第3章58話 ラグナレク 25. 思い出と決意
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
美藤美々香、並びに桜桃香と恋墨ありすとの出会いは約一年半前になる。
神立桃園台南小学校では二年ごとにクラス替えが行われる。彼女たちは小学三年生になった時のクラス替えで同じクラスとなった。
ただ、同じクラスになったというだけであって、当初はお互いに親しく話すこともなく、かといって無視しあうわけでもなく、いい意味でも悪い意味でも『ただのクラスメート』という関係であった。
出会った当初、ありすに対して美々香は『何かいつも眠そう』、桃香は『ちょっと怖そう』というあまりいい印象を抱いていなかったことを付け加えておく。ありすの方が二人に対してどういう印象を持っていたかは定かではない。
特に深い関係になるでもなかった『ただのクラスメート』の三人に接点が出来たのは、クラス替えから四か月後――真夏の、夏休みの最中だった。
「桃香、あなた、私に逆らうというの?」
「う、うぅ……」
発端となったのはほんの些細なことだった。
桃園台小学校と桃園台南小学校はさほど距離は離れていない。そして、両校の中間地点には『桃園台記念公園』という大きな公園がある。その公園は桃香たちからすると神道を渡った先にあるため滅多に行くことはなかったのだが、その日は『たまにはちょっと広いところで遊ぼう』ということでたまたま向かったのだった。
美々香、桃香の他に仲の良いクラスメート数人……そして、たまたま出会ったありすがその時いた。
そして桃園台記念公園で彼女たちは遊んでいたのだが、そこに割り込んでくるものがいたのだ。
「何とか言ったらどうなの?」
桃香の前に腕を組んで立ち責め立てている少女――何歳か年上だろう、桃香を『七燿桃園』と知っても怯む様子は一切ない。
彼女の名は
七燿同士に『格』の違いはない。敢えて言うのであれば、『桃園』の領域にいる桃香――桜の家はこの地域においては一番『格上』であるとはいえる。
とはいえ、それはもっと分別のある大人同士で通じる話である。当時9歳である桃香、そしてそれより数歳年上な程度の凛子にとっては関係のない話だ。
比較的近所に住む七燿同士ということで桃香と凛子は知り合い同士ではあったが……端的に言って、桃香は凛子のことが苦手であった。
理由は単純で、この年上の傲慢な少女から桃香はよく虐められていたからだ――と言っても、お互いの親が介入して止めなければならない程のひどさではない。当の桃香にしては当然気分のいいものではないが。
「……」
更に凛子の後ろに隠れるようにいるもう一人の少女の剣呑な視線も恐ろしい。こちらはほとんど顔を合わせたことはなかったが、凛子と同じ七燿黒堂の分家の娘で彼女の妹分である。年齢は自分と同じだったはず、と桃香は思い出す。。
他にも数人、凛子の『取り巻き』――桃香たちの視点からするとそうとしか見えないが、実際は友人である――の少女たちもこちらを見ている。
非常に複雑で難解な子供たちの論理をわかりやすくかみ砕いて、なぜこのような状況になっているかを説明すると――
凛子たちの『縄張り』である桃園台記念公園に、『よそ者』の桃香たちがいることが気に食わない、と突っかかっているだけなのだが。
よく見ると凛子の後ろにいる少女たちは桃香たちに対して敵愾心をむき出しにしているわけではない。むしろ、『どうしよう……』と困惑しているようである。
それも当然だろう。自分たちよりも年下の子供たち相手に威圧しているのだ、傍からはどう見ても凛子たちの方が『悪者』である。
『……えー、どうしよっか……』『止めた方がいいかな……?』『でも凛子ちゃんヒスるし……』とぼそぼそと小声で囁き合っている。凛子にも桃香たちにも聞こえてはいないようだ。
(どうしよう……)
苦手な凛子に威圧されて委縮する桃香。
美々香もまた凛子には小さい頃から桃香と一緒にいるため虐められたり馬鹿にされたりしてきたので苦手意識がある。
一言で言えば、『怖い』のだ。
少し年上で、気に入らないことがあるとすぐ怒鳴り散らすわがままな――機嫌のいい時であれば、良くも悪くも他人を引っ張っていくので頼もしいと言えないこともないが――相手を、9歳程度の子が怖がらないわけがない。
桃香たちと一緒に遊んでいたクラスメートも、凛子のことは知らなくてもいきなり現れた上級生に威圧されておどおどとしている。中には既に涙目になっている子も。
「……ん」
そんな中、全くいつもと変わらず、ぼーっとしたような眠そうな表情のありすが動いた。
「こ、恋墨さん?」
桃香の前へと出てきたありすは、美々香が持っていたボールを手に取り、凛子へと軽く投げつける。
「……何、あなた……?」
勢いよく投げつけられたわけではない。難なくキャッチはするものの、不快そうに凛子が顔を歪め、ありすを睨みつける。
自分が睨まれたわけではないというのに、桃香たちはびくりと身を竦める。
だが、ありすは全く動じず。
「勝負」
「はぁ?」
唐突なありすの言葉が理解できず、今度は困惑の表情を浮かべる。
構わずありすは続ける。
「ドッヂボールで、勝負」
それでも言葉足らずでいまいち相手に意図が伝わらない。
「凛子姉さま」
その時、凛子のすぐ後ろにいた妹分の少女が発言する。
声音こそ幼い子供であったが、ゆったりとした落ち着いた口調は年不相応な大人びたものであった。
「この子は、どちらがこの場所で遊ぶか、ドッヂボールで決めようと言っています」
「……ふ、ふん! いいわよ! それで決着をつけようじゃない!」
――冷静に考えれば、公園は言うまでもなく公共の場である。縄張りを主張したところで意味はない。ありすたちは勝負をして決めるという義理はないし、また凛子たちも勝負を受ける必要もない。
ただし、それはもう少し大人の論理である。
「――ただ、こちらのメンバーは上級生が多いですから、多少なりともハンデを付ける必要はあるでしょう。
よろしいでしょうか、皆さま?」
少女は凛子ではなく、その後ろにいた凛子の友人たちに向けて言う。
彼女の言葉に友人たちはほっとしたように笑顔を浮かべて頷く。
「ちょっと、何で私に聞かないのよ!?」
と凛子は軽く拗ねるものの、こちらも少しほっとしたような表情を見せる。
……彼女は彼女で、いつもの調子で桃香に絡んでしまい、退くに退けない状態だったのだろう。
「そちらも、それでよろしいですか?」
少女は桃香――ではなく、勝負を持ち掛けたありすへと尋ねる。
「ん。それでいい」
ハンデをもらうことを屈辱とは全く思わない。まともにやりあえば、基礎体力でありすたちが不利なのは明らかだ。
それを平等になるようにしてくれる、というのだから願ったり叶ったりである。
「それでは――始めましょう」
自分は参加する気がないのか、少女は審判役を務める。
こうして、桃園台記念公園の領有権を巡る、桃園台小学校女子チームと、桃園台南小学校女子チームのドッヂボール対決は始まったのだった。
――この対決がきっかけとなり、桃園台小と桃園台南小の長きに渡る桃園台記念公園の領有権争いが始まったのだが……それは別の話である。
結局、その日は夕方までドッヂボール対決をしていたものの、決着はつかなかった。
正しくは決着がついた勝負もあったのだが、『まだ戦ってないメンバーが残ってるわよ!』と凛子が再戦を希望、ありすたちもそれを受け入れたため何度も勝負を繰り返した結果、勝敗数が同じとなったのだが。
「くっ……あんた、中々やるわね! 気に入ったわ」
「ん……」
とりわけ、ありすと凛子の勝負は毎度長引いた。お互い一歩も譲らず、外野を使っての攪乱もせず、真正面からのボールの投げ合いでの勝負を繰り広げていた。
……が、どちらも投げる方はそれほど得意ではないのか、キャッチボールに近いものはあったのだが。
とはいえ当事者である凛子には『激闘』を繰り広げた実感があるのだろう。ありすのことを気に入ったようだ。
対するありすはちょっとだけ困ったような、生温い笑みで返すが……凛子はそれに気づいていない。
「そういえば名前を聞いてなかったわね! 私は玖宝凛子よ。そこの――桃香の姉よ!」
『え、絶対違います……』という桃香の抗議の声は余りにかぼそかった。
「ん……恋墨、ありす」
凛子の自己紹介を受け、ありすも名前を名乗る。
が、ありすの名前を聞いた凛子が不思議そうな顔をする。
「え?
「んー、違う。
「……そりゃそうよね、聞いたことないもん。ね、■■■」
凛子が傍らの妹分の少女――■■■へと笑いかける。
■■■は……何を考えているのかわからない、曖昧な笑みを返した。
「ま、いいわ。
恋墨ありす、後ついでに桃香。今日のところはここまでにしておいてあげるわ!」
「ん。ばいばい、リンコ」
呼び捨てにされたことを気にもせず、凛子とその友人たちは公園から去っていく。
「……わたしも、帰る」
なんだかんだで夕方までガッツリと遊んで疲れたのだろう。ありすはそう言うと、桃香たちの返事を待たずにさっさと帰ろうとする。
「こ、恋墨さん!」
帰ろうとするありすに桃香が声をかける。
「その……ありがとうございました」
「んー? ……変なの」
なぜ礼を言われるのかわからない、とばかりに首を傾げるありすであった。
以上が、ありすと桃香、美々香の『出会い』である。実際に出会ったのは三年生になってからだったが、話をするように――ありすのことを気にするようになったのはこの時からだ。
だから桃香たちにとってはこの時こそが、ありすとの『出会い』の時であるという認識だ。
この時にありすが何を考えていたのか、桃香たちは知る由もない。
ただ一つ重要で確実なことは――ありすは彼女たちが抗うことすらできない『恐怖』に対して、敢然と立ち向かっていき、そして実質的に『勝利』したという事実である。
この日、この時から、ありすは彼女たちにとっての『ヒーロー』となったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「――
クエストはもう終わり、残っていた風竜たちもいつも間にか姿を消している――彼女たちが知る由もないが、ケイオス・ロアとジュリエッタがほとんどを倒し、またオーディンが消えたことにより残っていたものも風が止むのと同期して消えていったのだった。
急いで脱出する必要ももうない。
意識を失ったアリスをヴィヴィアンが膝枕で休ませ、ラビが残っていたグミとキャンディで回復をしている。
アリスは目覚めないままだが、体力も魔力も回復している。これが《ラグナレク》の後遺症かまでは不明だが、おそらく命に別状はないだろうと判断。少し休んでからクエストを抜けることとした。
”……そうだね”
ヴィヴィアンの呟きにラビは頷く。
尤も、二人の言う『また』は、それぞれ異なる事柄を指しているのだが、お互いにそれを知る由はない。
「……アタシ、強くなる」
もう危機は去った、と判断したジェーンもまだ残っている。そんな彼女が呟く。
「はい――わたくしも、強くなります」
ジェーンの言葉にヴィヴィアンも静かに同意する。
今回のクエストは、アリスがいなければ決して勝てなかっただろう――それは、決着までクエストに残り続けていた全員が同じ思いだ。
けれども、『自分にもっと力があれば……』そんな思いをぬぐい切れないのも確かなのだ。
ラビやアリス自身は、きっと他の仲間がいなければ勝てなかったというだろう。それも当然のことなのだが、だからと言ってヴィヴィアンたちがそれを納得するかどうかは別問題だ。
「今はまだ、あなたの後ろをついていくのが精いっぱいなわたくしですが……」
かつて凛子と対峙した時。そして、クラウザーへと立ち向かっていった時。
どちらもヴィヴィアン――桃香はありすの後ろにいた。今回の戦いにしてもそうだ。支援が役目とは言え、もっとやれることがあったのではないだろうかと考える。
……考えても、結局は自分の力不足であり、今は支援しかやれることがないという結論に至る。
だからヴィヴィアンは、そしてジェーンは強く思うのだ。
「あなたと並び立って……戦いたい」
アリスの戦いのサポートをする、ではない。それはそれで重要な役割だが。
彼女たちはアリスの後ろから助けたいのではない。横に並んで戦いたいのだ。
そうすれば、アリス一人に無茶をさせて苦しい思いをさせることもなく、こうして悔しい思いをしないでも良くなる。
……アリスとラビの最終目的である『ゲームのクリア』へも近づくことになるだろう。
二人の決意を以て、嵐の支配者を巡る『神との戦い』は本当に終わりを迎える。
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