かここ一週間で、何回も桃香のところに来ているような気がする。
まぁそれ言ったら年末年始は私はずっといたんだけどね……。
今日はまたあやめに呼ばれて、高雄先生の診療所へとやってきた。
ただし、前回と違って今回は私一人だ。ありすと桃香は、美々香も含めて今日は集まって遊んでいる――私もほんとはそこにいたんだけど、あやめから『少々よろしいですか』とさも用事がある体で呼び出されたのだ。
”……え!? ジュウベェが目覚めたの!?”
「はい」
診療所に向かう道すがら、呼び出された理由を聞かされた。
そうか……意識不明だったジュウベェが目覚めたのか……。
「…………二日前に」
”二日前!?”
思わず大声を出してしまった。幸い、診療所の近くは閑散としていて人気がなかったので誰かに聞かれた様子はない。
しかし二日前? それって、私たちがこの診療所でジュウベェに会った翌日じゃんか!
”……何で黙ってたのさ……?”
あやめだってジュウベェにありすがされたことを知っているはずだ。
……いや、でも何の理由もなくあやめが黙っていたとも思えない。
元より厄介事を色々と押し付けているのは私の方だ。責めることは出来ないだろう。
「それが……」
あやめも困惑気味だ。
一体何があるというんだろう。
「…………申し訳ありません。会ってみればわかります」
”うーん? わかった、とにかく行ってみよう”
少なくとも二日間何事もなく、そして今も診療所にいるということは差し迫った危険はない……とあやめは判断しているのだろう。
加えて、あやめの態度からして何やら判断に迷う状態にあるということでもありそうだ。
……桃香の家に比較的近い位置に目覚めたジュウベェがいるというのに、それでもあやめが診療所に留め置いて良しとしたその判断を信じよう。
”……え……!?”
「ん? 鷹月娘、何か言ったか?」
「い、いえ……」
危ない危ない、またもや思わず声を出してしまった。
不審げな顔をしてあやめを見る高雄先生。
……その不審げな表情の意味は、私の声だけではなくまたもやあやめが
「うー?」
「おぉ、すまない。ほら、口を開いて」
「あー」
高雄先生がジュウベェ……だった少女の方へと向く。
助かったけど……。
ちょっと、何というか……目の前で起きてる光景に目を疑ってしまう。
”…………あやめ、これマジで?”
「…………はい、マジです」
こそこそっと小声で交わし合う。
あやめも事情は知っていたみたいだけど、それでもこの光景は衝撃的らしい。
相変わらずの仏頂面に見えるけど、どこかそこはかとなく優し気な感じもする表情で高雄先生が少女へとご飯を食べさせている。
少女の方も大人しく口を開けてそれを受け入れている。
……しかも、表情が何というか……『幼い』。
私たちを襲った時みたいな狂暴さは微塵もなく、年齢には見合わない……小さな子供のような表情だ。
彼女の食事――一応病院なので夕食がかなり早めなのだ――を終えた後、少女はすぐにうとうととし始めてしまった。
食べてすぐ寝るのもどうなんだろう、と思わなくもないけど、今の彼女は栄養と休養をいっぱいとるべきなのだろう。高雄先生も特に何も言わず、『眠くなったか? それじゃゆっくりと眠りなさい』と寝かしつけていたし……。
お眠の邪魔をするのも悪かろう、と高雄先生はあやめ(と私)を連れて別室へ移動した。
そこで先生からあやめに色々と説明をしていたんだけど……
突っ込みを入れたいところだけどぬいぐるみのフリを続けるしかない。
あやめの方は困惑しつつも上手く話を合わせているので、もしかしたら事前にある程度は把握していたのかもしれない。
時間も時間だし、ありすたちも解散して帰るとなったのであやめに送ってもらうことに――これももう毎回のことで悪いけど、あやめに頼むしかない。
で、診療所から桃香の家へと戻る時に、さっきの高雄先生との話について二人で確認しあっていた。
”あやめ、
「……そのことなのですが……」
『アレ』――高雄先生の話の中で、特に気になった点だ。
「どうやら、私たち――私とラビ様以外の認識では
”……桃香たちも、かな?”
「まだ確認していませんが、おそらく……」
高雄先生だけでなく、桃香パパたちにあの少女を匿ってもらう言い訳をしようとした時に、あやめはそれに気づいたのだろう。
『なんで今更そんなこと言うの?』とばかりの態度に驚いたあやめは事実関係を確認……そこで、私たちが心配していたあることに気が付いた。
”それで……北尚武台のあの事件は、本当に……?”
「はい……
”なくなったって……”
「文字通り、起きていなかったことになっていました。私が見たローカルニュースのアーカイブにも、地元の新聞にも……載っていたはずの事件の記事が消えていました」
あやめ曰く、確かに一週間ちょっと前に見たはずのネット上のニュースや新聞記事等から、事件のことがすっぽりと抜け落ちていたという。
ただの落丁とかそういうことではない。本当に事件そのものが起きていなかったことになっている、そうとしか思えないのだという。
しかもよくよく確認すれば、二週間以上前に少女は目覚めたことになっていて、そもそも事件当時は既に高雄先生のところにいたことになっていたのだ。
”その上、彼女本人は……”
「えぇ……大変言いにくいのですが……」
私とあやめの二人で暗い表情をしてしまう。
あの子、どうやら『記憶喪失』らしいのだ。少なくとも演技とは思えない感じだった。
『記憶喪失』って一口で言っても色々と種類があるらしいけど、その中でも彼女はかなり重度の記憶喪失のようだ。なにせ、自分の名前どころか、言葉すらまともに話せなくなっているくらいなのだ。
果たして回復する見込みがあるのかどうか……いや、そもそも『過去の記憶』自体があるのかどうかすらわからない。
「私の
あやめの伝手って、すげーな……なんかある意味桃園よりも権力ありそうな感じじゃないか……。
「『被害者』
”むむぅ……”
もし本当だとすればジュウベェに襲われた被害者は存在しないことになるので、それはそれで喜ばしいことなんだろう。
そうなると、元ジュウベェの少女を警察に突き出す必要はないし、身元確認のために警察を頼ることだってできるようになる。
けどその点についても既に解決済みだった。
「一か月前にあの少女を保護した際に、既に警察にも届け出ていたそうです……まだ身元は判明していませんが」
”それで、今はどういうわけか高雄先生が正式に預かっていることになってるってわけか……”
身元不明の少女を高雄先生が正式に預かれるなんて、普通だとちょっとありえそうにないけれど……なぜかそのありえないことに今なっているのだ。
”……これはもう、何というか……”
「ええ、
うん、あやめの言う通りだ。
単にジュウベェの起こした事件を『忘れさせた』というだけではなく、文字通り『なかったこと』にしてしまっている。
……しかもジュウベェだった少女の扱いまで、一か月前から保護されていたことにしたりとあやめの言葉通り『過去を改変した』としか言いようがない状態になっているのだ。
わけがわからない。一体どうしてそんなことになっているのか――いや、誰がどうやって、そして
”うーん……『ゲーム』側がやったこと、かな……?”
「現状そうとしか考えられませんが……」
いまいちしっくりこない。
なにせ『ゲーム』側的に、そんなことをする理由が見当たらない。
『ゲーム』の存在を隠すために一般人の記憶を弄った……とかはありえなくもなさそうだけど、正直『今更そんなことするか?』って感じだ。
ユニットじゃなくなった人の記憶から『ゲーム』に関することを消す、というのは……まぁ証拠隠滅という面もあるだろうけど、どっちかというとゲーム的なペナルティの意味合いの方がありそうだ。
私たち使い魔についてもそうだ。『無関係者が関わっても違和感を覚えない』――というのは何とも中途半端な感じなのはずっと引っかかっていた。隠すのであれば、最初からもっと徹底的にやるんじゃないだろうか……。
”でもなぁ……『ゲーム』側がやるともちょっと思いづらいし、かと言って『ゲーム』側以外でやれるヤツがいるかっていうと……”
「……いませんよねぇ……」
”うん……”
すっかりと慣れちゃったけど、『ゲーム』自体が超常現象どころの話じゃないレベルの異常事態なのだ。
で、『ゲーム』側以外で大勢の人間の記憶を弄る……どころか過去の事実を改変できるのがいるかっていうと……
「もしかして――」
”……もしかして?”
悪戯っぽく微笑み、あやめは続けた。
「……
”ははは、まっさかぁ”
『ゲーム』の存在自体も大概だけど、『神様』とかそんな超存在は流石にねぇ……?
ともあれ、まだ油断は出来ないけれど、一先ずジュウベェだった少女の問題は一段落ついた……と思っていいだろう。
高雄先生が彼女のことは責任を持って診ると言ってくれてたし、あの子もいずれ回復するかもしれない。
後は時間が解決するのを待つしかない、かなぁ……。
ピッピの言う通りなら『ゲーム』も残り二か月半切っているというのに……とんだ置き土産だな……。最後の最後まで厄介なやつだ、クラウザーめ……。
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