第7章27話 暴虐と瞋恚

 突如現れた謎の少女――ジュウベェ本体。

 ……こいつ、今まで会って来た『敵』の中では――モンスター含めてダントツで危険人物だ……!


「うっ……けほっ……」

”ありす!”


 蹴られたお腹が痛むのだろう、お腹を押さえて咳き込みつつも何とか立ち上がろうとするありす。


「ふん、『ゲーム』の中ではイキってても、こっちじゃあただのガキだな、えぇおい?」


 ニヤニヤとこちらを見下す笑みを浮かべるジュウベェ――名前わからないから、とりあえずジュウベェでいいや……。

 いや、そんなことよりも、一番恐れていた事態が起きてしまった。

 くそっ、以前自分でもこの可能性は考えていたじゃないか……敵対する使い魔が、ユニットの子そのものを狙うかもしれないってことを……!


「おらよぉっ!!」

”や、やめろ!!”


 立ち上がろうとするありすに更に蹴りを放とうとするジュウベェ。

 私は叫び、思わずジュウベェの軸足へと突進――噛みついてやった。


「チッ……」

『”ありす、今のうちに逃げ――”』


 とにかくまずはありすの安全を確保しなければ。

 私は……まぁとりあえず現実世界であれば、死ぬことはない……はずだし。

 ありすへと遠隔通話で逃げるように呼びかけようとした時、


「クソがっ!!」

”ふぎゃっ!?”


 ありすは蹴られずに済んだけど、代わりに噛みついたままの私を思いっきり蹴り上げる。

 余りの勢いに口を離してしまった私は――勢いそのまま神社の石垣へと叩きつけられてしまった……。


”うぇっ、げほ……”


 でも……死なないにしても、痛いものは痛い……!

 小動物を壁に叩きつけるほどの勢いで蹴り飛ばしたのだ。もし私が使い魔の身体じゃなかったらほんとに死んでいたかもしれない――死なないまでも、骨も内臓もぐちゃぐちゃになっていただろう。痛みもやられたことから考えるとずっと鈍い…はず。

 こいつ……私が使い魔だから死なないということはわかっていただろうけど、それでもここまで躊躇なく暴力を振るえるなんて……!


「ラビさん!!」


 ――ダメだ、ありす!


「けっ、ガキが!」

「……っ!?」


 なりふり構わずジュウベェに飛び掛かろうとしたありすだったけど、ジュウベェは片手でありすの首を掴んで押さえつけてしまう。

 流石に片手で首を絞めて持ち上げる、なんて漫画みたいな真似は出来ないみたいだけど――いや、全然安心できないけど!


”あ、ありすを……離せ……!”


 ぐっ、死にはしなくても痛みが酷い……!

 でもそんなことに構っていられない。ありすを逃がさないと!

 ジュウベェは今までの相手とは全く違う。同じ人間でここまで違うのかと信じられない思いだ――むしろ問答無用でこちらを殺しにかかってくるモンスターの方が近い存在とさえも思える。

 ……ここまでの危険人物をユニットとするなんて……! クラウザーとの相性は抜群だな……。


「くくっ、クラウザーの野郎も、てめぇをちょっとは痛めつけてもいい、っつてたしなぁ……腕の一本でもイっとくかぁ!?」


 首を絞めたまま、空いた片手でありすの細い二の腕を掴む。

 ――このっ!?


”い、いい加減にしろっ!!”


 脅しだ、なんて思わない。こいつなら本気でやりかねない……そう思わざるを得ない。

 痛みを堪えて突進、ジュウベェの足に再び噛みつく。


「痛っ……てぇな!!」


 さっきみたいに私を蹴り飛ばそうとするが、今度はさっきよりも深く噛みつき、さらに耳を足に巻き付けて必死にしがみつく。

 幾ら小動物並みの身体だからと言っても、噛み千切るつもりで食らいついているのだ。


『”ありす、早く逃げて!”』


 私の全力の噛みつきは振り解けないとわかったか、ありすから手を離すジュウベェ。

 ありすは苦しかったのだろう、その場でけほけほと咳き込んでいるが――よし、まだ大丈夫。酷い怪我とかは負っていない。


『で、でも……』

『”私はいいから! ……早く逃げて誰か呼んできて!”』


 素直に逃げろと言っても聞くまい。

 戻ってこられても危ないけど、誰か助けを呼んできて、とお願いすれば動いてくれる……かもしれない。


「……ナメてんじゃねぇぞ、てめぇっ!!」

”――っ!?”


 突然、全身を痛みが襲う。

 何が起きたか一瞬わからなかったけど……。


”かっ……は……!


 身体から力が抜けて地面に落ちてしまう。

 ああ、そうか……こいつ――私が足に噛みついたまま振り解けなかったから、そのまま壁に叩きつけやがったのか……。


「ら、ラビさん!!」


 ほとんど悲鳴に近いありすの声が聞こえる。

 ……ダメだって、早く逃げてよ……。


”ぐぇっ!?”


 地面に落ちた私を思い切り踏みつけてくるジュウベェ。

 本当に暴力に躊躇がないな、こいつ……生き物だったら本当に死んでるよ、これ……。


「あー……ったくよぉ……ちっとそこのガキに痛い目見せてやろうと思ったのに、予定が狂っちまったじゃねぇか。

 ……ま、元々てめぇらに『警告』する分にはこれでもいいけどな」

”……っ!!”


 あ、ダメだ……悲鳴すら出せないくらい身体が潰されてしまった感じだ……。


「まぁここで逃げてもいいんだけどよぉ……てめぇら、?」

「誰が、逃げるか……っ!」

「くくくっ、ま、これで仮に逃げようとしても逃げられない、ってわかっただろ? 逃げようとしたら――次はてめぇらの周りの奴らが同じ目に遭うかもなぁ?」


 言いながら更に私を踏みつける足に力を籠めやがった……!

 でも――……? そんなことを言いに来たってことは……。

 ああ、くそ……何か、意識が遠のいていく……。

 ――……ありす……!




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「ラビさんから、離れろ……!!」


 今にも噛みつかんばかりに怒りをむき出しにしてありすはジュウベェと睨み合う。


「くくっ……」


 ありすの視線など意にも介さず、ニヤニヤとした笑みを消さず――足蹴にしたラビをぐりぐりと踏みにじって見せる。


「……っ!」


 それが引き金となった。

 叫び声も上げず、弾かれたようにジュウベェへと突進――全体重を乗せたタックルをぶちかます。


「はっ」


 だが、相手も小柄とは言えありすはそれよりも更に小柄で細い。

 受け止められることもなく、片手であっさりと払われて地面にまた倒されてしまう。


こっちクソ猫ラビは痛めつけても意味ねぇからな。やっぱりてめぇにも『教育』してやる必要があるかぁ?」

「……この……!!」


 『ゲーム』の中でならば戦う力はあっても、現実世界においてはありすはジュウベェに勝つことなど到底できない。

 頭で戦い方がわかったとしても、魔法は当然として身体が頭で思い描く動きに全くついていけないのだ。

 それでも、怯えなど一切見せず――ジュウベェから視線を逸らさず睨みつける。


「…………てめぇ……」


 直接的な暴力を見せつけても怯えることのないありすに、ジュウベェもついに表情を変える。

 彼女の今回の目的は既に果たした。これ以上人前に現れるのはリスクが高い。

 だが、このまま引くのは――『嫌』だと感じてしまったのだ。


 ――このガキの戦意をへし折っちまうか。


 元々の目的は、ありすたちへと脅しをかけて『クラウザーからの対戦から逃げないようにする』というものだった。

 ラビが最後の最後に予想しかけたように、対戦を拒否できずに強制的に行わせるというクラウザーのチートは、同じ相手に対しては『一回』しか使えないものである。

 そのため、再びラビたちにクラウザーが対戦を挑もうとしても、以後は拒否する――無視される可能性がありうる。

 前回の対戦ではジュリエッタしか倒すことが出来なかった。これはジュウベェが《投擲剣》を使うのを結局止め、ジュリエッタにとどめを刺すことのみを優先した結果ではあるが――その意味では、前回のMVPはジュリエッタ千夏と言えよう。彼女が自分が死ぬ覚悟で粘らなければ、全滅した可能性もありうる。

 一回限りの強制対戦で相手を全滅出来なかった――これはジュウベェの能力にとってはかなり不利になることを意味している。

 気づくまでの時間には個人差はあるだろうが、対戦で負けたものがユニットに変身できなくなることに気付けば、二回目以降の対戦は避けて来る可能性はかなり高い。まともな判断力をしていれば、まず避けるであろう。

 他の相手ならばそれでも良い――例えばガブリエラたちなど――が、ラビたちだけはそれでは困るのだ。


 ――こいつらを完膚なきまでに叩きのめす……そのためには……。


 昨日ジュリエッタのみを倒せたことにより、クラウザー・ジュウベェの『今後の方針』は決まった。

 そのために、ラビたちが対戦を拒否しないように直接的な脅迫を行おうとしたのだ。

 別に痛めつけるのはありすでもラビでも、この場にはいない桃香と千夏でも、誰でも構わなかった。使い魔であるラビは幾ら痛めつけても意味がないため、最初はありすに暴力を振るっただけである。

 目的はもう果たした。ラビであれば、たとえ自分が痛めつけられただけで済んだとしても、今後ありすたちに手を出されることを恐れて対戦を拒否することはないだろう。

 だが……。


「――気に入らねぇな、てめぇ……」


 対戦で勝つ、それは当然のことだ。

 しかしそれだけでは収まらない。


「……やっぱり、てめぇも痛めつけてやるか……?」

「……っ」


 ラビから足を離し、替わりにありすへと一歩近づくジュウベェ。

 『逃げろ』とラビは言っていたが、この状況では逃げることも出来ない――ありすは見かけによらず足は速い方だが、明らかに自分よりも年上で先程から見る限り運動能力が高そうなジュウベェに追いかけられたら逃げ切ることはできないだろう。

 だったらどうするか、どうすればこの窮地を脱することができるというのか……。

 ありすにはわからない。

 戦意は折れていないが、ここは現実世界で『ゲーム』ではない。ありすに戦う力などないことは本人が一番よくわかっている。

 向こうの気の済むまで殴られるなりすれば解放されるだろうか? そうなるのはきっと痛いだろうし怖いが……それでも、この女に屈することだけは絶対にしたくない。

 ありすはそう思い、ジュウベェを睨みつける。


「ああ……ほんとに気に入らねぇなぁっ、てめぇはっ!!」


 無力な子供らしく怯えるなりしてみせれば、軽く脅す程度で済ませるつもりもあったが……。

 一歩も引かないどころか、逆に睨み返して来るありすに心底苛つくジュウベェが、ついに拳を振り上げる。




 ――そのジュウベェの姿が唐突に消えた。


「……?」


 何が起こったかありすにもわからないが……。


「……痛い……」

「……スバル?」


 ジュウベェと入れ替わるようにありすの前に現れたのは、クラスメートの昴流すばる雪彦であった。

 ……なぜか地面に倒れた状態から立ち上がろうとしているが。


「て……っめぇっ!?」


 姿が見えなくなったジュウベェだったが、少し離れた位置に移動――いや吹っ飛ばされていた。

 状況から察するに、駆けつけた勢いそのままにジュウベェへと全力のドロップキックを放ったようだ。


「雪彦、さがりなさい!」

「チッ……次から次へと……!?」


 更に雪彦の後を追いかけて来た楓も合流。

 ……その手には、重そうな鉄のフライパンが握られていた。


「……ふん、まぁいい。アタシの用は済んだしな」


 適当な脅しをかけて対戦から逃げないようにする、というのが当初の目的だ。それは充分果たせていると言える。

 これ以上この場で騒ぎを起こして関係のない人間に姿を見られるのは彼女の都合が悪い。


「くくっ……」


 そうと決めたらここに留まる意味はない。

 ジュウベェはそのまま三人の前から姿を消す――


「……あーちゃん、大丈夫?」


 ジュウベェがいなくなり、気が抜けたのかありすが地面にへたりこんでしまう。

 ……が、すぐに、


「……ラビさん! ラビさん!!」


 倒れたまま動かないラビへと駆け寄ると、必死に呼びかける。

 だがラビはぐったりとしたまま目を開けず、動くこともない。


「待って、今ピッピを呼ぶから。あまり動かさないで」

「……ん……」


 果たして使い魔を普通の生き物と同じように扱っていいものかはわからないが、身体のどこを打ちつけているのかわからない。下手に動かさない方がいいだろうと楓は判断。

 おそらくは使い魔の身体に詳しいであろうピッピを呼んで診てもらう方が確実だ。


「ラビさん……ごめんね……わたしが近道しようとしなければ……」

「こ、こ、恋墨さん……」


 さっきまでジュウベェに蹴られても首を絞められても泣き声一つ上げなかったありすが、ボロボロと涙を零している。

 今頃になって恐怖を感じているのか、それとも未だ目を覚まさないラビを心配しているのか……そのどちらでもあるのか。




 楓から連絡を受けたピッピも駆けつけ、ラビの様子を見てみるが――


”……うん、大丈夫だと思うわ”

「でも、目を覚まさない……」

”たぶん、想定以上のショックを受けたから強制的にスリープモードに入ったのでしょうね”

「?」

”えーっと……雷が落ちた時みたいにブレーカーが落ちた、みたいなものよ。しばらくすれば目を覚ますと思うわ。怪我も――もう治っちゃってるから心配することはないわ”

「……良かったぁ……」


 今度こそ緊張の糸が途切れたのだろう、安堵の息を吐いて地面にへたりこむ。

 問題は何も解決はしていない――ジュウベェ本体がありすの目の前に現れたということは、より悪化しているが――ひとまずの危機は去ったと言えるだろう。


「あーちゃん、家に来て。怪我してるところ、手当てしないと」


 先程出て行ったばかりだが、このまま家に帰すわけにもいくまい。

 一旦星見座家でありすの手当てをした方が良いだろうとの判断だ。


「……ぅ…………」

「……あーちゃん……?」


 へたりこんだありすはそのまま俯き、小刻みに身体が震えている。

 やはり怖かったのだろう、と家に戻る前にありすを落ち着かせようと屈みこんだ楓だったが――


「あーちゃ……っ!?」


 ありすの顔を覗き込んで言葉を失った。

 震えていたのは恐怖でも、解放された安堵でもなく。


「ぅぅぅ……うああああああああああっ!!!!!」


 叫び、拳を地面へと叩きつけるありす。

 あまりの剣幕に思わずびくりと楓たちも身を竦ませる。


「あいつ……絶対許さない……っ!!」


 その身を震わせたのは、激しい怒りだった。

 ……いや、それは『怒り』などという生温い感情などではない。もはや『憎悪』とも呼ぶべき感情だった。




 ――対戦から逃げるな?

 ――上等だ。お望み通り、対戦で叩き潰してやる!!

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