第5章91話 私が灰に
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
以前、ラビがアンジェリカに『対ジュリエッタ戦で役に立つ方法』――裏を返せばジュリエッタが戦いにおいて気を付けるべき点――を教えたことがあった。
要点を纏めれば、『接近されずに遠距離攻撃で対処する』『接近されても瞬殺されないようにして距離を取るようにする』という二点だ。
近接格納能力に優れたジュリエッタと戦うには、特に後者の方が重要となる。
……尤も、アドバイスをした当時から考えると、この方法を実現するのはかなり困難ではあった。
それは偏にジュリエッタとアンジェリカの実力差があまりにも大きく開いていたからである。
だが――
「はぁっ!!」
《
身体強化魔法を使ったアリスとジェーンでも一度はかなり追い詰められる結果となったのだ。
だというのに、今のアンジェリカはジュリエッタと互角に接近戦で渡り合っている。
突き出されたジュリエッタの鋭い手刀がアンジェリカの顔を狙う。
アンジェリカは恐れることなく、顔面へと伸びる手刀を首を傾けただけでかわしつつ、敢えて自ら前へと出る。
掠った手刀が頬をざっくりと切り裂くものの――
「……再生……!?」
一瞬、切り裂かれた頬から血が噴き出すが、すぐさま傷口が塞がってしまう。
果たして体力ゲージを削れたのかどうかも怪しい。
ジュリエッタが苦戦している理由として、この再生能力がある。
とにかくどんなに殴っても、全く堪えていないようなのだ。
傷つきながらも構わず前進し攻撃をしてくるというのは思った以上に厄介だった。
……ゾンビ映画で襲われている人間も、きっとこんな気持ちなのだろう、と場違いにもジュリエッタは思う。とはいえその感想はあながち間違いでもない。
「イグニッション――《フレイアムルジェイル》!」
「ライズ《フレイムコート》!」
互いの吐息が当たりそうな程、アンジェリカが接近すると同時に自身を巻き込むように『炎の檻』を展開。対するジュリエッタはすぐさま炎耐性のライズを使って防御――無理矢理檻を破って脱出する。
……そう、接近戦を仕掛けたいはずのジュリエッタの方から距離を取っている状態なのだ。
ジュリエッタが苦戦しているもう一つの理由、それはアンジェリカの異様なパワーアップ、およびそれに伴って明らかになったイグニッションとの相性の悪さにある。
ライズで炎耐性を上げることは出来る。
けれども、それはあくまで『耐性を高める』――つまり防御力を上げるというだけであって、炎を完全に遮断するというわけではないのだ。
加えてライズは魔法にもよるが基本的にはあまり長時間効果を発揮することはない。
対してアンジェリカのイグニッションはというと、効果時間はかなり長い……というよりも意思次第では魔力が尽きるまで延々と持続することが可能である。
――結構、マズい、かも……。
ジュリエッタの内心に焦りが生じる。
アンジェリカの炎を無理矢理押し通ることは可能だ。しかし、無傷でとはいかない。
小さいダメージがどんどん積み重なってきている。
以前対戦していた時は、炎を突破する際にダメージを受けたとしても、反撃で受けたダメージ以上を返すことが出来ていた。
だが今は体内の
迂闊に反撃をすれば、イグニッションをフィクストで固定化した文字通りの炎の檻へと閉じ込められ、脱出不可能な状態に陥る可能性もあるのだ。
……炎を固定化して相手に継続ダメージを与える戦術――そしてそれを嫌って逃げる相手を誘導する戦い方も、ジュリエッタが指導したものなのだから笑えない。
「……アンジェリカはやれば出来る子……でも、今は出来ない子でいて欲しかった」
ジュリエッタが下がり、アンジェリカが前に出るという逆転した戦闘の最中、それでもジュリエッタは本人が気付かぬうちに薄く笑う。
自分を仲間の仇として狙っている相手であっても、少なくない時間拳を交え、教えられることを教えてきた。
傍から見ていたラビたちが感じていた通り、ジュリエッタにとってアンジェリカは『弟子』のような位置づけになってきていた。それはジュリエッタ自身も感じていたことだ。
だから、自分の『弟子』が教えを守り成長している姿は、状況としては複雑だが嬉しいと思える。
――それだけに、同時に腹立たしい。
折角アンジェリカが得た『経験』が、このままでは妖蟲によって台無しにされてしまいかねないというのが。
ジュリエッタと互角に戦えるようになったというのに、その力が妖蟲によってもたらされたものであるということが。
「今のアンジェリカに、ジュリエッタ……負けてあげるわけにはいかない」
たとえここでジュリエッタに勝てたとしても、アンジェリカはそれを喜ぶことはないだろう――そうであって欲しいという願望込みで思う。
妖蟲の無粋な横やりが入った状態のまま、彼女の復讐を終わらせてはならない。
そのためには、とにかく体内の妖蟲をどうにかするしかない。
「ライズ――《ソードストレングス》!」
ジュリエッタの《狂傀形態》は特殊なメタモルである。
身体を大人の女性にするだけではなく、各種ライズも自動で使用し身体能力を大幅に上げることが出来る。その反面、身体の構造を大きく変える通常のメタモルは使うことが出来なくなってしまう。
なので《狂傀形態》を維持するのであればメタモルは使えなくなるのでライズを使うしかない。
ジュリエッタが今使ったのは、『手刀の攻撃力を上げる』という極限定的なライズである。
「ライズ《アクセラレーション》!」
更に加速、アンジェリカの炎を振り切って今度は自ら懐へと潜り込む。
「がぁぁぁっ!!」
妖蟲の力で身体能力が上がっているとは言え、流石に本気のライズを使われたらアンジェリカはまだついていくことが出来ない。
接近してくるのに反応して大鎌を振るおうとするものの、ジュリエッタの方が早い。
ジュリエッタの手刀がアンジェリカの
言うまでもなく人間の急所の一つであるが、それ以上に重要な点は――
「……いた!」
ジュリエッタは確かにアンジェリカの体内に巣くう妖蟲に攻撃が当たった手応えを感じていた。
ここまでの攻防の中で何も考えずに戦ってきたわけではない。
打撃、斬撃、いずれもアンジェリカの動きを止めるには至らなかったが、それは全てフェイクだ。ジュリエッタの狙いは、アンジェリカ内部の妖蟲の位置を特定することにあった。
《インパルス》の衝撃波と自身の手足で感じる手応え、アンジェリカの傷の治り具合等諸々を勘案して出した結果――妖蟲はアンジェリカの全身隈なく取りついているわけではなく、本体は腹部にいる、という判断をしたのだ。
おそらくは全身に『根』を張り巡らせているとは思うが、本体さえ引きずり出せれば後でどうとでもなる。もしかしたら、アンジェリカの意識が取り戻せればイグニッションで焼き尽くすことも可能かもしれない。
そう考えたジュリエッタは本体を直接攻撃することにしたのだ。
「……!? 硬い……!!」
だが、突き入れた手刀は命中こそしたものの、異様に硬い手応えによって阻まれてしまう。
ライズで強化しているにも関わらず、貫くことが出来ないのだ。
直接戦ったことはないが、話に聞く宝石芋虫にも勝るかもしれない防御力だった。
――妖蟲だけをそのまま倒すのは無理……。
瞬時に結論を出すジュリエッタ。
どうやって妖蟲を引きずり出すか、ということではなく、アンジェリカの体内にいる妖蟲を倒すかを検討したのだが、今の攻撃でおそらくそれは無理だろうと言うことがわかった。
もしジュリエッタの攻撃が通用するのであれば、アンジェリカの肉体には最小限の傷だけで済むようにして妖蟲を直接倒すという方法が取れたのだが、宝石芋虫に匹敵する防御力を持っている時点でそれは諦めざるを得ない。
この防御を貫けるだけの攻撃をしようとするとどうしてもアンジェリカにダメージが及ぶことは避けられないからだ。下手をすると、腹を裂いて妖蟲を引きずり出す――という方法よりも悲惨な結末になりかねない。
アンジェリカをリスポーンにまで追い込まず(出来れば苦しい思いもさせず)、妖蟲をどうにかする――アトラクナクア戦の時と同様、あるいはそれ以上の難易度だと言わざるをえない。
当然、自分がやられるわけにもいかない。
その上、敵は生半可な攻撃では防御を打ち破れないほどの硬さを持っているのだ。
……ここまでの戦いでジュリエッタがわかったことは以上だ。
困難な戦いをいかにして乗り切るか……まだ答えは出ていないが、これまでの攻防は決して無駄ではない。
出来ないこととそうではないことの切り分けは出来た。であれば、後は『出来ること』の中からアンジェリカを助ける方法を考えるだけだ。
問題は、アンジェリカも暴走しているとはいっても、何の考えもなしに動いているわけではない、ということだ。
その証拠に腹部に手刀を喰らった衝撃で一瞬怯んだものの、すぐさまアンジェリカは反撃に移る。
「イグニッション……」
「チッ……」
近づいていても意味がない、どころかむしろ危険に晒される可能性の方が高い。
妖蟲への攻撃に失敗したと判断したジュリエッタはすぐさま手刀を引き抜き下がろうとする――が、引き抜こうとした腕が動かない。
「……!?」
中の妖蟲がジュリエッタの腕を封じているのかそれとも再生したアンジェリカの肉体に巻き込まれたのか、手刀が引き抜けない。
対してアンジェリカは既にイグニッションを使い始めている。
「《ブレイズ・オブ・グローリー》!!」
「メタモル!!」
アンジェリカの全身を炎が包む――彼女の持つ最大の攻撃魔法、全身を燃え上がらせる攻防一致の《ブレイズ・オブ・グローリー》が発動すると同時に、ジュリエッタは《狂傀形態》を解除すること覚悟でメタモルを使い、突き入れた手刀とは反対側の腕を刃へと変える。
そして自ら腕を切り落として脱出……燃え盛るアンジェリカの『死の抱擁』を回避する。
――ジュリエッタとアンジェリカ。二人共に判断の速さは称賛すべきであろう。
相手の魔法の発動を待たず、瞬時に自らの腕を切り捨てて脱出しようとしたジュリエッタ。
攻撃を受けた瞬間に相手の動きを封じ、かつ最大火力で迎え撃とうとしたアンジェリカ。
どちらも予め計算していたわけではない。その場その場での判断の速さによって、行動している。
この攻防、どちらかと言えばアンジェリカの方に軍配が上がる。
「くぅっ……肉が、足りない……」
腕を切断してもメタモルを使うことで回復できるジュリエッタだが、アトラクナクア戦から度重なるダメージを受けて大分『肉』を消耗してしまっている。
まだ辛うじて腕を戻すことは出来るものの、折角の《狂傀形態》も解除されてしまい、魔力はともかく余計に『肉』を使ってしまったのだ。
対してアンジェリカは妖蟲の力で傷は回復できる。自身の身体を炎で包む《ブレイズ・オブ・グローリー》のダメージも、回復可能である。
お互いに受けたダメージの比率で言えば、圧倒的にジュリエッタの方が負けていることになる。
その上、アンジェリカは退くジュリエッタへと追撃を仕掛ける。
「イグニッション――《シンデレラビート》!」
既に全身に炎を纏っている状態……オートカウンターが発動しているような状態にも関わらず、更に新たなイグニッションを重ねる。
見た目は何も変わらなかったものの、魔法発動後にアンジェリカの動きが明らかに変わった。
――速い!?
後ろへと退いたジュリエッタへと、一瞬で間合いを詰める。
アバターの肉体が成長したことにより全体的なステータスが高くなっていたのは確かだが、この動きは明らかにおかしい――まるでライズを使った時のジュリエッタのような、異様なスピードだった。
予想外のスピードで詰め寄られたジュリエッタが回避しようとするよりも早く、アンジェリカの回し蹴りが脇腹へとヒット。
「っ、ぐぅっ……!?」
まるで巨大モンスターに殴られたかのような衝撃を受けジュリエッタが吹き飛ばされる。
もし生身であったら、肋骨を蹴り砕かれたであろう強烈な一撃だ。
ボールのように蹴り飛ばされ、地面へと転がるジュリエッタへと容赦なくアンジェリカは追撃を仕掛ける。
「ライズ《アクセラレーション》!」
理屈は不明だが、今アンジェリカはライズを使った時と同等の身体強化を行っていると見て間違いないだろう、そう思ったジュリエッタは再びライズで自己を強化し対抗しようとする。
倒れたジュリエッタへと向けて振り下ろされた鎌をかわし、態勢を整えようとするが、
「ああああああああっ!!」
地面へと刺さった鎌を支点に、棒高跳びの要領でアンジェリカが高く飛び上がると共に眼下のジュリエッタへと勢いよく足を振り下ろす。
《アクセラレーション》を使っていたことが幸いした。すぐさまジュリエッタは横へと跳びかかと落としをかわす――外れたかかと落としが地面へと突き刺さり、大きくヒビを入れる。
もし下手に防御しようとしていたら、防御しようとした腕ごと頭を蹴りつぶされていたであろう一撃だ。
「…………ほんとに、強く、なった……」
複雑な気分だが、アンジェリカが強くなったことを心のどこかでジュリエッタは喜んでいた。
アバターの能力を底上げしているのは妖蟲の影響だろうが、それ以外の戦闘力についてはアンジェリカ自身のものだ。
今苦戦していることで問題解決が困難となっているのはともかくとして、『弟子』が強くなった――強くなる素地があるというのは喜ばしいことである。
「だからこそ――必ず、アンジェリカを助ける……!」
アンジェリカの力は彼女自身のために使うべきだ。
決して妖蟲の好きにさせていいものなどではない。
狂ったかのように大鎌を振り回しジュリエッタへと攻撃を仕掛けるアンジェリカ……一撃一撃が今のジュリエッタにとって致命的な攻撃力を持っている。
なぜこれだけの力を発揮出来ているのか、ジュリエッタはおおよその推測が出来た。
――《シンデレラビート》、この魔法はおそらく
《シンデレラビート》は、これを応用し、アンジェリカの体内に火を点ける――すなわち、体内の脂肪、筋肉、骨、神経、ありとあらゆるものを燃焼させてエネルギーを得ている魔法なのだと推測する。
文字通り、身体を燃やし尽くすことを代償に強大な力を得る魔法である。そして、その名――シンデレラの如く、時間が来たら全身を燃やし尽くして終わり、という諸刃の魔法なのであろう……本来ならば。
今のアンジェリカであれば妖蟲の力で回復することが出来る。
《ブレイズ・オブ・グローリー》で攻防一致の炎を身に纏い、《シンデレラビート》で命を燃やしてパワーを得る。どちらも本来の魔法ならば、効果の高さの代償として命を削るものであろうが、妖蟲の力で回復出来る今は実質無制限に使用することが可能だ。
しかし、アンジェリカが受ける苦痛に何の変わりもない。
――殿様は、『命を投げ捨てるようなことはするな』って言ってたけど……。
ジュリエッタは自分がラビのユニットとなった時に言われたことを思い出す。
罪悪感や使命感からジュリエッタがアリスたち以上の無茶をしないように釘を刺したつもりだったのだろうが、それは本心であろうことは疑いようはない。
ジュリエッタ自身もそれは理解していたし、無駄に命を捨てるような戦いをするつもりはなかったが――
真剣な表情で、しかし口元には薄く笑みを浮かべてジュリエッタは呟く。
「……ここが、命の張りどころ……だよ、殿様」
アンジェリカが命を燃やして向かってくるのであれば、こちらも命を賭けて応える――そうでなければこの戦いは終わらせることは出来ない。
……たとえ、この身体が灰になったとしても、アンジェリカを助ける。
それが、今のジュリエッタの唯一の想いであった。
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