第5章3節 冥界のワルキューレ
第5章43話 Damsel in distress(前編)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……ん……?」
ありすは目が覚めると同時に、すぐに今まで起きたことを思い出す。
「……生きてる……?」
彼女の最後の記憶は、XC-10に対してヴィヴィアンと共に立ち向かおうとしたところまでだ。
全力の魔法を撃ち込もうとする前に、相手が魔力を封じる特殊な『糸』を放ってきて回避しきれずに動きを止められたところまでは覚えている。
「んー……」
その後、どうなったかまでは意識を失ってしまったためわからないが、少なくとも体力全てを削られ切ってしまったというわけではないらしい。
なぜならば――
「……動けない……」
ありすの身体は全身を糸でぐるぐる巻きにされ、天井から吊るされている状態だったからだ。
体力がゼロになってしまったとしたら、ラビがクエスト内にいればリスポーンされただろうし、いないのであればクエスト失敗で現実世界へと戻れたはずだ。
そのどちらでもなくモンスターに捕まっているのが現状だろう、とありすは判断する。
……尤も、なぜモンスターがありすたちにとどめを刺さずに捕まえておくのかの理由まではわからないが……。
「ん、んぅ……」
そこで自分とは別のうめき声が聞こえてくる。
薄暗くてよく周囲は見通せないが、それほど離れていない位置にありすと同じようにして糸にぐるぐる巻きにされている人影が見えた。
「トーカ」
「……あふぅ……ありす、さん……? おはようございますぅ……」
寝起きが悪いだけなのだろう、ぼんやりとしてはいるが特に体に異変はなさそうだった。
「ん、おはよう」
「………………あ、あれ? わたくしたちは、確か……」
しばらくの間眠そうにうつらうつらとしていた桃香だったが、こちらもようやく覚醒し状況を思い出したらしい。
「う、動けませんわ!?」
「ん、動けない」
二人揃ってぐるぐる巻きにされて吊るされている姿は一見コミカルではあるが、楽観できる状況ではない。
モンスターの考えていることなど理解できるわけでもないが、かといって何の理由もなく二人を捕まえているわけではないだろうことはわかる。
「んー……! ……ダメ、変身できない……」
「わたくしもですわ……どうやら魔力が空になっているようですわね」
「ん、多分そう」
変身さえ出来れば糸の拘束など魔法でどうとでも出来ると思ったものの、二人の推測通り魔力がないため変身すら出来ない状態だ。
かといって変身していない元の姿の腕力では糸から逃れることも出来ない。
しばらくの間二人とももがいてみたが、拘束は全く緩むことはないし糸を引きちぎるのは無理だとわかっただけであった。
「こ、困りましたわね……」
「んー、どうしよう」
体力が尽きればリスポーンなりの可能性は出て来るのだが、現状はそれは無理だ。
モンスターも近くにはいないのか攻撃する様子はない。
二人はどうすることも出来ずに吊り下げられたままだ。
「……一体、なぜモンスターはわたくしたちを捕らえたのでしょうか……?」
どれだけ足掻いても逃れることが出来ないと悟った桃香は、仕方なしに現状の把握に努めることにしたらしい。
なぜモンスターが体力を削り切らずに二人を捕らえたままにしているのか、考えても答えはわからないが推測することは無駄にはなるまい――ここから脱出できた後、またモンスターと再戦する時のことを考えてだ。
捕らえた理由は戦闘には関係ないとは思うが、少なくともモンスターの『行動原理』に繋がっていることは間違いない。
何のために行動しているのかがわかれば、戦闘においても多少のヒントにはなるかもしれないと二人は考えている。
「んー……エサ?」
あっさりと言ったありすの言葉に、薄暗くてよく見えないものの桃香が顔を引きつらせるのがわかる。
「ままままま、まさか、そんな……」
「ありえない話じゃ、ない。と思う」
ありすも虫について詳しいわけではないが、ある程度のことは知っている。
蟻や蜂などが獲物を捕らえた後に巣に持ち帰って『貯蔵』する等だ。
ここがあの芋虫の巣なのだとしたら、後で食べるために獲物を生かしたまま捕らえておいている、という可能性もゼロではないだろう。
「ん、でも……わたしたちの他にエサっぽいのない……」
「た、確かに……みーちゃん――ジェーンさんの姿もなさそうですわね……」
薄暗くて全貌はわからないものの、ありすたちのようにぶら下げられている糸の塊は他に見当たらない。
エサとして貯蔵するのであればもう少し数があってもおかしくはないと思われる。
……そもそもの話として、あのモンスターたちは何を食べているのか、いやそれ以前に『ゲーム』に登場するモンスターに食事の必要があるのかも不明だが。
「他の可能性は……」
エサ説は完全に否定されたわけではないが、桃香的にはあまり考えたくないようだ。
他に希望の持てる説――捕まっている時点で希望もなにもないのだが――を必死に考えようとする。
「……ん、じゃあ……子供を産ませるため?」
「……は、はい?」
ありすの言っていることの意味がわからなかったのだろう――わかっているのかもしれないが理解したくなかっただけか、桃香は首を傾げる。
「前に映画で見た……虫みたいな宇宙人が人間を捕まえて、卵を産み付けて――」
「ぎ、ぎゃあぁぁぁぁぁっ!? 聞きたくないですわー!?」
「わたしが見た映画だと、開拓惑星の集落の人間が全滅して、皆してこんな感じの場所に閉じ込められてて――」
「ひぃぃぃぃっ!」
「主人公たちがたどり着いた時、目の前でお腹の中から虫が――」
「うわぁぁぁぁぁん!? やだやだやだぁぁぁぁぁっ!!」
もしこの場にラビがいたならば、『あー、そんな映画あったねー』と同意してくるかもしれない――状況的に呑気に同意している場合ではないというのは置いておいて。
グネグネと身体をよじりつつ悲鳴を上げる桃香の様子を、ありすは生温いまなざしで見ている。
「あの映画は面白かった……」
「面白くないですわ!?」
可能性の一つとして挙げてみた説ではあるが、これもエサ説と同様に否定できる要素がまるでない。
肯定する要素もないことは確かなのだが……。
――ありすも桃香も知る由はないが、実際にそのような目に遭わされているユニットがいるのも事実。
「えぐっ、ひぐっ……! 嫌ですわ……虫の赤ちゃんなんて嫌ですわぁぁぁぁぁぁっ!!」
まだそうと決まったわけではないのだが、桃香はすっかりありすの言葉を信じてしまっているようだ。
エサの方よりも身体を食い破って虫が出て来る方が嫌らしい、そちらの方に意識を完全に割いてしまっている。
「う、産むなら、わたくしありすさんの赤ちゃんが産みたいですわぁぁぁぁぁっ!!」
「……んー、トーカ……女の子同士だと、赤ちゃんは作れないと思う……」
「そんなことありませんわ!」
至極冷静なありすの意見に対して桃香はきっぱりと否定する。
若干その目が冷静さを失っているのか危険な色を見せていることにありすは気づいているのかどうか……。
「今は――あ、あいぴー……? えっと……?」
思い出そうとしているのだろう視線を宙に彷徨わせて数秒、
「すた……そう、STOP細胞というもので、女の子同士でも子供が作れるそうですわ!」
ラビがいたら様々な方向から突っ込みを入れたくなるような言葉を桃香は言う。
興奮しているのだろう、鼻息の荒くなった桃香を相変わらず生温い視線でありすは見守っている。
「で、ですからわたくしとありすさんの……あ、赤ちゃんを……! 後、ついでにみーちゃんの赤ちゃんも……!」
「……ミドーはついでなんだ……」
「うぅぅぅ……でも、あやめお姉ちゃんとの赤ちゃんも欲しい……」
「……トーカって、スケベだよね……」
流石に呆れたのだろうありすの突っ込みだが、桃香はそれももう耳に入っていないようだ。
「うぅ、でもでも、ラビ様の赤ちゃんも……い、いえでもラビ様は――」
「んー、ラビさんもわたしたちみたいな恰好だったらよかったのにねー」
パニック状態のまま放置しているのも何だし、とありすは適当に桃香の話題に乗る。
――ありすは何も無意味に桃香を怖がらせたわけではない。謎だらけの状況はともかくとして、不安であろう桃香の気を紛らわせるために色々と話をしていたのだ。
尤も、ありすの想定外の方向に桃香は暴走しているようではあるが。
「そう! ラビ様が人間の姿だったら、どれだけ良かったことか!! い、いえ、今のお姿も愛らしくて好きなのですが……」
「ん、ラビさんは最高」
「ラビ様が人間のお姿であったら、きっととても美しい姿だったに決まってますわ! それはもう……全てを暖かく包み込む女神のような……」
「……ん? トーカは、ラビさんが女の人だと思ってる?」
「え? 違いますの?」
全く己の感じたものを疑っていないのか、再度不思議そうに首を傾げる桃香。
尚、ラビが自分の性別――現在ではなく『前世』での性別だ――について明言したことは一度もないことを付け加えておく。
「なつ兄は、ラビさんのこと『アニキ』って呼んでる……」
「千夏さんの眼が腐っているだけですわ」
ばっさりと桃香は(何の根拠もなしに)切り捨てる。
「道を誤ったわたくしや千夏さんを許す度量の広さ、受け入れてくれる懐の広さ、なんだかんだでわたくしたちのわがままを受け入れてくれて、そして色々とお話を聞いてくれる包容力……まるで母親に抱かれているような安心感……どこをとっても女性ですわ!」
実はその全てがあくまで『子供視点』から見たものであって、桃香が挙げた点については全て大人の男性であっても成り立つものであることにありすは気づいていたが、敢えて黙っていた。
「あ。後ちょっとだけ方向音痴なところとか」
「んんっ……そこは否定できない……!」
密林遺跡での一件は、ラビは自覚していなかったものの意外なところで深い根を張っていた。それも、本題からは逸れたところで。
「ん、じゃあ無事に戻れたら、なつ兄も交えてラビさんの性別について議論する……」
「そ、そうですわね! ……無事に戻れたら……」
現状を思い出したのか、途中から桃香の声がトーンダウンする。
最悪のケースでも体力がゼロになれば戻ることは出来るのだが――もし、虫の目的が子供を産ませることだとして、腹を食い破られて尚
楽観することなど出来ない。人知を超えたモンスターが何をしてくるか、予想を超えたことをしてくるであろうことは今までの経験上わかっている。
再び桃香の気分は暗く沈んでいく。
「……トーカ……!」
そんな時だった。
ひた、ひたと何者かがありすたちの捕まっている場所へと迫ってくる音が聞こえてくる。
小さく、鋭くありすの警告が飛び桃香も意識を切り替える。
まだ幼くとも幾度も『ゲーム』内で死線を潜り抜けてきたのだ。桃香も立派な戦士であることには変わりない。
息を殺し、足音の主が通り過ぎることを願う二人だったが、願い虚しく――
「……っ!!」
糸で覆われた部屋へと現れたのは、四本の腕を持つ巨大カマキリの姿であった。
その顔は、しっかりと吊るされたありすと桃香の方を向いていた……。
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