第7章26話 星見座屋敷にて(後編)

 なんだなんだ、一体!?


”撫子……?”

「……?」

”行ってみよう!”


 流石に心配だ。

 まぁもみじもいるから、よほど変なことにはなってないとは思うんだけど……。言っちゃなんだけど、小さい子の相手に慣れていないであろうありすが、うっかり――という可能性もありえる、と思ってしまったのだ。

 楓に連れて行ってもらい隣の部屋へと駆けつけた私たちだが……。


「……ラビさん……ふー姉……」


 呆然とした表情のありすと、


「なっちゃん! いい加減にするにゃ! お姉ちゃん怒るにゃ!?」


 椛にしがみついてわんわん泣いているなっちゃん、そしてなぜかなっちゃんに対して怒っている椛であった。


「……なにごと?」


 さっぱり状況がわからない。

 楓にもわからず、椛に聞いてみるものの、椛も困惑したような顔のまま首を横に振る。


「わ、わからないにゃ……急になっちゃんが泣き出して……」

「んー……ナデシコ、ごめんね……? わたしが痛くしちゃった……?」

「あーちゃんのせいじゃないにゃ! ……もう、なっちゃん! 泣いてるだけじゃわからないにゃ!」


 どうやらありすたちにもよく理由がわからないらしい。

 ……どうしたもんだろう、これ……?


”…………仕方ない。ありす、一旦私たちは退散しよう。ピッピ、悪いけど話の続きはまた後で”

”そう、ね……ただ、急いだ方がいいと思うわ。こっちが落ち着いたら、私がそっちに向かうから”

”うん。そうしよう”


 泣き喚くなっちゃんを放置して話を進めるわけにもいかないし、かといって私とありすがここに残っていても仕方ない。

 ……ピッピの言う通り『急いだ方がいい』のには間違いないはずだ――クラウザーが対戦一回でこちらに手を出すのを止めるとは到底思えない。今日もおそらく挑んでくると思われる……。

 強制対戦させるというチート、果たして何回も使えるものなのかは今のところわからない。もし使えないのであれば対戦依頼が来ても無視し続けるというのも一つの手だが……いつまでもそうしているわけにもいくまい。

 ピッピとの話の続きはしたいが、今は時間が惜しい。もうしばらくしたら千夏君、続いて桃香の予定が空くだろうし今後のことについての対策会議もしたいところだ。




 何とも中途半端な感じではあったが、私たちは一旦星見座の家から出て行くこととしたのだった……。




*  *  *  *  *




”どうしたんだろうね、一体……”


 星見座家を出て帰る途中のことだ。

 心なしかありすが落ち込んでいるように見える。


「わからない……急にナデシコが泣き出して……。

 ……わたし、嫌われちゃった……?」


 意外、と言ったら失礼かもだけど、ありすはどうやら撫子に拒絶されたと思ってショックを受けているらしい。

 昨日の対戦に引き続き、ショックな出来事に巻き込んでしまったなぁ……いや、まぁあんなの予想してなかったけど。


”うーん、ちっちゃい子ってよくわからないからなぁ……風邪気味みたいだったし、なんかむずがったのかもね”


 ありすがいない間の話はまだ濁しておこう。なっちゃんは『ちょっと風邪気味だった』ということにしておく。

 実際、直接会ったのは二回目だしどういう子なのかはほとんど知らないも同然だ。

 私たちが思いもよらないことが気に障って泣き出したのかもしれないし……あまり考えたくないが本当にどこか体の具合が悪いのかもしれない。


「ん……でも、ナデシコ……ちょっと変な感じだった」

”変?”

「ん、何かね、『怖い』、『怖い』って……泣いてた」

”…………怖い?”


 どういうことだろう? 例えばありすが急に怒ったような、怖い顔を見せたとか――いや、自分で言っててありえないな。想像がつかないや。

 むぅ、テレビかなんかで見た怖い映像がその時に脈絡なく思い出されてしまったとかだろうか。

 なっちゃん本人が理由を話せればそれが一番いいんだけど、あの様子じゃなぁ……後で落ち着いたら椛とかが聞き出してくれるかもしれない。


”あれ? そういえば、こっちの道通って行くの?”


 何のことかというと、帰り道のことだ。

 来た時同様、星明しょうみょう神社の敷地を通り抜けていくルートである。

 あの敷地内だと背の高い木々が覆っているので、昼間でも結構薄暗いんだよね……公園が併設されているし、敷地のすぐ外には民家もあるから大丈夫だとは思うけど……。


「んー、こっちの方が近い」

”まぁそうだけどさ……”


 神社内を通らないとなると、結構ぐるっと遠回りして歩かないとならなくなる。とは言っても、5分かそこらくらいしか違いはないはずだが。

 ……まぁ、この間みたいに遅い時間でもないし、大丈夫かな。


”……ピッピも後でウチに来るっていうことだし、寄り道しないで真っすぐ帰ろう”

「ん、わかってる」


 私と一緒だからって公園で遊んで帰るとか、そんなことは言われなくてもやらないとは思うけどね。

 そんなことを話しながら、私とありすは星明神社へと入っていった。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「……もう、なっちゃん……ほんとどうしちゃったにゃ……」


 ようやく大泣きだったのがすすり泣きくらいに収まった撫子を抱きしめながら、ほとほと困り果てたように椛が呟く。

 普段から撫子の世話をすることが多い椛ではあったが、ここまで泣き喚かれるのは赤ん坊の時を除けば初めてであった。


「撫子……」

「……」


 部屋の中にはピッピと楓。

 更に泣き声を聞きつけ、ありすたちがいなくなった後に自分の部屋から出てきた『四人目』――彼女たちの弟がドアの方から部屋の様子を窺っている。


「ひっく、ぐすっ……あのね、あーたんのね、ぴかぴかがいなくなってるの」

「……あーたんのぴかぴか?」


 何のことだかわからず椛たちは困惑する。

 そんな姉たちの様子はわからないのであろう、しゃくりあげながら撫子は続ける。


「ぴかぴかがいなくなってね、まっくろの……こわいのがね、あーたんにちかづいてきてるの……!」

「……!!」

「あ、待ちなさい!」


 撫子の言葉を聞いて、弾かれたように『弟』が駆け出す。

 その様子を見て楓が声を掛けるものの、止まる様子はない。


”……どういうこと?”

「……理由は後で説明する。ハナちゃん、撫子をそのままお願い。私が行く」

「わ、わかったにゃ」

「ピッピは――後で着いてきて」

”え、ええ……”


 そう言うなり、楓も弟を追いかけて行ってしまう。




 ピッピの反応がおそらく普通であろう。

 撫子の言葉の意味はわかりづらく、具体的に何がどう、というわけでもない。

 それ以前に『あーたんありすのぴかぴか』だの『まっくろのこわいの』だの、そういうものは椛たちの誰も目にしていない。

 幼児にありがちな、何だかよくわからないものを少ない言葉で表現しようとしたために、大人には理解できない――『でたらめ』としか言えないような、現実と芽生え始めた想像力の産物との区別がつかない、普通ならばとるに足らない言葉に過ぎない。


 だが、星見座の姉弟にとってはそれは異なる。

 星明神社を代々受け継ぐ神職の家であり、数世代のうち何人かは『霊能力者』としか言いようのない人間を輩出してきた星見座家。

 その中でも百年に一人の才能――そしておそらく歴代でも最も優れた『かんなぎ』の能力を持つ撫子には、普通の人間には見えないものが見える。

 それが、星見座姉弟にとっての『常識』であり『事実』である。


 ――撫子の見たものが正しくは『何』かはわからない……。


 先に走り出した弟を追いかけつつ、楓は思考を巡らせる。

 撫子の目に映っている、普通の人間には見えないものとは一種類ではない。

 いわゆる『幽霊』や『妖怪』のようなものである場合もあるし、もっと抽象的な――周りを取り巻く『気配』そのものを感じ取っている時もある。


 ――あーちゃんの後ろの『ぴかぴか』は……ちょっとよくわからない。いわゆる『守護霊』みたいなもの? それとも、あーちゃん……アリスの持っていた生命力とか闘志とか、そういうの……かもしれない。


 ジュウベェに敗北したことが原因だろう。以前会った時よりもありすの元気がなかったことは楓にも一目でわかった。

 もしかしたら撫子はそれが見えていたのかもしれない。元気がなくなったありすを『ぴかぴかがなくなった』と表現した――正確なところはわからないが、そういう推測が出来る。

 では『ぴかぴか』の代わりに現れた『まっくろ』とは一体何か?

 


 ――……何かわからないけど、良くないことが起きる。前に似たようなことがあった時はそうだった……。


 『まっくろ』なのはともかくとして、それを撫子は『こわい』と感じていた。

 今までのことから考えると、撫子にとって好ましくないと感じられるモノは総じて『良くない』ものであることは間違いない。具体的に何が起きるかはわからないが、もしこれが病気やケガであるならば、『まっくろ』はありすの身体の中から現れていたはず。

 だが、『まっくろ』は近づいてきている、と撫子は言っていた。

 そうなると――


 ――急がないと……!


 外から近づいてくる『まっくろ』。

 それが示すものはおそらく……

 ユニットとしては撫子同様に破格の性能を持っているありすではあるが、この現実世界においてはわずか10歳の子供に過ぎない。

 ……アリスの戦闘力における大部分がユニットの性能ではなくありす自身の持つ能力に依っているとしても、それは現実での危機に彼女が対応できるとは限らない。

 むしろ、現実世界で『何か』が起きた時には無力……そう楓は思ってしまう。




 具体的にありすに何の危機が訪れようとしているのかはわからない。

 しかし、撫子が見ている以上、絶対に何かが起きる。そしてそれはかなり悪いことだと思われる。

 無鉄砲にも何も考えずに追いかけて行った弟もそれに巻き込まれるかもしれない。


 ――……全くもう……あの子もやっぱり男の子なんだね……。


 男故にユニットの時の姿を恥ずかしがり、またであるありすたちに正体を知られるのを恥ずかしがって隠れていた弟だったが、撫子の言葉を聞いて真っ先に走り出したところを見て、改めてそんな感想を抱く楓であった。

 それはともかく、弟も男とは言えまだ小学生……ありす同様、現実の危機に対応することが出来るとは思えない。

 弟の身を守るためにも、楓は急いで後を追う……。




*  *  *  *  *




 ……なんだか、背筋がざわざわする。

 ついさっきも通ったはずの星明神社だけど、気配がおかしい。


「……? ラビさん……」


 ありすも何かを感じ取っているのか、不安そうに私を強く抱きしめる。

 なんだろう? 入った時には特に何も感じなかったというのに、半ばまで来たところで急に周囲の雰囲気が変わったように思えるのだ。

 ……別に私には霊感とかそういうの全くないんだけど、なんていうんだろう? 人気のない裏路地とか、そういう……『ここは危ない』って本能が思えるような場所に迷い込んでしまった、そんな時と同じ感じがする。

 敷地内には全く人気がない。公園も併設されているのだが、まだ昼間だというのに遊んでいる子供たちの姿もない。


”……ありす、急いでここを抜けよう”

「ん」


 子供どころか周囲に誰もいないのは確認済みだが、何か猛烈に嫌な気配がする。

 ありすは頷くと私を抱いたまま走り出し、一気に神社の敷地を抜けようとした――が、


「あうっ!?」

”ありす!?”


 走り出そうとしたありすが、突然地面へと倒れ込む。

 全く、唐突に、空中から伸びて来たとしかいいようのない手に突き飛ばされたのだ。


「おいおい、そんなに急いでどこ行こうってんだぁ、お嬢ちゃん?」


 声はすぐ横から聞こえて来た。

 馬鹿な……絶対にさっきまで人はいなかったはず!? 木の陰に隠れていた、とかそういうもんじゃない……本当に、瞬間移動して現れたとしか思えない唐突さだ。


「う……っ」

”ありす! 大丈夫!?”


 突き飛ばされて転んだ時、私を押しつぶさないように庇ってくれたのだ。でも、そのためにありすは思いっきり地面に身体を打ち付けてしまった……。


「おまえ、は……!」

「『おまえ』ぇ? ハッ、口の聞き方しらねぇのかクソガキがっ!!」

「うぐっ!!」


 倒れたありすのお腹を容赦なく蹴り飛ばすは――


”や、やめろっ!!”


 そいつは、見たことのない女だった、

 年齢はよくわからない……10代の半ば、高校生くらい……だろうか。

 セミロングくらいの黒髪だが、あちこちが赤や青に染められていて毒々しい色となっている。

 着ているのはブレザー型の制服みたいだけど、雑に、正に『羽織っている』だけという感じでワイルドを通り越して荒々しい着こなしだ。普通なら乱暴された後に見えてしまうのだろうけど、彼女の纏っている雰囲気からして逆に異様な迫力を出している。

 身長はそんなに高くない。むしろ小柄な方だろう。

 だけど……その表情から、全身から、にじみ出る圧倒的な『暴力』の気配が、彼女がただの小柄な少女ではないと雄弁に語ってくる。


”――そう、か……おまえが……っ!!”


 倒れたありすを見下ろし、ニヤニヤと笑うその様が、今にもジュリエッタにとどめを刺そうと笑っていた彼女の姿と被る。




 あの笑みは、強者の余裕でもなく、戦いを楽しむ者の笑みでもない。

 圧倒的な力で相手を踏みにじることを悦ぶ――嗜虐の笑みだ。


”おまえが……ジュウベェだな……!!”


 そんな奴が、この短期間に別々に襲ってくるとは到底思えない。

 今、目の前に立ちはだかるこの女こそが、私たちの『敵』――クラウザーのユニット、ジュウベェの本体なのだ……!

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